昭和40年代漫画雑誌そしてテレビのブラウン管を通して日本中の子どもたちの心を引き付けた「ゲゲゲの鬼太郎」。
その作者は漫画家の水木しげるさんです。
水木さんは30年の間妖怪の世界を描き続けてきました。
生まれ育った山陰の人と風土は幼い水木さんの心の中に妖怪への強い関心を芽生えさせました。
その関心は66歳になる今でも力強く生き続けています。
水木さんの人生は世界中のさまざまな妖怪との心の会話を求め続けた人生です。
(聞き手)水木さん。
ここにあるのは妖怪ですか?
(水木)妖怪とか神とかねいわゆる精霊といわれるようなもんでしょうけどね。
(聞き手)妖怪もある。
ええ。
(聞き手)水木さんは今まで妖怪たくさん絵に描いてですね作ってきたんですがどのぐらいあるんですか?その種類っていうか。
絵のあれは日本のやつでは600〜700描いたですよ。
だから1,000はありますよ。
まあその場合でも例えばカッパに例とるとカッパっていってもね日本にはいろいろありますからね。
同じカッパでもこのスイコ…これはスイコですけどそれからシバテンとかねヒョウスベとかいろいろ名前変わってます。
それは感じとかね多少違うんです。
水の底に住んでいたりそうでなかったりとかねいろいろあるんです。
人をだますとかそれからいい事もするとかいろいろあるんですわ。
それぞれ違うんです。
カッパだけでも厳密に分けると20〜30種類は楽にいるんじゃないですか?そして我々はここにこう存在している訳ですけども存在したくてもできないものがいると思うんですよね。
存在したくてもできない。
けども意思だけは持ってるっていうようなものが浮遊してそれが何かの機会で物質に触ったりなんかすると何かそういうものを感じたり何かするんじゃないかとかねいろいろ考えとるんですわ。
何かこの…向こうの方でそういう存在を知ってもらいたいんじゃないかと思って。
ある人がそういう事を感ずるとそれに目に見えんようないろいろな運命っていいますかねそういう幸運をもたらすとかねそういうような報いを与えて研究維持さして存在を知ってもらおうっていう気配があるんじゃないかってな事を私は思ってますけどね。
これはねやっぱり20年30年とこうして観察しないと分からん事ですけどね。
死んだ者の霊が寝ている人に取りついて災いをもたらすというまくらがえし。
日本の妖怪の中では最もよく知られているものの一つろくろ首。
水木さんが描く妖怪は昔から庶民の間で語り継がれたものばかりです。
各地に伝わる民間伝承を水木さんは克明に調べます。
大自然の偉大な力。
人間の理解を超えた怪しい存在。
水木さんはそのような人の目には映らない不思議なものに姿かたちを与えてきたのです。
水木さんは長い間妖怪の世界を描き続けてきましたが今新たに「昭和史」という作品に取り組んでいます。
完結すると全部で8巻2,000ページに及ぶ大作です。
昭和の歴史を刻むさまざまな出来事と一人の庶民としての水木さんの人生が同時進行の形で描かれています。
昭和の初め貧しい農村に育った少年時代。
召集を受け南の島へ渡った戦争の時代。
そして漫画家としてがむしゃらに働いた高度成長の時代。
大正の終わりに生まれた水木さんの人生はそのまま昭和の歴史と重なります。
「自分がたどってきた人生は昭和という時代の流れとどのように関わっているのか」。
水木さんはこの機会に自らの足取りを確かめたいと考えているのです。
水木しげるさん本名武良茂さんは大正11年鳥取県の境港で生まれました。
境港は今は日本海沿岸で一番大きな漁業基地ですが水木さんが生まれた頃は小さな港が点在する山陰の静かな漁村でした。
水木さんの家は浜辺から目と鼻の先の所にありました。
当時はどこの土地にもさまざまな風習や言い伝えが息づいていました。
水木さんは小さな頃から不思議な話や珍しいものに人一倍強い関心を持ち大人たちの話にじっと耳を傾けていました。
