日曜美術館「さよなら、わたしの美術館〜“カマキン”の65年〜」 2015.12.13


ある美術館にたくさんの写真が集まってきました。
彫刻に腰掛ける子供。
スーツで硬い表情。
家族連れの男性は粋な浴衣で。
美術館での思い出の写真を来館者に募ったのです。
愛称は「カマキン」。
実は来年の1月で65年の歴史に幕を下ろそうとしています。
昭和20…あごめんなさい35年に結婚したんですけども多分その時に家内とここへ来て撮りっこしたんだと思います。
僕の青春そのものですね。
とてもうれしゅうございましたし東京からいとこたちが参りますと自慢してねお寺や何かを回るよりも真っ先にここに連れてきてなんかロマンのいっぱいある場所でございます。
それぞれの思いがたくさん詰まった美術館。
2歳ぐらいです。
はい。
父と母となんかその…優しい時間っていうんですかがすごい詰まってた気がします。
思い出とかそういうものが全部消えちゃうような気がしてものすごく嫌ですね。
今日の「日曜美術館」。
カマキンはなぜ多くの人に愛されてきたのかその魅力に迫ります。
古都鎌倉。
人気の観光地。
秋には殊更多くの人で賑わいます。
鶴岡八幡宮の池の脇にひっそりとその美術館はあります。
カマキンにたくさんの思い出を持つ一人の女性が鎌倉にやって来ました。
鎌倉生まれ鎌倉育ち。
大学を卒業するまでこの町で暮らしていました。
よく来てましたね。
そこの今のお肉屋さんとかお茶屋さんとかもあったんですけど。
今日は美術館で待ち合わせです。
あ…こんにちは。
(井浦伊東)こんにちは。
(一同)よろしくお願いします。
なんかすっかりもう鎌倉を堪能された顔を…。
朝は気持ちいいですねやっぱりね。
ねぇ…。
小さい頃にほんとによく来てたんですよ。
両親に連れられて近代美術館ってすごくよく来てて。
でも子供の頃ってあんまり美術の事とか分からないでしょ。
だからいつもつまんないなと思って。
渡り通路みたいなとこがあるんですけどあそこで池を見ながらボーッと待ってたような思い出があって。
すごくいろんなじゃあ…記憶や思い出がいっぱい詰まったまさにきれいな宝箱のような。
そうですね。
はい。
じゃあその記憶をもっともっと…。
たどりに。
たどりに行きましょうか。
はい向かいましょう。
やっぱりここといえばこの階段…ですよね。
作品に入ってくみたいな感じがしますよね。
しますね。
美術館の構想が立ち上がったのは敗戦から3年後の1948年。
日本はまだ占領下でした。
当時の神奈川県知事内山岩太郎は戦前のヨーロッパで文化が果たす役割を目の当たりにしていました。
日本の復興に必要なのは芸術の力だという考えに多くの文化人が賛同。
1951年鎌倉に完成したその美術館は軽やかで真っ白に輝き敗戦を引きずる人々の心に一筋の光として存在したといいます。
世界でもニューヨークパリに次ぐ…鎌倉の人々は誇りと親しみを込めて「カマキン」と呼んできました。
しかし八幡宮から借りている土地の返還期限が迫り来年1月の閉館が決まったのです。
最後の展覧会の準備。
作品を運び込む日はあいにくの朝時雨。
建物にひさしのないカマキンでは雨が降ると作品がぬれ搬入作業ができません。
最後の展示を任されたのは20年以上学芸員を務めてきた…このコレクションがこの空間に並ぶのはほんとに最後のチャンスで。
心配していた雨も上がり美術品専用のトラックが続々と到着。
・オラーイオラーイオラーイ…。
よかったですね。
降らなくて。
もうずっとハラハラしてましたけどまあ晴れてくれるだろうと思って。
65年前に建てられたカマキンにはエレベーターがありません。
2階の展示室へは階段で運びます。
今回の展示には開館直後の15年間に収蔵された作品から93点が選ばれました。
久しぶりに収蔵庫から出された絵画。
運搬中の損傷がないか細心の注意を払い確認します。
前もって決めていた作品の配置もその場で変えていきます。
蝶が右行ってその持ってるのが左。
ちょっとだけ…。
館長の水沢勉さんが様子を見にやって来ました。
