電波犯罪と超科学

世評の歪みを正す。左派リベラリズムをしりぞける。社会問題の解決を示す。世界の先端思想がここに。私は電波犯罪の被害者。

大震災と日本2 儲かる株、アカい教師は解雇、夫婦別姓について、哲学の話-自己の位置(音空間)

2015-12-17 11:48:05 | 社会思想の終焉

大阪は晴れ
 東日本大震災は今は、12/20説。しばらくは、防災に努めておこう。

 「公立中教諭が教室で赤旗コピー配布 シールズの反安保デモを持ち上げる 市教委が「政治的中立欠く」と処分検討 埼玉・春日部」産経ニュースより

 共産党に投票するように教師が誘導してはダメだ、ということは主権教育でも、徹底しなくてはならない。共産党の主張を教師が教室で繰り返し呪文のように唱えるのはもっての他。私の会社ならこんなアカい教師は解雇する。

 夫婦同姓
 歴史上の王族は妻も王様とほとんど同じ名字なので、夫婦同姓が最もよいだろう。別姓とするのは一部例外としては認めてもよいだろう。が、どこどこ家の人間かと区別する上では、わかりにくい。
 家柄や血縁は今後、どんどん社会的な意味が小さくなる。だから、母方や父方の姓にこだわるのはそんなに重要ではなくなる。これは同姓にする意味がないという理由に使われる論理だ。が、別姓についても同じで、別姓にする意味がないことになる。
 家の名前は統一したほうがよい。すると、偉人の名を覚えて、その妻や夫が同姓ならわかりやすい。配偶者が異姓ならわかりにくい。夫婦は名を残すほうの姓を名乗るべきだ。
 私は結婚しても、大野でゆく予定。


 大震災と日本 2
 震災後、経済は回復するか? 私が予想する次の震災は、東北沖と茨城県沖の首都直下地震の2つが同時に起きるもの。仙台震度7、東京震度6。
 新幹線は一ヶ月は不通。電車はこの区間で1週間から1ヶ月は止まる。交通は車を頼る。東北の高速の再開は一ヶ月近くかかるだろう。地域ごとに物量があり、スーパーは3-7日で再開できる。が、会社は早くても4日かかるだろう。
 首都は機能マヒ。国会議事堂も危なくて使えない。政府は予算案の成立が遅れると、来年度の行政が怪しくなる。そういうことまで心配しなくてはならない。
 東京湾岸の道路網は使えない。関東はマヒだ。関東が再び、5割で動き出すまで2週間から1ヶ月はかかるのではないだろうか。放射能の汚染は新規地区ではないだろうから、その影響が小さい。
 そんなこんなで、日本は再び、暗い時代に突入する。

 なぜ日本は震災を見舞うのか。アベノミクスでも、集団安保法案でも、安倍政権のせいでもない。悪いのは日本の地盤だ。首都を東京にした明治の重鎮だ。恨むなら、まずは地面をじだんだ踏むといい。大地は何も返してはくれないが。天罰か? それもない。天とは逆の地の災いだから。

 ただ、わずかに明るい話題もある。復興景気を見越して、建設業界の株が311後のように急騰するだろう。今回は港湾でなく、ビル建設のほうで。また、まったく地震予知がなされてなかったわけではなく、予知していた人がいると、彼が最後の希望となる。

 今が明るい日本の最後の3日。思う存分、楽しもう。

  
 哲学の話--- 自己の位置 音空間
 昨日は、自分自身はどこにいるかという話をした。両目の間の奥である。ほとんどの人はそこに自分がいる、と思っている。脳の位置ではない。

 しかし、目の見えない人は、そうは考えない。彼らは耳で自分の位置を決める。目をつぶってみよう。音はどこから、聞こえるだろう。

 まずは左耳をさわる。聴覚神経は内耳にある。左耳よりは、自分は内側にいると感じるはずだ。右耳も同じ。
 だから、だいたい鼓膜(内耳)あたりに自分がいると思うのが普通。右耳と左耳にこまくがある。その間ではないだろうか。

 ただ、思考こそが自己と思う人もいる。それは私は違うと考える。思考は脳の外から発せられるからだ。

 思考はどこから聞こえてくるか? 声は、喉から発せられる。声帯から。思考はどこか? これは頭の中と思ってる意人が大半だが、本当は、喉である。思考とは小さな小さな声である。
 だんだんと声を小さくしてゆくと、思考になることに気づくはずだ。思考は声としてはっきりと音に出さない音(声帯の声の一種)なのである。
 また目をつぶって、思考すると、頭より下の喉あたりから聞こえてくることがわかる。何度かやってみよう。いずれわかる。
 というわけで、多くの人は勘違いしているが、「思考」を発する場所は、声帯なので、自己ではない。自己とすることはでない。なぜなら、声のある喉を自分の居場所と思うひとはいないからだ。
 というわけで、視力がない人は、自己が2つの内耳の間にある。また思考の発せられる場所も自己のいる場所でない。

 考察1、一般人の「自己空間」

 自己の位置は、視力をもつ人は、両目の間の奥。その時、音は自己の両脇から聞こえてくる。思考は自己の下から聞こえてくる。そんな構成となる。

 考察2、脳と感覚器の関係

 ただ本当の自己は、脳全体の機能である。脳は感覚なしに、自分の位置をとらえることができない。脳は、感覚情報によって、自己の位置を決める。脳の保護上、感覚が指し示す「バーチャル自己」と脳の位置を一致させる必要がある。そのため、感覚器は脳の回りに配置される。

 これであなたは、「自己の空間」により詳しくなった。

  本日の被害
 本日、体は重くはない。ただし、目が刺されたあとがあり、動きがにぶい。また口の中は痛む。刺されたようだ。
 以上

 

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大震災と日本1 哲学の話--自己の位置は目の間の奥

2015-12-16 11:54:56 | 社会思想の終焉

大阪は晴れ
 東日本大震災は本日におきない。昨日は地電流に派手な前兆はなかった。12月半ばが危ないのはかわりない。今は、12/20説。
 地震予知は手強い。何が起きるかはだいたいわかっても、日を当てるのは難しい。自分の事故なら、当日朝には必ずわかる。一ヶ月前から何があるかは調べはつく。地震もそうだけど、私は日をつきとめるのが苦手。まいった。

 大震災と日本 1
 大雑把に考えよう。311並の地震が東日本でまもなくある、と。
 電車は4日から一ヶ月止まる。帰宅難民は出る。福島の原発は爆発しても、放射能汚染は限定的だ。仙台の町は散乱する。東北から関東にかけての経済は一週間は停止する。これで何が変わるか?

 まず、地震当日は、被災の映像が日本全国に流れる。一日中、火災や救出劇の報道だ。数日は火事が高層ビルで燃える。誰も消火できない。救出するヘリとそれを撮影するヘリが東京や仙台の上空を飛び交う。冬の地震は、火事が恐ろしい。高層ビルも安全でない、と国民は知っても遅い。被災者の救出に4-6日ほど日本中が釘付けとなる。

 そんな時に、原発がしだいに危険になって、爆発する。幸い爆発は小さく、すぐに止まる。が、放射能が飛び、黒い雨が降る。人々が福島県で逃げ惑う。
 こんな時に、政府がうまく立ち振る舞うことができたら、よし。民主党政権のように何も動かないなら、安倍官邸もアウトである。

 それがようやく終わると、慰霊だ。復興だ。室内の、焼けた家の片付けが始まる。電車を動かすこと、高速道路の復旧、通信設備の修理で、工事業者が入り込む。一週間もすると、一部電車が動き出す。

 家を失った人々が余震を恐れて、避難所で暮らすのが目につく。砂が吹きあげる東京湾岸地帯は、人が住めなくて、無人化する。福島も一時、大勢逃げ出すが、汚染地域が少なくてしだいに戻る。

 そんなこんなで、震災による打撃の大きさがしだいにはっきりしてゆく。経済的な損失は50-100兆円。消費増税はストップ。オリンピックも中止。それは定まるが、内閣はすぐに決断はしない。オリンピックは代替地のこともあるから早く決めるとして。

 株価は2000-4000円が一気に下がる。中国観光客はぴたりとこなくなる。放射能さえ落ち着くと、大阪や京都には戻ってくるが、それも風向きしだい。日本の危機が再びある。そんな暗黒時代が再来する。

 それがまもく。クリスマス前に震災がやってきた。
 
 哲学の話--- 自分はどこにいるか?
 自分はどこにいるか? 厳密に考えてみよう。
 鏡をみると、自分が写る。自分の肉体がある。自分がいる。さて、「自己」はどこにいるだろうか?