そして近所に住んでいたあるおばあさんとの出会いが妖怪への興味を決定的にしました。
「生まれつき胃が丈夫だったせいか全てのものは食べられると思っていた。
そのころ祝日には国旗が立てられた。
旗の先に付いている金の玉が食べたいといつも思っていた。
ある日庭で遊んでいると金の玉が落ちているではないか。
金の玉は木で出来ていた。
しかし前からの念願だったので周りに塗ってある金を全部食べた。
食べ終わった途端気持ちが悪くなって倒れた。
倒れたところを手伝いに来ていた『のんのんばあ』と呼ぶまじない師のようなおばあさんに助けられた。
それからという訳でもないがのんのんばあとばかに親しくなった。
夜のんのんばあと一緒に寝ていると必ずお化けの話や昔からの言い伝えを聞かせてくれた。
『晴れた日に雨が降るとキツネの嫁入りがある』という。
キツネなど一度も見た事がないのでとても信じられなかった。
ある日の夜中のんのんばあに起こされた。
耳を澄ますと遠くの山でキツネの鳴き声がした。
それ以来のんのんばあの言う事を信用するようになった。
ほかのお化けもいるに違いないのだ」。
「そのころ僕は虫が好きでいつも昆虫採集をしていた。
途中に墓場があるといろいろなお墓を見て回った。
『何か隠された別の世界が墓の下辺りにあるのではないか』という謎めいた気持ちもあった。
勉強よりも虫やお化けに夢中だったから学校の成績はよくなかった。
中学校は『どうせ試験を受けても駄目だろう』という事で大阪の印刷会社に就職した。
ところが寝ぼけて社長の頭を踏みつけるという大失敗をやらかして一日でクビ。
次に勤めた会社も3日でクビ。
しかたなく境港に帰った」。
「境港では子どもの頃から好きだった絵を描いてブラブラしていた。
しかしそうした平和な暮らしも昭和18年突然に終わった。
召集令状が届いたのだ。
間もなく私はラバウルへ出征。
この戦争で左腕を失うという運命が待っていた」。
(聞き手)自分は普通の人とはちょっと変わってるなとかそういうふうには思ってました?普通の人と変わってるって事は思わなかったですね。
軍隊に行ってだいぶたってから…終戦後ぐらいになって「お前は変わっとるなあ」って言われてね。
初めて「そうかなあ」と思ったのが始まりですね。
「人と違うんだな」と思ったのはそれが最初でしたね。
それまではね言われても「何言ってんだ」っていう感じで全然平気でしたね。
(聞き手)周りの事とかはあまり気にならない?あまり気にならないですよね。
軍隊で人よりも余計殴られたのはね気にしないから同じ過ちを再び繰り返す訳ですよ平気で。
だからですよ。
銃を掃除してね後でカチッとバネをねあれしとかんとバネが傷むって言われるんです鉄砲の。
それをね自分は30回殴られたけど一向に直そうとしないんですよね。
忘れてしまう訳さ慌てて。
何番って番号が呼ばれると大抵自分なんです。
最後は自分一人になりましたね。
初めは5〜6人いましたけどね。
というふうに気にしないっていうのかなあ周りの事を。
私は観察してたんですこうしてジャングルなんかをね。
鳥だとかをこうやって。
だからやられた時なんかもオウムを見てたんですから。
オウムをね「すごいなぁ」と思ってね5分間。
敵が来てるのにオウムを見てたんですこうやって。
よく覚えているんですオウムの様をね。
きれいなんですよ。
いっぱいいるんですよ。
海軍の望遠鏡だからよく見えるんですよね。
軍艦なんか見るやつだから。
「敵が来るから見とれ」って言われて海をこうして…。
来やしないですよ敵なんか。
私はもう最後のあれでしたから起こさなきゃなんないんですよみんなを。
その時間を5分超過してしまったんです。
オウム見てて。
敵が陸の方からやって来ましてね撃ってきた訳ですものすごく。
その時も気付かないんですよ。
「おかしいなあ。
豆まきでもあるのかな?」と思った訳ですよ。
パッて見たらパンパン来るしパッと後ろの海見ると上がるじゃないですかこれがポンポンこう…。
