とことん知りたい!ノーベル賞 2015.12.12


12月10日。
スウェーデン・ストックホルムでノーベル賞の授賞式が行われました。
医学・生理学には大村智さん。
アフリカなどでまん延する感染症から人々を救う薬を開発した功績が認められました。
物理学賞は梶田隆章さん。
謎の素粒子ニュートリノに質量があることを発見し物理学の常識を覆しました。
今回、授賞式を前に偉大な発見に至る長い道のりをお聞きしました。
ここぞとばかりに鋭い質問をぶつけたのはこちらの5人。
さらに、10代、20代の若者たちも興味津々。
研究に煮詰まっちゃったときとかの…そして、アフリカ・ギニア出身のオスマン・サンコンさんが大村さんに突撃インタビュー。
半世紀にわたる研究人生を支えた思いを伺いました。
魅力あふれる2人の受賞者その素顔に迫ります。
では早速、お迎えしましょう。
ことし、ノーベル物理学賞を受賞されました梶田隆章さんです。
どうぞ。
先生、どうぞ、こちらへ。
よろしくお願いします。
よろしくお願いいたします。
改めまして、ノーベル賞受賞おめでとうございます。
どうもありがとうございます。
受賞が決まって何が一番変わりましたか?いろんなところで研究の話をする機会をいただきましてそういうところはすっかり変わりました。
きょう、何を聞いても先生は怒らないとさっき伺っています。
本当に、いいですか?大丈夫ですか?いや、ちょっと分かりませんけど。
(菊地)すいませんごめんなさい。
先生、困っちゃってますけれども。
いろいろニュースを拝見していて初めて聞くことばがたくさん出てきていてその辺を細かく、お聞きできたらうれしいなと思います。
先生、後ろにですね大勢の若い人たちが来ていますけれども実は10代、20代の若者Eテレの「Rの法則」にも出演中の皆さんなんですけれども聞きたいことあるという人!
(一同)はい!今は聞きません。
本当に、みんな、質問たくさんあるということなので後ほど、たっぷり聞いていただきたいと思います。
岐阜県飛騨市神岡町。
鉱山の跡地に梶田さんの研究拠点となった施設があります。
地下およそ1000mに造られたスーパーカミオカンデ。
高さ41m、直径39mの巨大なタンクです。
壁には僅かな光でも捉えることができる超高感度センサーがびっしりと取り付けられています。
ここで観測するのが…。
宇宙から絶え間なく私たちの住む地球に降り注いでいます。
ニュートリノはあまりに小さいためあらゆるものを通り抜けていきます。
今、この瞬間、あなたの体も通り抜けているんですよ。
ね、驚いたでしょう。
で、そんなニュートリノを観測するスーパーカミオカンデのすごーい仕組みご紹介しましょう。
まず巨大なタンクには水がいっぱいにためられています。
ここにニュートリノがやってくるとごくまれに水の分子と衝突して光が出ます。
この僅かな光を捉えることでどこから、どれくらいのニュートリノがやってくるのか分かるのです。
そして、この観測から梶田さんが導いたのが、こちら。
これがノーベル賞の受賞理由なんです。
さっきの話だと体を通り抜けている。
すごい!改めて、ここでですね梶田さんのノーベル賞受賞の理由を見ていただきましょう。
というのがノーベル賞受賞の理由。
思わず、笑われましたね。
まあ、とりあえず分かりますけど。
分かられますか?振動するんでしょうニュートリノが。
こうやって…。
あと、あんだけ、ちっちゃいのに重さがあるんだっていうような。
皆さん、いい感じで、いい感じで壁を乗り越えようとされていますけれども実は今夜はですね、なんと菊地亜美さんがこのニュートリノの謎をですね分かりやすく説明してくださいます。
よろしくお願いいたします。
楽しみにしててくださいね。
それでは、まずこちらをご覧ください。
さっき、ニュートリノが宇宙空間から地球に降り注いでるのVTRでご紹介しましたよね。
ニュートリノを観測しているのがこの…じゃーん。
梶田さんの研究の拠点となったスーパーカミオカンデなんですよ。
地上からやってくるこのニュートリノの数よりも…上からやってくるよりも下から、地球の裏からやってくるニュートリノの数のほうが少ないんですよ。
これ、変ですよね。
このニュートリノはあらゆるものを、すり抜けるってさっきおっしゃってましたよね。
なので、同じ数にならないとおかしいんですよ。
(荒俣)たくさんのものをやってるから。
時々は減ったように見えるっていうのは誤差の範囲であるんですけど…
(水道橋)理由は何なんですか?
