古代エジプト 愛と野望の女王たち 2015.12.12


ナイル川のほとりに生まれた古代エジプト文明。
3,000年間にわたり繁栄をおう歌しました。
エジプトでは今も世界各国の調査隊によって発掘が続けられています。
近年日本の調査隊によって新たな発見がありました。
それは一人の王妃に関わるものです。
あのツタンカーメン王の祖母に当たる王妃ティイ。
その姿を刻んだレリーフが残されていますが発掘された場所が分からず実像に迫る手がかりが途切れていました。
ところが4年前このレリーフが彫られていた壁面が発掘されたのです。
ティイは王のすぐそばで王を支えるように彫られていた事が分かりました。
王と王妃っていうものがこれだけ並んで出てくるというのは非常に重要な…。
それまでの王妃の存在とは少し別格な存在だったという事が言えると思いますけどね。
近年の発掘で古代エジプトの女性たちの姿に新たな光が当たりつつあります。
彼女たちは強い権力を手にし国を動かし波乱に富んだ生涯を送っていた事が分かってきたのです。
ティイは王族の外から妃として迎えられました。
これは当時極めて珍しい事です。
そして古い神を廃し新しい神を信仰するという大きな社会変革の嵐の中を生きました。
こちらは古代エジプト最後の女王クレオパトラ。
カエサルアントニウスを次々に虜にした絶世の美女として知られています。
その実像に迫る遺跡が地中海の海底から発見されています。
クレオパトラの宮殿跡が海に沈んでいたのです。
引きあげられたスフィンクスはクレオパトラの父親とそっくりな顔でした。
絶世の美女の実像が明らかになろうとしています。
更に女王ハトシェプスト。
付け髭をし男装をしています。
ハトシェプストは強大な権力を手中にして大神殿を築き上げます。
ところが神殿に残された彼女の壁画は無残に削られているのです。
それはなぜか?そこには愛人や子供たちが絡む愛憎のドラマが浮かび上がります。
古代のエジプトで権力を握った女性たち。
その愛と野望の物語をたどります。
ずっと興味があった古代エジプト文明。
私が向かったのは上野だ
古代エジプトの至宝が世界14か国38の博物館などから集められ東京に勢ぞろいしている
これがクレオパトラ…。
確かに美人。
しかも集まったのは古代エジプトに君臨した女王や王妃に関係するものばかり
3,000年前を生きた王妃か…。
古代文明の中でも自分たちの姿をこれほど多く残した人々はいないそうだ
表情豊かな彼女たちを見ているとはるかな昔の時代が生き生きとよみがえるような気がする
彼女たちは一体どんな人生を送ったのだろう?
(足音)古代エジプト女たちの世界へようこそ!彼女たちの人生に興味があるんですね?あっはい。
いい目の付けどころだ。
では今日は特別にこの私が案内しよう。
あっ…いえ大丈夫です結構です。
どうして?僕ほどの適役はいないと思うけど。
いえあの…一人で静かに回りたいんですよ。
それにあなたなんか強引だし…。
私はここに並ぶお宝の発掘に関わってきた。
えっ?見てごらん。
これは「ハトシェプスト」という名の王妃だ。
いえそれぐらい説明見れば分かりますけど。
ではこれは?こちらからだ。
彼女の肩に手がかかっている。
ああほんとだ!王妃に触れていいのは王だけだ。
恐らくこの手は彼女の夫のもの。
2人は仲むつまじく肩を組んだ格好で彫られていると考えられる。
こういうふうにね。
だから彼女は安心した表情でほほ笑んでるわけね。
そのとおり。
だがエジプトには全く違う姿のハトシェプストが残されている。
どんな?髭を付けて男の格好になっている。
ええ?王妃であるハトシェプストは後に男装をして王となる。
カイロにある…ここに女王となったハトシェプストの石像が残されています。
この像はハトシェプストの際立った特徴を表しています。
顎の下髭が付いています。
古代エジプトの王ファラオは必ず付け髭をしていました。
更に肌は褐色です。
古代エジプトでは男性は褐色女性は白。
この塗り分けは厳密なものでした。
女性であるハトシェプストがあえて褐色に塗らせている事からも自分の男装を誇示していたと考えられています。
彼女はなぜ男装の女王になったのでしょうか?ハトシェプストが生きたのは紀元前15世紀の初めエジプトがとりわけ栄えた新王国時代です。
