今日、ある人からリムーブされているのを確認した。
今年の2月にその人とはトラブルがあって、それから数カ月後に私が謝って一時和解成立したはずだったんだけれど、どうやら許されなかったらしい。
多分リムーブされたのは秋に入ってからで、もしもここ最近だとしたら先日ツイートした内容が意図せず相手を挑発してしまったのだと思われる。
少しモヤモヤしたけれど、許されようと思っている魂胆が汚れていることに気付いて、すぐ正気を取り戻した。
許されたい、許して欲しい、この言葉を発する者に許される必要は無い。
許されないことをむしろ受け入れるべきである。
自分の黒い部分を認めるべきなのだろう。
嫌われる勇気っていうのは、私にとってそれは「許されない覚悟」だ。
自分が悪い自分になる瞬間がある。薄汚い瞬間。
コントロールできるものじゃない。
対人関係は深まれば深まるほど底に落ちる。もしかしたら本音を言えない仲が好ましいのかもしれない。
無理してお互い友達のふりを続けている仲の人もいる。
人の心が読めなくても、演じてるか演じてないか、無理してないか無理してるかくらいはわかる。
そういうものに意味はあるんだろうか。きっと無いだろう。
お互いがメリットを探っている関係。
今の漫画を描く仕事は自分に合っている。
最小限の人としかかかわらなくて済む。
その分トラブルも減る。
嫌な思いをすることも無い。
人は、人と関わらなくなるだけで、こうも相手の気持が考えられなくなってしまうものなんだな。
そう思った。
結局、恩を仇で返すはめになってしまった。
医者は私が無意識に自傷をすることについて、「幼少期のトラウマ」が原因であると指摘した。
しかし私は幼少期にトラウマと言えるほどの体験をしたことは無い。
自分に価値が無いと知ったのは、今から4年前の春。上京して、お金がなくて風俗で身を売った時だ。
「自分の価値は1時間8千円」。
それまで私は自分の存在に悲観的になることは無かった。
死にたい、よりも、死ね、と思うことのほうがずっと多かった。
いじめられても不登校になることはなかった。
これからも私は自分には生きる価値は無いと悟り続けて、誰かを傷つけては自身の肌を刃物で切ったりするんだろう。
自分の傷口から血が流れて悲しんでる姿を見て喜んでくれる人がいるならば。