「あっ敵だ!」って思って伏せた訳ですけどその時は手遅れですよね。
バンバンと大騒ぎでしたけども。
その僅か1分前まで平静でしたからね。
若さというのか情報がないというのかやっぱりのんきというのか今から考えるとハッとしなきゃならん訳ですけど割と平気だったですね。
神戸市の大学で衛生学を教えている砂原勝己さん。
砂原さんは戦争中軍医をしていました。
戦地ラバウルの病院で砂原さんはマラリアに侵された水木さんの治療に当たりました。
ふっくらした丸顔のね坊やのような兵隊さんでしたけども。
左腕がまあなくて…いわゆる半袖の当時の白衣のこれが垂れたままになってねブラブラしてましたけども。
片方の手でスケッチブックを持ってねそして非常にまあ何て言いますかのんびりした顔つきでね病院の中をブラブラ歩いていると。
「変わった兵隊さん」という印象をまずポンと受けましたね。
軍隊ではその〜何て言いますかあまり兵隊らしくないとかねその〜…いうような受け取られ方をする訳ですけども。
う〜ん…まあう〜ん…純真というか…そういうところがありましたな。
天真爛漫というか。
水木さんはこれまでに7回もパプアニューギニアを訪れています。
戦争中に親しくなった現地の人たちに会うためです。
戦争中兵隊が現地の村に出入りする事は軍の規則で禁止されていました。
しかし水木さんは上官の目を盗んでは村の人たちと交流を続けました。
戦争が終わった時水木さんはただ一人日本へは帰らず「現地に残りたい」と申し出ました。
それほどに水木さんは南の島の暮らしに引き付けられたのです。
初対面でも気が合っちゃう訳ですね。
言葉も通じなくても。
という事はねいろいろ今頃になって考えてみると彼らは森の人ですよいわば。
人間よりも森が多いですから木が。
だからそういう中で育つと人間の心も何%か植物化するんでしょうかね。
いわゆる植物と同じような感じが入ってくるんでしょうね。
だから何となく温かいし平気なんですよね。
彼らもそういう…何て言うのかないわゆる社会生活って…いわゆる都会の生活ってものはない訳ですから素直に育っちゃう訳ですよ子どもの時から。
だから素直な人ですよ。
巨大なベビーですよねある意味ね。
私もまた考えてみると巨大なベビーだった訳ですよ。
今頃になって分かったんですけどね。
というのは一部の頭は大人になっとるけど一部子どものままの部分がかなりある訳ですよ。
最近になって分かったんですけど。
だから子どもの部分が一致するんでしょうね。
半ば彼らと同じような生活しとったんですわ。
彼らも面白がってね「お前脱走してこい。
俺らと一緒に生活しろ」って訳ですよ。
「畑も作ってやるし家も建ててやるしね嫁さんもあれするし万事やってやるから来い」って訳ですよ。
それ一番推進してたのはそこのねイカリアンっていうばあさんがいましたからそれがかなり…自分をかわいそうに思ったのかあるいは気に入ったのかよく分からんですけども大体イカリアンが主として指示してないかなとも思うんですけどね。
私は腹があんまり減るもんだから芋畑でも作ろうと思ってね。
暇はないですよ軍隊生活ってやつは。
しょっちゅう働かされますから。
手がなくても。
昼飯の時間1時間あったから彼らのいる所行ってね穴掘ったんです。
空いてる土地があったからもったいないと思って。
そこはなんと「ペケペケ」っていってクソの地帯なんです。
彼らは猫みたいにパパッと穴掘ってクソして埋める訳です。
そこを掘るとアメみたいなものが出てくるんですよ。
そのころは鈍感だからね臭いなんかでも。
そしたらイカリアンが出てきて「ペケペケペケペケ」って「クソだクソだ」って言う訳です。
「お前畑作りたかったら作ってやる」って訳です。
でイカリアンは作ってくれたんですよ。
トペトル使ってね。
トペトル…少年でイカリアンのとこにいましたから。
(聞き手)トペトルっていうのは少年?そう。
