NHK認知症キャンペーン わたしが伝えたいこと〜認知症の人からのメッセージ1 2015.12.14


(井ノ原)さあ山本さんよろしくお願いします。
認知症についてはですね「あさイチ」という番組で何度かお伝えしてきてはいるんですけれども実際にその認知症の方々とテレビでお話しするって事は初めてだと思うんですよね。
(山本)そうですよね。
今日はこの都内のカフェに大勢の認知症の方に集まってもらっています。
今年NHKでは認知症キャンペーンを行っているんですがその中でも実際に認知症の方にじかにお話を伺うって事を結構大切にしてきたんですよね。
そうなんですよね。
本当今日いい機会だと思いますんで。
皆さんお待ちという事で早速行きましょう。
よろしくお願いします。
この秋私たちは認知症と診断された本人に向けてメッセージを寄せてくれるよう呼びかけました。
認知症の人たちから届いた手紙やメールファックスは70余り。
そこには認知症になった事への戸惑いや不安。
周りの人たちに伝えたい事。
誰にも言えず胸の奥にしまい込んでいた思いがつづられていました。
今日は全国各地から集まった認知症の人たちが自らの言葉でその本音を語ります。
井ノ原と申します。
よろしくお願いします。
さあそれでは今日お集まり頂いた方々ご紹介させて頂きますね。
まずは曽根勝一道さんです。
今日は大阪からおいで頂きました。
よろしくお願いします。
お願いします。
それから福田人志さん。
はるばる長崎から。
はいよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
口直美さん。
千葉でしたね?はい。
よろしくお願いします。
丹野智文さんです。
こんにちは。
丹野さんは当事者の会を自ら立ち上げるなど積極的に発信する活動を続けていらっしゃいます。
(丹野)よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
お年近いんですよね?確か。
そうなんです。
僕が39で。
41です。
そうなんですよね。
同世代という事でよろしくお願いします。
こちらのテーブルには今年2月の番組でも出演して頂きましたけども東京・町田のデイサービスの皆さんです。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
青山さんお久しぶりです。
ああどうも。
お世話になってます。
(笑い声)お願いしますね。
お願いします。
認知症ケアの専門家の永田久美子さんにもお越し頂きました。
よろしくお願いします。
そして今日は重松清さんと小島慶子さんにご一緒にお話を聞いて頂きます。
(2人)よろしくお願いします。
今回NHKでは認知症の方々の声を募集しましてたくさんのファックスメールそれから手紙も頂いたんですよね。
ここにありますこれですよね。
そうなんです。
たくさん頂きました。
今日は8人の皆さんと一緒にどうしたら認知症になっても自分らしく生きられるのか考えていきたいと思います。
まず最初にご紹介しますのはこちらにいらっしゃる曽根勝さん。
曽根勝さんから頂いたお手紙です。
曽根勝さんからは3枚頂きました。
一部なんですけど紹介させて頂きますね。
お願いします。
「59才の時に告知されました。
その時はショックが大きくて生きていくのさえいやになりました。
人と会うのもつらくなっていきました。
そして自分の中にとじこもっていくような日々が続きました。
告知された後アルツハイマーという病気をよく知らないままいろいろと不安や恐怖をおぼえました。
これから自分はどうなっていくのだろうか。
また何もわからなくなってしまうんだろうか。
一番心配したのは妻に暴力をふるうのではないかということでした」というお便りなんです。
心配とかそれがちょっと怖くなってしまうってとこはありましたか?