ナイル川沿いに次々と神殿が建てられました。
これは歴代の王が増築を繰り返したカルナック神殿。
女王ハトシェプストも自らを祭る場所を造っています。
高さ15メートルを超える柱が130本以上も立ち並び当時の王の力の大きさを物語っています。
ハトシェプストの時代日本は縄文時代後期です。
このころの世界では女性が政治的な権力を持ち歴史の表舞台に立つのは珍しい事でした。
中国殷王朝では一人も女王は出ていません。
小アジアに栄えたヒッタイト王国でも女性が王になった記録はありません。
そんな中エジプトには女性の役割の大きさをうかがわせる遺跡が数多く残されています。
これは新王国時代の…ここには女性の像が多数残されています。
王妃や娘たちだと考えられています。
しかし女性が政治を行った記録は少なく政治的実権を握るまでには至っていなかったと考えられていました。
なぜなら王であるファラオに最も期待されていた役割は軍の先頭に立ち戦争を指揮する事だったからです。
王には勇敢に戦う姿を見せる事が求められていたと考えられています。
そんな時代にハトシェプストは女王になるのです。
きっかけは夫の王が亡くなった事でした。
跡継ぎとなったのは側室との間に生まれた義理の息子トトメス3世。
幼いトトメスの後見人としてハトシェプストは政治に参加し始めます。
ところが数年後ハトシェプストは大胆な行動をとります。
トトメス3世を辺境守備につけ都から追放。
そして…自らファラオとして即位するのです。
じゃあハトシェプストは義理の息子を押しのけて王に?これまでの調査で浮かび上がってるのはその説だ。
そこまでして権力を…。
ところでハトシェプストが男装をした目的は?そこは諸説紛々。
学者の数だけ説がある。
だがねインパクトが絶大だったのは間違いない。
何といっても確認できるかぎり歴史上最初の男装だ。
(指を鳴らす音)その決意を物語るものが残されています。
ライオンの体に人間の顔がついているスフィンクス。
これは女王ハトシェプストです。
ここにヒエログリフでハトシェプストの名前が彫られています。
ヒエログリフとは古代エジプトの象形文字。
19世紀に解読されました。
スフィンクスは古代エジプトの守護神です。
「自分こそが国を守る」というハトシェプストの強い気持ちの表れでしょう。
エジプトで女性として初めて実権を握ったハトシェプストはどんな政治を行ったのでしょうか?当時の都テーベの近くにハトシェプストが築いた巨大な神殿が残されています。
長いスロープが連なり3段のテラス構造になっています。
この時代このような構造の神殿は極めて珍しいものです。
建築レベルの高さはその時代の繁栄とイコールです。
彼女が築いた神殿を見ればハトシェプストが政治的に大成功した事は明らかです。
同時代の男性のファラオが造った神殿。
自らの業績を刻んでいます。
こうした神殿に刻まれる壁画は神々に報告するという性格を持つため事実に即していると考えられています。
多くのファラオは戦場での活躍を描きました。
ではハトシェプストは?この神殿には戦争の壁画は一つもありません。
女王ハトシェプストが描いたのは幾艘もの船でした。
ハトシェプストが描いたのは交易船です。
船には人間の他に多くの積み荷が載せられています。
壁画に描かれた外国からの輸入品は金や香料象牙に毛皮。
エジプトではどれも貴重品でした。
こちらはエジプトから外国に行った使者。
友好の証しオリーブを携えています。
ハトシェプストは農作物や名産のワインを輸出したのです。
ハトシェプストは交易で国を豊かにしたのです。
戦争ばかりしていたエジプトでは画期的な外交政策でした。
ハトシェプストが取り組んでいたという交易。
一体どの地域の人々と交易をしていたのでしょうか?壁画に刻まれている交易相手国「プント」と読めます。
このプントがどこにあったのか長年議論されてきました。
主な候補地は3つ。
それぞれの地域でエジプトとの交易を物語る証拠が見つかっています。
ハトシェプストの交易船は海を渡りアラビア半島まで向かっていたのか?それとも川を進み内陸部との交易にとどまっていたのか?謎を解くヒントも壁画にありました。
それは交易船の下に描かれた魚です。
これらの魚を調べるとほとんどが海の魚である事が分かりました。