(菊地)ちょっと、ヒントを。
まず、こちらです。
吸収されるとかそんなことはないのね。
(菊地)続いて、こちらです。
(菊地)最後、こちら。
この3つのヒントを手がかりにちょっと皆さん考えてみてください。
もしかして重力とか関係あるのかな。
重さがあるから。
先ほどね、その発見のあれが重さがあるから振動できると。
で、重さがあるっていうことはやっぱり、みんな立っていられるのは重力があるから下に下りていくから地球の中心に、ニュートリノに引きつけられやすいのかなって。
どうなんですかね。
どう思いますか?皆さんは。
磁石とかみたいに引きつけられちゃってちょっと、その地球のど真ん中にあるマントルの部分とかにくっついちゃうやつとそれを関係なくて通り抜けるやつニュートリノに分かれてるとかじゃないですか。
(西田)止められちゃうやつと行っていいよっていうやつと。
皆さん、こちらをご覧ください。
梶田さんは、こう考えたんですよ。
こちら、こう考えました。
スーパーカミオカンデで観測できない形にニュートリノが変身したんではないか。
(水道橋)3種類の中の2種類が観測できるからその観測できないもののほうのも1種類に…。
拍手されています。
(菊地)合ってますか?合ってます。
物理学の世界ではこうして変身を繰り返すことを振動というんですよ。
(拍手)
(菊地)梶田さんが本当にすごい人って分かった?みんな。
分かった?よかった。
以上、梶田先生の研究成果を私、菊地亜美が解説しました。
先生、どうでしたか?菊地さんのプレゼンは。
ありがとうございます。
もし、点数をつけるとしたら何点ぐらいですか?結構、いい出来じゃなかったかな。
いや、ちょっとリハのかいがありました。
ありがとうございます。
改めて、菊地さんに拍手をお送りください。
どうもありがとうございます。
80点。
すばらしいです。
いい質問だと思います。
ニュートリノは、あるところまで距離、飛んでいくとだんだん振動して、別な種類に変わっていくんですけどこの距離、長く飛ばないと振動しないんです。
で、ニュートリノが種類を変えるその典型的な距離っていうのが大体500kmぐらいなんです。
そうすると地球は1万kmあるから、何回も種類を変えたりしてるわけです。
それで振動といってるんです。
ちょっと、まだ分かってないところがありまして振動することが質量を持つということを本当に分かりやすく教えてくださいませ。
ニュートリノが姿を変えるっていうことはですね時間が必要なわけなんですよどうしても。
もし、ニュートリノが光のスピードで飛んでたらば時計は進まないので姿が絶対、変わらないんですね。
ということは姿は変わってるんだからニュートリノは光のスピードよりゆっくり進んでるんです。
どのくらいゆっくりかは別として。
(荒俣)非常にすっきりしますね。
そりゃそうだ。
(拍手)ここからは梶田さんの研究人生を振り返っていきたいと思います。
梶田さんがノーベル賞につながる成果を導き出すまでには大きく2つの区切りがあります。
まずはですね、その前半をご覧いただきましょう。
1981年梶田さんは埼玉大学を卒業し東京大学大学院に進学します。
宇宙の真理に迫る素粒子の観測をしたい!強い思いを胸に門をたたいたのは小柴研究室。
教授の小柴昌俊さんは素粒子の観測で世界的に有名な研究者でした。
後に、ニュートリノの観測でノーベル賞を受賞しています。
梶田さんは小柴さんのただならぬオーラに圧倒されたといいます。
さらに、研究室のメンバーは皆、優秀な人ばかり。
なんとか追いつこうと梶田さんは時間が許すかぎり机に向かっていました。
研究室のメンバーは梶田さんに対して皆、同じ印象を抱いていました。
そんな梶田さんのことを小柴さんは、最初目立たない学生だと感じていました。
1983年梶田さんに転機が訪れます。
スーパーカミオカンデの前身カミオカンデが完成したのです。
小柴さんが素粒子の観測のために造ったこの施設。
梶田さんは持ち前の真面目さと緻密さで観測と分析を行っていきました。
観測開始から4年目助手となった梶田さんはデータが示す不思議な点に気付きます。
それが、地球の裏側からくるニュートリノの数が少ないことだったのです。
梶田さんが作成したグラフです。
確かに、理論値に比べ観測値が少なくなっています。
何かミスをしてしまったのではないか。
そう思って何度もデータを見直しましたが結果は変わりません。