(曽根勝)そうですね。
何をしてしまうのかアルツハイマーという病気がどんな事になるんか。
そんな暴力なんかした事ないんやけれどもそんな事してしまうんじゃないかという自分に自信がなくなってきた時でしたね。
認知症と診断された時に曽根勝さんが本当にどんな問題に直面したんでしょうか。
取材したVTRがあります。
アルツハイマー型認知症と診断されて7年になる曽根勝一道さん。
物忘れに加え自分がどこにいるのか分からなくなる事が時々あります。
曽根勝さんの楽しみは妻と2人での畑仕事。
しかし認知症と診断された時はあまりのショックで生きていく力が萎えてしまったといいます。
定年を目の前にした突然の宣告。
最も苦しめられたのは認知症という言葉が持つイメージでした。
(どなり声)テレビで繰り返し伝えられるのは徘徊して家族を困らせる訳もなく暴力をふるうなど悲惨な事ばかり。
やがて自分もそうなるのではないかと不安と恐怖にすくみ上がりました。
追い打ちをかけたのが認知症になった本人のための情報がないという事でした。
図書館やインターネットで必死に調べても手に入るのは介護に当たる家族に向けた情報がほとんど。
しかもその内容は本人を傷つけるようなネガティブなものでした。
(取材者)暴力を?認知症と向き合いながらどのように生きていけばよいのか。
その答えが見つからないまま自分の世界に閉じこもっていきました。
例えばテレビ番組とかで認知症の特集をやるっていう事になると先ほど出てたVTRのようにちょっとネガティブな捉え方っていうのは僕も今感じると多いような気がしたんですけれども曽根勝さん自身はそれに対していやそんな事ないよっていうでもそんな事ないけどもそんなものを見せられるとそうなっちゃうんじゃないかという心配が常にあったっていう。
そうですねテレビとかそんなんでもよくありましたからね。
それから…これからどんどんもっと悪くなっていってそういう暴力をふるったり自分もあるんじゃないかと分からんままにそうなっていくんじゃないかというのは本当恐怖でしたね。
なるほど。
今となってみてはどうですか?
(曽根勝)いや…。
自分はそんな人間ではないと思いましたね。
そうですよね。
あの口さんはご自身が認知症ですよっていうふうに診断された時はどうだったんですか?やっぱり私も徹底的にネットで調べたり本も何でもかんでも読みあさったんですけども本当にひどい事しか書いてない。
「悪くなる一方です。
回復はありません。
人格も失います。
何も分からなくなります。
死にます」みたいに書いてあるので医者が書いているのであっそうなるんだって。
で私は医師に「自分で進行を遅らせるために私は何ができますか?」って聞いた時に「ないんですよ」って言われて。
ないって?「ないんですよ」って言われたんですね。
で…まあそれが医学的な常識ですよね。
悪くなる一方であなたにできる事はありませんっていうのは医学的な常識かもしれないけれども私としては命綱を目の前で切られたように感じたんですね。
やっぱり日常生活の中で認知症って言葉が使われる場面が何かすごく…「そうなったらやだよね」とか「もう今までとは違う人間になっちゃうかもしれないから怖いよね」っていう印象をちょっとずつ与えるようなやっぱり日常なんですよね今。
例えば「認知症になりたくないですよね。
皆さん健康法頑張りましょう」って言ってる情報だって認知症に自分がもしなってたら「ああそうか私って人から見たらああはなりたくないって言われる人間なんだ」って傷つくと思うしそれも別に悪意はなくて言われてる事であっても…。
丹野さんはどうでした?認知症って言われて。
私の場合は認知症って言われてもアルツハイマーっていう事自体があまりよく知らなくて診察室でですね私と妻で2人で聞いたんですよ。
で「若年性アルツハイマーで間違いありません」って言われた時に私は妻に心配をかけたくないと思ったからもう気丈なふりしてずっと話を聞いててああそうですかって聞いてたんですけどふと隣を見たらもう妻は泣き崩れてるんですよ。
それでもう…でもそれでも私はその時はきちっとしてようと思ってきちっとしてたんですけどそのあとそのまま入院だったので妻が帰ったあと一人で泣いてました。
