日本政府は受け入れたが…
(眞鍋)マジカル・ヒストリー倶楽部にようこそ!歴史を知れば旅はもっと楽しくなります。
今回も世界を旅して歴史を学んでいきましょう。
さあ今回のミッションは「近代中国の始まり」…という事なんですがこれまで中国の歴史見てきたのは明の時代までだったよね。
(永松)そうですね。
最後?はい。
という事は清朝までとそのあとの中国は大きく変わるっていう事だね。
そういう事なんです。
今日は「近代中国の始まり」を清朝からたどっていこうという旅です。
なるほど。
それではマジカル・ヒストリー・ツアー。
今回の見どころです。
いざ3つのビューポイント!訪れるのは中国を中心とする東アジア。
時代は…まずは130年余り続いた清の繁栄とそれを支えた支配のしくみを探ります。
しかし清は19世紀後半から衰退の一途をたどり終焉を迎える事になります。
それは何が原因だったのでしょうか。
マジカル・ヒストリー・ツアー。
近代中国の始まりをたどる旅へさあ出かけましょう!清の前の明は漢民族の王朝だったけど清はどうだったのかな?はい。
清は中国東北部に勢力を持っていた女真族という民族が打ち立てた王朝です。
ほう。
へぇ〜。
という事は中国で大多数を占めてる漢民族をその満州族っていう異民族が支配したっていう形なんだね。
そうです。
その支配方法は独自のもので清は繁栄を極めました。
ふ〜ん。
それではファースト・ビューポイント!いざテイクオフ!テイクオフ!マジカル・ヒストリー・ツアー。
まず初めは中国河北省の清朝時代に造られた皇帝陵墓から。
広大な敷地に5人の皇帝やきさきの陵墓が並んでいます。
陵墓の建築物は明の時代から続く瓦屋根をあしらった中国の様式。
皇帝の柩は巨大な地下宮殿に納められています。
宮殿の壁を覆うのはチベット仏教の仏たちの見事な彫刻。
清朝の皇帝はチベット仏教の仏に囲まれ中国風の皇帝陵墓に葬られているのです。
これは一体何を意味しているのでしょうか。
その謎を解き明かすために…。
マジカル・ジャンプ!17世紀の初め女真族が中国東北部に後金という国を打ち立てます。
彼らは国の名前を清に改め更に南に勢力を伸ばしました。
1644年清は北京に都をうつしそれまでの漢民族の王朝明に代わって中国を統一します。
清は中国を支配するにあたり明の制度を引き継ぎますが独自の政策も行いました。
漢人との融和策を図ります。
しかしその反面満州人男性独自の風習弁髪という髪形を強制し漢人を厳しく支配しました。
清朝…乾隆帝の時代モンゴルチベットなども支配に治め領土は最大になり清は繁栄を極めます。
清朝の皇帝は四つの顔を持っていたといいます。
まず満州族のリーダーとしての顔です。
次に漢民族を支配する皇帝としての顔。
モンゴルに対してはモンゴル族帝王の呼び名ハンを受け継ぎハンとしての顔を持ちました。
そして当時満州族やモンゴル族にも信仰されていたチベット仏教最大の保護者としての顔もありました。
このように清朝の皇帝はそれぞれの民族に向けた顔を持ち多民族を治める事ができたのです。
都の北京では満州やモンゴルチベットなど全国から商人が集まり物の行き来も盛んで人々の生活は豊かでした。
清の初めには1億だった人口は乾隆帝の時代に3億に達し清王朝は最盛期を迎えます。
そっか。
清の皇帝は四つの顔を持つ事できちんと支配をしてたんだ。
そうなんですよ。
でもびっくりしたのはあの弁髪?はい。
あの髪形ですね。
あれって私中国の文化だと思ってたんだけどもともとは満州族の風習だったんだ。
そうなんです。
もうそれだけ弁髪の強制は厳しく漢民族に浸透したといえますね。
へぇ〜。
なるほどね。
まあそうやって栄華を極めていた清なんだけどそのあとはどうなってくのかな?その無敵の清に対等な国交と自由な貿易を求める国が現れるんです。
ほう。
どこの国?それはイギリスです。
イギリスか。
はい。
やがて両国は戦争へと突入する事になります。
そこでセカンド・ビューポイント!いざテイクオフ!テイクオフ!マジカル・ヒストリー・ツアー。
続いては中国南部の都市…広州は古くから中国の海洋貿易の拠点として栄えた町です。
ここ広州は中国の近代化にとって重要な舞台となります。