更に近年紅海沿岸から驚くべきものが発見されました。
古代エジプトの船の一部です。
船に帆を張るのに使ったロープ。
20メートルから30メートルのロープが50本近くも見つかりました。
大きな帆を張った船は遠方まで進む事ができたと推測されます。
穴の開いた石はいかりです。
その大きさから波の荒い外洋にも出られたと考えられます。
こうした事からハトシェプストの船は海を進んでいたと考えられるようになりました。
紅海からアラビア海へ広範な海洋交易をしていたとする考古学者もいます。
東は現在のイラク西はリビアまで。
ハトシェプストの交易はそれまでにない規模でした。
男のファラオが戦争を繰り返していた理由の一つは金や香料など貴重な物資を得るためでした。
一方ハトシェプストは軍隊の先頭には立てなかったものの交易でそれらを得る事で国を繁栄させたのです。
ハトシェプストは女性がエジプトを治めるという事を結果で納得させました。
女性が男性に肩を並べた歴史上最も古い例だと思います。
彼女は自分のやり方で国を治める事に成功したんですね。
ハトシェプストの発想は常にオリジナルだった。
この像は優しく見えるけど前例を覆す強さも持っていたんですね。
古代エジプト人はこのように自分の姿を残す事に執着した。
なぜだと思う?どうして?再生復活を願ったんだ。
「再生復活」?彼らは死んだ後によみがえる事を常々願っていた。
よみがえった後に前世を正しく思い出せるよう自分たちの人生を克明に記録していたんだ。
ああ!だからこんなに肖像が…。
そのとおり。
中にはその後のハトシェプストに大きな影響を与える男の像もある。
この男は幼いころハトシェプストにファラオの座を奪い取られた義理の息子トトメス3世だ。
成長するに従って力をつけてきた彼はハトシェプストに復讐する機会を狙っていた。
復讐…?女性のファラオハトシェプストの人生にはやがて陰りが見えてきます。
これはハトシェプスト葬祭殿の壁画です。
この部分の壁画には3人が描かれていますが真ん中の人物だけが人の姿を残して削り取られています。
これはハトシェプストが神に囲まれ祝福されている場面です。
この削り方は恐ろしい呪いです。
彼女を地獄に落として再生復活できないようにしたんです。
壁画を削ったのは義理の息子トトメス3世と言われています。
トトメスはハトシェプストに強い恨みを持ち続けていたのです。
奇妙な石像。
少女と男が一体化しています。
男の名はセンムト。
センムトはハトシェプストの右腕として活躍した大臣です。
神殿の設計も行いました。
少女は女王ハトシェプストの一人娘ネフェルウラー。
大臣センムトはその教育係を務めていました。
センムトと王の娘が一体化している事にどのような意味があるのでしょうか?センムトは女王ハトシェプストの愛人でした。
娘のネフェルウラーは2人の子供だったという説さえあります。
この時ネフェルウラーはまだ王女です。
でもカルトゥーシュが描かれている。
これは通常ありえない事です。
カルトゥーシュとはだ円状の枠内に名前を記したもの。
王と王妃のみが使えるものです。
ネフェルウラーにカルトゥーシュをつけているのは娘を次の女王にしようとしていた証拠です。
ハトシェプストの死後かつて王位を奪われたトトメス3世がファラオに返り咲きます。
ハトシェプストの望みがかなう事はありませんでした。
娘ネフェルウラーの記録は途絶えます。
トトメス3世に殺されたとも言われています。
女王ハトシェプストが行った交易はその死後縮小されます。
そして周辺国との戦争が再開されました。
トトメス3世に呪いをかけられた神殿。
そこから出てきたハトシェプストの像だ。
ハトシェプストは存在を否定されてしまったんですね。
だがハトシェプスト以降エジプトでは時折大きな政治力を持つ女性たちが登場するようになる。
彼女は後の女性たちに道をつくったんだ。
それを聞けば彼女も本望かもしれない。
エジプトの大河ナイル。
その西岸に古代エジプトの人々が大切にしてきた場所があります。
およそ3,500年前の新王国時代。
多くのファラオが葬られた王家の谷です。
岩山の裾にいくつもの墓の入り口が見えています。
鮮やかな色彩の壁画が残され当時の様子を生き生きと物語っています。