 手の中に自分はいない。足の中にも自己はない。手足は、体の一部でも、自分自身ではない。胴体もそうだ。胴体は考えない。というわけで、体の中にはある。が、手足、胴体ではない。残るは頭だけ。自分自身は頭のどこかにいるとわかった。

 頭のどこに「自己」はいるのだろうか? 目か? 違う。耳か? 耳は違う。口か? 口も違う。顎でもない。というわけで、自分は目、耳、口、顎の中にいないことがわかった。毛の中にもいない。また頭の皮の中にもいない。

 では、どこにいるのか?
 残るは脳の中だ。そこに自分はいると考えた人は、正しい。が、正解ではない。脳のどの部位にいるのだろうか? 前頭葉か後頭葉か間脳か 小脳か? 今日はそこまで詳しく考えない。「自己」のひそむ場所をつきとめるのだ。空間的に。

 右目と左目がある。自分は両目の間にいるはずだ。右目に近いところにはいない。それは左目は自分から遠くて、右目のほうが自分の近くにあると感じる人はほとんどいないからだ。というわけで、自分は両目の真ん中あたりにいる。これがほぼ正解である。

 しかし、もし右目が見えない人は、左だけで生活している人は、自分が左目の奥にいると考えるだろう。いつも左目の景色が自分の正面にみえるからだ。というわけで、正確には、自己の居場所は、目の後ろあたりなのだ。両目を使う人は、右目の後ろでも左目の後ろでもない。ちょうど、両目の中間の後ろあたりだ。なぜなら、右目は自分より右側にあると人は考える。左目は自分より左側にあると人は考える。

 高さはどこか? 目より下側か?
 おそらく目の焦点あたり高さに自己がいる。網膜あたりだ。というわけで、ふつうの人は、焦点となる網膜の高さに自己がいる。

 奥行きはどのくらいか? 自己は眼球のどのくらいの奥行きの位置にいるか?
 おそらく、目の焦点あたりの奥行きのところに自己がいる。目の後ろに自己がいる。焦点よりやや奥ではないだろうか。これは推測である。厳密ではない。
 というわけで、だいたい目の焦点に網膜がある。網膜のあたりに自己がいる、と考える。

 答え、
 右目と左目の眼球の焦点。その両目の網膜の間あたりに自己がいる、と大勢は思っている。

 これは嘘ではない。大勢は脳がある場所にい自分がいると考える。が、それは大勢が自己の居場所と思っている位置としては、正しくはない。

 なぜ違うか。まずは夢のケースだ。夢の中で、自分は見たと思う。だが、夢は半分くらいは自分の体験でない。全部が、その時間の自分の体験ではない。
 タイタニック号の沈没を夢に見た人が、それに乗船せずに助かった、という話がある。これが事実として伝えられている。本人は自分がタイタニック号の沈没を見たと思っている。しかし、絶対に本人は現場にいない。

 こんな極端なケースを考えなくてもよい。夢でどこかにいた話で十分だ。眠っている間、本人は、ベッドか布団の上に寝ている。しかし、夢の間だけ、知らない人と一緒にいたり、本人はどこか遠く離れた場所にいたと思っている。

 ここからいえることは、本人は、見た景色の中にいると思い込むことだ。ほとんどのケースで本人の脳はそこにない。つまり、自分の居場所を決めるには、視界が重要なのだ。目の位置が。人間は、脳や頭の場所より、目の位置で自分の居場所を決める性質がある。
 
 目が飛び出た麒麟は、自分が体から離れて高いところにある目玉のそばにいると思っている。ただし、目が2つ飛び出た昆虫が、自分が2つの目の間にいると考えているかははっきりしない。

  本日の被害
 本日、体は重くはない。ただし、目が刺されたあとがあり、動きがにぶい。また口の中は痛む。刺されたようだ。
 以上


 

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メディアは軽減税率反対? 哲学の話--天才の作り方

2015-12-15 11:48:24 | 社会思想の終焉

大阪は晴れ
 東日本大震災は12/16説。テレビ予知(テレビにシンボルがあらわれた31-34
日にその災害が起きるというもの)では、12月半ばが危険期間。今日は地電流に派手な前兆はなかった。今夜に、大波が出ていると思うのだけど。

 左派メディアは軽減税率反対か?

 どういうわけか、軽減税率に走る自民党の姿を批判的に描くのが、ニュース23や左派などにみられる。左派はこれまで庶民の味方みたいな顔をしていた。が、どうやら今は軽減税率に批判的で、庶民の敵だ。

 消費増税は、来年にはないだろう。私は大震災でそれは延期されると信じている。それで、軽減税率ものびる。とはいえ、今、この議論をしなくてよい、という話ではない。政策は一度決まると、いずれその形で実施されるからだ。

 軽減税率は消費税が高いほとんど国でやっているもので、ごくごくふつうの政策。私は、アメリカで子供の頃、消費税のせいで値札より高くて、スーパーでお金が足りなかったことがある。計算が面倒だし、その頃から好きではない。今でも、値札と実際の価格が異なるのは、よくないと思う。買う側にとっては特に。

 消費税の話の値段の表示の話を聞いていると、商売人の都合ばかり聞こえてくる。値段は、買う時の値段をそのままつけるべきなのだ。値段が高いのは店のせいであって、国家のせいではない。私はそれをしない商店には、不買運動を起こすべきだとも考える。

 哲学の話--- 天才の頭の中
 秀才はたくさんの知識をつめこみ博識である。天才は、そんなことはしない。わずかな現象から真理を見出す。
 ニュートンがりんごの落下を見て、万有引力に気づいたという。彼は、学校や数学、物理のの本の知識が頭の中にあるわけではない。彼は、自然のモデルをよーく理解している。そこから結論を導き出した。
 知識や体験が少ないのに、たくさんの真理を彼独自の観察から理解しているのが、天才である。それには、現象のモデル化(パターン)をする才能がなくてはならない。数理的な計算には長けているとよい。すると、僅かなデータや自然現象から、あれこれ自分1人だけで考えて、大きな発見ができる。
 よって、知性を誇っているのが真に賢いわけではない。それは秀才型であって、本当はあまり賢くはない。多く知っているにすぎない。本当に賢いのは、物理世界を見て、法則をつきとめる。また、そういう実用的な見地から、多くの物事を区別しえる者である。
 だから、天才・真の賢人を育てる方法は一つ。自然現象から、多くのパターンを見つけ出して、それを探りなさい、と教えることだ。

  本日の被害
 本日、軽い頭痛。頭が痛む。毒刺されだ。いつもの被害なので、すぐにわかる。肌も黄色がかる。

 以上


 

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中共は国民党軍を追悼? 哲学の話--品格のないネットとメディア

2015-12-14 12:01:26 | 社会思想の終焉

大阪は曇り
 私の東日本大震災の12/14説はミスだった。地磁気と地電流に何もない。物理的予兆がないのに、地震が今夜発生するわけもない。当初の予想の12/15以降で、次の有力日は12/16にしよう。2日順延。

 昨日、念願の哲学・思想小事典を買った。これで哲学の年代を正確に語れる。やった。

 中共は南京事件の国家哀悼日に、国民党軍を追悼
 中共はおかしなことをする国である。日本軍侵攻当時、南京にいたのは孫文の国民党の軍隊である。南京事件のそう多くない死者の大半は、国民党軍である。南京の市民ではない。現中国共産政権の敵。日本憎しで中国は敵すら、追悼した。そのくせ、孫文の政府である台湾への敵視政策はかわらない。台湾の孫文の子孫には何を伝えたのだろうか。南京事件は虚偽なのだが、それはともかく、中国は謀略に走り、原理原則がすぐ歪む。
 
 哲学の話--- 品格について
 国家の品格、政治の品格とか、一時ブームになったあの「品格」だ。下品なよりは上品がよい。あまりに低劣になった国家政治家やメディアに、品ある振る舞いを取り戻す提案だろう。
品格とはwikiによると、「品位とは、気品や品格、人品などともいい、個人ないし特定の団体が、礼儀や節度や 人徳、気高さに富む様をいう。またそうした、品位の保持は人々より尊敬或いは信用を 受けるとされる。」という。

 さて、内面的なものよりも、言葉、振る舞いやマナー、作法など外面的なものだ。いってみれば、外面(ソトヅラ)である。品格を求めるのは、メディアや政治家があまりに品位や規律がなくなったからだ。だが、品位が多少身についた人は、さらに品格を磨く必要はない。紳士的な人は、そう政治や国家は中身が大切なので、そう品格にこだわらなくてよいだろう。
 現代のメディアやネット上の言論は、左翼は低劣になりすぎるきらいがあり、常に品格は求められる。