一体どんな事があったのでしょうか。
それを探るために…。
マジカル・ジャンプ!18世紀中頃から…機械による生産技術が飛躍的に発展し綿製品などの工業製品を大量に生産できるようになります。
それらの製品を売るために…更にイギリスはどうしても手に入れたいものがありました。
貴族から労働者まで人気が高かった紅茶です。
その紅茶を作っていたのが中国だったのです。
イギリスは中国から大量の紅茶を買い入れ貿易赤字になっていました。
その赤字を解消するため綿製品などを売り込もうとします。
イギリス政府から清に派遣された…マカートニーは皇帝乾隆帝と会見し…しかし乾隆帝は朝貢という関係しか認めませんでした。
朝貢は周辺諸国の君主が中国皇帝の徳に敬意を表して貢ぎ物をします。
これに対して中国皇帝が返礼品を与えるという関係が朝貢でした。
しかしこのあと中国清朝の社会を大きく変動させる出来事が起きます。
まず1つは貧富の差の拡大から農民の不満が強まって起きた反乱…そして2つ目がイギリスが持ち込んだアヘンでした。
当時イギリスはインドで栽培された麻薬のアヘンを清に密輸しそこで得た銀で紅茶を買っていました。
この結果中国ではアヘン中毒者が激増し清はその対策に迫られる事になります。
イギリスの貿易が唯一許されていた広州の港。
清はアヘンの密輸を取り締まるためこの広州で強硬策を取りました。
これに対しイギリスは武力で対抗。
イギリスの近代的な武器と兵力を前に清は大敗を喫しました。
イギリスに敗れた清は不平等条約を結びます。
香港を植民地として譲り渡しほかに5つの港を開いてイギリス人が自由に取り引きできる事や賠償金の支払いなどを認めさせられました。
イギリスはこれまでインドに対してもかなり強い姿勢で支配をしてたけど…。
そうでしたね。
それに続いて中国に対してもアヘンを使ったりとか…。
はい。
かなり支配的な関係を築いてるんだね。
そうなんですよ。
そのアヘン戦争が清朝衰退の始まりでした。
清は危機感を感じ近代化を進めようとしますがそこにまた別の国が現れ戦争が起きます。
え〜今度はどこ?それは日本です。
日本?はい。
その結果清はますます衰退し新しい国のかたちを求める運動が起こるようになるんです。
それでは最後のマジカル・ヒストリー・ツアー。
サード・ビューポイント!いざテイクオフ!テイクオフ!マジカル・ヒストリー・ツアー。
最後は中国の首都…古くは紫禁城と呼ばれ明王朝清王朝の政治の中枢となった所です。
1406年に建設が始められてから清朝滅亡までおよそ500年間皇帝がここを居城としました。
現在は博物館として使われています。
中国の新しい国のかたちを求める動きはどのように進んだのでしょうか。
それを知るために…。
マジカル・ジャンプ!19世紀後半清朝でも産業の育成や軍備の近代化を図る洋務運動と呼ばれる動きが活発化します。
しかし清朝体制の維持を前提として西洋化しようとしたため表面的な改革に終わりました。
同じ時期資本主義が急速に発達したヨーロッパの国々はその繁栄を競い合うように植民地を求めて世界各地に進出します。
この動きは帝国主義と呼ばれその後の世界を大きく揺るがしていきます。
日本も欧米列強にならい植民地獲得を目指しました。
1894年朝鮮半島の主導権をめぐり日本と清王朝が衝突し日清戦争が勃発。
日本は清の主要艦隊を壊滅させ戦いに勝利します。
日清戦争の敗北で清の弱体ぶりが明らかになるとイギリスをはじめドイツロシアフランスなどが清に勢力を伸ばしました。
清は列強国による侵略を受け植民地にも等しい状況に置かれます。
清の経済は落ち込み政治は腐敗しました。
そのため苦しい生活が続いていた庶民の間に不満が高まっていきます。
そんな中清朝打倒を目指し活動していたのが…孫文は……を民衆に訴えます。
1911年清朝の軍隊の反乱をきっかけに辛亥革命が起きました。
翌年の…アジア最初の共和国が誕生します。
こうして孫文の革命は成功したかに見えましたがその後も中国の混乱は続く事になります。
あれだけ栄華を誇った中国王朝の歴史も外からいろんな国が圧力をかけてくる事で悲惨な事になっちゃったんだね。
はい。
そうですね。
孫文が亡くなったあと中華民国では孫文が作った…なるほど。
