警察によりますと1泊およそ6500円から8000円で1日30人から70人が宿泊していたということです。
会社顧問の男は、「宿泊料はもらっていない」と容疑を否認していますが、警察はパックツアー代金の一部に宿泊料が含まれていたと
(黒柳)あっ!のっけにこのお写真が出てしまったのでこのお話をしないわけにはいかないんですけど…。
5年間の間に5回の手術をなさったのとそれが乳がんだったために最終的には奇麗にお治しになったことも含めて5回手術をなさったということを今まで仰らなかったんですけど公表なさったもんですから大変です。
生稲晃子さん今日のお客様です。
よろしくお願いします。
しばらくでした。
ご無沙汰してます。
もうね生稲さんは本当にね…『ベストテン』にお母様と一緒にいらしたのね。
はい。
ありがとうございます。
ねえ。
徹子さん覚えていてくださっているんですよね。
私今でも忘れません。
あのバラバラバラバラっていうところの近くのところにお母様とあなたと…もう一人どなたかといらっしゃってたのね?たぶん甥っ子だと思います。
そうですそう。
座っていらしたのを覚えてます。
あの時がまだ二十歳ぐらい…?そうそう。
あなた…。
二十歳かな?うんと若い時ですよね。
でもあれですか?あれからなんかお母様お亡くなりになったんですってね?そうですね。
1999年でした。
そうなの…。
残念ね。
ただ徹子さんが覚えていてくださった話はまだ生きている頃にしてすごく喜んで…。
本当に?はい。
ありがとうございます。
色んなことありました。
でもまあ…さっきちょっとお写真がありましたように5年間の間に5回手術…。
そうですね。
なさったんですけど割と…。
お嬢さんは今何歳でしたっけ?今ね9歳です。
9歳?だから今9歳になったからいいんだけど一番初めの時が5年ぐらい前だからまだちっちゃかったのね。
年長でした。
年長?あっ可愛い。
可愛いね。
その頃の写真ですかね?これ。
そうだわね。
ちょうどねその最初の…。
あなたとしてはちょっと憂鬱なんだけど子どもはちょっとわかんない…。
あら可愛い。
えー。
何?これ。
お風呂入ってる?それとも温泉かなんか行った時?これはたぶん家でお風呂に入って私がいつも頭に巻いてるターバンみたいな感じのを…。
いい感じでできましたねこれ。
これなかなかねできないんですよ。
これ自分でやるとねバランバランになっちゃって。
そうですか。
でもあのぐらいのお嬢さんだから色んなことわかったと思いますけど。
お嬢さんには説明した?まあもちろん子どもが小さいと説明の仕方って悩んだりどういうふうに言ったらいいかってあれですけど。
私はうちの子どもを見ててこの子は嘘をつかずに話をしたほうがいいかなって。
理解できるかなっていうふうに思ったのでまだ5歳だったんですけれども「ママのおっぱいの中に悪いものができてそれを取らないと死んでしまうかもしれない」っていうふうに話しました。
「だから取るのよ」って?はい。
そしたら「わかった」って?その時は…はい泣いてました。
そう…。
ママが入院するのが嫌だと。
悪いものがあるのが嫌だっていうふうに。
でもあれですよね?お嬢さんはあなたからその話を聞いてわかったかと思ったんだけどしばらくしたら「もうその話はしないで」って言うようになったんですって?そうですね。
ちっちゃな頃は…「ママが可哀想」とか「ママが大好き」っていうふうに言葉で言ってくれてたんですけれども成長とともにその…本当のやっぱり怖さというか大変さがだんだんわかってきたんだと思うんですね。
逆にその話をするとやっぱり悲しくなってしまうみたいで…「言わないでほしい」っていうふうに言われました。
そんな小さくてもね。
そうですね。
そうなりますね。
小さいから小さいからって思ってるのはちょっと間違いかもしれないなと思って…。
この5年間の間に子どもは誰にも…お友達とかよその人にもこの話をしてないんですね。
そうなの…?はい。
それすごいわね。
それはあの…感謝してますね。
言いそうだけどそんなことないの?そうなんです…。
特に手が動かせない時頭やなんか洗ったり色んなこと手伝ってくれたんですって?はい。
退院してやっぱりすぐの頃は胸の辺りをぬらしちゃいけなかったので。