王家の谷で本格的な発掘が始まったのは1900年前後です。
当時の新聞が書くほど大きなブームでした。
欧米の調査隊は多くの出土品を本国へと持ち帰りました。
王家の谷で歴史的な大発見を成し遂げるイギリス人…4年間王家の谷の発掘を続けたカーターは砂の中から地下へ続く階段を発見しました。
数週間掘り進んだ先で見つけたのはエジプト発掘史上初めてとなる未盗掘の王の墓でした。
内部には王のミイラがおびただしい副葬品で囲まれていました。
眠っていた王は少年王ツタンカーメンです。
ツタンカーメンのミイラを覆っていたマスクは黄金で作られていました。
世界は古代エジプトの本物の輝きを目の当たりにしたのです。
この時カーターに資金を提供したイギリスの貴族カーナヴォン卿が急死。
その後も最初に棺おけを開けたエジプト人2人が亡くなります。
根拠はなかったものの「ファラオの呪い」として人々の記憶に残りました。
こうした騒ぎをよそに未盗掘だった王墓の発見はそれまで埋もれていたエジプト史の闇に光を当てるものとなりました。
エジプト中部にあるアビドスの神殿です。
ここには古代から新王国時代までの歴代ファラオの名前が記されています。
だ円状のカルトゥーシュ一つ一つが王の名前です。
ところがこの中にツタンカーメン王の名前はありません。
ツタンカーメンは歴史から消された王だったのです。
更にツタンカーメンを含めた記録にはない4人のファラオがいた事が分かりました。
4人のファラオが消された時代。
エジプトでは都がうつされ社会が大きく動いていました。
ツタンカーメン墓から出土した奇妙な副葬品からその時代を生きた一人の人物が浮かび上がりました。
80センチほどの小さな人型の棺です。
中を開けると順々に更に小さな棺が入っていました。
女性がかたどられています。
名前が残されていました。
「王妃ティイ」。
ティイとはツタンカーメンの祖母です。
中に入っていたのは髪の毛でした。
ティイの遺髪だと考えられています。
この王妃ティイこそが激動の時代に大きな役割を果たしたと考えられます。
エジプトから遠く離れたベルギーの博物館にティイの姿をありありと伝えるレリーフが収蔵されています。
王妃ティイ。
豊かな髪の毛を持っています。
およそ100年前このレリーフはエジプトから持ち出されました。
やがてパリでオークションにかけられベルギーに運ばれました。
そのためレリーフが出土した場所が分からず実像を知る手がかりが途切れていました。
それがこのレリーフというわけですね。
ティイの美しさゆえこうしてこうやってのこぎりで切り出されて…。
持っていっちゃった?そう。
海を越えてヨーロッパへ。
エジプトに残されたのは1枚の写真のみ。
それはひどい!当時は発掘品の持ち出しを規制する法律がなかったからね。
でもそのおかげで日本にいながらこの繊細な美しさを味わえるってわけだ。
そりゃあそうかもしれないけど。
もちろんレリーフが剥ぎ取られたおかげで研究は遅れた。
この周りにまだまだレリーフが続いてたのに全体像が把握できなくなってしまったからだ。
続きはどうなっていたんですか?それが分かったのはつい数年前の事。
およそ100年たってようやくティイの実像が見えつつある。
これがエジプトに残された唯一の写真です。
今までティイのレリーフの出土場所を知る手がかりはこの写真だけでした。
ところが4年前王家の谷に近いアル・コーカ地区でレリーフがあった場所が発見されたのです。
発見したのは考古学者近藤二郎さん率いる早稲田大学のチームです。
早稲田大学は40年以上前からエジプトでの発掘を続けてきました。
砂に埋もれていたのはティイに仕えた大臣の墓でした。
墓の入り口を入ったところにある前室の奥の壁面にティイのレリーフはあったのです。
今行われているのはその壁の再調査です。
レリーフが彫られていた壁です。
ここの2段にわたって頭に太陽日輪を描く聖蛇ですね。
蛇の列があるキオスクという建物がここにありまして…。
ここの白くなっている部分が王妃のティイの顔があった部分ですね。
それで2枚の羽飾りというのは王妃ティイの冠の特徴なんですがこの上の部分は残っています。
王妃ティイのレリーフがあったのはこの場所です。
ティイの左隣には別の人物が彫られていました。
