質問。
こんにちは。
お疲れさまです。
本業はミュージシャン。
でもバラエティーでも人気という共通点ある2人。
大切な10曲を持ち寄り今日は真面目に人生を語ります。
これ何かバラエティー乗りじゃないですよね。
文化人系の…。
文化人っぽくいった方がいいんですか?でもやっぱ俺たちバラエティー要素強いじゃん。
そうなんですよ。
確かに。
今日はちょっと振り切ってもいいかもね。
「こういうのもできるんだぞ」と。
できるっていう一つの引き出しを今日新たに開ける時かなって気がする。
アピールしていきましょう。
ねえ。
ロックバンドBREAKERZのボーカリスト。
ほとんどの曲の作詞作曲を手がけています。
よ〜いスタート!タレントとしても活躍。
独特の語り口でバラエティー番組に引っ張りだこ。
子どもから大人まで幅広い世代から人気を集めています。
もんじゃ焼き…しかしその人生は平たんではありませんでした。
俺の力不足もあってどんどんやっぱね…この先どこへ行くのか?ここだからこそ語る本音とは?多いな多いな。
そんなDAIGOが選んだ大切な10曲。
ゴールデンボンバーのボーカルそして全曲の作詞作曲を担当。
メンバー全員が楽器を持ちながらも演奏しないエアーバンドとして注目を集め…2011年に「女々しくて」が爆発的ヒット。
「紅白歌合戦」にも3年連続で出場。
速い速い速い速い!樽美酒ゴールイン!彼らが生み出すのは既存の音楽の枠を超えた…いけるいける!なれる!なれるよHISASHIさんに!GLAYのHISASHIさんになれるよ!HISASHIさん来ちゃった!HISASHIさん!ちょっと!邪魔しないで!危ない!邪魔しないで!邪魔しないで!HISASHIさん!HISASHIさん!にぎやかな表舞台の裏側に一度は死を覚悟した男の本気がありました。
そんな鬼龍院翔の人生を導いた10曲とは…。
2人が追求してきた事それは…究極のエンターテインメント。
何か思ったんですよ。
分かるわ。
俺もどっちかっていうと…回り道をしながらもより上へともがいてきた2人。
傷つき壁にぶつかり続けた青春を今日は赤裸々に語ります。
心に残る音楽を通して2人の人生を見つめていきます。
国民的アイドルキャンディーズが解散コンサートを行った1978年の春。
DAIGOは東京・中野に3人兄弟の末っ子として生まれました。
父は新聞記者。
そして母方の祖父には竹下登総理大臣がいました。
そういう時期って結構大変そうなイメージ。
当時はね俺もまだキッズじゃん。
9歳10歳。
小学生とかだと…。
その辺って何かこうそこまで総理大臣になる事のすごさも今ほどもちろん感じてないし何かこうまあ確かに言ってもないのにクチコミでやっぱ広がっちゃったりはするけどねすぐ。
ですよね。
「あいつのおじいちゃん」みたいな。
やっぱそうなるんですね。
そうなっちゃうね。
もうクチコミで。
それで俺もやっぱクラスメートに軽いバッシング受けたりとかいろいろあったけどね。
つらい10代…。
そういう多感な時期だった。
多感でもろく壊れそうなDAIGO少年の心を奪ったのはテレビから聴こえてきたトップアイドルの歌声でした。
初めてはまったアーティストというか。
うんうん。
もう空前のローラースケートブームね。
やりました?もちろん。
意外とわんぱくなんですね。
かっこいいですよね。
めちゃくちゃかっこいいじゃん。
しかも「ガラスの十代」っていうさ何かこう…すごくはかないその時にしか出せない歌声みたいな。
だから今でも強烈なやっぱ個性というか名曲として残ってるね自分の中で。
うちのその…SFがね。
SFって何ですか?あごめん祖父ね。
ごめんごめん。
SFのが長いじゃないですかもう。
そうだね。
総理大臣になって初めて帰ってきた時に「アイムソーリー
(総理)」って言ったのよ。
本当ですか?それ。
これマジなの。
うそみたいな本当の話。
本当にガチで「アイムソーリー。
僕総理」。
多分ね相当温めてたんだと思う。
ですよね。
おじいちゃんの中で。
玄関で言ってたから。
家族会ったらまず言いたかったんでしょうね。
確かに今思うと総理大臣にしかできないギャグというか。
それを唯一数少ない使える一人になったって事なんだけどね。