でも頭だけは洗いたいなと思って。
その時はこう…ここら辺に手をやって押さえててくれるんですね。
ここから水が垂れていかないように「私の手で止めてあげる」って言って一生懸命手で拭いてましたね。
そう…可愛いわね。
でもご主人も…あなたのご主人も随分ハンサムな方なのね素敵な。
そうですか?徹子さん。
ハンサムですか?ハンサムですあなた。
あらありがとうございます。
こういうのをハンサムって言わないでどういうのをハンサムって…。
喜びますもう。
ハンサム。
今風のハンサム。
今風…。
いいじゃない。
この旦那さんも頭洗うのとか色んなことを手伝ってくだすったんですってね?はい。
手術から戻ってきた時に…頭を洗ってくれました。
なんで笑ったの?あなた。
いやいやいやその…よく洗ってくれたなと思って今。
今思うとね。
洗ってくれて娘が私の体を押さえててくれて2人掛かりでやってくれましたけど。
でもよかったわよね。
そういうのさ全然なくて1人で暮らして生きている人もいるじゃない。
助けてくれる人が2人もいるなんてね幸せですよねはっきり言ったら。
もう本当に…やっぱり感謝しかないですね。
ありがとうですね。
でももう文句言いながら洗ってましたよ。
「お前の髪の毛はゴワゴワだな」とか。
そうなの?向こうは。
必ずなんかこうケチつけないと生きていけないタイプなんで…言われましたけど。
まあでも本当よくやってくれました。
それからご主人はアイロンかけだとかお料理とかそういうのも全部やってくだすったんですって?全て私より得意なんですね。
得意?ちょっともう一回写真見せていただいて…。
ほらハンサムじゃない。
ありがとうございます。
この方があなたアイロンかけとかさご飯とか作っててさ「いいよ何にもしないで」なんて言ってくれたらさ…。
「何もしないで」とは絶対言ってくれませんけど。
あっ言わないの?はい。
でも私はもう得意なほうがやればいい…。
そう。
それはそう。
私は掃除してるからご飯作ってくれればと思ってて。
アイロンに関しては私がいない時に…パジャマまでかけるんですよ。
そう。
全ての洗濯物をかけるんですね。
「電気代がもったいないからそこまでかけなくていい」って私は言ってるんですけど全てかけてやってくれます。
優しいわね。
ご主人のお作りになったお料理の写真があるそうで。
これは朝ご飯?そうです。
朝ご飯です。
でも奇麗にちゃんとできるのね。
今回公表したことでやはり皆さん私の子どもがどうだったかっていうことを聞いてくださるんですね。
で「お子さん偉かったね」「頑張ったね」「いい子だね」っていうふうにすごく娘の好感度がアップしまして。
そしたらうちの主人が「何なんだよ俺は」って。
そうよね。
「俺だってやってたのに」って…。
そうそうそうそうそう。
何娘にねそんなやきもちというかひがんでるんだと。
でブログに…「わかったわかった」って言って朝ご飯作ってくれた時の写真を撮って私が載っけたんです。
そしたらみんなが「偉いご主人ね」って言って喜んだ?フフッ。
フフフ…。
そうですね。
たぶん喜んでたと思います。
でも比較的あなたにとってありがたいのは楽天的なところがあるご主人?そうですね。
5回も手術をしてそれをそばで見てたのでつらかったと思います。
それはそうですよね。
2011年が最初の…がんがわかっての手術だったんですけれどもその年に主人の父が悪性リンパ腫で他界してるんですね。
そう…。
それが私が5月に手術をしてその月に他界してるんです。
あらー…。
はい。
だからたぶん相当精神的にはつらかったと思うんですけれどもあんまりそういうところを見せないでいつも「大丈夫だ」「大丈夫だよ」って言ってて。
やっぱり自分がつらい時は逆にその言葉がすごく…何だろう?もうちょっと心配してくれてもいいのにって思ったこともありました。
ありますよね。
でも逆にそうではなくて本当に心配しててくれたからああいうふうに明るく振る舞っててくれたんだなっていうのをこの5年経つとよくわかって…。
そういういい方と随分いい具合に結婚したなってお思いになったでしょ?やっぱり。
はっきり言ったら。
そうですね。
私そう思いますよ。
なんで笑ってるんだろう?あなたが笑うのはおかしいと思いますよ。
それはありがたいと…。