水沢さんももともとはカマキンの学芸員。
38年間数々の話題の展覧会を企画してきました。
これをそこだとおかしい?きつきつ?ちょっとやってみたんですけどねさっき。
おかしい?ちょっときつすぎるんだよね。
その辺りにじゃあこれがくる。
なんか…。
あれは逆っていう手だってあるんだよ。
この1点すごく密度あるからそこ1点でも大丈夫。
ここに。
ああいいよ。
どの作品を選びどのように見せるか。
学芸員それぞれに譲れない思いがあります。
65年近い年月をかけてゆっくりゆっくり成長した美術館で。
でもこの日本の近代というものをどう言ったらいいのかないつも念頭に置きながら日本の近代美術っていうのは何だったんだろうというふうに問いかけながら活動してきた。
それが他の美術館のコレクションを見た時の感じと随分違う感じです。
なんかこう歴史のいろんな人たちのざわざわとした声が聞こえるみたいな。
(取材者)そのざわざわ感確かにあります。
すごくあると思いますね。
人間的です。
すごく人間臭いコレクション。
普通公立美術館こんなふうにはなかなかならないと思いますね。
たくさんの思いが詰まった展示。
どのような展覧会に仕上がったのでしょうか。
扉がいいですよね。
扉いいですね。
ほんとですねぇ。
長門さんですよね。
はいよろしくお願いします。
お願いいたします。
よろしくお願いします。
では…失礼しま〜す。
わぁ…。
おぉ〜。
長門さんはカマキンを愛する人々への最後の贈り物として展示の方針を決めました。
長門さんなんか随分とたくさん作品がギュッとこう…。
(長門)そうですね。
今回この建物で当館のコレクションが展示される最後の機会という事になったので今までいろんな作品記憶されてる方も多いと思うので通常よりもかなり点数を多く。
なので随分…。
近いですよね。
作品同士がかなり近くなってしまったんですけどやはりできるだけ多く見て頂きたいなと思って少し多く展示しました。
わぁ贅沢だな…。
すごいこれ…。
ふだんあんまりこういうふうに彫刻は展示しないものなんですが。
この群衆なかなか壮観ですね。
(笑い声)怖いともいう。
カマキンは新人発掘にも力を入れてきました。
後に近代日本の美術史を代表する作家の中には松本竣介や麻生三郎などカマキンの展覧会で取り上げられた事で世の中に認められた作家も多いのです。
入り口正面の一層目立つ場所に展示された2枚の作品は大正から昭和初期に活躍した画家古賀春江のもの。
すごく作品との距離が近いのがうれしいですよね。
そうですね。
近い。
すごい…。
あそこに「川端康成寄贈」って書いてあるプレートがあるんですけど。
あっほんとだ…。
生前古賀春江と川端さんが親交があって川端さんは早く亡くなった古賀春江をずっと気にかけていてここで展覧会を開催したんですけれどもそれをご覧になってでこの作品をそのあと美術館に寄贈して下さいました。
戦前から鎌倉に居を構えた作家の川端康成は頻繁にカマキンに足を運んだ一人。
川端は古賀の才能をいち早く認め多くの著書でも古賀の事を書いているのです。
日本の初期シュールレアリズムの画家として知られる古賀の代表作「窓外の化粧」。
理知的でありながらもどこか牧歌的。
謎かけのような幻想的な作風は川端を魅了しました。
絶筆「サーカスの景」。
川端は古賀が病と闘いながら描いたこの作品を「苦しみながら描いた絵がどうしてあんなに静かなのか」と述べたといいます。
キリンがなんか浮いてますもんね。
海の中にいるはずの動物が空にねいたりとか。
絶筆かぁ…。
不思議…。
不思議な世界だこれはとにかく。
でもなんか私好きですこれ。
今では1万4,000点の所蔵を誇るカマキンも開館当初は所蔵品ゼロの状態でした。
人々からの寄贈が集まったのです。
川端の他にも鎌倉には小林秀雄里見や大佛次郎など「鎌倉文士」と呼ばれた文化人が多く暮らしカマキンを支え温かく見守っていました。
大佛次郎の小説にも美術館は登場します。
壁画は…この喫茶室はカマキン開館当時から若者のデートスポットでした。