何の話ですか?これ。
一方ロサンゼルスオリンピックの開幕で世界中が沸いていた1984年。
鬼龍院翔は東京・浅草に生まれ育ちました。
世はお笑いブーム。
テレビの世界でバラエティー番組が台頭した90年代。
テレビっ子だった鬼龍院少年はお笑い好きで活発な男の子へと成長しました。
小学校5年生の頃はもうねただテレビを見て…テレビを見て缶蹴りとかやって遊んでってもうそれぐらいが全てでしたね。
駄菓子食べて。
なるほどね。
バラエティー番組を見ていたある日意外な発見をします。
バラエティータレントが歌う曲に音楽として感動したのです。
僕が10歳ぐらいの時にポケットビスケッツさんもう大はやりで。
もちろんタレントさんっていう見方なんですけども音楽的に僕はまっちゃって。
曲かっこいいんですよ。
でこの曲聴いてて何か最初聴いた時よりもどんどんよく聞こえるなって感じていてそしたらランキングでも同じ事が起きていて8位辺りをウロウロしてたんですよランキングで毎週毎週。
だからそれを見ながら僕は幼心に「あっこの曲は聴けば聴くほどみんながいい曲と思っていっているっていう現象が起きてるんだ」って。
「曲のよさっていうのは伝わるんだな」って思ったんですよねこれ。
鬼龍院少年が発見したのは歌と笑いが合体した時に発揮される底知れないパワー。
幼い日心に刻まれたこの体験が後の彼の人生を導いていく事になります。
ポケットビスケッツさんとかウッチャンナンチャンさんとかそういうの憧れを持っていましたね。
人を笑わす事は大好きだったんで「ここで何かやったらクラスのみんな笑うんじゃねえかな」みたいな。
国語の時間とか読み上げるじゃないですか。
ああいうとこってみんなが注目してるから何かわざと間違えたりとか何かそういう…。
マジで?すごいねそれ。
小型の携帯電話が普及し始め東京にお立ち台で有名なディスコがオープンした1991年。
中学生のDAIGOは陸上部に入部。
今の姿からは想像できない青春時代を過ごしていました。
中1から急にやっぱ思春期入っちゃったから女性とも全然しゃべれなくなっちゃって。
意識しちゃって。
その時さ何か中1の頃にさクラスの数人の女子に俺ちっちゃかったから前から3番目だったの。
そうなんですね。
今は大きいのに。
そう成長したけどね。
「かわいいかわいい」言われて。
「内藤君かわいいよね」って。
内藤っていうんだけど名字。
男子とはしゃべってたけど。
そういう時代を過ごしてる中でただ根拠のない自信はあってずっと。
どのような?それは何か3歳ぐらいからあるんだけどずっと。
俺は何かこうできるんじゃないかと。
「何かできるぞ」って。
何か成し遂げれる男なんじゃないかっていう根拠のない自信はあってただ体現できる方法論がなかった。
何かを成し遂げられるはず。
でも今はそれを表現できない。
持て余すフラストレーションを抱えた思春期。
DAIGOはバンドBOWYのサウンドに心奪われます。
来た。
うわ〜これはもうやばいね。
これやばい。
「LASTGIGS」の「MARIONETTE」。
一気に電流走って。
これはね俺の人生を本当に変えた一曲というか。
影響を受けた…。
もうこの曲を聴いて「うわっ音楽やりたい」って。
「音楽でなら何かを成し遂げる事ができる」。
そう確信したDAIGO。
「いつかステージでギターをかっこよくかき鳴らしたい」。
その勢いで向かった先は…。
近所のクラシックギター教室でした。
クラシックギター教室に行ったんですか?そう。
エレキギターじゃなくて?まあやっぱ基礎大事かなと思って。
しっかりした子だ。
バンド始める人って何となく独学でこうバンドスコアとかで始める人多いですけどちゃんと行ったんですね。
その辺だからちょっとまあ甘い部分もあるよね。
そこでまあ弾いてて半年ぐらいやって「これ俺が求めてる音色じゃない」。
逆に半年かかったんですか?そう。
気付いたの。
どう聴いても違うじゃないですかさっきと。
BOWYさんと。
違うじゃん。
そこでエレキギターお年玉とかでゲットして初めて。
「LASTGIGS」のスコア買ってそれこそ「MARIONETTE」は・「トゥトゥトゥトゥトゥルルルトゥトゥトゥトゥ」ってのはさこれがもう難しくて。