まあこの状況から新しい時代をつくるっていうのはかなり大変そうだけど…。
はい。
まあでも中国もいろんな国との関わり合いの中で国のかたちがつくられていくっていうまあそういうグローバルな時代に入っていったんだね。
そうですね。
ここからは歴史の深いお話アドバイザーの上田先生に伺っていきます。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
さあ先生今日は?今日は情報戦という視点からアヘン戦争をちょっと考えてみたい…というふうに思います。
アヘン戦争の勝敗というのは先ほど映像の中でも出てきたんですけれども結果はイギリスが勝ったという事ですね。
アヘン戦争に派遣されたイギリスの艦隊なんですけれども手前側で中国の帆船が燃えている奥の方でイギリスの汽船蒸気船が写っていたというふうに思います。
であの蒸気船なんですけれどもインドから派遣されてきた訳ですがその石炭の供給地は中国の沿海では全くなかったんですね。
もしあの戦争が持久戦に持ち込まれたら石炭がなくなってイギリス側が勝つ可能性というのは極めて低かったというふうに考えられています。
…にあったというふうに思います。
へぇ〜。
ちょっとパネルを見て頂きたいと思いますがその情報戦の情報を集めたのがウィリアム・ジャーディンというイギリスのスコットランド出身のアヘンを扱った密貿易の商人という事になります。
このウィリアム・ジャーディンが書いた手紙というのを持ってきました。
え〜これ直筆ですか?直筆でね。
まあちょっと読みにくいので読みやすい形で書き出したものがあります。
ジャーディンがパーマストンというこれはイギリスのその時の外務大臣に会ってどうもこの辺を読みますとアヘン戦争のきっかけになったアヘンの処分についてどうも相談を受けたらしいという事ですね。
その時にウィリアム・ジャーディンは長年中国で活動したというようなものからジャーディンペーパーという報告書を書いてそこにアヘンのきっかけにする戦争をどのように進めたらいいかという提言を行っています。
戦争を早く短期決戦をするためには清朝の皇帝に直接迫るという事が書かれています。
まあ清朝は先ほど出たように大多数の漢民族を少数の満州人がこう支配するという帝国でした。
まあそのためにイギリスの艦隊が北京に迫ってきたというふうになりますと…そのために戦争に早く負けたというふうに言うに違いないという事をウィリアム・ジャーディンは長い中国での活動の中できちっと清朝のウイークポイントを見抜いていた…という事になる訳ですね。
(2人)へぇ〜。
アヘン戦争というのは実際にこのジャーディンの提案どおりほぼ進んでいくという形になった訳です。
いや面白いお話でしたね。
先生どうも…。
(2人)ありがとうございました。
いややっぱりこう勝敗を左右するのはやっぱり情報ですね。
はい。
2015/12/11(金) 14:20〜14:40
NHKEテレ1大阪
NHK高校講座 世界史「近代中国の始まり〜アヘン戦争〜」[字]
歴史を知ると、旅はもっと楽しくなる! 世界各地の遺跡や観光地に隠された歴史の秘密を解き明かすマジカル・ヒストリー・ツアーに、みなさんも出かけましょう。
詳細情報
番組内容
今回のツアーで訪ねるのは17世紀から20世紀までの中国。満州族が打ち立てた清王朝は長きに渡って広大な領域と、そこに住む漢族などの多くの民族を支配した。その秘密はどこにあったのだろうか? しかし19世紀に入ると清は衰退に向かう。そのきっかけの一つはイギリスが持ち込んだある密輸品にあった。それは一体何だったのだろうか? 清の歴代皇帝が眠る陵墓などを訪ねてその秘密に迫る。【出演】眞鍋かをり、永松文太
出演者
【講師】立教大学教授…上田信,【司会】眞鍋かをり,永松文太,【語り】山田みほ
ジャンル :
趣味/教育 – 中学生・高校生
バラエティ – その他
趣味/教育 – 大学生・受験
映像 : 480i(525i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
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