  本日の被害
 本日、目が刺された。目が痛む。また大阪の書店では、また霊能者の女に二名に待ち伏せされた。しかも、そこで、腹痛になった。悪質な電波が飛んでいた。

 以上

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軽減税率、教師に政治圧力をかける共産党、哲学の話--性善説と性悪説の論争

2015-12-12 11:19:09 | 社会思想の終焉

大阪は曇り
 震災2日前。私の12/14説では、2日前。なんと前兆らしきものが地磁気と地電流に出ない。電波の異常はあってよい頃なのに、報告があがらない。しかし、私の予感では、ますます確実。詳しくは、地震ブログに。

 軽減税率のお手柄は誰のもの?
 軽減税率で、自民党が1兆2-3千億にするというのは頷ける。そもそも、食料品や外食は庶民の生活。そこに税金を高くかけるのは、庶民いじめでしかない。それをやめるという話だから、歓迎しよう。
 左派ニュースが外食を軽減にしたのは、金持ち優遇だと言うが、市民はそんなデマを真に受けない。外食が安くなるとよい、とサラリーマンや一般家庭は誰でも思う。金持ちはそもそも食事代など支出として少ないから、金持ちのためのものにならない。
 誰の手柄か? 自民党の議員の一歩上をゆく提案という印象は残った。今回の件で、自民党の支持は上がることはあっても下がることはない。
 軽減税率で疑問に思うのは、経済学者風の人間がこれに反対すると言っている点だ。私は経済学部卒だが、軽減税率には賛成する。諸外国はみなそうやっ食料品は低めにする。日本の経済学者はどうやらこの税制に詳しくないらしい。

 学校の現場で先生が戦争反対を叫べと教育界に政治的圧力をかける共産党小池議員
 彼は、「先生が堂々と自分の考えていること、信じていることをしっかり言って、それを生徒がどう受け止めるかということが教育だ」と(産経ニュースより)
 しかし、先生のお仕事は、そんな我流の意見を生徒に押し付け、洗脳することではない。先生の仕事は、法律でも決まっているが、教育科目を教えることだ。特定政党の主張を、特定メディアの意見を生徒に信じこませることではない。
 日本共産党が、教育に圧力をかける。特に、教師に政治的圧力をかけようと意図した会見だ。こんなことが、野党として許されるのだろうか?
 なお、小池氏は記者からの批判的な視線に耐えられなかったのだろう。「もちろん・・・『共産党に一票入れなさい』というのはダメだ」と、わかりやすく本音も漏らした。

 ・・・なるほど。会見中に小池議員はこんな指示を共産党員の教師に出したのか。「共産党に一票入れてはダメ」ということは教えろ、と。

 ともかく、共産党は長くないといっても、ブラック教師、レッド教師(レッドティーチャー)を奨励するのはいかがなものか。

 
 哲学の話--- 日本人の中にある哲学的迷信をいくつか、否定してみせよう
 「性善説と性悪説」の論争
 人間は元来、性悪説なのか性善説か。こんなくだらない論争はない。あまりにも自明だ。善はよいことで、それは生きるという至上目的があり、その中でより善い方法をさす。悪は破滅で、死をもたらす方法である。その体系である。

 生物は、生きようとする。だから、生物全体が性善説だ。人間も同様に、性善説だ。人間は死を嫌がるからだ。

 もし性悪説になると、人間は死のうとする。人間が進化するほどに、その死は早まる。寿命は短くなり、病気は増える。性悪も究極になると、受精の何秒か後に死ぬだろう。だが、人間の寿命が伸びる。それは人間や生物は、性善でできているからだ。より良く生きようとしているからだ。

 性善説を人間に強いる肉体の仕組みがある。それは、「苦痛」、「空腹感」、「乾き」、「暑い」、「寒い」といった感覚だ。これらは悪である。それらに耐えられなくなると、痛みを和らげ、食べ、飲み、暑さを和らげ、体を温める。それが善である。そうやって、快適に過ごそうとする。そうやって善く生きるのが人間である。

 性悪説だと、それが極大まで進んでも平気だ。苦痛、飢えで、水分不足、暑さ、寒さで最後にはなくなる。悪いことをしたい人間なら、それを進んで亡くなるだろう。が、人間はそれらを苦痛として感じて、避けようとする。これが生きるための肉体の防御反応といえる。人間は、性悪になりにくい体をもっている。

 もし、性悪説の肉体になるには、これら感覚を取り除かなくてはいけない。つまり「無痛」になる。また、悲しさや喪失感など感情も消さなくてはならない。性悪に徹しきることができないからだ。しかし、そんな人間の本性を歪めて、冷酷で何も感じないテロリストになるような訓練は、よいことではない。

 人は、性善説で生きている。他人も、性善説で生きていると考える。社会全体が性善説だ。一部犯罪を好んでする人を見て、彼らは性悪説だと人間の基本を忘れることがないようにしたい。

 性善説の誤解、その一 「人間は性悪説と考えて統治したほうがよい」

 この性悪説信者は、人間は放置すると勝手に悪いことをする。それを前提にして、悪事をしないよう規則を作って統治しろ、という。罰則や禁止事項をもうけろ、という。すると、悪さしないから、うまくゆくという。

 はて、何が言いたいのだろう。性悪説ならば、悪事をしないように取り締まることはできないはずだ。例えば、禁止事項と罰則をもうける、としよう。善人なら、それをそれを破らないように守るだろう。が、悪人は進んで、それを犯す(違反する)だろう。性悪なら悪いことを禁じると、逆に悪いことを明示することになり、悪さする方法を教えることになり、統治が困難になる。性善だから、悪いことを禁じたら、それを人々は守るのである。

 なお、法では、悪事はすべて列挙されて禁じ、罰則がある。性悪説に基づく統治と、なんだかおかしな言い方をしているが、簡単にいえば、ふつうの法治である。いや、正確には性善に基づいた統治である。

 性善説の誤解、そのニ、「子供は見てないとすぐに悪さをする。だから、子供は性悪なのだ。」

 子供は無知なので、善いことをしているつもりでも、オトナの基準から見ると、悪いこと、というのが往々にしてある。それを性悪というのは、問題である。この考え方は偏見そのものである。無知な相手は皆性悪というのでは、「原始人は性悪」、「田舎の人は都会では性悪だ。」という話にまでなる。知的に、文明的に、学力で差がある相手をどうしようもない根っからの悪人と決めつけることに等しい。これを差別的な発想だと気づかないで、今まで語っていた人は自らを恥じるべきである。

 反論にはもう一つある。簡単だ。大人がこれこれをやってはいけませんと教えた途端に、性悪な子供は、それをするだろう。子供はたいてい言われたら悪いことはしない。だから、性悪ではなく、性善なのである。子供の過失をもって、それを子供全体の性質とみなすことはできないのである。

 性善と性悪の区別。人間は性悪でないということを子供のうちに見抜けないのは、よほど人間の根本の理解が弱い。これは、アフリカ好きなクリスチャンへの批判ではない。性善説と性悪説についての日本人一般の思い違いを軽く反論してみた。

 本日の被害
 本日、目が刺された。昨夜から、大腸を悪化するような薬剤を飲まされたかもしれない。昔、それをやられて潰瘍性大腸炎になった。犯罪被害とわかるまで20年かかった。

 以上


 

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精神医学は宣伝が上手、哲学の話--主観と客観を使う人は科学的ではない

2015-12-11 11:43:31 | 社会思想の終焉

大阪は雨

 仙台-首都直下地震まであと3日。私は12/14説。潮汐で強い地震が発生しやすい日は、満月新月上弦下弦の月などの翌日。それが12/14にあたる。詳しくは左の地震ブログに。

 最近、精神医学の問題点を研究する。そもそも、薬を飲ませすぎる。病気なら10錠も飲むと治るもの。大病でないかぎり。それが、何ヶ月もだらだらと薬飲ませて、治りもしない治療を続ける。医学としては最低ランクだ。大病でも入院一ヶ月で治せなくては、現代医学とはいえない。

 またこの連中は宣伝上手。なんでも病気に仕立てあげる。今朝は「女性うつ病」みたいな新しい病をNHKは特集した。精神科に行かなくてもいいような症状でも、「病」とつくと、みないきたがる。

 精神科は、診断しても病名を言わないことが多い。金払って、診断で病名すらわからないのは、ひどい。精神薬はたいてい頭を鈍らせる薬で、飲むとバカになる。精神医学は、どうも他の医学とくらべて、著しく質が低い。


 哲学の話--- 日本人の中にある哲学的迷信をいくつか、否定してみせよう
 「客観と主観」
 これを大事だと思ってる人は、世界が狭く、遅れている。客観を心に確立した人は、すべてを客観的に説明しえるから、主観的な世界・考えすら、その人は客観的にみることができる。そんな人達にとって、主観と客観の違いは、重要ではなくなる。その時、主観は特殊性となる。客観は一般性となる。
 よって、「主観と客観」という区分は、「一般性と特殊性」という区分に置き換えられる。後者の考えをもつことが、より現代的で優れている。

