6月14日、関西学院大学で講演のあと、
釜ヶ崎でホームレス支援をされているNPOHomedoorの川口加奈さんの案内で釜ヶ崎を歩きました。
Homedoorの「釜歩き」とは(HPより引用)
日雇い労働者やホームレス、生活保護受給者の数が日本で一番多い釜ヶ崎は、バブル崩壊後、日雇い仕事が減少したため、多くの労働者が仕事を失い、野宿せざるを得ない状況となりました。また近年では、生活保護受給者の数も増えつつあります。その一方で、この地域では、芸能が栄え、様々な人びとを惹きつけてきたという側面もあります。釜ヶ崎とその周辺を歩きながら、その背景についてじっくりと知り、このまちで暮らす人びととふれあい、まちの歴史を肌で体感します。
福祉アパートと呼ばれる生活保護受給者向けの住まいや、簡易宿泊所がたくさんある街。日本三大ドヤ街の一つ、横浜寿町の何倍もの規模にびっくり。ホームレスのおじさんがたっっくさんいました。
労働福祉センターも案内していただき、おじさんたちの働く環境や生活の様子の片隅に触れさせていただきました。
これは子どもたちの登下校時間にホームレスの方をどけるための放水パイプと言われているそうです。
以前、街じゅうに溢れるホームレスの方が学校の周りにぐるっと一周テントを張っていたため、このパイプが取り付けられたそう。
子どもをこの学校に通わせたくないため、引っ越す家庭もあるとのこと。
ドヤ街のすくそばにある、飛田新地も案内していただきました。
繋がりのあるここで働く女子大生のことを想いながら、遊郭の前を歩きました。
(私は写真を撮っていないので載せませんが、釜ヶ崎や飛田新地の様子はネットで調べると街の雰囲気や画像が出てくると思います)
街にはずらーっと遊郭が並んでいます。
1958年に売春防止法ができてからは、この一角は料亭街として営業しています。
『飛田料理組合』という独自の組合をつくり、遊郭は料亭内で客と仲居が出会い、彼らが自由恋愛しているということで法に触れないとし、営業しています。
嘆きの壁。遊女が逃げられないよう四方を囲むように建てられました。
この辺りの歴史。
さまざまな事情で飛田遊廓で働き、外に移住することもできないまま亡くなった遊女の方の慰霊碑もありました。
日雇い労働者、ホームレスのおじさんたちが集まる地域、遊郭街、学校や普通の住居がこんなにも近くに密集しているのかと驚きました。
一昨日、17歳の女の子にホームレス支援について話すと「ホームレスって、好きでなってるんですよね?」と言われました。
その背景を知り、労働の実態、生活の様子を目で見て肌で感じられるこのツアーにいつか一緒に参加したいなと思っています。
釜歩きの後は、
Homedoorの川口加奈さんと、
通信制高校へのキャリア支援をされているNPO D×Pの今井紀明さん、
一般社団法人new-lookで高校中退者の学習支援をする山口真史さん、
講演に参加してくれて知り合った西成生まれのだいごくんと、飲み語り合いました!
NPOブレーンヒューマニティーの能島さんにもお会いしました!お忙しいなかありがとうございました。
泊めていただいた山口さんのTOB塾前で。
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「大竹まことのゴールデンラジオ」で少女を取り巻く現状をお話しました。こちらからYouTubeで放送をお聴きになれます。