トペトル少年だったんです。
頭のいい少年でしたよ。
そこにエプペっていう美人がいたんですよ。
これがまた自分に親切なんですエプペが。
悪い事にエプペは17ぐらいだったけどもう結婚してましたけどね。
美人で親切だったからつい自分も行ってみたくなる訳ですよね。
そこでいろいろこう…みるみる健康を回復した訳です。
(聞き手)「向こうに住んだ方がひょっとしたら幸せだったかもしれない」って事ちょっとおっしゃったでしょ?それはありえますね。
日本で漫画を描いて有名になって生活するって事は大変な事なんです。
誰も漫画描きは「自分が苦しい」とかって事誰もひと言も言わないし家族だって分からないですよ。
種が出ないのに出さなくちゃならん苦しみとかそういうのは分からんです。
外から見たって。
だけどやる方は大変ですよ。
大変な事です。
決して楽な事ではないですよ。
好きだったし貧乏は嫌だったからやったもののねそんなに楽しいもんじゃなかったですよ。
そりゃもう大変な苦しみですよ。
だからそういう事考えれば向こうでですねいろいろなそういうジャングルの神秘とかいろいろな踊りとか見て暮らす方がねよかったかも分からんです。
昭和22年水木さんは軍医砂原さんの説得もあって日本に帰りました。
今水木さんは東京の調布市のマンションに自宅とは別に仕事場を構えています。
ここでは4人のアシスタントがそれぞれ別の作品を同時に制作しています。
4つの作品全てのストーリーを考える水木さんは日曜日も休む事ができません。
それで…どうなった?
(アシスタント)ええなんとか4時か5時ぐらいには。
4時か5時?
(アシスタント)までには終わると…。
夕方って言ってたけどね。
(アシスタント)それぐらいじゃないかと。
夕方だと待たせてもいい訳だ。
自分が読む間はね。
それ…。
(アシスタント)ここ多くなったんですけどいらないですよね?ああいらない。
これいらない。
水木さんはこれまでに300冊以上の本を描いています。
現在活躍中の漫画家の中でも最も忙しい作家の一人です。
しかし絵を描き始めた水木さんが漫画家としての成功を収めるまでには20年の厳しい歳月がありました。
「復員してから武蔵野美術学校へ通った。
好きな絵を描いて暮らせないかと考えたからだ。
しかし美術学校の先生は『金がないと絵描きになれない』と言う。
しかたなく絵でお金を稼ごうと神戸で紙芝居を描き始めた。
当時住んでいたアパートは水木通りにあった。
そんな名前を取って水木しげるというペンネームができた。
子どもの頃から絵は好きで絵本を描いて楽しんだりしていた。
しかし好きな絵も仕事で描くとなると毎日が苦しみの連続だった」。
(加太)「連続冒険空想科学大活劇『黄金バット』ナゾー編であります。
アルプスの山中のナゾーの基地に連れてこられたマサエにナゾーは…」。
昭和20年代の後半関東におよそ100人関西にはおよそ20人の紙芝居画家がいました。
加太こうじさんもその一人です。
加太さんは「黄金バット」で人気を集め東京で活躍していましたが神戸にいる水木さんとも親しい間柄でした。
(加太)「黄金バットは黄金丸をかざしナゾーの前に立つ。
ナゾー勝つか黄金バット勝つか。
『黄金バット』ナゾー編本日はこれをもって終わりでございます」。
あれはね非常にね物事に凝り性でね昼間「こんな話どうだろう?」なんて私に言うんですよ。
「それはいいだろう」なんつって水木さんのうち私泊まってますからね。
夜中の2時ごろトントンってドアたたいて「何ですか水木さん」なんて言うと「あの話ですねこれからこうなったら面白いんじゃないかと思うんですがどうでしょう」って言うから「うるせえよ夜中に」なんて言ってね。
それほど熱心なんです。
いろいろ相談してくれましたからこっちも相談乗りましたからね。
