あなたは日常生活の中でこんな悩みを持った事はありませんか?バーゲンに行くと…そんな私たちの不思議な心理や行動をつぶさに観察しよりよい社会をつくるために何が必要かを探究していく学問が…この分野で全米から最も熱い注目を浴びているのがデューク大学の…アリエリー教授は数々のユニークな実験を通して一筋縄ではいかない人間の感情やちょっと愚かでいとおしい行動の数々を研究してきました。
今回アリエリー教授は多くのベンチャー企業が集まるサンフランシスコで起業家たちに向けた6回にわたる集中講義を行いました。
教授が語る行動経済学のノウハウ。
聞き入ったのは社会をより便利で楽しくしたいと日々考え続けているシリコンバレーなどの若き野心家たちです。
アリエリー教授は最新の行動経済学を駆使して人間のまか不思議な行動や意思決定のメカニズムを解き明かしていきます。
第1回目の今日は行動経済学の入門編。
人はなぜ過ちを犯すのか。
どうすれば良い意思決定ができるのか。
このレクチャーはあなたがこれまでに見た中で最高のものになるだろう。
冗談だろうって?いや私は本気だ。
(拍手と歓声)みんなどうもありがとう。
実に気持ちがいい。
毎回こんな拍手で始めたいね。
この姿を私の子供たちに見せたら朝同じように拍手してくれるだろうか?さてこの講義では行動経済学と人間が持つ不合理性について話をする。
このテーマについて考えてゆくためにまずは行動経済学がとても重要で日常生活だけでなく仕事にも役立てられる事から見ていこう。
私が初めて行動経済学に興味を抱いたのは病院にいた時だ。
お気付きかもしれないが私は昔ひどいやけどを負って3年ほど入院していた。
病院というのはありとあらゆる不合理な行動が観察できる場所で私は多くの事を学んだ。
しかし何と言っても毎日つらかったのはどのように包帯をはがされるかという事だ。
体の70%にやけどを負ったので毎日包帯を取り替えてもらう必要があったのだがはがし方には2通りあった。
一つはなるべく短い時間でバッとはがしてもらって激しい痛みに耐える方法。
もう一つは長い時間かけてゆっくりはがしてもらってその分痛みを減らす方法。
君たちならどっちがいい?はがす側かはがされる側になったつもりで選んでみてほしい。
では一気にバッとはがした方がいいと思う人は手を挙げて。
ではゆっくりはがすのがいい人は?一気にはがす方が多いね。
私の看護師たちと同じだ。
つまりそう考えるのは君たちだけではないという事だ。
ところで答えに男女差があったようだ。
足の脱毛処理をしている女性たちはこの件に詳しいからね。
さて看護師たちも一気にバッとはがす方がいいと信じ込んでいていつもそうしていた。
私は違うやり方も試してほしかったから「ゆっくりやって。
息ができない。
自分でやらせて」と頼んでいた。
でも答えはいつも同じだった。
「私たちは何をやるべきか分かっています。
看護師としての責任もあるしこの道のプロです。
他の患者にもみんなそうしています」。
こうも言われた。
「患者つまり『Patient』であるあなたの役割は『Patient』。
『我慢する事』ですから口を挟まないで下さい」と。
自分たちが決めたやり方を受け入れろという事だ。
私が入院中ずっと文句を言い続けたにもかかわらず看護師たちは自分が正しいと思っていたやり方を決して変えてくれなかったというわけだ。
さて3年間の入院生活を終えた私は大学に入った。
そして「実験的手法」というものを学んだ。
実験的手法というのは日常生活でもし何か疑問が湧いたら研究室でその状況を再現してみたり別の状況も試す事で答えを探す方法だ。
私には疑問があった。
映画作りに例えるとこういう事だ。
観客に最も楽しんでもらうためにはインパクトのあるシーンとそうでもないシーンをどのように並べていくのが重要か。
食事にしたってお客さんに「あぁおいしかった」と帰ってもらうためにはデザートは最後に出した方がいいのかそれとも最初か。
どっちがより「おいしかった」と言ってもらえるか。
こうした事に興味があったが特に「痛み」について知りたかった。
そこで実験的手法で調べようとしたがお金があまりなかったからホームセンターで工具を買ってきた。
そして実験台になってくれる人たちを集めて指を工具の上に置いてもらって少しずつ挟んでいった。
挟むタイミングや長さを変えたり強くしたり弱くしたりありとあらゆる痛みを体験してもらった。
また「全く痛くなかった」から「とても痛かった」までランクをつけてもらったりどちらの痛みがましか比べてもらったりもした。
ちなみに人を痛めつける実験をやっても私の心は全く痛まなかったがね。
初めはまあ苦労したけどやがて自分も「痛み」の実験台になって協力したいという人が次々と現れるようになった。
論文を発表し他の分野と同じようにだんだんと研究費ももらえるようになった。
実験もパワーアップしていって不快な音を聞かせてみたり電気ショックを与えてみたり拷問スーツまで作った。
これがそのスーツだ。
100m近いホースがつながっていて熱湯や冷水が流れるようになっていて着た人をすごくみじめな気分にさせる。
例えば体の半分には熱いお湯を流して痛みを与えもう半分にはちょうどいい温度のお湯を流したり。
温度の組み合わせをいろいろと変えて痛みや快感がどのように作用するのかを調べた。
その結果あの看護師たちが多くの点で間違っていた事を発見した。
まず苦痛の総量は痛みの継続時間には比例しないという事が分かった。
それが快感だとしても同じだ。
ところがだ痛みに強弱をつけると苦痛の総量は劇的に大きくなる事が分かった。
例えばこの講義の時間を長くしても君たちの苦痛の総量はあまり変わらないが何か大事件があったりすると講義の感想は大きく変わってしまうという事だ。
看護師たちは包帯を早くはがす事だけを考えて痛みの強弱を考慮していなかったという点で間違えていたんだ。
また痛みの強さの変化のしかたが重要だという事も発見した。
痛みが徐々に増してゆくのが最悪のパターンだ。
その後の悲劇が予測できるので痛みが減っていく場合より苦痛の総量は断然大きい。
なのに看護師たちはその方がやりやすいからと足から頭へ間違った順番ではがしていた。
また痛みが長く続く場合途中で休憩をくれていれば私は覚悟し直したりできたのに看護師はそれも見過ごしていた。
問題なのはなぜ看護師たちはこうした間違いを犯していたのかという事だ。
皆優しくて思いやりがあったしさまざまな研修を受けていて多くの患者にも接していた。
それなのに間違えていた。
もちろん看護師が集まって間違いを正し合うようなチャンスがないわけではない。
また看護師ごとに別の間違いを犯していたわけでもなく全ての看護師が同じように間違った考えをしていたんだ。
そこで私はこう考えたんだ。
この痛みの話には後日談がある。
実は入院していた病院で講演する機会があった。
講演のあと仲良しだったエティという看護師がやって来てこう言ったんだ。
「あなたは重大な事を見過ごしています。
私の苦痛はどうなるんですか?」って。
包帯をはがすのはエティにとってもつらかったと。
とはいえ「治療は看護師のためではない」というのはエティにも分かっていた。
そこで「なぜあの時試しにゆっくりはがしてくれなかったの?」と聞いた。
別に治療のやり方をまるっきり変えてほしいとは言わなかったし「ちょっと試して」と言っただけだった。
するとエティは極めて普遍的で重要な話をしてくれた。
彼女は毎回いわば分かれ道に立たされていたというんだ。
片方は看護師にとっても患者にとってもいいと思われていた道で誰もがそれを進めと教育されてきた道。
別の道がある事にも気付いていたが誰も試していないしいい道だとは思えなかったというんだ。
だからいつも安全な方の道を選んでいたんだと。
このエティの言葉は普遍的な事だと思った。
分かれ道には誰もが立たされている。
一つはみんながこれまで進んできた道で自分の直感が「行け」と教えている道。
もう一つはこれまで気付かなかったか気付いていても直感が「行くな」と教えている道。
でももし「行くな」という道を試してみれば直感の間違いに気付くかもしれない。
まさにその事が今回の講義を通じて伝えたいテーマだ。
直感の正しさを証明するデータはないし直感は直感にすぎない。
私たちは少し謙虚になって「直感が間違えているかもしれないから別の道も試そう」と考える事が重要だ。
少しの謙虚さと試してみる勇気。
それがいかに大切かをこの講義では話していこう。
さてこれから君たちに私の好きな錯覚画像をお見せしよう。
これはいわば間違いの入門編といったところだ。
これはとても有名な錯覚画像だ。
2つのテーブルがある。
どっちのテーブルの方が長いだろうか。
縦のテーブル?横のテーブル?普通はみんな縦のテーブルの方が長いと思うだろう?目の錯覚がありがたいのは間違いを証明できる事だ。
線を引いてこうして動かせば…私が何もごまかしていないと信じてくれるなら2本の線が同じ長さだと分かるはずだ。
時間があれば誰か前に出てきて大きな物差しで測ってもらってもかまわない。
肝心なのはここからだ。
たとえ長さを測って錯覚だったと納得しても席に戻って改めて見たら「本当だ2本は同じ長さだ」とは思えないんだ。
それはこういう事だ。
一度自分の直感や視覚にとらわれてしまうと人間は外から得た情報をフィルターにかけて脳に送る。
自分の直感を信じるあまり先入観を持ってその情報を判断してしまう。
これはどうする事もできないんだ。
錯覚の面白い事は誰もが同じように間違えるという事だ。
年を取ってたくさんのものを見てきてもある日突然錯覚を起こさなくなるなんて事はない。
性別も人種も関係ない。
みんな同じ間違いをするんだ。
実は意思決定にも同じ事が言えるんだ。
自由に意思決定が行える限りみんなが同じように間違える。
他の画像も見せよう。
上の矢印の所は何色?茶色?では下は?黄色?実はどちらも同じ色なんだ。
背景の違いで色の見え方が変わっているだけだ。
君たちは矢印の部分だけを見比べているつもりかもしれないがそうではない。
2つは離れた場所にあるから君たちが比べているのは上の矢印の周辺と下の矢印の周辺だ。
上の方は周りが明るいから矢印の所が暗く見えるし下の方は周りが暗いから矢印の所が明るく見える。
ここからはこの目の錯覚というものを比喩的に捉えながら人がどう意思決定を行うかについて話そう。
私たちは皆同じ間違いを犯す。
どんなに訓練しても無駄なんだ。
なぜなら私たちの脳が実際の世界を理解しやすい形に変えてしまうからだ。
人間が世界を理解するこの仕組みは意思決定でも視覚でも似ている。
だから皆同じような間違いを犯すんだ。
では意思決定について考えよう。
人間は何に駆り立てられて行動するのか?人はどのように行動しなぜ行動しよりよい行動をとるにはどうするべきか。
一般的には人間は目的のようなものがあるから行動するとされている。
君たちの中で人生の目的を持っている人は?よろしい。
それから人は目標を抱くものだ。
目標がある人は?よろしい。
願望もあるだろう。
願望は?私たちは一般的にこうした目的や目標願望といった壮大なものが人々を動かしていると思っている。
何か巨大なものが頭の中にどっしりと陣取っていてその大きな目的のために日々の行動があると考えている。
しかし実際はそうではないという事を示そう。
人間の行動のもとになっているものは目的でも目標でも願望でもない。
ちょっと見方を変えてみよう。
君たちの中で先月必要以上に食べ過ぎてしまった人はどれくらいいますか?では計画していたほど運動できなかった人は?思っていたほどには節約できなかった人は?あと2つ。
運転しながらメールした事のある人は?では避妊せずに無計画なセックスをしてしまった人は?ほとんどいない。
立派な人たちの集まりだ。
君たちには「不正直」というテーマでなら1時間たっぷり話せそうだ。
ところでもし君たちの行動が目標や願望目的にかなったものだとしたら逆にこういう事が言えてしまう。
「君たちの望みは肥満の喫煙者として運転中にメールしながら死ぬ事である」とね。
つまり私たちは皆目標も目的も願望も持っているけど現実にはそれらが日々の行動とは全く結び付かないという事が言える。
ではちょっと考えてほしい。
君たちの日常生活の行動の中で不合理な理にかなっていないと思う行動とはどんな行動だろうか?思い当たる行動がある人は多いはずだ。
ではなぜ私たちはいつも不合理な選択をしてしまうのか。
もっとよい方法はないのかを考えていこう。
では「不合理な選択」の例を挙げよう。
社会科学からの例だ。
これはヨーロッパの国々で臓器提供プログラムに関心がある人の割合を示したグラフだ。
臓器提供カードにサインはしているが実際に提供したというわけではない。
実際は亡くなった原因や家族の承諾の有無も絡んでくるからあくまでも登録している人の割合だ。
これを見ると2つのタイプの国がある。
右側の国は登録が多く左側はとても少ない。
なぜこうなるのかに関してはさまざまな理由が思いつく事だろう。
私の学生たちにも尋ねてみたが一番多かったのは文化が関係しているという声だった。
普通贈り物をすると自分もいい気持ちになる。
相手の喜ぶ顔が見られたりいい関係が築けたり感謝されたり絆が深まったり。
でも臓器提供は違う。
とても奇妙な贈り物で死んだあとのプレゼントだ。