そして…。
ニュートリノの変身、つまり…そう考えるようになったのです。
早速、論文にしようと研究室のメンバーに相談を持ちかけます。
ところが、メンバーの反応は思わしくありませんでした。
理論的にありえないと考えられていたニュートリノ振動。
論文で触れるのは危険だという意見が多かったのです。
ところが、小柴さんからは意外な反応が返ってきました。
非常に高く評価してくれたのです。
海外出張中の小柴さんが梶田さんに送ったFAXが残っています。
「おもしろくなってきましたね」。
「ニュートリノ振動ということばを盛り込むべき」。
前向きな文章で後押ししてくれました。
梶田さんは1年がかりで推こうを重ね論文を書き上げました。
1988年に発表されたこの論文を、きっかけに梶田さんはニュートリノ振動の研究にまい進していきます。
小柴さんの後押しで梶田さんは世界を驚かせる発見への第一歩を踏み出したのです。
ということで、小柴さんの存在。
本当、ありがたかったです。
どんな先生なんでしょうか。
途中にもありましたように…カミオカンデの最初のころっていうのはもう本当に小さいグループだった。
わりと誰が何をしなさいということを先生から言われるよりもむしろ、勝手にある程度やってるようなそういう土壌があって僕らの場合でいうとそれをやっていった結果について…そういうような感じだったんですね。
ちょっと上からになっちゃったんですけどなんていうんですか「売れるよ、君は!」とか言う人もいるじゃないですか。
そういうことですよね。
小柴先生の研究室で学んだ精神みたいなスピリットみたいなものがあるとしたらどんなものですか?小柴先生が常に学生に言ってたことっていうのは2つくらいあるかと思うんですけども1つは、大学院学生に対して…やがて大学院、終わって一人の独立した研究者になったときにはちゃんと自分の研究をやれるようになりなさいというそういう意味ですね。
もう一つはですね…研究費をむだにするなと。
さらに、広くいえばそういう国民の皆さんにやらさせていただいてるというそういう、たぶん考えをきちんと忘れないでやりなさいと。
ちなみに、梶田さんがあれ?なんか違うかもって思ったときのことって覚えてらっしゃいますか?基本的にはですね…データの読み取り方っていう…。
プログラムでバグを作るのはもう日常茶飯事なんでそれは、しょうがない。
それでも、じゃあ一体なんで間違っちゃったんだろうっていうことで、一応、目でもある程度、分かるようなそういう判定をしてたので目で見たんですね。
そしたら、目で判定したのとプログラムで判定したのがほぼ完璧に合ってたのであ、これはプログラムが致命的な間違いしてるんじゃないだろうなと思ってそれから、じゃあ、ほかの何が間違ってるんだろうっていうんで1年くらいかけていろんなことをチェックをしたわけです。
大変だ、これは。
1年かけて論文、書いてたって言ってたじゃないですか。
あれって、途中でうわーってなってぐちゃぐちゃってしたりっていうことなかったんですか?むしゃくしゃしてみたいな。
全然、なんだか分かんないんだけどもそのとき、分からないんだけどももしかしたら、これ…そういう時間っていうのはどういうふうに過ごしていくというか…。
でも、それがやっぱり研究者なんですよ。
その時間が楽しいんですか?楽しいです。
もちろん明確な答えが得られれば一番いいんですけどそうはならなくてもですねやっぱり、何か研究をすると少しずつ分かってくるのでそれが、やっぱり研究者としての仕事なんです。
なるほど。
再び、梶田さんの研究人生に迫ります。
ここからはノーベル賞受賞につながる発見までを一気にご紹介します。
カミオカンデを上回るスーパーカミオカンデ。
1991年に建設が始まったおよそ100億円の大プロジェクトです。
大きさもセンサーの数もカミオカンデの10倍以上。
これなら膨大なデータが集められます。
梶田さんが狙うニュートリノ振動の決定的な証拠をつかむためには必要不可欠な観測施設でした。
助教授となった梶田さんはいくつもの設備の設計・開発を任されることになりました。
その中で特に苦労したのが超純水を製造する装置の開発でした。
水に含まれる不純物には光を放つものがあります。
この光はニュートリノによる光と区別がつきにくいため不純物を徹底的に除去する必要があったのです。