そうですよね。
(丹野)そうですよね本当に。
でその夜にずっと携帯電話でアルツハイマーってどんなんだろうって思ってずっと調べてたんですよ。
若年性アルツハイマーって入れたら「若年性アルツハイマーは進行が早くてすぐに寝たきりになる」っていう事であと調べたら「2年後には寝たきりになる」っていう事で書いてあったので私はもう2年後に寝たきりになるんだって思ったんですね。
2年後っていったらつまり今って事ですもんね。
そうですよねはい。
2年前に診断された訳ですもんね。
早期に認知症と診断されてでも誰にも頼れずに自分の世界に引きこもっていってしまう。
そして症状を悪化させてしまう。
これは早期絶望というふうにいわれてるんですけど。
(奥澤)ひと言いいですか?はい。
申し訳ない。
今の話なんだけどもちろん早期診断早期治療が望ましいんですが残念ながら今早期絶望なんていうのが…。
何で絶望かという事を考えると結局今日本の場合医者診断して告知のしっ放しなんですよね。
私の場合もそうでしたけどもあんた認知症ですよってさっきのお話あと2年たったら寝たきりですよとかあと10年たったらもう命はないですよとかそういう告知のしっ放しなんですね。
じゃあ本人はどうしたらいいのかこれから毎日どうしたらいいのか。
じゃあ介護家族はどう介護すりゃいいのかそこが全く何もないんですよね。
ほったらかしなんですよね。
(永田)認知症と診断されたら早期絶望というのが今至る所で起きてるのをどう一緒に変えていけるか。
さっきの話からいってやっぱり早期絶望というのは相当作られている面が多い。
今まで常識と言われた「認知症になるとどんどん症状が出て悪くなる」とかいう今まで常識とされていた事が実は随分違ってるぞという。
本人から見ると症状が一度に出る訳ではない。
症状も病気の種類によって全然違うし一人一人によって違ったり実は不安定だとか混乱するというのは病気そのものよりも周りの目とか周りの対応で作られてる面もあるっていう。
本当に作られた障害がいかに大きいか。
そっか。
まだまだいろいろありそうですね。
曽根勝さんはこの早期絶望というものをどうやって乗り越えたのかご覧下さい。
認知症と診断されて以来長く暗いトンネルの中をさまよっていた曽根勝さん。
抜け出すきっかけを作ってくれたのが40年来の友人乾さんと西田さんでした。
3人は山の会に所属し200を超える山々に登ってきました。
しかし認知症になってからはやり取りは途絶えていました。
妻の重美さんは曽根勝さんの事を心配し2人に相談しました。
2人はすぐさま計画を立て山に誘いました。
しかし曽根勝さんはろくに口もきかず黙々と登るだけでした。
実は曽根勝さんの口数が少なくなった理由は別にありました。
話した事を忘れてしまうため人との会話がうまくいかない。
そんな経験を繰り返していたのです。
山で一緒に過ごすうちに曽根勝さんの気持ちに気付いた友人たち。
忘れた事を気にせず山での出来事を語り合えるよう毎回詳しい報告書を作り曽根勝さんに届けました。
やがて忘れてしまった事も互いに笑い合えるようになっていきました。
そしてある日曽根勝さんがぽつりとつぶやきました。
「安心して素直に忘れたと言えるのでうれしい」。
うん…。
この日曽根勝さんは地元のマラソン大会に参加しました。
(スタートの合図の音)友人に伴走を頼み主催者に自ら交渉しての参加です。
周りの人たちの力も借りて一歩踏み出せば必ず前へ進む事ができる。
曽根勝さんが今伝えたい事です。
すてきな仲間というかお友達がいらっしゃいましたね。
やっぱりお話普通に話してもいいんだなって思えた瞬間はやっぱりうれしかったですか?はい。
アルツハイマーになって何かこう人の前で物を言う事がつらかったんですけど友達が何か知らないうちに来てくれててそれは知らないうちに妻が連絡して出るようにしてくれてたんですね。
それで何て言うか最初は分からなかったんですけどね入れ代わり立ち代わり山に行こやって誘ってくれるんで「何でやろう?」と。