例えば目の玉の中に人間が入っていてそれが鬼太郎のお父さんだって事を考えつくんですがね彼が私が来るのを神戸の駅で待ってて神戸の駅へ私が着くと駅の上から神戸の市街見下ろすんですが「あの町を目玉が歩いていたらどうなるでしょう」って言うから「何それ?」って言ったら「これこれこういうアイデアだ」って言うんですよ。
…で「作ってみたいんだ」って言うんです。
そんな事やってました。
(聞き手)仕事以外では水木さんの妖怪好きとか変わったとことか…。
変わったってはあれはねテレるんですね。
テレますからね水木さんは。
誰か人が死ぬとねまともに挨拶するのがテレくさいんです。
それでね笑うですな。
(聞き手)人が死ぬと?ええ。
だから葬式なんか行くでしょ?「アハハハハ…それはですなご愁傷さま」なんて言うから相手はね笑われるからびっくりしちゃうんですよ。
中には怒っちゃう人いますよね。
「紙芝居は1回分10枚描いて200円という生活。
決して楽ではなかったがその紙芝居も昭和30年代に入ると仕事がめっきり減った。
テレビが普及し始めたからだ。
いよいよ生活できなくなり決死の思いで東京へ出た。
亀戸の下宿で貸本漫画を描くようになった。
紙芝居に見切りをつけたのはよいが漫画を描くのは初めてでなかなかうまくいかない。
おまけに仕事も2か月に1冊という程度だ。
金はどんどんなくなっていく。
質屋通いが始まる。
1着しかない背広や靴などが次々と質屋に入った」。
(聞き手)水木さんは紙芝居それから貸本時代というのはなかなか売れなかったんですね。
紙芝居はかなり迫力ある生活でしたけども貸本時代もかなり大変だったんですよね。
1冊3万円ですけど税金引かれて2万7,000円。
当時は2万7,000円で食えたんですけども必ずしも1か月1冊あがらんのですわ。
そのために1か月2万7,000円では食べられるけど40日になるとあとの10日が飯がないんですよね。
そういう生活だったからもう大変ですよね。
私はそのころの事をモグラだと思うんです。
モグラってのはねものすごくミミズ食うんです。
そのために遊んでなんかできないんです。
毎日こうして穴掘ってねミミズを食わんといかんのです。
自分の体重と同じぐらい食わにゃいかんというからそれと同じようにモグラみたいでしたね。
だから毎日朝起きると描くんです。
目が覚めてると描くんです。
飯食ってとにかく夜中だろうと何だろうと描くんです。
眠くなれば寝るんです。
またガバッと起きて描くでしょ。
そういう生活だからねたまに…。
新宿にいましたからね。
駅から2分ぐらいのとこ便利がいいとこにいたんです。
何でそんなとこいたかと言いますとね金もうけてそこらで遊べば便利がいいだろうと思ってたんです。
ところが遊ぶどころの話じゃないですよ。
そういうふうにモグラ生活ですよ。
朝から晩まで描くからねしまいには街歩いても全てが漫画に見えちゃってね。
あっと思った事あったですよ。
そういう生活でやっと飯が食えるってそんなバカな話ないですよ!だからそこのアパートの管理人言っとるんですよ。
「あんたほど働いて飯が食えないなんて国家が悪いんだ」って…言ってましたから。
多分夜中だろうと何だろうと描き続けてたですよ。
それでやっと食べられるんです。
そんな生活を6〜7年やってましたからね。
結婚したって腐ったバナナしか食えないんですよ。
腐ったバナナ食ってたんです私。
というのはバナナでもねひと山100円っていうのがあるんです。
腐ったバナナが100円です。
大体南方でバナナについてはうんちくが深いですからね。
腐りかけた方がうまいんです。
更に安いのはね本当の腐ったやつは50円で路上に置いてあるんです。
箱の上じゃなくて八百屋の。
それ買って食ってましたけどね。
うまい事はうまかったけど家内がよく食うんですよね。
バカみたいにね。
(聞き手)その50円のバナナってのはぜいたくだったんでしょ?そうですね。
主食以外のものが食えるなんてぜいたくの限りですよ。
だから自分が講談社で漫画賞もらった時に「普通のバナナを買って食いなさい」って電報が届きましたけどね。