美術館の夏の定番企画は「やきもの展」。
ポスターには文化人の名前がズラリ。
彼ら自慢の一品を借りて展示したのです。
美術館の庭でくつろぐ男性。
美術館の特別顧問でした。
元館長の酒井忠康さんは小山の型破りな働きを間近で見ていました。
ここへは大変こう…親愛の情を持って接してくれたからなんか事困ると僕らも相談に行ける人だった。
であの人がゲストキュレーターだからその人がリスト作るわけだ。
小林秀雄さんうんここにはとっくりの名品があるよって全部分かってるわけ。
ご当人はいくら隠してても全部その世界通じてる人だから。
だからもう川端康成先生はこれって全部書いてある。
大佛次郎先生はこれだってみんな書いてある。
全部リスト作ってくれる。
それを学芸の担当のここの古株の先輩学芸員がね全部それを借りに行くわけ。
電話して借用書持って。
川端先生のうち行ってねお茶ごちそうになってもの借りたり小林先生のとこ行って借りて玄関先で新聞にくるんで「持ってけ帰れ」なんて言われて「はい」とかって。
そういう不思議な何ていうんだろうな…事ができたってのはこの美術館のやっぱり持っている他の美術館ではできない。
うん…だからこの美術館だから考えられる企画であったしお出しになる人もこの美術館だから大変喜ばしい気持ちで貸してくれたって事あるかもしれない。
日本で最初の公立近代美術館として常に世界を向いていたカマキン。
その象徴が正門の看板です。
日本語と英語に開館翌年フランス語とドイツ語が追加されました。
それを牽引していたのが…「絵画は人間の精神の歴史だ」という独自の美術史観を持っていました。
ブリューゲルデ・キリコパウル・クレーなど当時の日本ではまだ本格的に知られていない作家を次々に紹介。
一方で日本の近代美術をきちんと位置づけ「明治以降の日本美術を研究するにはカマキンに行け」と評判を得ました。
権威と言うとちょっと言いすぎなのかもしれないけど一般に非常に受け入れられてて評価されててそういうものをあえてまたここでやるような事は基本あまりしなかったと思いますね。
むしろそれよりも知られてない作家とかきちんとちゃんと調べきれてないから展覧会を一度もやらなかったような画家たち。
そういった人たちにかなり踏み込んで調査してそのすばらしさを示す。
そういう事はやっぱりかなりこの美術館の大きな特徴ですよね。
50年代に出発してる何か基本体質というのが土方さんはずっと大事にしてたしある意味非常に自由でラディカルなところがあったと思いますね。
でそれはこの美術館が都心のですねやっぱりいろんな行政的な中心の場所になくてやや離れた衛星都市のような鎌倉の中にあって活動してる。
ここの鎌倉にあってそういう何かある緩衝地帯文化的な緩衝地帯があってこの美術館を包んでるように思います。
それは今も包んでるんじゃないかな。
それを鋭敏に先輩たちは感じながらここでやるべき展覧会を東京の中心でやるような展覧会とは違う何かユニークさ独自性で試みていったんだろうと思います。
1970年には日本で初めて本格的なムンク展を開催。
知られざる画家に初めて触れる経験は人々に強い衝撃をもたらしました。
(ニュース)「美術の秋を迎えてここ鎌倉の県立近代美術館ではノルウェーの画家エドワルド・ムンクの作品展が開かれました」。
「これはゴッホやゴヤと並んで20世紀の表現主義の先駆者といわれるムンクの作品が今まで日本にはあまり紹介されていないところからその代表作を一堂に集めて催した画期的なものです。
会場には美術愛好家が連日詰めかけ愛と死をテーマにその喜びと不安をえぐり出すように描いた独特なムンクの世界に浸っていました」。
まだ観光地として混み合う事もなかった静かな鎌倉に10万人もの人があふれたムンク展。
30年以上受付を務めた菊池道子さん。
当時の賑わいをよく覚えています。
ムンク展のね時とかやっぱり外国から来た展覧会ですとどうしても混み合いますからね。
ですからなんかここが狭く感じましたものね。