ところが梶田さんは大学以来、物理学一筋。
超純水の製造など全くの専門外です。
膨大な資料を読みこなし知識を蓄えることから始めました。
超純水の製造に協力した大手水処理メーカーの担当者。
自分たちが気付かないような指摘が梶田さんから寄せられることもあったといいます。
これは、その一つ。
梶田さんがメーカーに提案した配管ルートの改善案です。
頻繁に開閉するバルブを減らすことで不純物が入り込むのを防ごうと考え出しました。
とにかく情熱といいますかですね非常に…スーパーカミオカンデを完全なものにしてニュートリノ振動を発見したい。
その一心で梶田さんは専門外の水処理にまで精通していったのです。
5年の建設期間を経てスーパーカミオカンデが完成。
超純水で巨大なタンクが満たされると観測が始まりました。
その結果、次々とニュートリノのデータが蓄積。
梶田さんは、その膨大なデータを解析することでニュートリノ振動の存在を確信していきました。
そして、2年後。
日本で開かれた国際会議で研究の成果を発表します。
梶田さんの発見は世界の科学者に驚きをもって迎えられました。
物理学の常識を覆す大発見。
このニュースは瞬く間に世界を駆け巡ります。
当時のアメリカ大統領もわざわざ演説で触れるほどの話題となりました。
(拍手)世界が動いたっていう印象もありましたけれどもね。
うん、正直…あそこまで一気に世界が認めてああいうことになるって予想していなかったんでびっくりしましたね。
でも、類似施設がほかにないわけじゃないですか。
だから、オリジナルなものを自分たちで造っていかなきゃいけない。
その、建築自体も専門外なわけですよね。
だから、それで膨大な自分の研究以外のところの知識を得なきゃいけないっていうのは…。
でも、そうは言いながらやっぱり自分たちの測定器のことはきちんと分かっていないと何か変なことがあったときに何なんだと。
本当に変なのかそれとも自分たちが測定器のことを知らないのか分からないのかっていうことでうやむやになっちゃいますから。
やっぱり、われわれとしてはなるべく、きちんと測定器のことを分かるようにいろんなところで、こう口を挟んで設計をしていきます。
スーパーカミオカンデを造るにあたってね予算っていうのはもちろん出すほうもね「あ、100億ですかそうですか」。
ボンっていうふうにいくのかその取るのに、どんな活動とか説得っていうのは…?特に、やっぱり100億円の予算っていうのは科学予算で、すごく大きいので戸塚先生っていう先生が小柴先生の後を継いでこのプロジェクトを推進していったんですけども本当に戸塚先生のご功績はものすごく大きいと思います。
今、梶田さんからもお話がありましたけれどもこちら、戸塚洋二さん。
1987年に退官された小柴さんの後を継いでカミオカンデの研究リーダーとなりました。
その後、スーパーカミオカンデのリーダーともなるわけですね。
で、梶田さんにとって頼れる兄弟子だったということなんですけれども実は戸塚さんは2008年に66歳の若さで、がんで亡くなられてしまうんですよね。
あの、ちなみに、ことしのノーベル物理学賞をお二方、梶田先生とカナダのマクドナルドさん。
博士が取られてるんですけども一つの部門で3人まで取れるんですよ。
ノーベル物理学賞って。
だけど、2人だった。
本来ならば、そこに戸塚さんが入られるところを空席にしたのは何かこう、ノーベル賞側の配慮があるんではないかなっていうふうに思う方もいらっしゃるそうなんです。
当然いるでしょう、はい。
本当に、そういうふうに配慮してもらったのかもしれないとは思います。
戸塚さんの存在は梶田さんにとって大きい?ある意味、一番鮮明に覚えてることというのは2001年にですねこういうこと起こしちゃいけないんですけどもスーパーカミオカンデは一瞬、ほぼ本当に一瞬で装置の半分以上を失うっていう大事故を起こしてしまったんですけどもそのときに代表だった戸塚先生が造り直そうと決断してそれを世界に向けて造り直すと宣言してインターネットで発信したというそういうことをやってくれて…本当にリーダーの存在っていうのがですねやっぱり重要な場面がいろいろあるんですね。
そういうところでは本当に、自分も…さあ…ということで、ここまで小柴さん、そして、戸塚さんそして、梶田さんというこういう鎖がつながっているんだっていうことをお分かりいただいたところで聞きたいことあるという人!
