むしろ、弱者の権利を保護するためには、積極的な自由の制限も当然、というケースも往々にしてありうる
起点は、セックスに関してなんですけどね
人として自由、そう、
文字通り自由な選択肢を可能な限り広げましょう、っていう運動だと思ってたのね
アナクロなこと言うオッサンをなぎ倒して、
女性器をケガレのように扱うのはおかしい、だからまんこをアートします、みたいな、
性的にけしからんって激おこぷんぷん丸になっちゃう人を大勢観てると
そこで最近ようやく気づいたの、
セックスの問題も、女性が弱者であることを前提に考えると、見えてくるものがある
別に胸元くらい強調したっていいじゃん、
自由な性表現を、何で封建的なオッサンよろしく取り締まるんだろう、って疑問も、
女性が受け身、
そんな考えが、優先されるんだね
だから、そのためには、
これは、リベラル(自由)が目的ではなく、弱者保護が目的だったんだ
いまさらながら気づいた
自由に寛容のように見える人が、
なぜある分野では、突然超封建的な振る舞いをするのか、理解できなかった
そういうことだったんだね
言論の自由もそう
そこで問題になるのは、
誰が弱者なのか?、ということ
話がここまで来ると、もう、シッチャカメッチャカになっちゃって、
すごく大切な話だと思うのに、
めちゃくちゃになって終わっちゃう
これはすごく、もったいないことだと、
思うんだけどなあ