誰からか知らんけど。
「腐らないバナナを食べて下さい」って電報が届きましたけど。
だからね子どもなんか生まれるとねミルクなんか飲まさないって訳にいかないですからね。
だから漫画を描いてウケない訳にいかない。
ウケささないかんのですどうしても。
(聞き手)それが「ゲゲゲの鬼太郎」のヒットになった…。
若乃花じゃないけど勝たないといけなかったそうですね。
11人も家族おって。
(聞き手)相撲の?勝たなきゃ食えないんだから。
勝たなきゃならなかった。
あの話聞いて「なるほどな」と思った。
ウケさせなきゃいけなかったんですよね。
東京下町の古本屋。
講談師の田辺一鶴さんが本業のかたわら経営している店です。
水木しげるさんが駆け出しの漫画家として貸本漫画を描いていた頃田辺さんは同じ下宿に住んでいました。
田辺さんは今では講談師協会の会長を務めていますが当時は講談師になったばかりで仕事も少なく水木さんの漫画を手伝った事もありました。
もうほかの漫画家とは違うものを持っていたんですよ。
だからこそあの人だけは絶対出なきゃおかしい人だなと。
「世の中間違ってるな出ないとすれば」って言った。
後に出てきてよかったなと思った。
(聞き手)売れないとすれば世の中…。
絶対おかしいと思った世の中。
(聞き手)どうしてですか?だってほかの人とレベルが違うんだもん。
レベルが違う芸術をやっている者が認められないでこの世でおしまいになっちゃうっていうのはそれはもう絶対世の中見る目がないというかそれと同時に人の目にさらす所へ作品を出さなきゃならないって事もあるんですよ。
考えてみると当時水木さんの本ってのは兎月書房ですか?貸本屋の漫画だけだったから目のある人の所まで行ってなかった。
そういう事があるんじゃないかと思うんですね。
それからあちこちの少年雑誌とかだんだん人の目の触れる所へ連載をお描きになるようになって一発で分かったんじゃないですか。
昭和40年漫画週刊誌に連載した「ゲゲゲの鬼太郎」が爆発的な人気を集めます。
鬼太郎はアニメーションになってテレビにも登場し漫画家水木しげるの名を一躍有名にしました。
鬼太郎は水木さんの紙芝居や貸本漫画にはずっと以前から登場していました。
しかし15年の間ほとんど注目されなかったのです。
貸本の場合は1冊の責任ですから1冊描いてとにかく売れなければいけないと。
「売れなきゃお前の責任だ」って訳ですよ。
ところが雑誌の場合はそのつど編集者が見てどうこう言う訳ですけども結局格闘させろっていう事ですね格闘。
これが入ってきたんですよ。
これは重大な問題だったんです。
貸本時代は格闘がなかったんです。
鬼太郎はお化けをやっつけなかったんです。
全国をブラブラ放浪しとったような感じなんですよ。
必ずしも格闘はなかったんです。
ところが雑誌になったら一話一話格闘して妖怪をやっつける事に変わった訳です。
これが大変なんです。
私は正義のヒーローが出てきてやっつけるって事はねあまり好ましい事じゃないですよ。
だからそれをあざ笑う意味でねねずみ男が登場する訳ですよね。
正義のあれが出てきてやっつけるというのはある意味から見ると滑稽でしょ?「バカじゃないかな?」ってな考え方もできますからね。
あまり単純すぎてね。
それで鬼太郎が子どもだから単純でもいいですよ。
ただやっつけるだけ。
一体何のためとか…ただ正義のためですよ。
それをあざ笑う意味でねずみ男を登場させる訳ですね。
そうするとリアル感が出てくる訳ですよね。
ねずみ男の口先でどうにでも話の筋がうまく展開できるんですよね。
鬼太郎だけだと硬直するんです話が。
恐らく鬼太郎はリクルートがやって来てもリベートは受け取らないだろうしね。
ねずみ男は受け取りますから。
…というふうにねずみ男だと現実の人間らしいから話が分かりやすくうまく運ぶんです。
鬼太郎ってのはよく考えてみると変わり者ですからね。