「こんなに誘ってくれるのは何でやろう?」って思ってたのは妻が私がいじけてるっていうかそういう時に順番に外に出るようにしてくれてたんだなという事が後から分かりましたね。
奥さんもすばらしいですね。
本当妻にもそれから友達にも本当感謝してますね。
口さんはどうですか?どうやったら抜け出せたんですか?その絶望から。
認知症って全ての能力機能が全部一斉に駄目になっていく。
あれもできませんこれもできません徘徊します暴力しますっていうふうに説明されるんですけども自分がなってみてそれは全然違うなっていう事が分かって友達と出かけるようになったら友達と楽しく話しているといろんな症状が出なくなったんですね。
病気を隠していた時はすごく罪悪感があってつらかったんですけれどもでも病気を話して「そうなるかもしれないけどいい?」って言って「あっいいよいいよ」って誘ってくれてそうやって病気を理解してくれてる友達と一緒に出かければ安心していられるんですよね。
だから悪くなる一方って言われてるのに「何だ友達と楽しく笑って話してたらよくなるんだ」と思ってすごく希望を持って何かそこからじゃあ楽しく笑って生きてけばいいんだと思ったら何かどんどんどんどん上向きになっていって。
(重松)さっき早期絶望から立ち直る時の本当にキーワードのように皆さんが「安心した」とかそれから「ああそれでいいんだ」って「楽になった。
安心した」っていうのはやっぱりそれができる人間関係があるしお医者さんには脳のスキャンはできても人間関係友達関係まで分かんない訳で。
…でねこの人間関係があるっていうのはすばらしい本当にうれしい事なんだけどその一方で恐らくそのカミングアウトがなかなか難しい現実もあるんじゃないかと思うんです。
だからみんなにオープンにできるべきなんだけどもなかなか現実には難しいのがあると思うんですが。
1人。
1人でいいんですよ。
1人でいいから言ってもらうとそうするとしゃべって何か助けてもらうとじゃもう一人言ってみようかなってどんどんどんどん広がってくと思うんですね。
たまたま中学高校で部活の時の飲み会があるっていう事で誘われたんですよ。
…で行った時に「いや実はアルツハイマーになったんだ」っていう事で飲んでる時に「次会った時みんなの事忘れたらごめんね」って冗談交じりで言ったら先輩が「大丈夫。
お前が忘れても俺たち覚えててあげるから」って言ってくれて「定期的に会おうよ」って言ってくれたら「もういいや。
忘れたって」って。
もう俺が忘れたってみんな覚えててくれるからいいやって思うような出来事があったのでそれからもう全然普通に。
今これ見てそういう抜け出し方っていうかそういう気付き方あるんだって思われた方多分たくさんいると思いますけどね。
さて今回寄せられた手紙の中で特に多かったのが誰かの役に立ちたい社会とつながりたいという声だったんです。
今日おいで頂いた福田さんからのメールをご紹介しようと思います。
「昨年の7月に若年性認知症と診断されました。
私は調理師だったために味覚が鈍くなって調理の手順も間違いが多くなり忙しさのせいだと言い訳ばかりしていました。
それからは仕事もなくし信用もなくしてしまいました。
あれよあれよという間もなく全てを失っていたらしいけれど私はその時の記憶があまりありません」という事ですね。
仕事を失って社会とのつながりを断たれた福田さんがそれをどのようにして乗り越えられたのか取材しました。
福田人志さんは長崎県佐世保市に暮らしています。
料理人として以前はほぼ毎朝市場などへ仕入れに出かけていました。
その日々が去年認知症と診断された事で大きく変わりました。
高校卒業後大阪の料亭で修業を始めた福田さん。
27歳で佐世保に戻りテーマパークや病院のちゅう房で腕を振るってきました。
夢は自分の店を持つ事。
準備も着実に進んでいました。
異変を感じたのは去年の夏。
調理の段取りが思い出せず味付けにも苦労するようになったのです。
検査入院した福田さん。
そこで思いもかけない言葉を告げられました。
アルツハイマー型認知症。
物忘れだけでなく味覚にまで影響が出る事があるというのです。
そうこうしているうちに…うつ状態になり朝起き上がれなくなりました。
仕事は辞めざるをえませんでした。