今でももう10回弾いて2回ぐらいしか成功しないもん。
俺の中でロックのスタート音楽人生の始まりはもうBOWY。
BOWYさんなんですね。
BOWYさん「MARIONETTE」。
これに尽きるね本当に。
一方1990年代。
次々とミリオンヒット曲が生まれ音楽が時代を作っていたともいえるこの時期。
中学生になった鬼龍院もまた音楽に強い関心を抱きギターを始めます。
何とな〜く「音楽。
あっ好き好き」ってまあそれ普通じゃないですか。
何となくギター弾ける人になれたらかっこいいんじゃないかなぐらいな感じで持ってたんですけども。
はやりに流されるまま音楽と向き合っていた鬼龍院少年。
ある日音楽に対する考えを根底から覆す曲に出会います。
ボーカルのGackt率いるMALICEMIZER。
中世ヨーロッパを意識した衣装とサウンドに鬼龍院の心は激しく揺さぶられました。
僕この曲が衝撃で…。
もう「ほかの曲と全然違う」ってすごく衝撃受けて「何なんだ?この不思議な感じは」って。
もうこの曲で音楽に興味を持って音楽を「不思議」と「もっと解明したい音楽ってものを」ってなってからは楽器を触れる時のもう意味が違うんですよね。
前までは何か「かっこよくなるんじゃねえかな」みたいな感じだったけどもこうやって鳴らすとこんな響きがするとか。
そんな事に切り替わったんですよ。
興味湧いたらどんどんいろいろ分解して考えていくんですよね。
なるほどね。
MALICEMIZERの曲の奥深さに魅せられた鬼龍院は更に彼らの音楽の基盤となるクラシック音楽にのめり込んでいきます。
中でも憧れたのがMALICEMIZERにも影響を与えたクラシックの作曲家バッハ。
バッハさんは本当にはまってましたね。
オルガン曲にはまって「トッカータとフーガニ短調」っていう曲があるんですけど有名な「タララ〜ンタラタラタンタ〜ン」っていうので始まってその曲がふだんテレビから流れてくるJポップにない怪しさ怖さ不思議さみたいのがあって第2の衝撃みたいな感じではまってったんですよねクラシック。
修学旅行とかでバスで移動する時に自分の持ってるCDを持ち寄ったりするのあるじゃないですか。
僕レクリエーション係にクラシックのCD渡したんですけど「翔君ごめん。
ちょっとクラシック分かんなかったわ」って言って流してくれなかったんですよね。
バッハに通じるMALICEMIZERのサウンドの多様さはもとより鬼龍院少年の目をくぎづけにしたのは演奏をしない間のメンバーのパフォーマンス。
後のゴールデンボンバーにつながる何かがそこにはありました。
もともとこのMALICEMIZERさんがギターの曲入ってない曲とかがあるんで踊ってたりしたんですよね。
だからもうそういうのを見ていたから僕はエアーってものにあんまり…何だろう?抵抗なくやってるっていうのもあるとは思うんですよね。
そっか。
ゴールデンボンバーのアイデアとかにもつながってる部分が…。
いや絶対つながってます。
MALICEMIZERさんなかったらこの曲なかったら僕音楽絶対やってないですもん。
さっきも話したけど中1から高1の終わりまで4年間ぐらい急に女子としゃべれなくなっちゃったからで結構ね自分の中ではその時代暗黒の時代って呼んでるんだけど。
一日ゼロ回ばっかり。
しゃべった回数。
そんなにだったんですね。
極端にしゃべんなかったんですね。
もう何かこう出せなかったよね自分が。
自分を出せないオクテな高校生。
DAIGOが心奪われたのはさまざまな葛藤を抱えながら戦う14歳の少年の姿を描いたアニメ「エヴァンゲリオン」の主題歌でした。
「本当の自分こんなんじゃないのに」って思いながら生きててその葛藤が主人公のシンジ君とちょっとシンクロする部分があって。
「違うんだ!」っていうか。
「逃げちゃだめだ」って。
「逃げちゃだめだ」っていうそういう思いがシンクロして。
本当の自分を出す事に躊躇していた16歳のDAIGO。
自分に似た主人公のこのセリフから自分を解き放つ勇気をもらうのでした。
とある女の子がおんなじクラスの「何でしゃべんないの?」って言ってきたの。
その時も「あ…何かうん」とかこんな調子。
苦手になっちゃってるからある意味。