ではなぜ提供するのか?他の贈り物とはまるで違うのになぜだろう?小さなコミュニティーに暮らす思いやりがある人ならもっと役立ちたいと思うかもしれない。
宗教や法律が原因か提供が義務づけられているためかなどと思うかもしれない。
でも実際はどれも違う。
この表にあるのはオーストリアとドイツなど文化的に似ている国同士だ。
法律や宗教や文化は似ているのに臓器提供に関しては全然違う。
スウェーデンとデンマークも似た国同士なのに臓器提供に関しては違う。
でもこの中で一番興味深いのはお隣同士の国オランダの28%とベルギーの98%という数字だ。
なぜ注目したかというとオランダはこれまで臓器提供者の数を増やすために数々の努力をしてきた。
国民に臓器提供プログラムに参加するよう丁寧な手紙を送った。
テレビや報道でも度々取り上げられた。
リアリティー番組も作られた。
その番組は余命僅かな人が誰に臓器を提供するか選ぶという内容だった。
あらゆる努力をしたのに28%にしかならなかった。
お隣ベルギーとの差はどうして生まれたのか。
実は文化でも宗教でも法律でもなくて意思表示カードの書式の違いにあったんだ。
これはとても重要な事で何を意味するのかよく考えてほしい。
ある国のカードには…これが標準の形式だがこう書いてあると人はどうするだろうか。
チェックせずプログラムにも参加しない。
左側の国の例だ。
逆に右の国は…実はこう書いてあっても人はチェックしない。
そしてプログラムに参加する事になる。
これは「オプトイン・オプトアウト方式」と呼ばれているものだ。
よくあるのは長ったらしい契約書の最初の1〜2ページだけ読んでそのあとを読まないでいると知らぬ間に何かに参加する事が決まっていたりするケースだ。
でもこの意思表示カードはとてもシンプルだ。
長々質問があるわけでも記入事項が多いわけでもない。
決めるべき事はたった1つ臓器提供するかどうかが1ページ目の真ん中に大きく書かれている。
あとは住所欄などがあるだけだ。
でもこれは極めて難しくて複雑な選択だと思わないか?突然自分が死んだら遺体をどうするかと聞かれたのだ。
家族の希望も考えなきゃいけないし提供すると葬式の手順が変わるだろうかとか家族がきちんと悲しめないんじゃないかとか医者が早めに生命維持装置を外さないかとかいろいろ考えるだろう。
まさに難題中の難題だ。
人はこれほどの難題に直面するとどうするだろうか?なんと何もしないんだ。
書式を作った人に決めてもらおうというわけなんだ。
つまり初めの設定「デフォルト」が決定的な役割を果たしているんだ。
雪の積もった道に例えるとわだちのある場所を進む方が楽だろう?つまり必ずしもそっちに進まなければならないと決められているわけではないけど別の選択をするより楽なんだ。
デフォルトは一番楽だという事に加えもう一つある。
デフォルトがお勧めだと見なされる事がある。
例えばある用紙を渡して「デフォルトはこれです」と言うとそれに従うのが楽なだけでなく「この人はその道のプロとしてこれを勧めているんだろう。
これがいいにちがいない」と思ってしまう。
つまり一番楽だしかつそれを提案されているとさえ思ってしまうんだ。
ところで書式のデフォルトはそれぐらい重要なのに「大きくなったら書式のデザインの仕事をしたい」という子供を見た事がない。
書式は生産者と消費者政府と国民を仲介する役割を果たしている。
極めて重要な仲介役だ。
どう記入させるかによって人に良い行動をとらせる事も悪い行動をとらせる事もできてしまう。
これは「選択肢の設計」と呼ばれる概念だ。
選択肢の設計は私たちの日々の選択が置かれている環境の産物だという事を示している。
ある環境では人はある行動をとり別の環境では別の行動をとる。
与えられる環境によって人間の行動は大きく変わるわけだ。
君たち起業家は仕事の中で人に何かを決断させるような環境をつくる事があるだろう?よい行動をとらせる環境も悪い行動をとらせる環境もつくれるから環境の重要さを頭に入れておけば仕事のやり方も変わるだろう。
ところで政府はよりよい書式を作るためにどれほどの時間をかけているのだろうか。
弁護士を雇って訳の分からない文章を作る事にだけは時間を使っていそうだが…。
企業も同じだ。
書式の作成に一体どれほどの時間をかけているだろうか。
非常に少ない。
なぜ時間をかけないかというと私たちが書式や選択肢の設計について考えるのが苦手だからという事がある。
例えば君たちが明日陸運局に行き新しい運転免許を取るとする。
すると臓器提供の意思を問われるだろう。
君たちの半数には「オプトイン」の書式が半数には「オプトアウト」の書式が配られたとする。
帰り際一人一人に「あなたは提供しない方を選びましたね」とか「提供する方を選びましたね」と確認してから「なぜですか?」と聞いたとする。
果たして「書式が私にそう選択させたんです」とか「自分では決められなかったけどこっちがデフォルトみたいだから選んだんです」とか答える人がいるだろうか?いないだろう。
きっと何かもっともらしい理由を語るはずだ。
「お葬式の事が気になったんです」とか「私は優しい人だからです」とか選択した方に合うような話だ。
その話は多分実にうまく出来ていて説得力があって自分を立派な人に描いているから話した本人でさえその話を信じ込んでしまう。
結果本当は置かれていた環境が大きな影響を与えていたのだという事実が見えにくくなる。
他にも例も挙げよう。
こんなピザのメニューがあったら君たちはどう注文するだろうか?生地に好きなトッピングを選んで載せるようになっている。
ピーマンやオリーブなどいろいろなトッピングがある。
一方こちらはあらかじめ全てのトッピングが載っていて要らないものを取り除くようになっている。
どちらの方法で注文しても同じピザになるだろうか?ならないだろう。
こっちの方がきっとトッピングが5つから6つ多く載っているはずだ。
削除するのも面倒だし加えるのも面倒だからだ。
ただクリックするだけなのにそれが面倒なんだ。
君たちに考えてほしいのはこの事だ。
クリックのようなちょっとした事にさえ人の選択は左右されるんだ。
同じような例は簡単に思いつく。
君たちの中で本当はすぐにでも解約したいのに有料チャンネルや新聞の購読を続けている人は?誰にでもそういうところはある。
環境つまり選択までの道筋がとても大事だという事を覚えておいてほしい。
特に最も楽な道に注目すべきだ。
私は人は怠け者だと言うつもりはない。
それは失礼だし実際そうは思っていない。
でも人の怠慢さを甘く見てはいけない。
人は楽な道を選ぶという事は周知の事実かもしれないがでも想像以上に手間をかける事が嫌いな生き物なんだ。
筋道を考える事と人間の怠慢さを十分頭に入れておく事がとても重要だ。
さてもっと重要でもっと複雑な事を決めていかなければいけない場合はどうだろう?多くの専門家は日々そうした決定を下している。
こんな調査がある。
対象は700人の医師で調査員がこう尋ねた。
「股関節が痛い患者がいたとします。
先生は既にあらゆる薬を試しましたが効果は見られませんでした。
そこで先生は患者に人工股関節の手術の専門医を紹介し予約を取らせました」と。
つまり手術というデフォルトが決まったわけだ。
専門医にかかればほぼ確実に患者は手術を受ける事になる。
さて調査では医師を2つのグループに分け片方にはこう伝えた。
「昨日先生は患者のカルテを見直すとイブプロフェンを投与していなかった事に気付きました。
イブプロフェンは股関節の痛みを和らげる薬です。
先生ならどうしますか?そのまま何もしないで手術を受けさせるか患者に電話して『ある薬を投与し忘れていたので専門医の予約はキャンセルして下さい』と言うかどちらですか?」。
ここで君たちに聞きたい。
患者にきちんと電話する医師が過半数はいるんじゃないかと思う人は?1人。
悲観的な人が多いね。
幸いな事に過半数の医師が患者に電話すると答えた。
ただし実際に電話をしたわけではない。
あくまでもこれはケーススタディーだ。
でも過半数は電話すると答えた。
あぁ大事な事を君たちに伝え忘れていた。
この調査はアメリカ人ではなく気真面目なカナダ人の医師が対象だった。
もう片方のグループには調査員は別の事を伝えた。
「昨日先生がカルテを見直したところ驚いた事に2種類の薬を投与し忘れていた事に気付きました。
先生ならどうしますか?何もしないで手術を受けさせますか?それとも患者に電話しますか?その場合どちらの薬を選びますか?」。
2つのグループの違いは何だろうか?1つ目のグループでは選ぶのは一度きりだ。
電話するかしないかだ。
一方2つ目のグループになると「電話するかしないか」を選んで「電話する」を選ぶと更に2種類の薬どちらかを選ばなければならない。
つまり選択肢がより複雑になり難しくなった。
だからといって医師の手に負えない問題ではない。
でもちょっと面倒だ。
さあ結果はどうなっただろう。
なんと電話するという医師はほとんどいなかった。
みんな患者をそのままにして手術を受けさせる方を選んだ。
これはどういう事だろう。
彼らはプロの医師だ。
日々複雑な決断をしているのに選択肢がちょっと複雑になっただけで「2種類の薬どちらにすればいいんだろう?あぁ面倒くさいからもう手術を受けさせよう」と言ったようなものだ。
彼らの答えから判断するとそういう事になる。
もちろん普通なら大抵の医師は「ここに患者がいますが薬での治療か手術かどちらにしますか?」と尋ねられたらすぐに「手術しよう」とは言わないだろう。
でもこの調査では手術をする事がデフォルトになっていた。
手術が一番簡単な選択肢だったわけだ。
2つ目のグループになると楽でない方の選択肢がより複雑になった。
そのため楽なデフォルトの魅力が一段と増した。
こんなふうに選択肢が複雑で面倒になると私たちは楽な道を選ぶ可能性が高くなるんだ。
さて講義の最初の方で私は人間の意思決定に関するよくある見方を伝えた。
「私たちには目標や願望があってそれが日々の行動につながっている」という見方だ。
でも本当は目標と行動はかけ離れている。
私たちは目標や願望が大きな影響力を持っていると考えがちだが実際は…では…自分が考えている内容と実際の行動が一致しない事から何が言えるだろうか?まずは人の言っている事はそれほど信用できないという事だ。
パートナーや友達を信用するなとは言わないが最近はグループ調査に頼りすぎる傾向がある。
君たちの中でグループ調査を利用した事がある人は?では会社が利用したという人は?では会議で「グループ調査を大事にすべきだ」と言っている人を見た事がある人は?どれぐらい信頼できるのだろうか?確かに「オレゴンのジョンがこう言っていましたので」とかプレゼンすれば説得力がありそうだ。
でも本当に信頼できるのか。
人間は自分の目標については語る事ができる。
だが自分の意思決定の原因を本当に分かっているのだろうか。
私たちは自分の意思決定がどうやってなされているかを正確に知る事ができるだろうか?無理だ。
人は自分の行動について都合のいい理由をつけたりするからだ。
例外はある。
ある分野における経験や洞察がある専門家なら別だ。
そうした特別な知識を持っている人の意見なら参考にできるかもしれない。
でも普通は自分の行動について本人が理解している事は真実からかけ離れている。
だから人に話を聞いたとしても返ってくるのはその人が頭で考えた行動の要因であって本当の要因ではないのだ。
ここで起業家である君たちには小さい事に目を向けろと言いたい。
私たちは物事を大きく捉えるのが好きだ。
「組織を再編成しよう」とか「大きな対策を打ち出そう」とか言うが小さな事をちょっと変えてみる事こそが大事なんじゃないか。
これは君たちが思っているよりはるかに重要な事だ。
先ほどやるべき行動を阻むのは手間がかかって面倒な事だと伝えた。
君たちの中で自分の製品があまりに複雑で正しく使ってもらえなかった経験のある人は?どうしたらいいかと悩んだ事だろう。
面倒くささを取り除く事がゴールへの近道なんだ。
これは友人のハッカーが描いたものだ。
コンピューターシステムの基本的な仕組みらしいが細かい事はいいとしてその友人はシステムを細部にわたるまで描いていた。
どうやって相互作用し乱数を形成し伝達し別の数字を形成するのかといったあらゆる仕組みだ。
全ての詳細を描いていた。
ハッカーというのはこういう事をしている。
システムに侵入して情報の全てを細かく調べる。
そして次にこう考える。
「何を壊せるだろう」と。
もちろん君たちに伝えたいのは「何を壊せるか」ではなく全ての事の関係性を調べ上げるというアプローチを頭に入れてほしいという事だ。
私は君たちにまるでハッカーのような考え方であらゆる小さい事に注意を向けあらゆる小さい事を検討してほしいんだ。
そこでだこれは男性トイレの写真だ。
君たちの多くは男性トイレに入った事があるだろう?女性用に関しては知らないが男のトイレっていうのはすごいものでこれまで一度もおしっこが床に飛び散っていないトイレを見た事がない。
大人になったら床にこぼさない方法を覚えるはずだと思うかもしれないが実際は違うようだ。
これはグーグルの関連イベントの時に私が撮影した写真だ。
彼らは世界で最も頭がいい部類の人たちだけどそれでも床にこぼしてしまう。
もっと分別があるはずだとは思わないか?あるんだけど汚す。
15秒ぐらいの集中は可能だと思わないか?いつもなら可能だけど用を足す15秒だけは別のようだ。
さあハッカーになったつもりで小さな事に目を向けて考えてほしい。
どうすればおしっこで床を汚さないようにできるか。
床を汚した人の写真を撮ります。
恥をかかせるわけだ。
撮影される事を事前に知っていれば気を付けるだろうからね。
紫外線を当てます。
すると大勢の人のおしっこが…。
光って見えるようになります。
本人に気付かせるわけね。
標的を描きます。
標的!なるほど。
ここにその例がある。
小さな点が見えるか?拡大すると…ハエの絵だ。
どうだったと思う?男たちはこれを狙えるようになった。
確かに狙うものが必要だ。
でないと集中力が途切れる。
これは改良型だ。
ヨーロッパではとても効果があるそうだ。
これは私も見かけた事があるトイレだ。
とても面白い。
では別の問題も考えてみよう。
アメリカが抱えている最も大きな問題の一つに「肥満」がある。
カフェテリアを思い浮かべてほしい。
君たちはそこをハッキングしたいと思っているとする。
ハッキングしてみんなの食べる量を減らす改革をしたいと思っている。
どんな事をすればいいだろう?お皿を小さくします。
いいアイデアだ。
小さいお皿には大きな効果がある。
大きなお皿に少しの料理だと食べた気がしない。
だからお皿を小さくすればいい。
ところで私が好きな実験にブライアン・ワンシンクが行ったものがある。
彼はコーネル大学の食品実験室でこんな実験をした。
あるグループにスープを飲んでもらい飲み終わったら「もう十分ですか?」と聞いた。
みんなは「はい」と答えた。
別のグループにもスープを飲んでもらったがそのお皿には仕掛けがあってホースで大きなスープの入れ物とつながっていた。
そして飲む度にスープをつぎ足して遅いスピードで量が減るようにした。
さてどうなったか。
まず飲む量が増えた。
また飲み終わる前に席を立つよう指示すると「まだ飲みたい」と文句を言った。
かなり飲んでも満腹感を感じないんだ。
この実験から言えるのは私たちは目でも食べているという事だ。
胃袋では食べた量が分からず目でも判断している。
だからお皿の大きさは重要だ。
不健康なメニューをやめます。
不健康なメニューをやめる。
いやもちろんその方が簡単だがさっき言ったようにそういうメニューがある中でどうやって小さい事で人の行動を変えさせるかという事を考えてほしいんだ。
これは他にも当てはまる事がたくさんある。
例えばタバコ。
いっその事禁止してもいいが誰かが禁止してくれるのを待つ間どういう対策をとるかという事だ。
他には?お皿を運ぶトレーを見つけにくくすればいいと思います。
トレーをね。
面白い。
トレーも興味深い問題だ。
考えてほしい。
トレーがなければ何が起きるか。
問題はどんなデメリットがあるかだ。
トレーがあればサラダを取る可能性が高くなる。
しかしトレーがなければサラダを食べなくなるかもしれない。
実は実験すると分かるのだが食事の量が減ると通常食べるべきものを食べなくなってしまうという問題があるんだ。
ただしアイスクリームを隠すのはいい案だ。
隠すのはいいアイデアだが必ずしもそれがトレーでなくてもいい。
他には?アイスクリームコーナーの上に肥満の人の写真を飾ればいいと思います。
いいねえ。
とても太った人の写真が飾ってあったらどうなると思う?これも意見が分かれるところかもしれない。
「この写真の人は普通の体型だ」と思う人もいれば「こうなってしまっては困る」と思う人もいるだろう。
私の同僚はこんな研究をした。
とても太って見えるスーツを着て食堂に行って列に並んだんだ。
さあ周りの人たちが注文する量は増えたかな?減ったかな?減った。
実は増えたんだ。
ところで肥満率が高い都市がある。
周りの人を見て許容範囲はこれぐらいかと判断するからだ。
だから肥満はある種の伝染病だと言われる。
君たちのアイデアはすばらしいが実際に試してみる事が大切だ。
予想と逆の結果になる事もあるからだ。
他に?体重別やカロリー別料金にします。
カロリーへの関心を高めるんだね。
まだ誰もやってないかもしれないが面白いですよ。
健康的な料理はすぐ出してピザなどは待たせればいいと思います。
面白い。
他には?料理を色分けしてどれが体にいいか分かるようにします。
色分けには2つの効果がある。
いい料理の目安になる事以外にも恥をかかせる効果がある。
例えば選んだ料理が赤ばかりだと軽蔑されると人は考える。
ただし逆効果になる恐れもある。
例えばアメリカで「喫煙は体に悪い」と言われるようになった時10代の若者の喫煙率が上がった。
喫煙が突然反抗的でかっこいいと見なされるようになったんだ。
ところでこれを見てほしい。
これはバス停だ。
「68」と表示されているのは何だと思う?キログラムだ。
この女性の体重を量っている。
その効果は何だろうか?バスを待っている人に「散歩しませんか?ただ待っているだけなら次のバス停まで歩きましょう」というメッセージを伝える事ができる。
フィットネスに誘うための一つの方法というわけだ。
私たちは人々に合理的な意思決定をさせたいのかそれともよりよい行動をさせたいのかどちらなのかを考えるのは重要だ。
合理的な意思決定をさせる方に関してはものすごく大変だ。
カロリー消費や健康について教育する事はできても食べる度に常に実行させなければならない。
実際にいい行動をしてもらえるとは到底思えない。
だからもう一つのもっと有効なアプローチをとろうとしている。
強調しておくが人は置かれている環境に左右されるという性質があるから私たちは環境に小さな変化を加える事で人々に最善の行動を促そうとしているんだ。
人に何かを強制するのも一つの方法だが時には体に悪いものを食べても全然かまわないと思う。
大切なのは本来やるべき事と自由にやりたいと思う気持ちとの間にどう折り合いをつけるかなんだ。
さて食べ物を例にしてきたがそれだけで終わりにしてほしくない。
基本的には改善する事ができるあらゆる事について考えてほしいし他の事への応用も考えてほしい。
もう少し例を挙げよう。
2つのグループにワクチン接種の重要性を説明したとする。
そして片方のグループには重要性の説明に加えワクチン接種を受けられる場所を伝え日時を決めさせた。
予約をとらせたわけではないが日にちを決めて場所を確認しておくようにと伝えた。
結果はどうなっただろう?1つ目のグループでは3%の人しか接種に行かなかった。
では2つ目のグループではどのぐらいの人が行っただろう?2倍?3倍?26%の人が行ったんだ。
この大きな差はどうして生まれたか考えてほしい。
ワクチンの重要性については同じように説明したが2つ目のグループにはどこへいつ行けばいいかを伝えただけだ。
それだけの小さな事でもやらないよりはるかに効果があった。
インスリンについても同じ事が言える。
インスリンの注入器を注射針からペン型に変えただけで食事の時の注入率が急上昇した。
考えてほしい。
薬剤の開発には巨額な費用が投じられているが注入器はどれほど改善されてきたのか。
糖尿病は恐ろしい病気だが現在糖尿病で問題になっているのはインスリンをきちんと打たない人が多い事だ。
これは心理的な事が障害になっていると言える。
最後の例だ。
インドのムンバイでは多くの人が線路を渡ろうとして列車にひかれて亡くなっている。
そこで対策がとられた。
まずは線路に黄色い線を等間隔に引いて列車が来るスピードを認識しやすくした。
それまでは列車の速さというものがなかなか実感しにくかったんだ。
黄色い線がある事で列車の速度がどれくらい速いかが認識しやすくなった。
また踏み切りの表示を「渡るな」という文字から人がひかれているイラストに変えて心理的にも訴えた。
そして短い警笛を何回も鳴らす事でより注意を引きむやみに線路を渡らせないようにした。
こうした例を見ていくと分かるとおり何が人のよい行動を妨げているのかをきちんと考える事には大きな意味がある。
どうしたらもっと安全に道路や線路を渡らせる事ができるのか。
薬をきちんとのませたり子供に勉強させたり仕事でやる気を出させたり何であれ人が本来とるべき行動と人々が実際にとっている行動とのギャップは何が原因なのか。
そのギャップのどのぐらいを知識を与える事で埋める事ができてどのぐらいを環境を変える事で埋められるのか。
環境を変える事は私たちが思っている以上に有効なので小さな環境の変化でも大きな意味を持つ。
よりよい行動への障害となっているものを探す事には多くのメリットがあるんだ。
どうもありがとう。
(拍手)2015/12/11(金) 23:00〜23:55
NHKEテレ1大阪
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【出演】デューク大学教授…ダン・アリエリー
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