きつかったアルバイトの思い出
この前友人と「今まで体験したきつかったバイト」の話になりまして。
色々と記憶の扉が開いたので書いてみました。
3位:引越しのアルバイト
体力的にめちゃくちゃしんどかったのが引越し屋さんでのバイト。給料が日払いの、いわゆる登録制人材派遣アルバイトでした。
派遣されたのは「芸術」を英訳した感じの会社。当時は青い猫型ロボットがメインキャラクターだったのですが、今ホームページ見たらいなくなってたので机の引き出しから未来に帰ったのでしょう。知らんけど。
仕事の当日は真夏の8月、炎天下のさなかでした。
引っ越しはマンションの2F(エレベーターなし)からダンボールをガンガン運びトラックへ乗せ、引っ越し先のマンション(8F・エレベーターあり)へと移動するというもの。
男性社員と女性社員の2名と私、同じく人材派遣バイトの男性合計4名での作業でした。
が。
いざお客さんのところへ行ってみると、全くもって荷造りが終わっていないという体たらく(業者が入るときの引っ越しってこれが普通なの?)。バイトに荷造りをやらせるわけにはいかないため、必然、社員の2名が荷造り→バイト2名でダンボールを運ぶというスタイルとなったのですが。
死ぬる。
軽く35度を超える酷暑の中、荷物を持って階段を下り、なぜかちょっと離れた場所に停めてあったトラックへ行って帰って来る、ただそれの繰り返し。シンプル イズ ヘル。
持ち慣れない重いダンボールとうだるような暑さに四苦八苦しつつ、飲み物を飲むことも許されず(なんでやねん)、狂ったように行ったり来たり。
もう一人のバイト君と、全く我々にコミュニケーションを取ろうとしない社員の陰口を言いつつ作業を進めたのでした。二度とやりたくねぇ。
2位:コンビニの弁当工場でのアルバイト
職場の環境的には別に悪くないけど、シチュエーションが最悪だったのがこのコンビニ弁当工場でのバイト(自業自得なんですが)。
時は2003年12月下旬。当時専門学校生で、決まったバイトをしていなかった私が遊ぶ金欲しさに応募したのがこの短期アルバイトでした。
工場へ出向いてクリーニングされた作業着に着替え、しっかり手指消毒をしてライン内へ。そこで、グリーンピースを5kg、人参を1000切れなど指定された分量の食材を仕分けてトレイに入れて次のラインへ回すというのが私の仕事でした。
そのラインには私ともう一人ベテランのおばちゃんしかおらず、黙々と作業。たまに他愛もない会話。意識し合う二人。芽生える恋心。
まぁそのおばちゃんは良い人だったので問題ないのですが…。
何がまずかったのかというと、問題は私が働いた期間と時間帯にありました。バイト期間は12/27〜1/3。時間は夜の9:00から朝の6:00まで。
そうです、年末年始の家でゆっくりしたい時分にこの仕事を入れたため、年越しの瞬間は工場で弁当の下ごしらえをしていたのです。
しかも、私の誕生日、1月1日でしてね。
さらに、2004.1.1は私がこの世に生まれ落ちて20周年となる記念の誕生日だったんですけどね。
20歳になった瞬間私は一心不乱にウインナーを切っていました。気がついたら12:15でした。こんな悲しい新成人が果たしてこの日本にいるのでしょうか。
おばちゃん「あ、年明けてるね笑。おめでとうございます」
私「おめでとうございます。僕、今、二十歳になりました。」
おばちゃん「は?」
私「いや、僕誕生日が元日なんですよ。で、今日、二十歳の誕生日なんです。」
おばちゃん「なにしてんの?こんなところで。」
まさかベテランさんに職場を「こんなところ」呼ばわりさせるとは夢にも思いませんでしたが、この日ぐらい休みを取ればよかったと今更じわじわ後悔しております。セブン、イレブン、いい気ぶ全然いい気分じゃない。
ちなみにこのバイト期間内でウインナーを10,000本は切りました。お疲れ様でした。
1位:カード検査のアルバイト
体力的には引越し屋、シチュエーション的にはコンビニ弁当の工場のバイトがきつかったですが、そんなのを軽く吹き飛ばすほどこの仕事はしんどかったです。
最寄駅から直通のバスに乗せられたアルバイト30人ほどが向かったのは某大手印刷会社の工場。仕事は「これから情報を入力される、さらのカードの検査」とのことだったのですが。
白衣に帽子、マスクを装着し、巨大なエアーダスター(?)のある部屋で埃を飛ばされた我々が向かった一室には、おびただしいほどのノートパソコンとそれに繋がれたカードリーダーがありました。なんだなんだ。
仕事内容は
- カードを山ほど渡される。
- Aのカードリーダーに1枚カードを入れる。
- AのパソコンのEnterキーを押す(検査が開始)。
- Bへ移動、2〜3を行う。
- C〜Eで同じ作業を行う。
- Aへ戻ると検査が終わっているのでカードを抜き、新しいカードを入れる。
- 以下繰り返し。カードがなくなったら補充。
というもの。これを10時間。
説明を聞いた時は「単純作業じゃんwww楽そうwwwチョベリグwww」とか思ってたんですけどね、賽の河原の新しい形がそこにはありました。
硬いタイルの上を油揚げより薄いスリッパで立ち尽くすだけでもしんどいというのに、作業に達成感が全くないのが辛い。というか、この作業人間がやる必要あるのか。
休憩は2時間おきに15分づつ。最初は休憩所内で「楽じゃんw」と軽口を叩いていたメンバーですが、2度目の休憩時には口数が減り、3度目の休憩では完全に無口に、4度目の休憩時は全員が死んだ魚の目を壁に叩きつけたような目をしていました。賽の河原は親より早く死ぬと連れて行かれるとされておりますが、私たちが何をしたというのでしょう。
かくいう私も例に漏れず、後半は腐りかけのまんじゅうを踏んづけたみたいな顔をしておりました。やってもやってもゴールが見えないというつらみ(時間が来れば終わりだけど)。そのうち私は考えるのをやめた…。
むかし、友人が「パン工場で流れてくる蒸しパンに北海道の焼印を押すだけのバイトやったけど、後半は何も考えずに押せた」と言っていたのですが、座り作業と常に動いている作業とでは勝手が違うということがよくわかりました。二度と単純作業を舐めてかかることはしません。
そんなわけで思い出すままに辛かったバイトの話を書いてみました。
できることなら二十歳の誕生日をもう一度やり直したいです。おわり。
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