(一同)はい。
あの、研究するのにみんなで例えばプライベートで飲みにいったりとか言い合いしやすいようにしたりとかそういうふうな努力ってあったりしたんですか?特に例えば、建設…測定器の建設してるときはほぼ、先ほど出てた山、あそこにいるわけなんでずっと一緒で。
合宿生活みたいな。
運動部の合宿ではないのででも、もう…なんか研究に煮詰まっちゃったときとかのリフレッシュの方法とかって何かありますか?意外とですね…
(西田)それが秘けつ。
ざっくばらんに言うと…でも、私生活があんまり想像できないですよね。
何にもしてないってあります?なんかテレビ見るとか寝るとか、本を読むとか。
なんのお酒が一番、好きなんですか?聞きますね。
お酒、結構お好きでいらっしゃいますか?どうも世の中ではそういうことになってるようなんですけど。
ここからは、もう一人の日本人受賞者です。
こちら。
ノーベル医学・生理学賞を受賞された、大村智さんです。
アフリカなどの熱帯地域で人々を悩ませていた寄生虫の感染を防ぐ薬を生み出したことでノーベル賞を受賞されました。
一体、どんな薬なのかご紹介します。
1975年に放送されたNHKの番組。
当時、西アフリカで広がっていた病気を取材しています。
この村に住む男たちは必ず失明する。
二十歳を過ぎるころから次第に視力が衰え始め数年後には完全に目が見えなくなる。
病気の名前は…失明した大人たちは子どもが持つ棒を頼りに暮らしていました。
病気の原因となるのは寄生虫です。
ブヨによって媒介され、人に感染。
目の中に侵入すると失明につながるのです。
感染が広がった土地からは人々が去っていきました。
この状況を救ったのが…大村さんの研究によって誕生しました。
1987年から無償で提供されるようになり現在では毎年2億5000万人以上がのんでいます。
その結果、いまやこの寄生虫に感染する人はほとんどいなくなりました。
大村さんは2004年アフリカ・ガーナを訪問。
熱烈な歓迎を受けました。
はい、というねVTRをご覧いただきました。
(西田)視力がなくなるというともう、大人がみんなってなるとそれを救う薬を作るっていうのはそれは、すごいですね。
大村さんどんな印象を持たれましたか?さあ、大村さんがどんな方なのかこの人が訪ねてきました。
(拍手)1コン、2コン、サンコンでーす。
(水道橋)おなじみだ!出ました。
ようこそ。
あの、僕ね、西アフリカのギニア生まれなんだけどねガーナの近くなんですけどこの話、聞いて本当、僕、日本とても長いんでどうしても感謝の気持ちにねありがとうってね大村先生のところにねまいりました。
はい。
ビデオ作りました。
皆さん、ぜひビデオ見てください。
ギニアの正装で北里大学にやってきたサンコンさん。
はい、どうぞ。
あ、大村先生ですか?ついに大村智さんと、ご対面です。
すいません、先生。
ようこそ、いらっしゃいました。
本当、先生に会えてうれしいです。
その薬が、もう行き渡ってて。
それ、本当、本当ありがたい。
本当、これね…やっぱり人類のためにですよ、本当。
そうして育ったんですね。
その蓄積で最終的にはここまできたと思いますね。
ますます感動しますよ、本当。
何か涙、出そうですよ。
先生。
1935年、山梨県韮崎市の農家に生まれた大村さん。
厳格な父に教師の母。
そして、人のためになれと言い続けた祖母。
長男として大事に育てられました。
子どものころは友達との遊びに明け暮れ地元でも有名ながき大将だったそうです。
やんちゃ坊主っていうとおかしいけど…私のところ、さとちゃんまた、けんかしてるよって知らせてくれる。
私、飛んでいくと…高校、大学ではスキー部に所属。
全国大会に出場するほど熱心に打ち込んでいたといいます。
大村さんの指導を受けた高校の後輩・金丸博さん。
当時の大村さんをこう振り返ります。
大村さんがスキー部で培った精神はその後の研究人生にも生かされていきました。
こちらは21年前の大村さん。
常に採集道具を持ち歩き誰も気に留めないような場所の土を集めていました。
土の中には数え切れないほどの種類の微生物がいます。
