こちら宣伝倶楽部

2008.7/vol.11-No.4


新聞の「文字」が大きくなった

イラスト

 各社でこうまできちんと足なみをそろえられると、これが時代の趨勢かと思ってしまうのがこのたびの新聞の文字を大きくする紙面刷新だ。ページも15段が12段になり、1行が12字詰めか13字詰めになり、折り目で記事がとぎれない工夫もでき、今までなかった変型の広告サイズもでている。文字が大きくなった分だけ文字数は減るわけで、情報たっぷりにしようと思えば、中型、小型の記事を増やし、情報の項目や種類を増やしたあげく、詳細はネットでどうぞになってしまうのだろうか。

悩み多き「おじさんのメディア」

 はっきりはいわないが、文字を大きくした理由は「その方が読みやすい」であり、眼鏡なしでも読めるのは「高齢化社会に対応」したことになるのだろう。しかし高齢者に対応しただけが強調されると新聞の将来がおかしくなってくる。文字がぎっしり詰まった紙面は黒々として圧迫感がある。そこからくる威圧感は若者には好まれない。うっとうしくて重くるしいという印象が、なんとなく押しつけがましくて、保守的で「おじさんのメディア」という評価になっていた感じがする。
 今回の文字を大きくしたことで、紙面が風通しよくなったし、清潔になったと思う。これを機会にして、むしろ若者むけに新聞がどう変わっていくか、どう変えていくかの始まりにしていくべきだ。
 新聞はいま世界の先進国で悩み多き試行錯誤の時代にはいっている。新聞だから「紙考作後」というあて字にしてもよい。次の時代のための新聞を考えるのは世界的な課題になっている。火のもとは若い人たちを中心にした新聞離れにあり、ネットや一部のフリーペーパーの台頭がこれに拍車をかける。新聞社経営の土台でもある部数のダウンや広告収入の伸び悩みから、印刷や配送のコスト削減や海外では買収がらみの業界再編がすすみ、フランスではリストラに抗議してスト休刊が発生している。人員削減案の4分の1強が記者というところまできているというのだ。
 記者たちが会社貸与のデジタルビデオカメラを持ち、取材時に映像も同時におさえ、自社のネットですぐに流すことを韓国では実験中と聞く。新聞社が独自に映像をおこして新聞より早く詳しくネット配信するようなことが、この試行錯誤の時代はやっていくことになる。どうしてもこの時代は「若者を新聞にとりこむ仕事」に取り組まねばならない。文字を大きくしたことくらいでひと息ついている場合ではない。成人1000人当たりの発行部数が650部近い新聞大国日本が、ここでみごとな再生への脱皮を考えてみせるべきだ。

「文字離れ」などしていない

 ネットはネット。無視するのは好ましくないが新聞は新聞、新聞として独立した魅力と価値と存在感を、この時代なればこその知恵と努力で切り開いていくしかない。必要以上に他のメディアとくらべたり、遠慮がちな共生など考えないこと。かといっていつまでもエリート体質を抱きかかえているのではなく、関心が多様化していることと、知りたいことをどれくらい知りたがっているのか、事実のどの部分に関心や興味をもっているのかを学習しなおすこと。若者たちは決して文字離れなどしていない。文字でなければ理解できないことや、感動、共鳴できないことが多いことはよく知っている。ネットやメールだって読む行為で成り立っている。その行為の途中が楽しいかどうか、日常の暮らしと協調しあっているかどうかにかかっている。日常の生活の中に新聞がいかにかかわり、とけこんでいくか「役に立つカッコいいメディア」としての新聞を考えていくことだ。
 タテ組みでなくヨコ組みにする研究もされているはずだし、ページの幅を少し削ってスリムな紙面にすることも、待たれている研究だと思う。広告主の広告づくり、とくに広告サイズの特殊化で迷惑をかけそうというだろうが、そんなこと大した手間ではない。自紙のためにオリジナルな広告原稿をつくらせるくらい、広告主に評価される新聞にすればいいだけのことで、こういうことをむしろクリエイターたちは働きがいに感じたりするものだ。サイズと組みは次の課題、どこがそれを実現してくれるか楽しみにしている。
 文字がせまりくる感じを「圧迫感」ととるか「緊張感」ととるか。今回の文字を大きく書体を工夫したことを機に「緊張感」にしていくこと。これが新聞のステイタスだ。記者の文章技術と、書かれた原稿をいかにそぎ落とすかの編集責任者の技術が問われる。

「広告」はどう対応していくか

 新聞紙面の「端正な緊張感」と関係があるのは、紙面のカラー化だ。個人的には行きすぎた、すすみすぎたカラー化には反対だ。カラー技術の進歩には目をみはるが、犯罪容疑者の顔写真や公判中の被告人の似顔絵までカラーにする必要はない。ついでにいわせてもらうと新聞自社の人事異動など記事にする必要がどこにあるのかといつも思う。新聞は社内報ではない。新聞にも品格というのがある。
 1行が15字から12字になると、130行ほどで原稿用紙1枚分の記事量が減る。冷たくならない程度の簡潔な文章技術が問われることになる。そして「読みやすい」と「わかりやすい」の違いをよく考えること。
 新聞はニュースをストレートに知らせる時代から、ニュースを解説し考えていくきっかけを伝えるメディアになっていく。そして新聞らしい読みもの企画を充実させること。データや資料性を高めてファイリングすべき資料記事を周期的に網羅して、シリーズ化したいくつかは後日別冊にして出版し、特販価格で読者サービスすることも研究してほしい。
 紙面が文字の改良で進化したとしたら、広告はいかに対応していくかが楽しみになる。

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