 主観とは、特定個人の世界観からくる判断である。物事の見方である。客観とは、大勢がそう判断するような歪みのない観点をいう。主観と客観があり、人は客観的にならなくてはいけない、という。
 主観とはたいてい狭い考えをさす。「共産主義こそ社会正義」というのはもはや、当初からそうであったが、一般性のない考えで主観である。共産主義者は、マルクスの主観にいまだとらわれているわけだ。
 客観とは、できるだけ広い見地をもつ人をさす。科学者は客観的だとされる。科学の検出は誰がしても同じだからだ。科学者は、科学という宇宙全体で通じる概念を信じるため、客観的である。

 何かといえば、君の独善、主観と決めつける人達がいる。こういう人たちは、実は、心の中に一般性のある概念を持ちえていない人である。心の中に科学を確立していないのである。なぜなら、客観基準が心の中にあると、主観的かどうかは気にならないためだ。

 客観を持つには、誰がはかっても同じ尺度を使うとよい。メートルやキログラムなど。すると、人毎に違う値になることは避けられる。というわけで、現代は、距離や重さ、長さなどで主観が生じない。こういう共通の尺度を使うことで、個人差がなくなる。すると、すべては客観で計られることになる。
 さて、すべての個人の感覚(重さ、軽さ)も、公的な基準で計ることができる。個人の主観で重い軽いと言ったとしても、客観的な値になりうる。つまり、個人の感覚的な主観は、客観的に測られる。この場合は、重さ、軽さ、高さ、低いなどのものだ。こうなると、客観と主観の区別は重要ではなくなる。

 言葉も、個人的な独特の用法は主観的だ。が、それも一般的な定義に言い換えることはできる。よって、その独特な言葉使いを使い続けても、主観的だとみなすことはできない。

 考えも同じだ。個人の主観的な考えを述べたとする。それを主観的というのはあたっている。が、しかし、その個人の思考も、客観的な考えで、説明できるため、特に主観的であろうが、会話では問題にならない。

 このようにあらゆる主観は、客観で説明しえる。よって、客観的な基準をもつ人にとっては、主観と客観の区別は重要ではない。

 主観とは、特殊な考えである。客観とは、より一般性のある考えである。科学では、一般法則となる。主観は特殊な考え、特別な事例における考えとなる。科学的な物の見方をするためには、主観は特殊論、客観は一般論として、理解したい。できるだけ、特殊な思考から脱して、一般的な観点をもつことは、大切である。視野が広くなる。

 井の中の蛙になることはできるだけ避けよう。広い世界を見よう。

以上、主観と客観という言葉を使う人は、心の中に理性(一般性のある概念で物事を理解する心)が確立されていないことが、判明した。

   本日の被害
 本日、目が刺された。アカは私の視力悪化を狙っているようだ。また朝からだるい。何か飲まされたようだ。音声送信はある。

 以上

 

 

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「僕らの民主主義なんだぜ」の批判 哲学の話--唯心論からの解放、心の中に神様はいない

2015-12-10 11:45:24 | 社会思想の終焉

大阪は雨

 仙台ー首都直下まで4日の予定。科学的な予兆がまだないのだけど。当日朝くらいは前兆があってほしいものだ。左から。

 「僕らの民主主義なんだぜ」の批判
 朝日新書で高橋源一郎著作。デモする若者に民主主義は、僕ら若者のものなのだ、と呼びかける本。民主主義は左派デモをする市民活動家のものだ、と全共闘気分を若者も謳歌しようとでも言いたげなこの本のタイトル。それは間違っている。

 どうも、この著者は民主主義をはきちがえている。この人物は、デモ、アジ演説など「反政府運動」こそが、民主主義であるかのように言う。それは民主主義ごっこである。

 デモや反政府運動は言論や活動の自由があるからできる。正しくは、「僕らの反政府的な活動が取り締まれないのは民主主義ではなく、人権の自由があるためだ。僕らの"人権"なのだ。」と言わなくてはいけなかった。著者は、「人権」と「民主主義」と言い間違えたのである。

 なぜなら、民主主義は、左派の活動家のものではないからだ。若者のためにあるものでもない。国民全体のものだ。

 市民やメディアが問題提起をして、学者が図り、議員が多数決で決める。そして、官僚が行政を采配する。民主主義とはそういう意志決定システムである。民主主義は広く国民の声をきく。一部、左派の占有物ではない。

 もし、左派の勢いがある市民派の所有物になったらどうなるか? それが菅直人内閣である。忘れたのだろうか。彼は、活動家らしい出で立ちで国会に入り、やがて左派のコートを取り外した。彼は議員になるとすぐに現実の政治は左派の活動家みたいな安易な振る舞いではできないと悟り、左派的なあり方は自らの手法からは捨てた。彼は元来、市民派保守なのである。左派系はあまり使わずに、民主党の保守に近い政治家に仕分けさせたが、官僚の抵抗にあい、挫折する。すると、今度は学者会議をたくさん開き、政治をよくしようと試みた。が、それも失敗した。国民はこれら一連の素人の政治参加、その行き詰まりから、政治家に政治をさせるのが一番いい、という結論に達した。保守系の政治家 野田に託すことになった。
 「僕らの民主主義」のような若者の新左翼運動のノリで政治をやると、わかりやすく言うと首相をやると菅直人内閣の二の舞いである。民主党政権で何も学ばなかったとは、情けない。

  哲学の話--- 日本人の哲学的迷信 「神様は心のなかにいる」は間違い
 唯心論と唯物論の論争で、神様は科学的に検出できないと指摘に窮して、苦し紛れに信者がこう答えた。神様が心の中にいる、と。そんなことが可能だろうか? それを哲学的に考察する。

 心とは脳である。脳の中に、どんな生物が入り込めるかを考える。神様は知性をもつ生物である。「神様は心の中にいる」というのは、脳の中に知性をもつ生物が入りこんでいる、ということだろう。実際、それが可能なのか、検証しよう。

 知性をもつ生物は、どれほどの大きさになるだろうか。脳は、人間の場合、1200-2000gである。脳の比重は、男1.0561, 女1.0508だ。脳の体積は1.2-2リットルである。

 脳のサイズと知性は比例する。猿は人間より脳が小さい。神様は、人間より賢いから、1.5kg以上で4kgもないと思われる。あまりに重いと、体積もかさばり、頭でっかちの神様になってしまう。そんなのは無様だ。脳のサイズは小さいわけがなく、あまり大きくないと想定した。

 また、知的生命体は、頭だけでは生きていけないから、同体や手足ももつ。それは効率化できるとして、あまりに手足が短いと奇妙である。神様も人間と同等かそれ以上である。神様のボディは、だいたい60-100kgとしよう。人は水に沈むが、空気を吸うと浮くからから、比重は約1強。正確には、身体 密度 D=1.0923とされる。

 60kgの人間はほぼ60Lである。神様も人間と同じような物質でできているだろう。よって神様の体も同じ体積、重さと考える。人間よりは大きめとしても。

 唯心論者は、こんな60リットル体積の神様が、脳の中にいる、という。しかし、頭の中に60リットルの生物をぎゅうぎゅう詰め込むことはできない。それは、物理的に不可能だ。重さは考慮しないのは、神様は見えないから、希薄な物質で軽いはずだからだ。よって、神様は脳の中に入れない。神様は、脳の中におさまるサイズではないことは、確かである。

 脳の中に生まれた時から死ぬまでいては、なんら運動もできないし、知的活動ができないから、神様は成長しない。知的に成長しないことをずっとしていて、神様はつとまらない。よって、神様は脳の中という狭い空間にとどまってはいない。つまり、神様は心の中にいない。

 こういうわけで、神様は心の中にいると信じた唯心論者は、こういう科学的知見に打ちのめされる。「私の心の中に神様はいない。」 それは実際に正しい。

 小賢しい反論として、「心の中に空間があって、そこに神様がいるんだよ。夢のように。」というのが考えられるだろう。しかし、もし脳の中に極小空間があるとしても、もしその中に神様はいない。極小空間の中は、狭くて小さいからだ。そこが、もし広大な空間で、神様が入れるくらいならば、それは脳とつながるどこか別の空間なのだ。それは脳の中ではない。心の中でもない。つまり、心の中に神様が入れる空間はない。よって、神様は脳の中にいない。

 唯心論が華々しく、物理世界論(唯物論は無神論なので、ここではそういう立場ではない。)に負けてしまった。なお、心の中に神様はいなくても、「心の中に神様の声が響く」ことはあるし、「神様が心を通じて人を導く」こともできる。「心は神様の影響を強くうける」ことまでは、否定しない。それはまた別の問題である。以上、前回に続いて、唯心論をダブルにメッタ斬りした。

    本日の被害
 本日、目が刺された。アカは私の視力悪化を狙っているようだ。

 以上

 

 

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マリーヌ・ルペンを調査中、哲学の話--「自分が死んだら世界はない」の反証

2015-12-09 11:52:37 | 社会思想の終焉

大阪は晴れ

 私は第2次被害東日本大震災を12/14頃と予知。被害をゼロにしたい人は、私の地震予知ブログをどうぞ。

 フランスの極右政党とはなんぞや?

 マリーヌ・ルペンが先のフランスの選挙で最も勝った。「極右」と言うステレオタイプに流すだけで、どんな政党かさっぱりわからない。これはメディアの怠慢だと思って、彼女たちの政策や特徴をさがしているところ。左派メディアの言うことは、話半分以下にきかないと、世渡りできないから。

 彼の父親は、反ユダヤ主義で民族主義者。反左のグローバリストだった。左のグローバルという概念があったとは。もっといつか調べてみよう。

  哲学の話--- 日本人の中にある哲学的迷信をいくつか、否定してみせよう 唯心論の否定その一
 「自分が死んだら、世界は自分にとってない」、「自分が死んだら、世界に意味がない。なぜなら、自分はいないから、世界そのものを感じることができないからだ。それは世界がない、といえる。」ともっともらしいことを言う。

 これは日本のリアリティ論者や唯心論者がよく使うセリフ。仏教の発想にもある。自分が死んだら、自分にとって存在する世界はなくなる、と。

 ふつうは、死ぬことと眠ることは似ている。寝ている間でも、世界は動く。世界はつまり、寝ている間も自分にとって意味がある。死んでも同じで、死んでいる間でも、世界の動きは何らか意味がある、と考える。が、唯心論では、その逆のことをいう。自分が死んでいる時、世界は自分にとって意味がない、と。

 この唯心論の観念は、逆の発想なので、違和感が強い。でも、これまで上手に否定した人がいないらしく、この物言いは、多くの人に語り継がれてきた。私は、それに終止符を打つ。

 あまり知的でない人が、哲学を知ったかぶりで語る時に、たまに言う言葉だ。「しかし、私は言いたい。あなたが死んでも、世界はなくならない。君の死後もなおかつ、世界は君にとって意味がある、と。

 このリアリティ論者の思い込みは、死んだ後、蘇らないと思っているという単純な間違いからくる。人間は死んでも、時々、蘇生する。すると蘇った後に、死んだら、意味がないと思っていた世界が、実は死後も大きな影響を自分に与えていたことに気づく。

 誰かが君を蘇らせてくれるのだ。死んでいる君にとって、何の価値もないと思われた外界の存在、他者が君を治療して生き返らせるのである。つまり、君は死んでいる間も、その外の世界によって影響を受けるわけだ。死中ですら、外界は君にとって大きな価値があるということだ。

 本人が死んでいる間、君にとって何も価値がないと思われていた外部の世界に、何か意味がある。証明はこれで完了だ。「自分が死んだら、世界も終わり」ではない。世界は終わらずに、動いている。そして、運がよければ、君をまた起こしてくれる。

 外の世界が君を蘇生させられなかったらどうなるか? その時は、世界も価値がないといえるではないか? と小賢しい反論をする人もいるだろう。しかし、治せるかどうかということが、死んだ後に問題なら、それは死んだ後に世界はない、という話ではない。死んだ後にも、君にとって世界は何らか君に影響をもたらす日の可能性をもつのである。可能性があるということは、意味があるということだ。

 正しくは、「君が生きてても死んでも、君にとって世界はある。」 そういう世界は生きている間も死んだ後も、普遍的に君にとってある(存在する)。そう一般化できる。

 

   本日の被害
 本日、目が刺された。アカは私の視力悪化を狙っているようだ。

 以上

 

 

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東日本の原発は停止しよう、哲学の話--- 共産主義がない平和な未来

2015-12-08 11:50:48 | 社会思想の終焉

大阪は晴れ

 昨日、裏起毛のトレーナーずぼんを買った。履くと温かい。手袋も裏起毛にした。「裏起毛」がマイブーム。

 昨今、左派の考える「ニセ保守」が昨今よく話題となる。左派は保守が護憲で、親韓で、親米で、自由主義者(新自由主義、グローバリスト)だと思っていたようだ。だが、実際は右がそんな姿をしていない。どうして、そんな違いが生じたか? それはまた今度、説明する。

 共産党の国民野合連合は、保守にとっても都合がよい結束だと気づいた。これまでは社民、民主、共産と個別撃破しなくていけなかった。が、これなら民主党などが共産票を得て、勢力を増やしても、まとめて一網打尽にできる。改憲のコースである。

 東北、関東、中部の原発は止めておこう
 私は地震予知をしているから、どれほど日本が震災を受けるか知っている。地震で壊れる原発も推測できるし、大きな地震がこない原発もあることは、把握している。
 しかし、今は大地震がいつ発生してもおかしくない時期。私の予知では12月半ば。東北から関東、中部の原発は、停止させておこう。福井、四国は気にしなくてよい。
 どうせどこも停止している。特に、福島原発の処分は早めなくてはいけない。

 哲学の話--- 共産主義がない平和な未来
 一言。世界に共産主義がなくても、人権はよくなり、世界は平和になる。ソ連がいなかったら、さぞかし戦後、世界が平和だったと思えるからだ。
 共産主義こそが、大戦後の混乱である。朝鮮戦争、チェコの弾圧、アフガン侵攻、ベトナム戦争、キューバ危機。南米左翼ゲリラ。大きな戦争の芽は、すべて共産主義からくる。それら戦争がなかったら、なんとしずかで平穏な時期だっただろうか。

 共産主義は拡大して、すべてが共産体制になるという偽りの歴史観に騙されてはいけない。共産主義は、現在のようにしだいに縮小、消えてゆく。そして、共産主義が消えた時こそ、自由が残る。資本主義国が全世界を覆い、世界は豊かさと自由の輝きに満ち満ちるのが歴史の必然である。

 国民すべてが資本家(総合技能者)となることで、社会性を追求することを完結させる。社会性の段階を終える。労働者=単独技能者に、とどまって進歩が止まってはいけないのである。

 共産主義のない未来を考えよう。どれほど、そこはイデオロギー地下闘争がなく、自由に満ちて、独裁者がなく、物資にあふれ、穏やかで平和なのか、と。

   本日の被害
 本日、目が刺された。目が痛む。冬になると、粉塵を部屋に入れるらしく、それが目に入ると目が痛い。睡眠中に針で目刺したあとにそれをする。それで目にしみる。また手あれのために、睡眠中に酸性薬剤をぬられることがあり、肌荒れがひどくなった。

 以上

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雜誌世界12月号批判、哲学の話--理論優位、池田市長選挙結果

2015-12-07 11:44:39 | 社会思想の終焉

大阪は晴れ

 私は311のような震災が12/14に起きるという説を発表する。強い揺れだから、再度室内を点検してはどうか?

 池田市長選挙が昨日あり、無所属の旧市長の倉田薫が16893票で当選した。前市長の小南修身(助役あがりで自民党推薦、14200票)と共産党推薦の無所属山元たけし(4863票)を下した。
 私はもちろん、倉田薫に投票した。伏尾台で150m西に住んでいるし、??の友だちの父親だから。10年以上市長を経験した倉田人気は親子ともに根強い。
 素朴な疑問。なぜ共産党市議だった山元が共産党推薦で、無所属になりうるのか? 共産党員をやめたのか、と思ったが、そうでもない。党派(市の会派)として無所属ということらしい。
 山元たけしは無所属なのに、共産党員で共産党推薦とは、まぎらしいことこの上ない。無所属なら、共産党をやめてから名乗れ。共産党員はこんな筋の通らないような選挙をするな。と思った方は、どうぞ声をあげてください。

 雑誌『世界』12月号批判
 この雑誌は『共産主義』を否定しはじめた。随所に、共産主義の危険性を示唆する言葉がある。例えば、『レッドパージ』など。民主党の票を奪う共産党を敵とみなし、排除に動き出した。労組系も2周遅れで、ようやく私の戦略にのっかってきたようだ。

 バーニー・サンダーズの台頭--イギリスの過激社会主義者コービンと同じようなのが、アメリカ民主党にいたようで、『異端の過激な左派』というレッテルを貼られた男らしい。『社会民主主義は米国の正統的なツール』という。が、社民は米国ではアカとなるが、そうなったら、政治生命がおわる。この著者はアメリカの実情を知らない。

 片山善博の「日本を診る」---「辺野古審査請求からみえてくる国家のモラルハザード」。そのタイトルは民主党議員がつけてはいけない。政治のモラルハザードを起こしたのは民主党政権だったのではないか? 中韓関係悪化、超円高で国内空洞化、震災無策、復興遅延、マニュフェスト違反。官邸のモラルはあの頃、どこにあったのだろう。

「木質バイオマスと地方創生」--左派は勘違いする。左派系が喜ぶ経済学者の藻谷氏が書いたのは「里山資本主義」。資本主義を寒村に持ち込むアイデア。それは国家の補助金をあてにするような社会主義な態度をやめて、大阪商人的なノリで自立して山村を再生しようというもの。左派も、中国をまねて、資本主義バンザイとやる時代なのか。

 「市民社会の価値とTPP」-- どこか歪んだ人権意識が往年の左派っぽい。特許が切れた安い薬を使って生きながらえる人が多い。彼らのためには、特許期間を長くしてはいけない。だが、アメリカは製薬業界の利益代弁者のように動き、長めにしようとした。それを一つ問題提起していた。それは、貧乏人や途上国目線ではある。

 だが、日本の甘粕大臣は、この件ではアメリカに「ゲームをするな」と注意したという報道があった。日本は特許期間を長引かせることに賛成をしてない。あまり新聞を読んでないようだ。文句を言うなら日本政府ではなく、アメリカに。

 もう一つ「人権侵害国家と貿易するとはとんでもない」という。人身売買をするマレーシアとは自由交易するな、という意見が引用される。しかし、マレーシアより先に、共産独裁国家のベトナムだろ。強制収容所の数さえ隠す、内部がまったくみえない人権のない闇の国が先。

 また中国もTPPに入りたそうな顔をしている。人権侵害国を問題にするなら、共産国からすべきだろう。そういう人権蹂躙の共産国をあえて話題にせずに、マレーシアなどの小さな問題を大げさにとりあげるあたりが、古典的な左派人権派らしかった。

「崩れゆく市場と国家の秩序からの解放」 内山節
 タイトルからして、おかしい。「崩れゆく市場」は、どこの話かとんとわからない。それはは中国の市場くらい。「国家の秩序からの解放」はグローバリズムか、秩序を乱すアングラな世界に落ちることを意味する。労働運動家はそんな世界にいると、暗ににこの雜誌を批判しているのだろうか。
 冒頭から間違える。「あらゆる秩序的思考が有効性を失っている時代〜〜 新しい社会思想や政治思想を生み出し」、とある。現実、社会秩序はますます整う。希望がないのは左翼の世界だけで、社会保障の充実するし、経済政策も日々洗練される。著者はこの現実が見えてないようだ。「権力喪失」でイデオロギーの影響が低下しているのに、まだそんな社会運動にこだわる。新しい思想には、この縁がない人のようだ。
 「成功体験にしがみつく保守の結集」とあった。「失敗体験しかない左派の分裂」が他方にあるという意味なのか。「過去の成功体験にしがみつく」なら問題だが、アベノミクスはあまりに斬新でそうではない。政権批判のつもりだろうが、保守の優秀性をひがんでいるようにしか聞こえてこない。
 だが、ここでも、里山で資本主義をやればいいみたいなような話で終わる。左派は、なぜ、小さな資本主義が好きなのだろうか。やっと資本主義のシステムを理解したということだろう。国家単位では資本主義社会を正しく評価できないとしても。
 というわけで、崩れゆく左派活動家が、何をあがいているかと読んで見たら、社民党と同レベルだった。

 哲学の話
 単純な原則。理論的優位。理論が優れたほうが正しい。よくある話。自由主義と社会主義。優れているのは自由主義。なぜか? 人間は個人個人が自由に活動することで、成長する。動物は基本的に1人ずつ頭脳をもつ。例外的に、植物に集団で活動する粘菌などいる。

 人間社会は、個人の集まりだ。そこで、社会はそんな組織形態だとみなして、研究するのが、自由主義だ。社会主義では、個人がないがしろにされ、全体が優先される。個人は機械の一部のように扱われる。物言わない「細胞」のように。社会さえよければ、個人の思想、テリトリー、生命は犠牲にしてもよいとする考えだ。いや、個人の頭脳を基本的に認めないのが、社会主義である。脳は、首都に一つ巨大なものがあってそれが完璧な命令を下すと、すべてがうまくゆく、という今は受けない仮説である。当然、生物の基本(個別に自由に活動する)に反する統治法で、やがてはそんな不自然な社会は生存の危機にさらされる。

 簡単にいうと、自由主義は社会主義(共産主義)より優れている。たったこれだけ。それが理論優位だ。

 というわけで、社会主義でいくら立派なことを言おうとしても、自由主義にはどんなに頑張っても勝てない。逆に、自由主義はどんなに簡単な理論でも、社会主義のどんな複雑な理論よりも優れる。この原則を知っていると、左翼に対しては、保守自由主義者は優越的に振る舞える。何も言わなくても、その存在だけで、その本質が勝っているからである。

 それはソ連人とアメリカ人が対峙したような感じである。ソ連は何やら小難しい共産理論をぐだぐた述べる。アメリカ人は、自由な世界で蓄えた富をみせつける。それだけで、貧しく国家に虐げられ自由も物資もないソ連人は圧倒的なアメリカの豊かさの前に、敗北感を味わう。

 さて、自由主義が死ぬ時、終わる時はない。なぜなら、それは1人1人ひとりの脳がなくなることを意味するからだ。自分で決めて行動でする社会を人間は好む。自分の脳が、中央の指令通りに動く社会など、こりごりだ。政府に自分の脳を支配させないだろう。人類は永遠に脳を個人にもたせるだろう。よって、その自由意志の社会は変わらないし、終わらない。自由主義の次はないのである。共産主義の発展論は、偽りなのである。

  本日の被害
 本日、目が刺された。肌あれがひどくなる。これは薬品が患部につけられるためである。

 以上

 

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アベノミクスで貧困が広がったというのは嘘、哲学の話-人工知能より知性が劣る人類のあり方

2015-12-05 11:27:45 | 社会思想の終焉

大阪は晴れ

 東京地震まで、私の12/14説では、9日。せまりくる大揺れに備えを。事務所や家がちらかっている人は特に。

 アベノミクスで貧困が広がったというのは、嘘
 ニュース23は新しい貧困をとりあげている。老人が公団に住み、年金暮らしで貧しいとか、家持ち車持ちで妻の介護で仕事をやめて極貧になったとか、フードバンクを訴えるものが続いた。昨日は、実家でひきこもる若者だった。
 こういうのを発展途上国の人が見たら、『家があって贅沢だ。どこが貧困なんだ?』と憤ること間違いなし。彼らから見たら、貧困とはとうてい呼べない。

 日本では浮浪者がいなくなって、そんな底辺はもう社会問題化していないということだろう。路上生活者は生活保護を受けて、慎ましく貧しく、屋根の下で暮らす。そして、浮かび上がった新たな貧困。それが家持ち貧困である。食い物が足りないというのは、対策はフードバンクを与えるしかない。それを充実せよ、という訴えなのだろう。
 それ自体は悪くはない。だが、左翼は、これまでは貧困とみなされなかった者達を含めて『新しい貧困』と呼び、『貧困層が広がった』というのは、詭弁である。貧困の概念は広がっても、貧困者は減ったのである。これは統計的に確かめられる。実際は、失業者が減り、貧困者数は減った。もし、貧困が増えたなら、失業者が増加するが、それはない。もう一つは生活保護の受給者の増加である。それまでそれすら受けられなかった『路上生活者達』が、ようやく月々の支援をする受け取ることができるようなったのである。これぞ、貧困(極貧)からの脱出である。まぁ底辺にいるのは確かではあるが、屋根の下に住み、明らかに生活は向上しており、無駄使いしなければ、食することもできる。

 というわけで、左翼が『アベノミクスで貧困層が広がった』とよく言うが、失業率の低下と路上生活者の減少で、それは真っ赤な嘘だとわかった人は、震災で無一文にならないため、私の地震予知サイトもご覧ください。

世界情勢の裏読み
 戦闘機を領空侵犯で撃ち落とされたロシアは、そのトルコがISの石油を購入することについて、非難する。その石油売買の噂は、私はよく聞いていた。これはIS包囲網を築く、西側諸国がまず行わなければならなかった。ロシアにやらせている感が強い。西側がトルコと関係を良好にしたいからだろう。

 ISは興味深いイスラム過激派で、英米ドイツに甘く、仏露にきつい。アルカイダが英米をもっとも敵視していた点と大きく異なる。とはいえ、米国もイスラムテロが起きたから、安穏とはしていられなくなった。

 哲学の話 機械が人間より賢くなると?

 囲碁はまだだが、将棋やチェスではPCのほうが人間より強い。部分的に人間より賢くなった人工知能が現れた。まだ映像を見て、行動するのは人間のほうがややできる。が、工場のように決まった行動をするだけならば、もう機械にかなわない。
 人工知能による自動運転は、初心者や老人のへぼ運転よりも勝り、やがてはレーサー並になるのは時間の問題だろう。もう20年もすると、機械任せにして、主婦・老人の運転など怖くて乗れない人が多数派になっているかもしれない。

 人類は今まで、自分より高い知性と直面したことはなかった。人間以下の動物、さる、狼などと闘っていた。それで知性を誇っていた。が、人間が最高の動物というのは、人工知性の登場によっておしまいだ。
 やつらは、生まれた途端に知識を頭の中に詰め込まれて、一瞬にして人間より賢くなる。そんなのが大量に生産される。これからはそんな目上の機械によって、人間は管理される時代となる。
 コンピューターはただ賢いといっても、自ら進歩しない。特定の方面には極限まで突き進むことはできる。しかし、全体的な進歩は今のところできない。だから、機械に支配されると、人間は成長しなくなる。が、性能が悪くても人間は成長できる。結局、人類社会の発展を主導するのは人間だ。

 今後は、人間と機械の間で、知性がどうのこうのという争いはなくなるだろう。機械に人間は必ず負けるからだ。創造性がある人間のほうが優れているという話に進むのではないか。

本日の被害
 本日、目が刺された。また執筆中も電波で時々、腰が痛くなる。

 以上

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ニュース23が潰れる理由

2015-12-04 11:25:45 | 社会思想の終焉

大阪は晴れ

 こちらにも載せておく。私は首都直下地震を予知している。約10日後の12/14頃にそれは起きる。東京から仙台までは、今から関西や東海に移動したら安全。

大野地震研究所 http://tasuku43.seesaa.net/

 ニュース23が潰れる理由
 私は、電波犯罪を2001年頃、筑紫哲也がいたそこに訴えていた。結局、報道しなかった。今も報道しない。それが、左翼系犯罪組織を擁護する結果につながる。私はこれが原因でこの番組はつぶれると信じている。
 調査力がなく、裏がとれなかったなら、この番組が責任をとらされることはないだろう。反社会勢力に恐れをなしたのかもしれない。それなら自称左翼ジャーナリスト失格である。

 もし知っているのに、告発しないなら? 私はその可能性を疑っている。だから、みんなこの番組から逃げ出すタイミングを計っているのである。

 来年4月には、電波犯罪が告発される。私にとって、それは真実である。日本の右派のたいていもこのことは知っている。電波犯罪をメディアが隠蔽していることを。それもわからない裏世間知らずな人は、これは東京地震が発生するのと同じくらい確度が高い情報と思ってほしい。

 筑紫哲也は『TBSは死んだ。』と言った。彼によると今のTBSは生きてないのだろう。人間ではないのだろう。人間に非ず=非人間、いや非国民なのかもしれない。

 哲学の話 共産主義は古い経営学の亜流2
 左翼活動家は労働者の職場環境の改善や高い賃金を経営者に要求する。つまり、経営に口出しすることを、半ば本業とする。それは本来、労務(人事部)がする仕事である。

 それは経営学の一分野だ。会社の経営についての専門的な見地は、すべて経営学といってよい。労働者の待遇などもそうである。まれに法律も関係するが、それは経営の一部の法務となる。共産主義は、経営学の古い古い一つの一側面なのだ。労働者のあり方に関する規定なのだから。労働者とは、工場や会社があってはじめて成立する概念である。労働は経営の一部なのだ。マルクスが作り、以後ほとんど改善されなかった出来の悪い理論なのだ。

 経営者はこういう労働団体の要求には、経営学の一範ちゅうであるからして、知識もたくさんあり、冷静に対処できる。共産主義者は、経営を理解できないか、外側におく。それに対して、経営学では、共産主義も亜流の理論として、内部に取り込める。これが、経営学とマルクス主義の学問としての差だ。

 マルクス主義は、労働者のあり方に特化された経営の一分野の古典的な邪論である。経営学と同等なものでも、経営学と対峙するような特別なものではない。経営学の一分野で、しょうもない理論なのだ。

 経営学は、はるかに共産主義を上回り、巨大な体系になった。社会学の一分野として確立した。それを学ぶ者には、共産主義などはガキのたわごとのようである。

 よって、アルバイトしか知らないような経営にも無知な若者は、マルクス主義に触れると新鮮で、そこから会社を見る目を見出すかもしれない。が、経営学を学んだ者は、そんな使えない理論を今更・・と、蔑視することになる。これが現実だ。

 私はだから、経営学を小学生にも学ばせたいと思う。人間関係を作るのが下手になった。友達つくり程度のことしか言えない子供が多い。もっと人間をグループ化して、どう扱うとよいか、広く学ぶべきなのだ。それには経営学がうってつけだ。

 経営学ではなく、株の売買を学ばせるという試みはある。これはお金の扱いなど学ぶので、数学で足りる。社会の勢いがある産業や起業は知ることができても、人間を知ることができない。株ごっこは子供にはふさわしくない。

 が、経営はそうではない。組織作りは、社会秩序である。それを守る方法や維持する方法を学べる。効果もある。会社に就職して、会社の基礎知識があるから、会社の人間関係などにすぐになじめるだろう。実学でもある。

  
  本日の被害
 本日、目がひどくさされたようだ。音声送信で、目に刺さって、(針が)折れたと恐ろしいことを言う。左目外側がひどく切られたようだ。目の中だから、外から見えないとしても、アカがそれで慌てていた。左目下も切られていて、痛む。見た目ではわかりづらい。

 以上

 

 

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正論1月号の感想1、哲学の話--共産主義は経営学の亜流

2015-12-03 11:48:13 | 社会思想の終焉

大阪は晴れ 

 立ち直った。私が右派の戦術家の若手で、すでに裏側で強い影響力を誇ると知っている人は知っている。

 韓国の朴政権は国定教科書に (産経ニュースより)
 正論1月号を立ち読みする。朴政権は日本で評判が悪い。外交が大人ではないことは韓国びいきの私も認める。が、久々によいことをしたので、報告する。日本の右派は、この件に関して鈍い。が、正論が特集を組んでとりあげるくらいだから、とても素晴らしいことだ。
 彼女は、教科書を国定にした。韓国はこれまで左翼の教科書が14くらいあって、右のが1つ。日本と同じようないびつな状況だ。その内容もかなり左に傾いていた。
 例えば、朝鮮戦争は北朝鮮の一方的な侵攻が事実だが、韓国にも責任があるような書き方があるという。北朝鮮のシンパを育成するような内容だ。また左傾教科書は、共産主義かつ、主体思想の浸透を狙い、韓国文化の破壊を目指す。それは許容できなくなったようだ。韓国には日本の日教組のような左の教職員組合が2つある。立ち読みなので、覚えてないが。

 私は韓国のこれまでの教科書は、北朝鮮の影響が濃いと考えた。韓国が反日なのは、こういうことに原因があるのではないだろうか。韓国は教科書を自ら変える必要があった。朴うねはそれをやってのけた。賞賛すべきことだ。反日も少しはやわらぐだろう。新しい教科書で育つ子供は、世界観・歴史館がすこしはましになるだろう。

 この国定強化書は、韓国の左傾化にストップをかけ、反日教育に終止符をうつきっかけとなりうる。実にいい政策である。日本の文部省も、あまりに日本の教科書が左になったら、国定化することも検討してはいかがだろうか。

 トルコとロシアの情勢は面白い展開だ。
 ロシアの戦闘機をトルコが撃ち落とした。報復でロシアは、シリアで石油を運ぶトルコのトラックを爆撃した。ISの石油を買うという疑惑をもたれたトルコの大統領は、それら取引に関与していない、と言った。彼の息子がそれをしているというのは有名な話だが。
 ISの石油をトルコが買うことは、今まで誰も止められなかった。ひょんなことから、ロシアがそれを世界的なニュースにしてくれた。プーチンは策謀家としては、見事だと褒めるべきか。それとも、ロシア機撃墜からはじまりる一連の流れそのものが、こういう帰結になることが必然だったのか。
 ISの資金源の一つが、追求されることになった。もう一つは湾岸諸国からの支援だが、それはいつ終わらせるよう圧力がかかるのだろうか。

 水木しげるは、反戦活動家で、左翼が好んでとりあげた
 別にいいと思う。ゲゲゲの鬼太郎も、彼のラバウルの漫画も。得たいの知れない薄気味悪さが満載で。左翼の世界そのものだ。彼らは革命のためには暴力闘争、地下アングラな世界の中に住む。ふつうの市民生活を送りながら、彼らはゲゲゲの鬼太郎と同じく、貧困や差別、内ゲバ、暴力革命、無秩序、人権侵害など社会の暗い暗い側面ばかり見て、暮らす。しかも、普段読むのは、19世紀のマルクスが書いたような古典。
 彼らは、現代の先進的な世界や考え方とは無縁。だから、水木しげるに左翼が親近感を感じるのだろう。妖怪ウォッチをみる子供には、もうわからない世界なのだが。
 ただ、私は日本昔話のアニメを見たほうだから、妖怪やもののけの世界も、美しく人間的で、平和でのんびりしたものが本当だと思う。ゲゲゲには変な現代性があり違和感があった。鬼太郎や耳なし法一のような怪談じみたものは、あまり健康的ではない。左翼好みだとしても。

 哲学の話 -- 共産主義は経営学の亜流
 共産主義とはいったい何なのか? ずっとわかりにくいものだったが、やっと最近わかった。それは、工場経営の理論なのだ。農民から町に仕事に来て、工場で働く。18-19世紀のことだ。それら工場労働者が町に大勢現れる。そんな彼らが豊かな暮らしをするための、歪んだ方法論なのだ。

 労働者の理論というが、本当のところは、工場経営の一面である。工場で働く労働者の給料や待遇、地位などを書いたものだ。つまり、共産主義とは、18-19世紀の経営システム(労働者の管理を書いた)なのだ。共産主義は経営学の一分野、というのは驚くかもしれない。が、妥当なところだ。古い工場労働の腐った教科書みたいなものだ。18-19世紀の工場の労務管理。

 19世紀や20世紀には工場は花型の職場だった。その経営論は、知識人でも輝いて見えたのだろう。それを少し改善したような体裁の共産主義(一種の経営論)はなおさらだろう。それで、多くの人々が労働者の暮らしがよくなると騙された。

 現代の経営学からすると、ひどい質ではあるが。誰も見向きもしないのだが。

 共産主義は、古臭い経営管理論だとはわかっただろうか? 古いできの悪い経営管理論だ。しかし、19世紀には新鮮に見えたのだろう。その共産のシステムで、国家そのものを運営できると革命を起こしたのもいる。しかし、所詮、経営の実務経験すらないマルクスが考えたもの。国家に適用できるほどの一般性もなく、そのシステムの国家は次々と破綻に追い込まれる。かろうじて体裁は保っていたが、1992年にはつぶれた。

 結局、共産主義者がしていたことは、古典的な経営システム(労務管理主体の論)で、社会、国家を統治することだった。それで失敗する。当たり前である。彼らは、経営ごっこをしていたのだから。

 経営をブルジョワジーの学問として、否定したから、彼らはこの真実にいまだに気づいていない。そこが、愚かである。

 共産主義は経営学ではない、というのには、反論しておく。経営のよしあしを論じるのは、すべて経営の範ちゅうである。それは、経営という分野におさめることができる。つまり、経営学である。共産主義は、経営学の亜流だったのである。本流が成功して、亜流は行き詰まる。これこそ歴史の必然である。

  本日の被害
 本日、昨日と似た症状はあり、白いもやもや感はあるが弱い。左目の下側が痛む。音声送信はある。

 以上

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頭痛のため休養

2015-12-02 20:37:37 | 社会思想の終焉

大阪は晴れ 

 本日 頭痛のため寝込む

 これはアカによる私の言論活動の妨害だと思う。


  本日の被害
 本日、軽い頭痛が続き、ついに寝こむ。意外と症状は重かった。午後に目覚めてからは、回復した。

 ついでに聞いた話
 あるグループは電波犯罪の証拠を集めて、会員に提供した。その会員は警察に訴えた。電波犯罪があり、日常的に犯罪者が電波で近所から嫌がらせしたり、集団ストーカーしていたことを、その被害者の家族も、認めた。もちろん、犯罪組織も家族で理解した。

 これら会員は孤独な闘いからはようやく解放された。家族は認められたわけだ。また警察も取り締まりを行った。中には、警察の捜査が早く、犯人が捕まったところもあるようだ。
 これは未確認情報である。岡山が今はこの件で先行する。


 以上


 

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日本の新しい課題 職安と生活保護の改善 哲学の話-2016年の文明の対立は小規模に

2015-12-01 11:51:05 | 社会思想の終焉

大阪は晴れ

 左翼の扇動は裏ほどきつくなる。それにのせられては、日本を立ち直らせることはできない。アベノミクスで日本の社会問題は大方片付いた。今後の課題がそろそろみつかりつつある。それを並べてみた。

 不可解な共産党
 選挙ごとに倍増。怒涛の勢いの共産党。そこの山下議員が、自民の衆参ダブル選挙を批判(共産・山下氏、自民党幹部の「衆参ダブル選挙」への言及に不快感)。衆参ダブルに一番乗り気なはずの共産党が反対する。実に不可解。どうも、共産党は次の選挙で負ける予定らしい。私は共産党が大負けするなら、衆参タブル選挙もよいと考える。憲法改正も近づく。

日本の課題3つ

 日本の歳入があがらないこと
 各国の歳入のグラフを見た。先進各国は10年で1.5-2倍になっている。が、日本だけはまったく伸びてなかった。これは税収の増加がないことを意味する。ここから改革しなくてはいけない。資料も探して、原因と対策について、また今後考えてみたい。日本だけ、どうして税収があがらないのか。

 日本の株価があがらないこと
 これも日本の特異性だ。ヨーロッパは1992年以後に、3-4倍にあがった。が、日本はその頃から2倍も上がってないと思う。円高も解消されつつある。が、どうして上がらないのだろうか。ここもまだまだ経済政策でなんとかしなくてはいけない課題だ。やがて詳しい分析をしたい。

 労働者不足が深刻と危惧されるが、一方で収入なく貧困が目立つ
 ニュース23の貧困特集を見ると、みな家持ちである。老人や母子家庭が多い。以前は、浮浪者の貧困が目立った。が、それはなくなった。日本の社会保障の向上がみられる。
 それら給料がない。収入がない、と貧困家庭者はいう。が、一方で医療関係では看護婦や医者不足が深刻。介護する人も不足する。日本は労働者不足だ。働くと金が入る。仕事が余っているのに、かたや仕事ができずに貧困である。これはどうしたことか。
 仕事があるのにできないのは、就職の斡旋がよくないからだろう。仕事紹介(職業安定所)が、どうもお役所すぎるきらいがある。貧困者など緊急を要する者には、特別にもっと親身で手厚いものを提供する必要がある。

 彼らが生活保護を受けない者もいる。そうなのは、車を持てなくなるからだとか、自宅を手放さなくなるからだとか、何か生活上必要なものがなくなるからという。生活保護の生活保護の条件が厳しすぎるのがよくないのだろう。それを緩和することが求められる。アメリカのように収入と財産で審査するのが一法。他に、貧困での所持品をゆるくするのが2法。

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 哲学の話 文明の対立とは?
 2016年は再び、文明の対立だ。パリテロで、ヨーロッパとイスラム過激派の対立は鮮明になった。ヨーロッパはシリア難民など外部の脅威という認識は一致させつつある。今後それは加速するだろう。

 で、今は、ヨーロッパ対西アジアという構図が出来た。ヨーロッパ対中東という構図には至ってない。なぜなら、シリア難民とヨーロッパだからだ。イスラム諸国のイランやサウジは遠く、蚊帳の外。

 このペースでは文明の対立にいたる。あの悪夢の繰り返しだろうか。いや、懇意はそれほど大規模ではない。911は、テロリスト集団イスラムのアルカイダとアメリカの戦争だった。その頃は、集団主義(地域主義の)段階だ。テロも集団的になる。が、今は、個人主義の段階。テロも個人の集まり。パリテロのように個別化したテロリストと戦う。これは七面倒だが、脅威としては小さい。

 分散化しすぎるために、911のような同時爆破テロも、規模が小さくなる。戦争自体も、アメリカが国家の威信をかけて、アフガンやイラクをつぶしにかかることにはなりにくい。なにしろ、IS自体がそれほど大きくならないからだ。個人を主体とする組織だから、トップの個人を叩くと、解決するという側面もある。

 2016年からの文明の対立は、大きな戦争にはなりにくい、といえるだろう。

  本日の被害
 目の下側が痛くなる。これは睡眠中に刺された傷に、電波があたった時の痛み。アカに。他にも、顔は刺される。
 以上

 

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