大村さんはこうした微生物を培養し薬のもとを探し出してきました。
その方法、例えて言うならこういうことです。
微生物に餌を食べさせるとまるで汗をかくように別の物質を出します。
ここから薬が作られる場合があるのです。
およそ半世紀にわたる研究人生の中で大村さんが集めてきた微生物を見せてもらいました。
(高橋)低温実験室で4度の部屋になります。
(サンコン)4度の!寒い!寒そうじゃん。
(高橋)寒いです。
薬の生み出す可能性のある微生物を保管している、この部屋。
まさに、宝の山です。
(高橋)これは、株数にしたら1000株以上あります。
はい。
(サンコン)1000!1000以上ある。
こちらの一本。
ノーベル賞につながったあの薬を生み出した微生物が入っています。
いわば、ノーベル賞の生みの親。
大村さんたちはこれまでに微生物からおよそ500の物質を採取しました。
そして、そこから…これは世界の研究者が驚くほどの多さです。
最後に大村さんに、研究者として大切にしていることを聞いてみました。
それには、やっぱり自分の領域において本当に、いろんなことを知りいろんな技術を持っていないと人のためになれない。
力をつける…先生、本当ありがとうございました。
大村さん、お忙しい中ありがとうございました。
(拍手)サンコンさん、いかがでしたか?本当、びっくりしましたね。
日本に来て45年になるんですけど日本人ってすごいね。
やっぱり人類のためにですね人のために、世のためにね。
梶田先生はどう、ご覧になりましたか?ふだんから日常の中でああやって土を集めてそれを持ち歩いてるんだっていうのはもうどれだけ、その…好きになる。
すごいって思う。
思わず好きになっちゃうっていうね。
では、ここからは梶田さんの今後の目標について伺いたいと思います。
梶田さんのノーベル賞を生んだ岐阜県の飛騨市なんですがちょっと、こちらご覧いただきましょうか。
ここには、物理学を支える最先端の研究施設がたくさん集まってるんですね。
さらにはですねスーパーカミオカンデを上回るハイパーカミオカンデの建設も構想されていると。
(西田)スーパーカミオカンデは発見がありましたけれども今後も同じようなというかそこから発展していく研究が続くんですか?ニュートリノ研究はですねニュートリノに質量があったということで新たに知りたいことが出てきたので…したがいまして今後も研究は続きます。
この中で本年度、運用を開始するのがKAGRAなんですね。
この長いL字型のものですね。
何を研究するのかというのをVTRで、ご覧いただきましょう。
岐阜県飛騨市。
山の中深さ数百メートルの地中に長さ3kmのトンネルが2本、直角に交差しています。
ここにKAGRAが造られています。
去年8月、巨大な機械が運び込まれてきました。
梶田さん!KAGRAって一体、どんな装置なんですか?え?重力波の望遠鏡?なんですか?それ。
かのアインシュタインが存在を予言したもののまだ誰も観測したことのない重力波。
宇宙のどこかで、重い星が引き付け合うときなどには強い時空のゆがみが生じます。
これが波として伝わってくるのです。
KAGRAが重力波を捉える仕組みです。
直角に交差する2本のトンネル。
中には、レーザー光が通るパイプが設置されています。
端から発射されたレーザー光は交差する場所で2方向に分けられます。
パイプの先端には鏡があって光が合流地点に戻ってくるようになっています。
通常、2つの光は波の山と谷が重なるので打ち消し合い、消えてしまいます。
一方、重力波を受けた場合直角に交差する2本のパイプの長さに差が生じます。
すると2つの光の波には、ずれが生じ打ち消し合うことがなくなります。
その結果光が検出されるのです。
観測の難しさゆえにアインシュタインからの最後の宿題と呼ばれる重力波。
今、世界中の研究者が観測に挑んでいます。
中でも、KAGRAが最初に重力波を観測するのではないかと期待されているのです。
(拍手)すごい。
世界が競っている中で重力波。
理論上はあるとアインシュタインが言っているけれども実証した例がない?直接、実証した例はない。
それを世界中が競い合ってる。