美智子妃殿下がいらした時なんかは美智子様を見たいというお客様も多いわけでねあの時もすごい人でした。
あのねやっぱり懐かしさが込み上げますね。
なんかね泣くほどのあれもないとは思いますけど。
う〜ん…そしてその間にね関わった学芸の先生方それぞれが皆さんいい先生方でね。
だからってその先生方は非常にのんびりしててのんきでね朝のね…。
普通でしたら普通のお勤めの方だと朝7時8時ぐらいには会社行かなくちゃいけないですけど土方先生なんて夕方になってから「よう」なんつってね来るんですよ。
まあね次元がもう全然ね違ってますから。
清水浩さんは開館から65年の間額縁の作成をほとんど一人で任されてきました。
厳しくも楽しく過ごした美術館の時間を鮮明に覚えています。
いわゆる紙の作品っていいますか版画とかスケッチとかデッサンとかそういう時は必ず仕事があるわけですね。
だからそれが来るとまず「ああまた徹夜だな」っていうまずそれが頭に浮かぶんですよね。
でもそういう中にも緩いっていうかその当時学芸の人なんかでも鎌倉の学芸の人はみんなお酒が好きでとかね。
お酒飲みながら待ってるわけでしょ私のやってるの。
その当時は学芸の人が展示してましたから。
そうすると向かってってもらってちょっと飲んでそれで…。
そうするとふわっと楽になってねそれから何ていいますか大胆な仕事をするというか。
だからそのある種の何ていうのかな…喜びみたいのもあったり。
緩い部分とねハードな部分ってのが混在してたんですね。
ここのハスの花が開く時の音を聞きたいからってここでずっと酒を飲み続けて朝まで待つとかね。
それもアーティストと学芸員が待ってるみたいな。
お酒飲みながらみんなでベートーベン「喜びの歌」を歌おう!とかそんな雰囲気があったんですよ。
そういうつきあいなのでいわゆるこう…何ていうんでしょうか社交辞令のつきあいみたいなレベルは超えちゃったんですよね。
でそういった絵描きさんたちとのつきあいとか彫刻家とかアーティストたちのつきあいあるいは文学者とか執筆する人研究する人とみんなそういう方向に寄ってるんですね。
そういう意味ではここでやってきた事そういう関係がここを支えてるのも確かです。
今なお。
うん。
ほんときれいに…。
ねぇきれいですね。
晴れてよかったですね。
ほんとですね。
1階に下りると池のほとりのテラスが迎えてくれます水面の光が天井を照らします。
でもちょうどいいタイミングでしたね。
あっほんとだ消えた。
一瞬ですねぇ。
一瞬だ。
変化もあるっていうのも…ずっと待ってるわけじゃないって。
カマキンは日本を代表するモダニズム建築。
鶴田さん新さんのそれぞれのお気に入りの風景収めたい場所をどうぞご自由に。
行きましょう。
行きましょう。
この建物はカマキンの最も有名な「作品」かもしれません。
設計は…パリ万博日本館の設計で名をはせその後新宿駅西口広場など公共建築を多く手がけました。
坂倉はパリに留学し近代建築の巨匠と呼ばれるル・コルビュジェに師事。
ヨーロッパの近代建築を学びました。
池から柱が伸びて建物を支えます。
素材は戦後すぐ手に入った鉄骨や大谷石。
建物の内と外との境界線を曖昧にし光や風水といった自然と建築とを融合させています。
なんかやっぱり建築って建築そのものの形ももちろん重要だけど風景とどう関係してるかみたいな事もきっとすごく大事で…。
さっきみたいにね一瞬水面がふぁっと映ったりとかそういうのがあって初めて建物と共鳴してより美しく見える瞬間っていうのがきっとあるんだろうなって思うと…。
そういうのも含めて探したくなりますね。
そうですね。
どっかに奇跡起こってないかなみたいな。
じゃあ私もお手伝いします。
はいええ。
このやっぱり柱が上手に作品の一部として機能してますよね。
(シャッターを切る音)あ出てきた!ん!光が!急げ〜。
奇跡奇跡。
あ消えちゃった。
ほんとに一瞬。
アハハハ…ほんと。
つかまえようとすると逃げるんですね。
そうかとらえようとすると逃げる。
ここ私の遊び場。
待ちぼうけ場所待ちぼうけ場所というか…。
あれ?鶴田さん!