お化けをやっつけるけど何ももらわないから。
「バカじゃないか?」って。
しかも何回となく繰り返すでしょ?バカバカしいほど。
それがまた滑稽なんですよね。
大真面目でやるところが。
それを笑うねずみ男がいないとやっぱりうまくいかない訳です。
(聞き手)当てるためにはしょうがないっていう感じでやったんですか?それは。
そうじゃなくてねそういう愛きょうのある滑稽なやつをね滑稽な方法でやっつけるのが面白かったんです。
だからいわゆる拳銃をぶっ放したりとか体でやっつけるとかってのはないですから。
奇妙なやつが出てきて奇妙な戦いをする訳ですから。
それが逆に面白かった訳ですよ。
それをヒーローとか何とかっていう意識はあまりなかったですね。
いかにしてそういう奇妙な連中をやっつけるかと奇妙な術を持ったやつを。
それが最大のあれでしたからね毎回関心事でしたから。
だから強いっていうよりもヘンテコなものをヘンテコにやっつけるのはどうしたらいいかって事が毎週のあれでしたよ。
貸本漫画の鬼太郎はお墓の中から生まれてきます。
性格も後に人気を集める正義のヒーローではありませんでした。
生活するお金に困ったり大金が手に入ると得意になってスポーツカーを乗り回したりするなど人間くさい味付けでした。
一方漫画雑誌でヒットした鬼太郎は顔がかわいらしくなりおなかをすかせる事もなくなりました。
いくつもの新しい武器を身につけていつも正義の味方として大活躍を続けます。
誕生して15年目に突然脚光を浴びた秘密は主人公鬼太郎の性格を変えた事にあったのかもしれません。
鬼太郎が妖怪退治に走り回るようになってから水木さんも以前よりははるかに忙しい毎日を過ごすようになりました。
それから20年アシスタントを増やしできるだけ仕事を整理しても水木さんの慌ただしい生活は変わりません。
忙しさの合間を縫って水木さんは度々自宅の近くにある墓地に出かけます。
去年水木さんはこの墓地に自分のお墓を作りました。
墓には鬼太郎やねずみ男など水木さんが描き続けたたくさんの妖怪たちが彫ってあります。
ここに穴が開いてますので下に入る。
私は「ここ入ってみたい」って言ったんですけど坊さんたちがみんな止めたんですよ。
「いや出れなくなるかもしれませんよ」って。
「じゃあやめときましょう」ってやめましたけど。
割と広いんです。
だから20人くらい入るんじゃないですか?骨が。
(聞き手)何でそんなまた中に入りたかったんですか?入ってみようと思ったんですよ。
死者の感じを味わってみようと思って。
(聞き手)水木さんにとって死んだあとっていうのはどういう世界だと?死んだあとっていうのはですね転生を信じたい訳ですよね。
生まれ変わるって事を。
これは世界至るとこありますから。
ただ確証もないから転生すればいいとは思ってますけどもひょっとしたら何もないかも分からんです。
何もないと思うと寂しいですよね。
やっぱり生まれ変わるっていう考え方をいろいろ研究して頭の中に植え付けなきゃいかんじゃないかと思ってますけどね。
(聞き手)また人間に生まれ変わるって事ですか?人間に生まれ変わるよりはもうちょっと楽なもんに生まれ変わった方がいいんじゃないかと思いますけども虫なんかに生まれ変わるといきなり殺されますからね。
あれはちょっとかなわんですけどもうちょっと楽な何かがあんじゃないかと思いますけどね。
人間はあれですよ漫画描きなんかに生まれたら忙しいばかりで何もないですよ。
ハッと気付いた時は60歳でしたからね。
「これから楽しまなきゃならないのに時間がなくなってしまったな」っていう感じなんです。
無我夢中で働かされるんです。
結局ねちょっと慌ただしすぎるんですよね日本のこの毎日の生活っていうのは。
もうちょっとゆったりした自分の時間ってなものが欲しい訳ですよ。
例えば仮に8時間労働でもね私なんかでもそうですけど話の筋なんか考えると「一体これは面白いのかな面白くないのかな」なんて考えちゃうと8時間労働では終わらない。