競い合ってるというのはそういう面もあるんですけど…競争ではなくて協力し合うんですか?なんでかっていうとですねどこかが…これだと、ちょっと天文学になりようがないんですが…そうするというとこっちで起こったんだなということが分かる。
というわけで…あの大きさが必要なんですか?可能なかぎり、長く。
3km。
3km。
それが分かるとどう、また物理の世界は分かってくるんですか?そうですね、例えば…それが観測できるんですか?そうです。
そういうのを観測するものです。
おもしろいですね。
すごい世界だなと思いますけど実はですねこの後ろにいらっしゃる若い方々の中に、来年からKAGRAで研究するという方がいらっしゃるんですよ。
手を挙げていただいていいですか。
はい、和田さんです。
(拍手)さあ、和田さん。
この機会に、初めてことばを交わすわけですか。
KAGRAって、ほぼトンネルの中じゃないですか。
なぜか?やっぱりこう…なんか、うーん…暗いのか狭いのか分かんないんだけど。
逆に梶田さんから若い研究者にどんなメッセージが?本格的に稼働するのは2017年度の後半だと思うんですけども…頑張ってください。
ということで、ここまで見てまいりましたけれども西田さん、いかがでしたか?大村先生を拝見して、梶田先生…共通点は、やっぱりその自分だけこれは育てていこうという思いというのが、やっぱりすごく強くて、信念をとおして…なんか、すごく…奥が深いんだなっていうのは感じました。
菊地さんは、きょうは偉大なチャレンジをされましたけど?
(水道橋)力尽きたね、あれでね。
(菊地)なんか、こういろいろ話、聞いて、やっぱ…ずっと興味、持ってることを何十年とかもかけてやるわけじゃないですかだから、そういうのがすごい…
(菊地)ありがとうございました。
先生、ちなみにそのコツコツ、それもなんでしょう続けられるコツはなんですかね?われわれでしたらば今まで知らない…人間として…実は、子どもの段階からみんな思ってるわけですよ。
なぜ、雨が降るのかだってね。
やっぱり例えば研究をやっていこうと思うとなんか、いろんなことが…本当に自然、不思議だなとかなんでこれこうなってるの?とかそういう…
(荒俣)重要なことだな。
ぜひ、また本当に偉大な発見、朗報が届くことを期待しております。
きょうは、長い間ありがとうございました。
梶田先生どうもありがとうございました。
2015/12/12(土) 22:00〜22:59
NHK総合1・神戸
とことん知りたい!ノーベル賞[字]

ノーベル賞を受賞した、北里大学・大村智さん、東京大学・梶田隆章さん。研究や半生を紹介する。出演:荒俣宏、西田ひかる、水道橋博士、菊地亜美、オスマン・サンコンほか

詳細情報
番組内容
今年、二人の日本人科学者の、ノーベル賞受賞が決まった。医学・生理学賞に北里大学・大村智さん。物理学賞に東京大学・梶田隆章さん。日本時間12月11日未明に行われた授賞式の翌日。興奮冷めやらぬ夜に、偉大な業績を成し遂げたお二人の研究や、世界有数の研究者となるに至った半生など、ノーベル賞受賞の秘話をとことんご紹介する。【出演】梶田隆章、荒俣宏、西田ひかる、水道橋博士、菊地亜美、オスマン・サンコン ほか
出演者
【出演】女子美術大・北里大名誉理事長…大村智,東京大学教授…梶田隆章,荒俣宏,オスマン・サンコン,菊地亜美,水道橋博士,西田ひかる,【司会】鎌倉千秋,【語り】関智一
キーワード1
ノーベル賞

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ニュース/報道 – 特集・ドキュメント
バラエティ – トークバラエティ

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

OriginalNetworkID:32080(0x7D50)
TransportStreamID:32080(0x7D50)
ServiceID:43008(0xA800)
EventID:23634(0x5C52)

カテゴリー: 未分類 | 投稿日: | 投稿者: