【元番記者が語る北の湖理事長】(24)弟子は自分の子供。名前で呼ぶのは当たり前
実父と師匠。2人の父を同時に亡くす悲しみを越えての部屋開き。師匠となった北の湖親方は、1985年12月に12人の弟子と共に部屋をスタートした。
師匠となった親方は、弟子を名前で呼んだ。例えば、北太樹なら「明義」。北はり磨なら「聖也」と声をかける。角界で師匠が弟子を呼ぶ時は様々。しこ名、あるいは本名の名字で呼ぶ師匠もいれば、北の湖理事長のように名前で呼ぶ親方も多くいる。
北の湖理事長に弟子を名前で呼ぶ理由を聞いたことがある。答えは即答だった。「弟子は自分の子供ですよ。子供を名字で呼ぶ親がいますか?名前で呼ぶのは当たり前じゃないですか」。
他人の子供をスカウトし入門させる大相撲。育成の根幹は部屋制度だ。門をたたいた後は、師匠と弟子は同じ屋根の下に住み衣食住を共にする。それは、まさに親子同然の関係になる。師匠となった北の湖親方は、弟子を「自分の子供」と捉え、師匠、そして親として時には厳しく時には優しく接してきた。その象徴が弟子を名前で呼ぶことだった。
その思いは徹底していた。あれは2010年5月。不祥事が原因で同じ出羽海一門の木瀬部屋の親方、力士、行司、呼び出し、床山ら総勢27人が北の湖部屋へ転籍したことがあった。理事会での決定から4日後の6月3日に木瀬部屋の力士が転籍後、初めての稽古が行われた。違う部屋へ環境が変わり、不安と戸惑いが大きい力士たち。取材すると、ほとんどの力士が「感動しました」と明かしてくれた。
聞くと、北の湖親方が転籍となった力士を呼ぶ時、すべて名前で呼んでいたのだ。「誠」と呼ばれた徳勝龍が当時、明かした。「あの大横綱、理事長だった方が自分を名前で呼んでくれたんですよ。雲の上の上にいる方だと思っていた方が自分たちを弟子として迎えいれてくれて、こんな感動はありません」。
北の湖親方にその話をすると「どんな経緯があっても、自分の弟子になったわけですから、私の子供なんです。それに、やはり、自分の弟子と木瀬部屋から来た弟子と違う対応をしたら、おかしいでしょ。当たり前ですよ」と話した。転籍が決まった時、力士ら27人の名前を覚えることから始めたという。弟子は自分の子供。だからこそ、弟子は親のように師匠を慕った。
さよなら北の湖さん