しゃべるっていう事自体。
女子としゃべるのが。
その人がみんなさ…そっからもうしゃべれるようになって徐々に。
その「何でしゃべんないの?」って言ってくれた女の人はもう恩人ですね。
確かにね。
そこであのひと言がなかったら…。
今何やってるか分かんないですもんね。
うん。
だから本当に何気なく言ってくれたひと言が人の人生を変えたりするもんなんだなっていうか。
同級生の何気ないひと言に勇気をもらったDAIGO。
アニメの「逃げちゃだめだ」という言葉にも背中を押され暗黒時代を脱します。
そして周りに光を放つ存在になろうと歩き始めるのです。
一方2000年になり世界がミレニアムを祝うムード一色だったこの年。
中学生で音楽の世界に魅了された鬼龍院は高校入学とともに軽音楽部に入部。
音楽漬けの生活をスタートさせます。
当時のバンドではドラムやギターを担当。
フロントマンボーカルを担当するには踏み出せないある訳がありました。
人と一枚何か壁を作って生きたいみたいな。
前髪すっごい長くて髪の壁を作ってたんですよ。
ちょっと何か怪しい雰囲気だったんですけど「あいつ気持ち悪い気持ち悪い」とか何かそんな感じで。
ちょっとほぼいじめに近いような感じだったんですよ。
吐き出せない悩みを抱えていた思春期。
そんな時鬼龍院はある事をきっかけに一大決心をします。
好きな子ができてよくよく考えたらこの髪形じゃ絶対好きになってもらえないなと思ってかっこよくして下さいっつって切って。
そしたらだいぶ明るい印象になって。
それで学校行ったらみんなが驚いて。
歌やってみたら結構いいパフォーマンスができたんですよ。
沸かせる事ができたんですよね軽音楽部の発表の。
盛り上がったんだ。
盛り上がったんですよ。
ちょっと前までずっと僕の事をバカにしてたのに…ボーカリストとして自信をつけた鬼龍院は高校文化祭の晴れ舞台後夜祭への出演を目指して練習に没頭します。
得意のMALICEMIZERをカバーして挑んだ出演バンドのオーディション。
しかし無残にも落選。
この時の悔しさをよみがえらせるのは後夜祭に出演したほかのバンドが演奏していたMONGOL800のヒット曲。
結局僕落とされたんですよなぜか。
それがもう本当悔しくてすごい悔しくて。
で結局後夜祭開催されるじゃないですか。
「小さな恋のうた」2バンドぐらいやるんですよ。
だったら俺出せよと思って。
かぶってんじゃねぇかって。
曲かぶりね。
この曲を聴くとみんなコピーしてて…すごい思ってしまうっていう…MONGOL800さんにはモンパチさんにはちょっと失礼なんですけどもそういった苦い思い出があるんですよね。
あまりにショックを受けた鬼龍院。
音楽の道を諦めます。
代わりに選んだのはお笑いの世界。
まだまだ続く人生の回り道。
一方のDAIGOは高校の学園祭で大活躍。
バンドのボーカリストとして学校中の人気者になります。
その後大学に進みますが音楽活動に専念するため中退。
19歳からバンドJZEILで本格的に活動を始めます。
家族の人は何も言わない?反対はないんですか?ロックの「ロ」の字もない家系だったから。
そうですよね。
一番真逆の部分あるじゃん。
そういう意味では本当に一つ一つ形にしてって応援してくれるようになったね。
どんどん。
そこは家族にも感謝してるしよかったなと思う本当に。
理解してもらえて。
理解ある。
結成から4年。
ロックシーンを塗り替えるバンドとうわさされメジャーデビューの声もかかったやさき…音楽性の違いを理由に解散。
DAIGO23歳。
同世代が次々に就職していく中人生の岐路に立たされます。
このまま音楽を続けていいのか。
新たな道を歩むべきなのか。
迷いの中で見たバンド黒夢のライブで気付きます。
「これこそ俺の気持ちだ。
俺は閉ざされた世界にいる」。
黒夢のライブ行って前の方でジャンプしまくって清春さんに何回も指でさされたっていう。
いろいろ悩みがあった時期だったし。
バンドっていうもののニーズに合わせてどう自分を出せるかっていうのがなかなかバランス取れなくて難しい時代だった。
現状打破したいっていう。
もっと高く飛びたいっていう自分の思いもシンクロして俺の中ではもう本当にすごい人生の中で大事な一曲になってるね。