だってそうでしょ。
私だってそう思いますもの。
それで本当はそういうのってお母様がいらっしゃればね。
私ね可哀想だなって思って…。
お母様とあなたがいらしてね『ベストテン』でうれしそうにしてらしたのを見てたんでね。
お母様いらっしゃらなくなったって聞いてたなと思ってね。
そういう時ねちょっと…特に親でも母親のそういった言葉っていうのは大事というかね…あればいい。
でもその代わりきっと旦那様がそうやって言ってくださったんだと思いますよね。
そうですね。
やっぱり母がいればたぶん母にも私色々つらいっていう自分の気持ちを言ってたと思うのでそれが全部主人に言ってしまったので大変だったと思うし申し訳ないと思いますけれども本当ああ母がいればなっていうふうなのを思いました。
絶対そうですよね。
ですね。
今回病気になったことで母の遺影に謝りました。
何て?「ごめんね」って。
最初にちゃんと産んでくれたのになと思って。
右胸をなくしてしまったっていうのは申し訳なかったなと思って。
なんか随分あなた乳がんの…検診っていうんですか?はい。
検診も受けてらしたんですって?普通に無料の検診とかは行ってまして。
2010年のその無料検診がたまたまなんかバタバタしてて締め切りが終わっちゃってたんですね。
まあもういいやって思ってたら知り合いの先生が「人間ドック受けなさいよ」って言ってくださって。
面倒くさいなってその時は実は思ったんですけど2011年に入ってから人間ドックを受けに行ってそこで見つかったんです。
私も検査よく…よくってしょっちゅう行くわけじゃないんですけど。
1年に1回とか半年に1回とかって行くんだけど。
何だかさ上から重いものがこう押し潰すようにして下から押し上げるようにしてぺったんこにしてこれでどうだっていうようなふうな…。
上からと下からとでもって全部ぺったんこにするんですもんね。
そうですね。
あれすごいですよね。
あれすごいこと考えましたね。
はい。
でまた胸がある方はまたそれなりに痛いんだと思うんですけど…。
そうですよあれ。
私胸ないんですよ。
だからここら辺からお肉を持ってきてグッですからまあ痛い…。
でも嫌ですけどやっておけば心配ないわけですからね。
そういうもんでまあ…。
あれしか今のところないんですかね?マンモと…。
私はエコーのほうで見つかったんですね。
そう…。
だからマンモとエコーをやっぱり両方やるといいって…。
なるほどね。
ええそうですね。
まあそういうことで見つかったんですけどもあなたなんか43歳のお誕生日の日だかお誕生日の前の日だか何だか…ちょうどお誕生日のとこら辺だったんですって?もうその前から…ちょっと悪性かもしれないということで検査はずっとやっていたんですね2月3月と。
ただ私4月の28日が誕生日なんですけれどもその日にきちっと家族も呼んで主人と一緒に先生のお話を聞くというのがちょうどその誕生日の日でした。
おいしそうなケーキ。
はい。
レギュラーの番組でケーキを用意してくださって。
こういう人の前に出る人っていうのはやっぱりね心を許しちゃいけないんですよ。
あんな元気そうにしたり笑ったり「わあうれしい」とかって言ってるからあの人は何でもないと思うとそれは間違いよね。
心の中はもうグチャグチャでもやっぱり「わあうれしい!」なんていうふうに言うふうにみんなね心掛けていますよね。
そうですね。
そうです。
でもあの…人に話ができないのはやっぱり…つらかったですね。
それはそうですよね。
手術をなさって半年後に『徹子の部屋』にいらして…。
ちょっといい?見てみます。
見ましょう見ましょう。
「自分が子どもを産んでみて改めてやっぱり親のありがたみっていうのはわかるんだなっていうのがすごく本当に感じます。
それまではなんかもう親は育ててくれるのが当たり前だってたぶんどこかに私あったと思うんですね」「わがまま言ったり生意気言ったりもしてたんですけども思うように自分の子どもを育てながら…まだ5年ですけど」「上手くいかないこともいっぱいあったりして」「上手く最後までね大きくなるまで育てられるのかななんていう不安ってやっぱりあるんですね。
その時にやっぱり…親ってすごいなって…」「そうですよね」手術から半年後ぐらいだったんですね。