(伊東アナウンサーの笑い声)わっきれい!きてるきてる…。
とらえた!とらえましたね。
フフフフッ。
わぁきれいだな〜。
井浦さんは建物のディテールに注目していました。
この建物の特徴の一つが建物自体がすごく軽やかにできているので。
例えば実は見どころとしては手すりの下にこのぐらい隙間が空いてるんですね。
あぁ〜。
そうですそこのその微妙な…ところですとか。
いくつか見ていくと少しずつそうやって隙間を空ける事で軽やかさを出してるところが多いのがこの建物の特徴で。
(シャッターを切る音)確かに。
あこのドアもかわいい。
あっあ〜…。
ほら。
ほんとだ…。
あの傘立てどけたい。
傘立てはどけられません。
フフフッ。
いい味が…すごいですねほんとに。
いろんな人たちが。
(長門)人研ぎといって人工的に作った石なんですね。
やはり戦後もののない時代に作ったので今だったら御影石とかそういうので作るところをこの現場で職人さんたちが。
作られたんですか。
ねぇ…だからもし御影石だったらこういう味の出方にならないですもんね。
そうですね。
こんなもう…。
特に一番人が目の前に立つこの辺りは分からないぐらいだけどやっぱちょっと内側にすり減ってて。
この辺りとこの辺り違いますもんね。
そうですね。
う〜ん…すごいな。
チラ見。
フフフッ。
写るか…。
よしいけ。
いい時代の形ですね。
こういうのもストーリーなんでしょうね。
ふぁっと開けてふぁっと…っていう緩急じゃないんですけど。
確かに。
ほんとに細かなところですよね。
うん…。
細か〜いところに芸がね。
細かいところに芸がありますよね。
建築家の配慮が細部にまで宿るカマキン。
当時設計チームの若き一員として坂倉の仕事を見ていた北村脩一さん。
(取材者)どういうふうに?それはいろんな何ていうんですかね…。
ですから最後これここで…それが一つの在り方。
ですから斜めに入るとかそういう…多くのアーティストがこの建物に触発され作品を生み出してきました。
テラスに置かれた彫刻は李禹煥さんの作品です。
この空間との兼ね合いである力っていうかですね何かインパクトのあるようなそういうものの見せ方をするためには僕自身が相当強くないといけない。
相当な工夫や何か作品の強さをもってきてこの空間を生かしてみなさいよというそういうメッセージがここにはあるわけです。
自然と溶け合ってるところに立つと自然石だとか鉄板を持ち込んでもなんだただの石じゃないかただの鉄板じゃないかみたいに溶けてしまって作品にならないんです。
でそこで何とかですね緊張感を引き出しうまくいいものを見せるって事はすごく難しいけどもしかしそれがうまくできた時は…面白くて自由感あふれるいい展示空間になる。
ここはまさしくそういう場所です。
テラスからつながる中庭もカマキンの建物を象徴する場所。
イサム・ノグチは中庭の楽しさを生かすような彫刻でこの開放的な空間に人々をいざないました。
ここがその…白いただの空間でなくてこういう自然があって自然の素材の石が使われていて風が吹いて音が聞こえてそういう中庭っていう場所がすごく難しい多分アーティストにとってはすごく難しい。
自分以外の要素が入ってきちゃう空間なのですごく難しいと思うんですけどやはりそれを取り込んでそれをまた自らの作品と融合させていく事でそこの場所ならではの展示というのができてくると思うんですね。
それがやはり作品が単体で終わらないっていう事の可能性というのをこの建物が引き出してその引き出す力をこの建物とこの自然の環境が持っているというのがやっぱり一番この建物の美術館の魅力なんじゃないかなと思うんですね。
井浦さんどこ行っちゃったかな…ああそこで待ちぼうけしてる。
え?え?失礼…。
ほらチェックしながら。
あほんとだ。
はい。
はい。
あハハッ見られた。
見つかった。
気付かれた。
気付いちゃった。
フフフッ今こっそりのぞき見してました。
ハンターに狙われてる感じが…。
フフッ面白い。
お互いが撮った写真気になりますよね。
ここ空いてるんです。
ほんとだ。
わざとなんですか?わざとみたいですね。
何のために?細部の面白さに注目した井浦さん。
一瞬の美しさを切り取った鶴田さん。
ここに…。
ああいますねいますね。
ちょこんて座ってますね。