仕事一筋の人生から突然放り出された福田さん。
居場所を失い社会とのつながりも断たれました。
そんな福田さんを再び社会と結び付けたもの。
それはその日の出来事を思い出す手がかりになればと始めた絵を描く事でした。
今はほぼ毎日スケッチブックと向き合っています。
暑さや寒さ風のにおい。
現場で感じた感覚までも豊かな色使いで描き込んでいきます。
記憶を補う手がかりとして描き始めた絵。
今は料理に代わって自分自身を表現する大切な手段になっています。
…で千綿駅。
何かちょっとずつそういう事が…。
気が付けば作品は半年で50近くになりました。
周囲の勧めで開いた展覧会。
かつての職場の同僚をはじめさまざまな人が会場を訪れ福田さんに感想を伝えました。
絵を通して新たなつながりが生まれています。
という訳でこれ僕の手元に福田さんがお描きになった絵がたくさんあるんですけれどもすごく細かく色とりどりの。
(小島)色調を見てると福田さんのお料理って私頂いた事ないですけどだしが利いてて何かこう…繊細でやわらかな感じがしてあったかい感じだったんだろうなって思いますよね。
絵を拝見してると。
これは以前からずっと趣味として絵を描いてらっしゃった?二十歳過ぎてここまでなる時にはほとんど描いてませんでしたけど学生の時に少し趣味では描いてました。
描いてたんですけど本当に描きだしたのはこうなってからですね。
最初はもう…何にぶつけたらいいか分からなかったんですよ。
自分の未熟さとか不完全な部分がどこにやったらいいか分かんなかったけどこれをしだしたらすごく夜眠れるようになって…。
何かやり遂げたっていう気持ちになって。
だから絵を描く度に気持ちが落ち着くし出来たのを見せれるっていう喜びもあってそれで続けるようになりましたね。
福田さんはこうやって描く事によってやっぱりいいですねって言われる周りの人とつながってる訳ですよね。
(福田)そうですねはい。
うれしいですね。
たくさんの人に見てもらう事によって社会とのつながりっていうものを強く感じる。
発表する場所を与えて頂いてそれで初めて世の中の人に宛ててちょっと見て下さった方がよかったよとかそこから少しずつ希望が…。
今ちょっと永田さんに見せてもらった。
(福田)希望が持てて…。
仕事の事がちょっとできなくなって絵とか歌をしてるんですけどでもそういう部分でも皆さんにちゃんと人としてっていうか認めてもらえるようになりたいですしやっぱり自分が今自信を持って人にアピールできるのは歌と絵っていうのが僕のちょっと宝物みたいなものにしたいなと思ってます。
それとつながるというものと好きなものができるっていう事がちょうどマッチしたという…。
(福田)やっぱり料理人だったんでお魚とか港とかそういう…。
いやおいしそうでしたよ何か。
イカとか出てきましたからねさっき。
実はですねこういう福田さんのように役割を持って社会とつながりたいっていうお便りも結構頂いてましてそのうちの一部ご紹介しますね。
こちらの方ですね。
「サラリーマンとして仕事をすることが難しくなるのは致命的なことでありかなりつらい状況であった。
絶望を感じたこともあったが社会とのつながりを保つよういろいろ参加するようにしている」という事ですね。
60代の男性の方です。
それからこちらは「何もする事がないのはいやです。
仕事が出来る事がうれしいです。
自分が役に立てているという事にうれしさを感じて自信がつきます」という80代の方からも頂いてるんですよね。
ですから認知症っていろんな年齢でなられる方ありますけどやっぱり年が若くてもそして年齢を重ねても重ねてもやっぱり役割を持って社会とつながりたいっていう事もあるんですね本当に。
認知症になっても何か自分にできる事があるんじゃないかと思いますしそしてまたそういう事ができたらもっと元気になれるんじゃないかなって。
人に何かこう…自分も何て言うんかいつも世話してもらうばっかりじゃなくって困っている人に何かできる事をしたいという気持ちはすごくあります。
認知症の人たちにも役割を取り戻してもらうという取り組みをしてらっしゃるさっきから後ろの方にいらっしゃいますけれども東京・町田のデイサービスの皆さんがそういう社会の中の役割を取り戻そうという事で活動をしてらっしゃるんですよね。