黒夢に共感したDAIGO。
音楽はどんな閉ざされた状況でも力になってくれる。
音楽の底知れない力を実感します。
一方高校を卒業した鬼龍院。
アルバイトで入学金を稼ぎお笑い養成所に入学。
プロの芸人を目指します。
お笑い漬けでしたね。
人を笑わすとは何かとか何したら面白いかとかずっと考えてました。
バンドは終わったけど僕もともとお笑いやりたかったしすごくそれはもう夢あふれる希望あふれる少年だったんです。
自分は誰よりも面白い。
そう思ってお笑いの世界に飛び込んだはずでしたが目の前にいたのは自分よりはるかに面白いつわものたち。
しずるやハリセンボンがいたりとかしてあと1期下にはオリエンタルラジオさんがいたりとかしてオリラジさんのスピードものすごい速かったんですよ。
自分つまんねえんだっていうのがやっぱすごくショックなんですよ。
周り見たら全然すごいやつらがいっぱいいるから俺だめだって思う訳ですよね。
そういうのを思うともう何かこう悔しくて悔し泣きとかしたりとか。
音楽もだめでお笑いもだめ。
自分の無力さに打ちひしがれていた時養成所に通う電車で聴いたこの曲に心打たれます。
この歌が描いていたのは人生のやるせなさ。
「だめになるかうまくいくか分かんないけどもやるだけやってみるしかねえな人生は」みたいな事をこの曲聴きながら考えてましたね。
クラスで一番かわいい子が今は歌舞伎町で水商売やっててサッカーでかっこよかったクラスのエースが今は小さい町の郵便屋さんやっているとかそういう歌詞があってそういうのを聴いていながら「どうなってもいいから考えてもしょうがないからやるだけやろう」。
なるほどね。
俺はこれから頑張ろうっていう事を曲を聴いて奮い立たせてました。
2003年。
25歳になったDAIGOは地道にソロで音楽活動を続けていました。
そんなやさき突如メジャーデビューの話が舞い込みます。
きっかけは知人からの一本の電話でした。
電話かかってきて「DAIGOさ明日空いてる?」って。
で「どうしたんですか?」って言って。
「明日さヒムロックが会いたいって言ってるんだけど」。
「えっ!?」。
うお〜!一気にもう体中が…インフルエンザかかっちゃったんじゃないかぐらいの。
熱を発して。
熱を発して。
「いやもう何が何でも行きます」。
空いてなかろうが…。
「空いてなかろうが空けます」と。
もう興奮して。
DAIGOにコンタクトを取ってきたのは元BOWYのボーカルヒムロックこと氷室京介。
DAIGOが中学時代から憧れ続けたまさにその人でした。
俺のロックの始まり。
きっかけだった方。
もう大好きなカリスマだよね。
とあるホテル一室で「どうも氷室です」って。
めっちゃ知ってるじゃん俺。
知ってるも何も…。
超知ってる方じゃないですか。
それなのに「どうも氷室です」。
言ってくれて。
すごいジェントルマンな方で自分の写真とかを見せて。
そしたら氷室さんがさ「DAIGO君さこれさ…」って。
「何言われるんだろう?」。
ドキドキして。
そしたら「いちいちかっこいいね」。
おお〜!それでいろいろお話しさせてもらったあとに最後に「いやDAIGO君何か力になってあげたい」。
言って下さって。
氷室京介プロデュースでDAIGOは悲願のメジャー進出を果たします。
デビュー曲は作詞DAIGO作曲は憧れの氷室京介。
これ以上のスタートはありません。
アーティスト名は…DAIGO自身が発案したコンセプトは…奇抜ながらも完璧なその世界観はDAIGOの高い志から生まれたものでした。
しかし…。
マントみたいのをやったりジュディ・オングさんみたいのやったりとかいろいろ羽根つけていろいろしてたんだけどやっぱりうまくいかなくなってきちゃって俺の力不足もあってどんどんやっぱね失速してっちゃって。
そもそも星から舞い降りたロック王子設定やっぱきつくなってくるんだよね2年くらいで。
面白かったですけどね。
「出身地どこ?」とか言われても設定甘いから俺「東京」とか言っちゃってて。
そういう意味ではゆうこりんのこりん星しっかりしてたよね。
う〜ん!これはブレークすると思われた方!DAIGO☆STARDUSTどこまでスコアが伸びるか!?どうや?DAIGO☆STARDUST。
