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「すみません、ただのオンナに戻ります」。

「ただのオンナで幸せになれるわけがない。愛されるはずがない」と良い子に徹した結果。ついに何かがプツンと切れ、オンナ人生再出発。

人と比べてしまう自分が出てきた時は、人生のほんとに大切なことに気付けるとき♡(かもしれない)

掃除を頑張りすぎたのか、ちょっと風邪気味のサンタサンタです。ちょっと頭がボーっとしていて、いつもよりテンションの低い記事になっていたらすみません。
(寝込んでいたらうっかりこんな時間に!!結局今日も更新が遅い時間になってしまいましたTT)

それで今日なのですが、先日の記事を更新した後、書き足したいと思ったことがありました。
すでに豊か〜♡すでに幸せ〜♡ていう大前提で、トラップがいっぱいで常に脱線しかけるから、すでにそうなんだていうことを発見していきませんか的なお話の件です。

 ※これです↓

santasantasan.hatenablog.com

でも実際には、トラップに引っかかることも脱線することも、たくさんたくさんあるじゃないですか。にんげんだもの。(私だけ?)
そしてそういう時ってどういう時かと思ったら、人と自分を比べてしまう時ではないかと思いました。将来の不安とかも、人と比べて自分はこれでいいの?これで標準?みたいな不安が出てきた時に起きたりする気がします。

・そんなときも幸せ発見か?

って思うと、やっぱりすごく難しくて。幸せ発見は、日常の習慣にしとくくらいな感じのもので。毎日歯磨きするのが当たり前、みたいなですね。
大きく落ち込んだ時に幸せ発見♡とかしてしまうと、なんならただの、感情にフタをするプラス思考に意図せずしてすり替わってしまってたりします。(ここは前回も少し触れた通りです)
さらにもう、大きな落ち込みの渦の中に突入してしまったときは、「生まれてきただけですごい奇跡で〜♡」みたいな前回の記事を読んでも、「そう思えないから苦しいんじゃ!!」みたいなツッコミをしたくなって当然と思います。
で、人と自分を比べてる時に重要視する度合いなのですけど。
すぐ切り替えて良い時と、そこちゃんと落ち込むべきよというときと、二パターンある(と思う)

・何かたとえがあったほうがわかりやすい気がしてきました。

たとえばなんですが、わたしが今の、ただのオンナ宣言に至る前、会社員で起業支援の仕事をすごーくがんばっていた頃のことです。
その頃は「コレ!」っていう仕事を見つけて自身も独立していく先輩が出る度に「わたしはなんもない…」とかって比べて落ち込んだりしていたんですね〜。

でもこれは、実はあんまり重要視しなくて良い比較だと思うんですよ。

というのも、もともと自分自身が「仕事がんばって、仕事で輝きたい人生」っていうレール上を走ってる延長線上に出てくる比較なので、
「だったらわたしも自分の天職見つけよう!」とかって、そのレールをより素敵に上手に走る方法を探っていけばいいので、気持ちと行動をポジティブに切り替えやすいんだと思います。

でもでも、本当の本当に大事なことを意味して起きる「人と比べてしまう」は、ここじゃない。
「ここじゃない」っていうのは「今のレールの延長線上にはない」っていうことです。

・本当に比較して落ち込むことが大切なときは、それが「自分の日常走っているレールの延長線上にない」とき。

たとえばわたしのたとえ話を進めると、この頃はもう一つ、人と比べて落ち込んでしまうところがあったんですよ。それが、友人や姉が結婚していくときでした。

先ほどのたとえだと、もちろんオンナなのでいつかは結婚したいし子どもも欲しいと願ってましたけど、当時のわたしの日常の中心は仕事で、自分の人生の24時間365日のほとんどの行動や想い(やお金)を仕事に対してかけていたわけなんですね。
そういうレールを自分で敷いて走っていたわけなんですね。