…で今日はですよこの東京・町田のデイサービスの方々がどんな役割を担ってらっしゃるのかという事で重松さんに。
はい。
私がですね一日体験してご一緒させてもらいました。
VTRをどうぞ。
笑顔でやって来た認知症の人たち。
僕が知っているデイサービスとは何かが違う
(重松)おはようございます。
今日お世話になります。
一体どんな取り組みを行っているのか
僕が知っているデイサービスは認知症の人たちを日中預かりお風呂に入れたりレクリエーションをして遊んだりするというもの。
しかしこうしたイメージは早々にひっくり返された
まず驚いたのがその日何をするかは認知症の人本人が決めるという事
しかも認知症の人たちに仕事をしてもらうのだという。
この日は買い物と洗車とお昼ごはんの準備の中から好きなものを選ぶ
どんな仕事をするかは必ず自分で決める。
これは毎朝欠かさず行う儀式だという
こちらはお昼ごはんを作るグループ
包丁を持つ事を家族から止められていた人も多いというが皆さん見事な手さばき
得意料理って何かあるんですか?いっぱいありますよ!いっぱいある!へえ〜。
酒飲む時のが…。
酒飲む…そうか。
じゃあ結構お酒を飲む?あ〜ガブガブ飲みますね。
(重松)それ今でも飲むんですか?もちろん。
酒飲む事は人に負けない。
(重松)負けない。
ハッハッハッ。
楽しげな表情を見て誰かの役に立つ事の大切さを実感した
僕も手伝いたくなった
こっからあそこまで?そうですね。
はい。
洗車の仕事を依頼されている近所の自動車販売店
高価な新車を認知症の人が扱う事に最初はお店の人もおっかなびっくりだったという。
しかし今では信頼を勝ち取り展示されている全ての車の洗車を任されている
やりながらどんな事考えてらっしゃるんですか?きれいなったらねえ乗る人がほらまたいい気持ちになるじゃないですか。
それを頭にイメージしながら。
やっぱりこう想像して…。
そうそうそうそう…。
ああそうですか。
ぴかぴかですよね。
いや本当びっくりしちゃって。
でも前からぴかぴかですけど。
認知症の人が自分のやりたい仕事に汗を流しうまいものを食べる
(一同)頂きま〜す。
人にとって当たり前の事だがなぜかその姿が新鮮だった
重松さんやっぱりびっくり驚きの連続っていう感じでしたか。
驚きの連続だったですね。
VTRにはあえて入ってないんですけども僕洗車したでしょ。
この洗車でね駄目出しを食らったんです。
どういうところで?何か仕事が粗いって言われた。
何かねタイヤの周りにも泥がねほこりが入ってんだけど結構俺いい加減にシャワーでバ〜ッとやっちゃったら駄目ですって言われてもう一回やったんだけどその時やっぱり思ったんですよね。
役割ってある種の責任であり責任を全うしてしっかりと役に立ってる…。
人が喜ぶとか。
何かねこの責任っていうのはすごく大きな張り合いになるんだなと思ったし。
でも青山さんはこのBLGに来るようになって何か大きく変わった事ってありましたか?変わりましたね。
何が一番変わりました?優しくなったかな。
(笑い声)青山さん自体が優しくなった。
ですね。
何かいろいろ選べたりとか人の役に立つようなお仕事があったりとかする事がやっぱり大きく変わりました?はい。
杉本さんどうですか?昔営業されていて今車を洗ったりとか。
たまに食器を洗ってくれたりとかね。
最初はちょっと慣れないなって事もありましたか?このシステムというか…。
いやもう学生時代からそういう洗車とかやってたもんで別に違和感はそんなになかった…。
逆に得意な事ができるっていう…。
まあそうですね。
日々誰かの役に立つとか自分が得意な事ができるっていうのはやっぱり気持ちの上でも全然違いますか?まあそうですね。
いい例えば仕事をね与えて頂いた事は非常にねありがたいですね。
で周りの仲間たちとの会話っていうのもまた弾みやすくなってくると…。
なるほど。
あとねそのあとはまた僕は今度はキーマカレーもですね共に作ったんですけどもせっかく作ったんだけどね全員が食べる訳じゃないんですよ。
何でですか?