でも私実は…『徹子の部屋』に呼んでいただくということがあの時決まってそこで徹子さんにお話ししようって本当はあの時思ってたんです。
ええ。
でもやっぱりレギュラーの番組が健康番組だったので今言うべきではないということで自分でもそうだなと納得して。
やっぱり健康番組を…せっかくレギュラー入れていただいたので最後まで全うしよう…やっぱり最後までやらせていただこうと思ってお話をしなかったんだけど…。
やっぱりちょっとは…なんかちょっと話していらっしゃる…。
そうですね。
なんか再発した時はちょっとニキビみたいな感じで何だか再発なんては思わなかったんですって?最初の再発なんですけれどもこの表面に出てきたんですね。
ええ…。
はい。
放射線を当てたんですその前に。
だから炎症を起こしてたので炎症によるなんかこう…ニキビみたいなものかなと思って引っかいたりしてたんです。
何だろう?何だろう?と思って。
そうよね。
はい。
でもどうもやっぱりなんかずっとあるしすごく主張するんですよね。
光ってるように見えるんです。
変な言い方なんですけど。
おかしいなと思って先生に見せて先生も「ちょっと気になるからじゃあ針を刺して診てみましょう」ってやってくださったら悪性だったんです。
そう…。
はい。
どうかわからないっていうのを待ってる時間もちょっと…その時間はたまらない時間ですよね。
やっぱり…例えば再発っていう言葉っていうのは恐怖だったんですね。
そりゃそうですよね。
だからもうそれだけは…それだけは嫌だって思ってたので結果が出るまでっていうのは本当ドキドキしてましたけども。
やっぱり先生に…再発っていう言葉を聞いた時というのは…1回目よりもショックでした。
そうねたぶんそうだろうと思いますよね。
1回目の時はほらショックはショックなんだけどこれで取っちゃえばどうにかなるんだっていう感じがあるじゃない。
だけどそんな再発とか何とかっていうことになると…。
もしかしたら死んでしまうんじゃないかとかやっぱりそこまで悪いほうに悪いほうに考えてしまって…。
そこからはそうですねもう一回再発した時っていうのはもう…。
あんまり覚えてないんです。
もう真っ白で…。
そうね。
なんで自分だけそんな何度もなるんだろうってお思いになったと思うし。
はい。
そうですか。
2回目の再発が…。
もう一回今度…あれやっぱり色んなところに転移しないためでしょうね全部取っちゃうっていうのはね。
2回目の再発の時に先生が「また次部分切除だけで終わらせてまた次再発になったらやはり危険である」と。
っていうことは全摘手術までしましょうということなんだなというふうに…。
それはもう「生きるためです」っていう先生の言葉がよくわかったので…。
ショックではありましたけれどももうこの歳で誰に胸を見せるわけでもないと思って。
それよりもまだ子どもも小さいし生きないとって思って「お願いします」というふうに言いました。
けどやっぱりまだお若いし…。
あなたお若いもんねまだ。
いくつぐらい?今47です。
でももうあなたも四十…。
47ですもう。
そんな…徹子さんそんな若くないと今思いましたね?いやいやいやいや。
そうなんですよ。
そんなこと言っちゃ悪いけどもうちょっと若かったかなと思ったんですよ。
もうなっちゃいました。
でもまあそうやって…今…銭湯かなんかにもいらっしゃるんだって?その全摘をする2日ぐらい前かな?入院する…。
家の近所に銭湯があるんですね。
ずっと娘が「銭湯に行こう」って…。
やっぱりあのぐらいの歳の子というか今の子って銭湯ってあんまり経験がないので「銭湯に行きたい」って言ってて。
まだその前の手術では胸があったのでうーん面倒くさいなと思って「またね」「またね」なんて言ってたんですけどもあっ私胸がなくなるんだと思って。
もしかしたらもう子どもと銭湯に行くのも最後かなって。
皆さんの前で…人の前で胸を出すの嫌かなと思って入院する少し前に「銭湯に行こう」って言ったらすごい喜んでくれて。
一緒に行ったんですね。
すごい娘も喜んでくれまして。
もうとにかくすごい楽しくてすごい悲しい日だったのでこの日のことは本当よく覚えてます。
はい。