顔は破損していますが冠をかぶっている事からティイの夫のファラオアメンヘテプ3世と考えられます。
ここにですねアメンヘテプ3世がおりましてブルークラウンというのをかぶってるんですが手が見えるように王は向かって左を向いております。
それでここに肩がこうありまして王妃の冠のこの辺りに顔がくるという事で。
王妃も向かって左を向いているという事でこの2人が建物の中に座っているという事になります。
蛇の装飾がある建物。
その中に王と王妃が一緒に描かれるのはほとんど例のない事だといいます。
王と王妃というものがこれだけ並んで出てくるというのは非常に重要な…。
それまでの王妃の存在とは少し別格な存在だったという事が言えると思いますけどね。
レリーフの構成からはティイの力の大きさがうかがえます。
どんな人物だったのでしょうか?これは…古代エジプトで神聖視された生き物フンコロガシをかたどっています。
当時起こった出来事がヒエログリフで刻まれています。
ティイが結婚した時の記録です。
ティイの名前のあとに刻まれた内容に近藤さんは注目しています。
(近藤)「レンエヌイトエス」という「彼女の父親の名前は」っていう。
ここから父親の名前が「イウヤ」って書いてある。
「彼女の母親の名前はチュウヤ」という。
ですから「イウヤ」と「チュウヤ」という非常に珍しい名前なんですけれども。
それが書いてあるという事です。
イウヤという名前はエジプト語で解釈ができない名前なのでそういう名前の多くは外国人をヒエログリフで音だけを書いてくるというそういう名前に近いんですね。
ですからどこの出身かは分かりませんけれども異国の血が入っている人物だと思います。
異国の人だったイウヤとチュウヤ。
その墓が発見されています。
中から出てきた豪華な黄金のマスク。
ティイの両親が絶大な財力を持っていた事がうかがえます。
財力を持ち異国の血が流れていたという王妃ティイの両親。
当時ファラオの正妻は王族から選ばれるのが通例でした。
やはり常識的に考えるとティイの両親の力というのが非常に強くてですね。
その両親の力をアメンヘテプ3世自体が頼ったりかなりそれを利用して自分の王権を強化するというところに使ったと思いますけど。
恐らく軍事的な力を持っていて実質的に後ろ盾として非常に強力な人物。
このころのエジプト王家は王族以外の有力者の力を取り込もうと動いていた形跡があります。
それはティイのレリーフからも見て取れます。
このレリーフ妙にリアルだと思わない?あ〜確かに。
唇やほほの辺りが…。
立体的でしょう?ここには特殊な技術が使われているんだ。
ティイのレリーフは浮き彫りという技法で彫られています。
厚みを出すために不要な部分を削り落とす高度な技術です。
当時の都テーベでよく作られていたのは表面から彫り下げてゆくレリーフです。
都からはるか北に600キロ。
サッカラです。
ここにティイのレリーフと同じように浮き彫りで彫られたレリーフがいくつも残されています。
浮き彫りの技術はエジプト北部一帯で発達したものでした。
このレリーフからエジプト王家と北部との深いつながりがうかがえます。
1枚のレリーフからそんな事まで分かるんだ。
はぁ〜。
どうしてわざわざ外部から有力者を集めたんでしょう?このころ王家は大きな改革を行おうとしていたんだ。
改革?変えようとしたんだ神々を。
ティイのレリーフの発掘現場です。
レリーフが彫られていた墓の向きが注目されています。
(近藤)ここはもう完全に東に面していて入り口が太陽が昇ってくる方向で恐らく冬の日の出に合わせていてわざと日の出の方向に墓の位置を設計してるんですね。
ティイの時代重要な建造物の入り口を太陽に向ける事には大きな意味があったといいます。
太陽信仰アテン神の太陽信仰というのがあってそういう象徴的な意味があるんですね。
太陽神アテンとはティイが生きた時代にエジプト王家がつくった新しい神。
その姿は太陽そのものです。
ではそれまで信仰されていた神とは?新王国時代ナイル川沿いに次々と造られた神殿。
壁には人間に近い姿をした神々がたくさん刻まれています。
王家はなぜこうした神々を否定したのでしょうか?その理由の一端をうかがわせる壁画が残されています。
これはオペトという古代エジプトの祭りの様子です。