(重松)あのねキーマカレーを食べたい人はキーマカレーを食べる。
外にあるカラオケランチというかねカラオケボックスのランチサービスをそっちでごはんを食べたい方はそっちに行けばいいし。
だからあくまでも本当にね自分で選べる。
それこそ選択できるという…。
うん。
というのがね何かあの…あのねせっかく作った側としてはね…。
食べてほしかった。
(重松)みんなに食べてほしかったんだけどね。
それでもねやっぱり何かそうやってね今日はせっかくだからキーマカレー食べようっていう人もいていいしやっぱり外に行きたいなっていう…。
これ考えてみれば当たり前の僕たちが普通日常でやっぱり選ぶ事とか自分で選ぶ自分で決めるって事が何か尊厳としてねすごく大事な事でで往々にして僕たちが一般のね僕たちが何かこの選ぶ力がないんじゃないかとかそんなふうに偏見を持ちがちなんだけどやっぱりね選ぶって楽しいんだなっていうのが本当に見ててね思いました。
みんなこういうふうなデイサービスとかっていうのなればいいのになとかもっと増えたらいいのになって思ってしまったんですけども。
まあやっぱり一番は事業者側の考え方っていうのがどうしてもプログラムどおりに時間にこう決まった内容をこなしていく方が事業者としては安全だし楽だし…。
本当にその管理するっていうような形になっている。
そこがやっぱり一番障壁になってるんじゃないかな。
う〜んなるほど。
でBLGもああいうふうにいろんな仕事…まあBLGも出来てもう3年半ぐらいになりますが多分オープンの1年ぐらい前からスタッフの方々が周辺の町の商店だとか企業を回ってですね「認知症の人ですけどこういう事ができます。
何か仕事を出してほしい」と頼んで回った訳なんです。
だけどそんなもん話聞いてくれる訳ないですよ。
それはもう当然の話よねそういう今認識ですからね。
だからそれを根気よく説明をしてやっと理解してもらって何かできる仕事を出してもらう。
それはね200軒300軒回って1軒あるかないかですよ現実に。
それを「いいね一緒にやろう」っていう町の人たちの意識が変わると随分本人たちが居心地のいい世の中になっていくし…。
もしかしたら医療と介護とかよりもう少し大きい部分で地域の活躍の場が広がる事の方が本人にとって本当に生きる希望生きる力になっていくんじゃないかなってすごく思いますね。
う〜ん本当そうですね。
今僅かここだけの時間ですけどもお話を実際に聞いてると認知症っていう3文字の持つ意味合いが違うというか本当いろんな形があるんだなっていうのを改めて知らされますね。
共通の言葉を増やしていくっていうかたくさんの方の経験をいろんなとこで聞く機会が増えたりあとは認知症になった時ってこんな工夫があるんだってっていう日常会話の中にそういう会話が増えたりとか…っていう事の積み重ねでだんだん認知症って人と人との違いの一つなんだなっていうふうに変わっていくといいな…。
今までは認知症というとやはり医学の診断のお医者さんの声とかあと少し進んで介護をどうするとか専門家から見た見方とか知識が中心だったと思うんですよね。
そういう面だけじゃないよって。
こんなふうにも暮らしているしこんな面も力もあるっていうのは本人の声から聞かないと何が起こるか本当の事は分からない。
そういう本人から見た当事者の見方とか可能性みたいなのももっともっとこれからは伝えていく必要がすごく今あると思います。
本当にこう何て言うかなじかにいろいろなお話聞くとやっぱり分からない事いっぱいありますし想像していくと今僕この時点でやりたい事を奪われてこれしかやっちゃいけませんとか全部時間決められたらちょっと耐えられないなってやっぱり思ったんですよね。
それと同じ事が起こったりとかしてそれと同じような事で皆さんも傷ついたりしてきたんだろうなというふうに感じました。
さあいろいろお話伺ってんですが番組では更に認知症の皆さんの思いをお伺いしてまいります。
はい。
2015/12/14(月) 22:00〜22:50
NHK総合1・神戸
NHK認知症キャンペーン わたしが伝えたいこと〜認知症の人からのメッセージ1[解][字]

“認知症の人たち”をスタジオに招き、さまざまな課題を徹底討論。本人の視点から“認知症になっても、より良く生きられる社会”の実現に向けたヒントを探る。

詳細情報
番組内容
「認知症の人=何もわからない」として、施策の大半を“本人以外の第三者”の声に基づいて決めてきた日本。一方、世界では、認知症の人自身が政策決定に積極的に関わることで“認知症になっても、より良く生きられる社会”を目指している。番組では“認知症の人たち”をスタジオに招き、認知症を取り巻く様々な課題を徹底討論。本人の視点から「認知症と共に自分らしく暮らせる社会”の実現に向けたヒントを探る。
出演者
【出演】井ノ原快彦,小島慶子,重松清,【司会】山本哲也,【語り】ayako Halo

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
情報/ワイドショー – 健康・医療
福祉 – 社会福祉

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
サンプリングレート : 48kHz
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日本語(解説)
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