がっくりか。
がっくりだよ。
なかなか成果を出せないまま迎えた3年目突然レコード会社の契約が打ち切られます。
星から舞い降りたロック王子DAIGO28歳。
くじけそうな時ミスチルの「終わりなき旅」が心に響きました。
「自分が越えようとしている壁はなんて高いんだ」。
何かこう桜井さんの心情を表してる曲でもあると思うんだけど何かやっぱすごいところはそれを俺が聴いてもそこに投影できるというか自分に置き換えられるっていうのがあって。
一方ひたすら笑いに打ち込むも芽が出ず芸人の夢を諦めた鬼龍院。
ぽっかりと開いた心の穴を埋めるために何となくバンドを再開しバイトに明け暮れる日々を過ごします。
そんな無気力な鬼龍院に更に追い打ちをかける出来事が起こりました。
それは運命の人との別れ。
たかが恋愛なんですけども僕にとってはされど恋愛でダメージがすごくでかくて。
でよくよく考えたらこの世に未練がないなと思っちゃって。
お笑いで俺は生きていくって決めてたものを1年ちょいでいとも簡単に終わっててこの世の全てみたいな好きな人に振られてしまって死んでしまおうかなと思っていたんですよね。
音楽もお笑いも恋愛も全てがうまくいかず失意のどん底に突き落とされた鬼龍院。
そんな時どんな人生だって恐れる事はないと無実の罪で服役していた男の悲哀を歌ったこの曲に心を突き動かされました。
結局その時に一体人生とはなんなんだろう。
どうしていけば僕は幸福なんだろうとかそんな事ばっかりもんもんと考えていたんですよ。
そんな時に「人生いろんなつらい事があるが結局は生きる事しかできない。
生きてつらくてもこれでいいのだ」。
つらい事があると何か「ああ何で僕の人生こんなもんなんだろうな」とか思っちゃってたんですけどもこの曲聴いてから何か許せるようになったんですよね。
鬼龍院が共鳴したのは歌詞を書いた大槻ケンヂの人生に対する深い問いかけ。
何か大槻ケンヂさん…おこがましいですけど似た悩みとか似た暗さ絶望みたいのがあるように僕感じるんですよ。
だからそういう方が歌っている書いているとかいうものを聴くとやっぱり僕も勇気づけられるんですよね。
最後に大槻ケンヂさんが「人生とはなんだ!?」って叫ぶんですよ。
人生とはなんだ!?何かそれが全てを集約しているかのように僕は感じるんですよね。
だから僕…自分に残されたのは音楽だけ。
生きた証しを残すかのようにバンド活動に全精力を注ぐ鬼龍院。
そして自らの楽曲にあの一節を入れたのです。
「人生とはなんだ!?」。
僕は変わってしまうのかなって何か恐ろしくなったんですよ。
なるほどね。
僕だって僕のままでいたいけど僕がどこへ行ってしまうんだ。
いらないプライドとか全部そぎ落とされてやっぱもう七光りでもいいから光浴びたいじゃん。
次回2人はブレークを経験。
そこに立ちはだかる苦難と葛藤を語ります。
2015/12/14(月) 01:10〜01:55
NHKEテレ1大阪
ミュージック・ポートレイト「DAIGO×鬼龍院翔 第1夜」[字][再]
DAIGO×ゴールデンボンバー鬼龍院翔の「人生で出逢(あ)った10曲」。/DAIGOの意外な青春時代とは?/知られざる!エアーバンドの原点とは?/アンコール放送
詳細情報
番組内容
「あなたが人生で出逢(あ)った『大切な歌』を10曲選んでください」この問いに、あなたは何を選びますか?この番組では、二人の表現者が自分の人生の『大切な歌』を持ちより、対談。それぞれの人生を「音楽」を切り口につづっていきます。今回は、DAIGO×ゴールデンボンバー鬼龍院翔。/DAIGO、悩み多き青春時代/鬼龍院、お笑いと音楽にかける男の本気/懐かしの音楽&映像とともに、青春時代の葛藤を赤裸々に語る。
出演者
【出演】DAIGO,鬼龍院翔,【語り】ヒロ寺平
ジャンル :
音楽 – その他
趣味/教育 – 音楽・美術・工芸
バラエティ – トークバラエティ
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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