ファラオから民衆までが神々に感謝する壮大な祭り。
このころ盛んに行われていました。
壁画には坊主頭の神官たちがたくさん描かれています。
神官たちは祭りを仕切るうちに次第に大きな力を持ち始めました。
神の前でファラオがひざまずいています。
神の前では王も小さな存在でした。
王は祭りを取りしきる神官たちを次第に統制できなくなっていったのです。
その一方新しい太陽神はファラオだけが通じて神官は介入できません。
王の力を復活させるための神だったのです。
王族の外から妃となったティイ。
ティイに期待されたのもこうした大きな変革の力になる事でした。
ティイの時代に始まった改革は息子アクエンアテンの時代に更に推し進められます。
神官の影響力を完全に排除するため遷都を決行したのです。
それまでの神々がいる神殿から大きく離れ王家はアマルナというへんぴな場所にうつりました。
アマルナの公式訪問というアマルナを初めてみんなで見に行く時もティイがついていくんですね。
ティイが息子の改革などにも非常に後ろ盾になって表に出てくるんですね。
新しく都となったアマルナの柱には古い神は全く刻まれていません。
ティイの時代に始まった改革が達成されたのです。
ティイの時代に人と神との関係は大きく変化しました。
その証しがティイの孫ツタンカーメンの墓から見つかっています。
ツタンカーメンの玉座です。
太陽神アテンのもと描かれているのはツタンカーメンとその妻アンケセナーメンです。
夫婦は目線の高さをピタリと合わせお互いしか見ていません。
新しい神太陽神アテンの前にひざまずく姿は描かれていません。
夫婦は1足のサンダルを分け合って履いています。
ティイの時代に実現した変革。
王の玉座には人間らしい感情が素直に表現できる世界が描かれています。
ティイに関わる新発見をお見せしよう。
(指を鳴らす音)何ですか?あれこれミイラ!?いやぁ私初めて見るかも。
このミイラは1898年に見つかったがずっと誰なのか分からなかった。
けどツタンカーメンと一緒にDNA鑑定にかけてティイだという事が判明した。
このミイラは140センチほどしかない。
当時の平均からしてもかなり小柄な女性だった。
王族でもないのにファラオと結婚。
それでも彼女はひるまず夫や息子と一緒に困難に立ち向かった。
小さな体に強い意志が籠もっていたんだ
3,000年にわたって続いたエジプト文明。
最初に輝きを見せたのは今から4,500年ほど前の古王国時代です。
ギザにピラミッドが築かれ都はメンフィスに置かれました。
古代エジプトの守護神スフィンクスが造られたのもこの時代です。
次に輝きを見せたのは3,500年前の新王国時代です。
神殿が次々に建設されたのがこの時代の特徴。
都は現在のルクソールテーベにうつっていました。
女王ハトシェプストや王妃ティイが大きな力を持ち女性が政治的に活躍した時代でもあります。
最後の輝きを見せたのはおよそ2,300年前。
地中海に面するアレクサンドリアが舞台でした。
ここが古代エジプト最後の都です。
ここに王朝をたてたのはギリシャ人アレクサンドロス大王の部下プトレマイオスでした。
以来ギリシャ系の王朝が300年にわたってエジプトを治めました。
プトレマイオス朝末期。
地中海世界は圧倒的な軍事力を持つローマによって統一されようとしていました。
エジプトとローマの軍事力の差は歴然としていました。
こうした時代に古代エジプト最後の女王が登場します。
その生涯はドラマチックで数々の伝説に彩られています。
ローマの英雄カエサルとの有名な出会いの場面。
じゅうたんの中から登場しカエサルを驚かせます。
クレオパトラはローマの最高権力者カエサルを虜にします。
しかし…。
「ブルータスお前もか」。
カエサルは暗殺されました。
クレオパトラが次に恋に落ちたのがアントニウス。
カエサルの後継をうかがうローマの実力者でした。
クレオパトラは豪華な船旅に誘いこれ以上はないもてなしを繰り広げます。
クレオパトラは多くの映画や演劇に描かれ華やかな恋愛遍歴を重ねた絶世の美女とされてきました。
まずこれは?口元にほほ笑み。
ほほがふっくらして少女のようなあどけなさがありますね。
こちらはどうかな?髪形も衣装も神秘的。
厳かな儀式を行っている雰囲気。