家に帰ってからまで考えますからね。
風呂入って寝てからまで考えますから。
そういうのは心配をしょっちゅう持ってる感じなんですよね。
だからまあ胃がんは関係ないかもしれないけど胃がんになったりする人が多いっていうのは仕事からくる心配みたいな事が多いからだと思うんですよ。
だからこういう何て言いますか猛烈に働いて心配社会みたいな感じになっとるんでそれが今嫌なんですよね。
物が豊富になった事は結構な事ですけどね。
だけど自分の地位なり何なりを獲得するためにかなり心配しなくちゃならんって事。
これは嫌ですよね。
だから幸せを感じる余裕がないんじゃないでしょうかね。
妖怪もまた現実にはないけどもいるかもしれないとそういう世界があるって事を考えるだけでも面白いし事実おぼろげながら何かいるんじゃないかと。
これが妖怪をいじくる原動力なんでしょうね。
すなわち快感があるっていう事。
すなわち現実は嫌いだという事ですよ。
あまり好きじゃないって事です。
夢想の世界の方がファンタジーの方が子どもの時から好きだったから。
水木しげるさんは今66歳です。
子どもの頃のんのんばあから聞かされた妖怪の世界が持つ魅力。
その魅力は今も水木さんを強く引き付けています。
純粋にお化けの存在を信じた少年時代。
自然の中で自由に暮らす南の島の人々との出会い。
そして生活のために闘った戦後の日々。
今水木さんは煩わしい仕事を逃れて妖怪たちとゆっくりと語り合う時間が欲しいと考えています。
(聞き手)本当は仕事はあんまり引き受けたくないんですか?そうですよ。
そうですよ!
(聞き手)漫画描く事もやめたい?そうですよ!5年ほど前からそれを考えているんですよ。
いかにして仕事を減らすかって事ですよ。
(聞き手)全くやめてしまうって事も考えてる?最高ですよ。
解放される訳ですよ。
あらゆるものから解放される訳ですから。
大体人間は生きながらあらゆるものから解放される事こそ最高じゃないですか。
大体死ねば解放されるでしょ?人間は。
これいかんのですよ。
生きながらにして全てから解放される事こそ最高じゃないですか。
ボヤッとした状態で生きられたら最高ですよ。
その時こそいろいろなお化けが分かるんじゃないですか?謎が解明されると思いますよ。
そういう状態にしなきゃいかん。
そういう事はお化けの方からもアタックがある訳ですよ。
「お前いつまで仕事をするんだ」って。
水木さんの代表作「ゲゲゲの鬼太郎」の中には鬼太郎が妖怪との戦いに疲れて仲間と一緒に南の楽園に旅立つという話があります。
水木さんもいつの日かあの南の島の友達と一緒に暮らしたいと願っています。
今年の春パプアニューギニアを訪ねた時に水木さんは親しい人々の村に自分のための小さな小屋を建てました。
2015/12/12(土) 01:00〜01:45
NHKEテレ1大阪
ETV8「妖怪たちはどこへ行った〜水木しげるのねぼけ人生〜」[字][再]
(1989年制作)漫画家・水木しげるさんは「ゲゲゲの鬼太郎」など、たくさんの妖怪を描いてきた。活動する中で気がついた、現代の日本のせわしなさ、人生の幸せを語る。
詳細情報
番組内容
(1989年制作)独自の妖怪の世界を描きつづける漫画家・水木しげるの世界を探る。「目に見えないものの存在」にこだわり、高度成長以降の日本の住みにくさから、戦争中訪れたニューギニアに妖怪の住めるユートピアを求めて、永住のための第一歩として別荘を建てた。水木さんの日本論と、自ら「ねぼけ人生」と語る半生を描く。
出演者
【出演】漫画家…水木しげる,【語り】尾崎正治
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
趣味/教育 – その他
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