でもまあそういう思い出がない人に比べるとどうでしょうね?胸がねあったほうがいいに違いないんだけどでもそういう…悲しさみたいなものもあなた歌手でもあるんだから歌も歌うし芝居もなさるんだからそういう何ていうの?つらさがわかることも悪くはないとは思いますよね。
そうですねはい。
確かにこの5年はつらい時もありましたけどすごく学ぶことも多かったなっていうふうに…。
それでまた家族との絆っていうのもやっぱり感じることもできたし。
そう。
それから旦那様があなたに対してだって今までもそうだったかもしれないけどもっとこう何ていうの?優しく接してくださるようになったかもわからないじゃない。
本当にもう感謝しかない…。
あんまりそういうこと口にしないんですけど…。
そりゃそうですよ普段はね。
本当は言わなきゃいけないんでしょうけど…。
それじゃあこの辺でご主人様からですねお手紙を…。
えー!あなたにあの…。
「あっこが乳がんになっちゃった」「診断結果を聞いたのはあれは忘れもしない2011年の4月でした」「もちろん本人はショックで落ち込んでいましたが私も一緒になって暗くなっていてはがんとは闘えないと思い極力平常心でいることに必死でした」「当時娘も5歳になったばかりであっこに負担を掛けないように自分の仕事のスケジュールを調整しながら娘の保育園やあっこの病院の送り迎え食事等の家事をしていました」「2013年の全摘手術の決断をした時は強いあっこの目からポロポロっと涙がこぼれさすがに見ていられなくつらかったです」「ここでも平常心平常心と言い聞かせていました」「娘も5歳からの約4年8カ月間部分手術から全摘手術をして再建手術後に至っても一緒にお風呂に入る時は色々お手伝いをしてあげていました」「幼心にもつらかったと思います」「ただ洋服を着ているママになると普通に接していました。
笑い」「これまでは関係者の方々に対して後ろめたい気持ちがあったので公表できたことにより精神的に安心しストレスがなくなりよかったのではないでしょうか」「これからは同じ病を経験した方々と触れ合うことが多くなると思うし闘病生活のつらさや悲しみを二度としないように祈るとともにケンカもするけど家族3人で普通に生活していければ幸いです」「みんなで頑張ろう」「2015年12月」…佐山智洋さん。
優しいご主人。
ねえ。
もう泣いちゃいます…。
すいません。
いえいえ。
何かこの手紙に…お返事に何かひと言あります?いやー…。
あの…ありがとうしか…ありがとうしかもうないので。
で…「普通に生きていこう」っていうのは…「ケンカもするけど」ってもう本当にずっとそういうふうにしてきてくれたんですね。
主人も娘も…。
がんっていう病気に対してみんなでこう悲しむ時間も持つわけでもなくもう普通に毎日を送ってきた5年間だったので…送ってくれてたので。
私も家にいる時やっぱり忘れる瞬間もいっぱいありましたし自分が病気だっていうことを。
本当に…。
でも色々…つらい思いもしてくれたんだなと思うと申し訳ないですね。
でもまあ…。
いい旦那様だってまたわかったし。
お渡ししておきます。
ありがとうございます。
よかったね。
よろしく仰ってください。
お大事にね。
ありがとうございます。
またね。
2015/12/16(水) 12:00〜12:30
ABCテレビ1
徹子の部屋 生稲晃子[字]
〜乳がん闘病を告白…夫からの手紙に涙〜生稲晃子さんが今日のゲストです。
詳細情報
◇ゲスト
女優・生稲晃子さんがゲスト。
◇番組内容
先月、乳がんによる5年近くにわたる闘病を明かした生稲さん。2011年に乳がんと診断され、2013年には右乳房を全摘出した。がんの告知を受けた時、ひとり娘はまだ5歳だったが、包み隠さず全てを説明してきたという。娘は成長するにつれ、だんだん母親の病気の話を聞きたがらなくなった…と娘の心境の変化を明かす。夫は常に「大丈夫、大丈夫」と明るく支えてくれ、食事や家事の手伝いもしてくれたと語る。
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/
ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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