フフフッ記念撮影ですね。
改めてなんですけれども今回それぞれに分かれて美術館を堪能しましたけれども。
やっぱほんときめこまやかな何ていうんですか演出というかされてるんだなって。
見て気付くっていうよりかもう何となくな感覚的な印象が変わってくるっていう事をすごい細かくやられてて面白かったです。
へぇ…。
ここもあそこもみたいなどんどん発見。
ああそうですか。
いかがでした?鶴田さん。
そうですね…。
鎌倉という場所がね「古都鎌倉」ってよく枕ことばを付けられるんだけど私はあんまり好きじゃなくてなぜならやっぱりここは革命を起こしてきた場所だと思うんです。
社会をひっくり返してきたね。
もちろん鎌倉幕府が開かれた時もそうだしこの美術館ができた時もそうだし。
やっぱり新たなスタートを切るっていうそのエネルギーが革命のエネルギーがこの町にはきっと渦巻いていてとどまってはいけないっていうそういう思いを持った先人たちの思いみたいなものをやっぱり現代の人がちゃんと引き継いでって止まらないっていう事がなんか大事だなっていうふうにすごく思ってるんですね。
残念だけど一つの事が終われば一つの事が始まるからなんか…今度は自分たちに託されてるようなねそんな感じがすごくするなって思いましたね。
閉館までおよそ1か月。
美術館との別れを惜しむ人たちが最後の展覧会にやって来ます。
時々ふと思い出してのんびり休日を過ごす時に来たくなる場所っていう感じですね。
いろんな美術館行きますけどここは特に好きな美術館の一つでした。
なのでなくなっちゃうのはすごいさみしい気がしますね。
なんかこう異次元というと変ですけど違った世界に行ってるって感じですね。
生活と違うという。
ハハハッ。
閉まる前に一度来たいなと思って。
なくなると思うとより一層いとおしいですね。
ここ来ればこの空間に会えるというのがなくなってしまうのでほんとに惜しいですね。
受験勉強するようになってからすごい来るようになって。
ていうのもいろいろ思い悩んだ時とか勉強以外の事でもすごい苦しい時とかにここに来るとすごい落ち着いた気持ちになれるっていうのが大きいですね。
ここがなくなるっていうのはすごい悲しい事なんですけどやっぱりある意味の旅立ちといいますか…。
これから世界中に行っていろんな事を見ていきたいんですけどそうした中でもここは一つの原点といいますか。
ここでの…ここで感じた気持ちっていうのはやっぱりすごい支えになるなっていうふうに感じています。
11月開館記念日に美術館が行ったライトアップ。
敗戦から6年後暗闇から抜け出そうとしていた日本に光をともしたカマキン。
その光を65年間ともし続け来年私たちにさよならを告げます。
2015/12/13(日) 09:00〜09:45
NHKEテレ1大阪
日曜美術館「さよなら、わたしの美術館〜“カマキン”の65年〜」[字]

1月に閉館する神奈川県立近代美術館・鎌倉は“カマキン”の愛称で親しまれてきた。鶴田真由さんと最後の展覧会を訪ね、美術館の意義、収蔵作品や建物の魅力を紹介する。

詳細情報
番組内容
“カマキン”の愛称で親しまれてきた神奈川県立近代美術館・鎌倉が、1月に閉館する。65年前日本最初の公立美術館として誕生、クレーやムンクを初めて本格的に紹介するなど先端的な存在であり続けた。番組では、幼いころからカマキンに親しんできた鶴田真由さんとともに最後の展覧会「鎌倉からはじまった。」を訪問。坂倉準三設計の建物の“ひかれる場所”を写真撮影しながら、美術館が人の心にどんな贈り物をしたのか振り返る。
出演者
【ゲスト】鶴田真由,神奈川県立近代美術館主任学芸員…長門佐季,世田谷区美術館長(元神奈川県立)…酒井忠康,【出演】神奈川県立近代美術館副館長…水沢勉,【司会】井浦新,伊東敏恵

ジャンル :
趣味/教育 – 音楽・美術・工芸
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化

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音声 : 2/0モード(ステレオ)
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