もう一つこちらは?これはりりしい。
気の強さを感じます。
う〜ん…それにしてもどれが本当のクレオパトラの姿なんですか?クレオパトラの素顔を追い求めると迷宮に入り込んでしまう。
それくらい多彩な描かれ方をしてきた。
最近の発見でようやく本当の姿が見えてきている。
クレオパトラが生きた都アレクサンドリア。
「地中海の真珠」と呼ばれる美しい街です。
ヨーロッパと北アフリカの人々が混在するアレクサンドリア。
古来地中海貿易の要衝として栄えさまざまな文化が行き交いました。
90年代半ばからこの街でクレオパトラの宮殿の発掘調査が行われています。
発掘現場は真っ青な海。
水深7メートル。
柱が残されています。
クレオパトラの宮殿は2世紀から3世紀ごろ地震で海に沈んだと推測されています。
遺跡からはクレオパトラの王朝が古代エジプトの伝統を受け継いでいた事が分かります。
象形文字ヒエログリフが刻まれた石碑。
古王国時代から国の守護神とされてきたスフィンクスです。
これはアンフォラと呼ばれるワインなどを運んだ素焼きのつぼです。
どこから運ばれてきたのでしょうか?取っ手に文字が刻まれていました。
粘土板を貼りつけ解読を試みます。
ミトラとニコラ。
ローマのワインの名産地が浮かび上がりました。
クレオパトラの王朝はローマと盛んに交易していたのです。
海底からはクレオパトラの素顔をうかがわせるものが見つかっています。
(エルマグラビー)クレオパトラのコインです。
コインの裏側にはギリシャ語でクレオパトラの名前が記されています。
クレオパトラはヘアバンドのように見える王冠をつけています。
当時のコインは王の顔を民衆に知らせる役割も果たしていました。
そのため素顔に近いと考えられているのです。
(エルマグラビー)一番の特徴は鼻です。
かなりとがっていてわし鼻ですね。
クレオパトラは絶世の美女というわけではなかったと思います。
ではローマの英雄を次々と虜にしたクレオパトラの魅力とは?アレクサンドリアの地下から大規模な古代の遺跡が見つかっています。
壁には整然と穴が開けられています。
ここはクレオパトラの時代王家が造った図書館と考えられています。
70万を超える書物が所蔵されていたとする記録があります。
ギリシャの数学者アルキメデスやエウクレイデスもここで学びました。
アレクサンドリアには世界中の知識が集まっていたのです。
歴史家プルタルコスの記した「英雄伝」。
この中でクレオパトラの魅力はこう記されています。
「クレオパトラはエチオピア人ヘブライ人アラビア人などと自由に話す事ができ7つ以上の言葉を操った」。
「誰とでもすぐに打ち解ける事ができその声は弦楽器のように魅惑的だった」。
クレオパトラはその高い知性とコミュニケーション能力で英雄たちを夢中にさせたのです。
新博物館でクレオパトラに関する発見がありました。
100年以上前にエジプトで発掘されドイツに運ばれたものです。
2000年に再調査された結果文末に記された文字はクレオパトラの直筆ではないかと注目を集めました。
そこには手書きで「承認」と書かれています。
当時行政文書の承認をするのは王の役割でした。
そしてこれが書かれたのは紀元前33年。
まさにクレオパトラが国を治めていた時代なのです。
行政文書に書かれていたのは税の取り扱いです。
クレオパトラは大国ローマの商人に特別な便宜を与える事を承認していたのです。
これがカエサルだ。
並み居る政敵を倒しローマ世界最大の実力者となった。
クレオパトラと出会った時は50歳過ぎ。
カエサルは老獪で隙のない感じ。
対してアントニウスはたくましい若者。
カエサルの後継者を争ったアントニウス。
軍事の才はあったが政治力に欠けていたと言われる。
クレオパトラと出会ったのは40代。
年もタイプも全く違う。
よく両方とつきあえたよね。
アハッ…。
時には悪女と罵られてもクレオパトラはひるまなかった。
守りたいものがあったんだろうね。
クレオパトラの心にあったものは何か?彼女に大きな影響を与えたとされる人物についての新しい発見がありました。
ここに近年水中から引きあげられた一体の石像が収蔵されています。
この石像は顔だちからクレオパトラの父プトレマイオス12世だと分かりました。