でもそういう時に、親しい人の結婚や出産、親戚の集まりなどという「自分の(少なくとも今の)日常にない景色」が見える瞬間がありに、自分と比べて落ち込む。ドウ〜ン。落ち込みレベル100。
でもそれって、「本当は望んでいることなのに自分が走っているレール上からは基本的にほとんど映らない景色」なので(←普段の景色は仕事のことばっかだから)、落ち込んでも一瞬で済むんですね。ホントはダメージ100なのに、一瞬の景色だから、すぐに普段の景色になれて、結果的には
「比べて落ち込んじゃったけど、でもすぐに切り替えられたよ♡」←って、切り替えられたよ♡でいいんですか??っていう話です。

そう、ここなんです。こここそまさに、ちゃんと落ち込めよっていう時なんです。
だけど、本当は本当に大事なのに、普段のレールと違うから切り替えやす過ぎてかえって難しい。
ホントは結婚したいんでしょ?
ホントは自分もそうなりたいんでしょ?
なのに日常に戻っちゃっていいの?
そこ、ちゃんと比較してちゃんと落ち込んで、ホントは一番望んでる人生に「いま」、日常から変えるチャンスじゃないの??(“いつか”じゃなくてね!)

・ちゃんと落ち込む。そうしてそこから見える景色は??

なのでここは、つらいけどちゃんと落ち込んだ方がいいと思うんです。だってたぶんね、わたしだって仕事は当時は本気で楽しかったし。
でも「それが一番」ではホントはなかった。
「できるなら」、恋愛して結婚して普通のオンナとしての人生を楽しみたかった。
だけどどっかで、「それは自分にはちょっと人より難しいっぽい」って、なんとなくそこの本音を見たくなくて、後回しにしてしまうことで逃げてたのですね。

で、過去のわたしのように、自分を生きてるつもりで外から良しとされる人生のレールを走っちゃっていることって、現代女性には実はやっぱりたくさんあるんじゃないかと思うんです。でも一生に一度の人生だよ??

だからここはつらいけどちゃんと落ち込んで。絶対つらいですけど。だって、自分なりに全速力で走ってたレールにいったんブレーキかけるんですもん。急停車はきついですよ。でも、本当は一番望んでるかもしれないレールなんですもん。「かもしれない」レベルでも、そこは止まってみる価値はあると思うんです。

そうして、諦めるんじゃなくて「明らめる」。 ああー、自分は本当はこうしたかったんだなー、でもやってこなかったなー、なんでだろうなー、ああ、怖かったからなんだなあー、ああーみじめー、悲しいー、もっと気持ち落ち込んできたー、ああー

…って、ますます落ち込みそうですが、本当に本当にちゃんと肚決めて向き合うと、明らめていくと、だんだん落ち込み飽きてくる

そうしたら、あ、でも勝手に自分で無理って決めてただけだったなー、とか、まだ今からでもあれできるじゃんー、これできるじゃんー、なんでやらないの?あ、やってもいいのかー、今の範囲内でこれはできるわー、あ、◯◯ちゃんなんか紹介したいって言ってくれてたなー、とか、
ちゃんと希望とか助けてくれる人いるわとか、それも明らかになってくるんです。(←ただしここから入ろうとすると、一見ポジティブでタダの不安へのフタみたいになるのでオススメしません。結果的に「なった」というのが良いと思います!)

で、やっぱりこれができるのって、「もともと豊かでもともと幸せっていう大前提」があるからこそ、ちゃんと落ち込みきれる、っていうところでもあるんですよね^^

ちなみにわたしはそうしていろんな人に「誰か良い人いないかな?」って相談した結果、姉が今の旦那さんを紹介してくれて今に至ります^^

・今日も無理やりまとめに。

書き始めたらエンジン入ってしまって、日付が変わってしまった。普通、この時間にこんな記事読みたくないんじゃないか!と思いながらむりやりまとめに。

・人と自分を比べてしまう感情が出た時は、それは悪いことではない。

・悪いことではないけどいちいち本気で落ち込んでたら身がもたない。でも、落ち込むべきとことさっさと切り替えて良いとこがある。

・自分の日常(レール上)にない景色に触れたときの方が、ちゃんと落ち込んだ方がいいときかも。そのことで自分の本当に望んでることも見えてくるかもですね。

・もともとちゃんと「持ってる」から、ちょっと怖いけど安心して落ち込んでください♡

以上、本日もお読みいただき感謝を込めて!^^