彼はローマに領土の島をとられても戦おうとせず宴会で自分の趣味の笛を吹き続けていたので「笛吹き王」と皮肉られた王でした。
彼は政治に興味がなく愛国心の薄い王だと国民からばかにされていたんです。
ところがクレオパトラの父はスフィンクスの姿をしていました。
スフィンクスはエジプトの守護神としてあがめられる存在です。
歴代プトレマイオス朝の王の中でも自らをスフィンクスの姿で表現させた王はほとんどいません。
クレオパトラの父は古代エジプトの伝統を愛し守ろうとする強い意志を持っていたのでしょうか。
エジプトと対峙するローマは強大な軍事力を持っていました。
クレオパトラの父が正面立ってローマと戦おうとせず笛吹き王と揶揄されるような姿勢を続けた背景にはエジプトを守ろうとする深謀遠慮が働いていたのかもしれません。
大国ローマと対峙しなければならなかったのはクレオパトラもまた同じでした。
クレオパトラも父と同じ思いを引き継いだと考えられます。
そのためにクレオパトラは女性である事を最大限に利用したんです。
クレオパトラはローマの最高権力者カエサルとの間にエジプト王朝の後継者となるであろう子を得ています。
カエサルが死んだあとアントニウスに接近。
地中海世界を2人で治めたいと考えます。
それはエジプトを存続させる事にもつながります。
しかしそれは果たせぬ望みでした。
アントニウス・クレオパトラの連合軍はローマ軍とギリシャ近海で戦いました。
これはほぼ同時代に彫られたレリーフです。
アントニウスとクレオパトラは数で勝っていたもののローマ軍に大敗します。
敗れたアントニウスはやがて自ら命を絶ちます。
クレオパトラは捕らわれの身となりました。
紀元前30年クレオパトラは毒蛇に腕をかませて命を絶ちその後息子カエサリオンも殺されました。
古代エジプト文明は滅びました。
ナイル川の中流に位置するデンデラ。
ここに古代エジプトの王が増築を重ねクレオパトラも修復した神殿があります。
神殿内部の壁画。
クレオパトラの時代より1,500年以上前から信仰され続けてきた神々の姿です。
クレオパトラは南側の壁に我が子カエサリオンと自らの姿を彫らせています。
削り取られる事がないよう深い彫りが施されています。
カエサリオンはエジプトの王となった姿でクレオパトラは古代エジプトの女神イシスの姿で彫られています。
いや〜私も古代エジプトの物語の一端がのみ込めました。
それはよかった。
彼女たちも日本に来たかいがあった。
あ〜私もやっぱりエジプト行きたいな!本物のピラミッドが見てみたい。
あっ!あの今度エジプトでも案内を是非…。
あれ?古代文明の中でも女性たちが大きな役割を果たした古代エジプト。
そこには権力を握った女性たちもいました。
大国ローマと対峙したクレオパトラ。
激しい社会変革の時代を生き抜いた王妃ティイ。
そして男装の女王として初めて実権を握ったハトシェプスト。
古代エジプトの王たちは自らの業績を記すために記念塔オベリスクを建てました。
これはハトシェプストが建てたオベリスクです。
ここにハトシェプストはこんな言葉を刻んでいます。
2015/12/12(土) 02:50〜04:03
NHK総合1・神戸
古代エジプト 愛と野望の女王たち[字][再]

エジプトでの発掘で、女王たちの知られざる素顔が明らかになりつつある。クレオパトラや男装の女王はどのようにして力を握ったのか?激しい政治闘争や愛憎のドラマをたどる

詳細情報
番組内容
ナイル川流域に栄えたエジプト文明。近年の遺跡の発掘で、権力を握った女性たちに新しい光があたろうとしている。クレオパトラ、王妃ティイ、男装の女王ハトシェプスト…彼女たちは、ある時は美を、ある時は権謀術数を駆使して権力への階段を駆け上った。そこにはしれつな政治闘争や、愛人や息子を巻き込んだ濃密な愛憎のドラマがある。女性たちは過酷な男性社会をどのように生き抜いたのか?知られざる生涯を田中麗奈さんとたどる
出演者
【リポーター】田中麗奈

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
ドキュメンタリー/教養 – 文学・文芸

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