Wed 5 Rb1 1437 - 16 December 2015
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ムスリムがクリスマスのお祝いを禁じることについて、キリスト教徒が苦言を述べる
どうしてムスリムは、キリスト教徒が神(アッラー)の子イエスの誕生日と見なす日を祝うことを非難するのですか。他人や他の宗教を尊重することを教えるべきではないでしょうか。クリスマスを誤りと呼び、非難する人々に対して、理性を持った正直で立派な人々は話し合う余地を持たなくなります。


お産みにならず、お産みになられたのではない唯一の神に讃えあれ。 あなたは、ムスリムがクリスマスの祝いを非難することをキリスト教徒に対する無礼と誤解しているようです。逆にそれは、アッラーとイエスを尊重しているからであり、預言者ムハンマド(彼に平安あれ)の教えによるのです。決められていないことや基本的に誤っている祝いを拒絶することは我々の信仰の重要な点である。キリスト教の中で現実に起っているように、信仰を誤って教えたり、改ざんすることになりかねないからである。これは、「根源的」であるとか、「些末」であるというものではない。我々の信仰を偏向や誤謬から守ることが我々の基本的な権利である。だからと言ってだれも我々を非難する権利を持っていない。 ところでエンサイクロペディア・ブリタニカは理性的で、正直だと思うならば、クリスマスについて書いてあることを読んでください: http://www.britannica.com/ から直接抜粋されたものです: クリスマスという言葉は古典英語 Cristes maesse, 「キリストのミサ」という意味である: ( キリストの誕生日に関する確実な伝承はない。3世紀のキリスト教徒の年代学者は世界の創造が春分に起ったと信じ、3月25日と見なした。すなわち、キリストの具現(受胎)の新しい創造と死は同日に起り、その9ヶ月後の冬至、12月25日にキリストが誕生したとする) ローマ暦によると、キリスト教徒のクリスマスの祭りはローマで西暦336年まで祝福された。 ( クリスマスを12月25日に祝うようになった理由はたしかではないが、おそらく初期のキリスト教徒が、「征服されていない太陽の誕生日」(natalis solis invicti)を祝う異教徒ローマ人の祭りと合わせようとしたことが理由とおもわれる。これは日照時間が長くなり始め、太陽が空高く上り始める冬至 winter solsticeを祝う祭りである。従って、クリスマスに関係した伝統的な慣習は、キリストの誕生祝いと異教徒の真冬の農業・太陽儀式と一致した結果、いくつかの原因から広がった。ローマ世界では、農神祭 Saturnalia (12月17日)の時、浮かれ騒いで、プレゼントを交換する。12月25日は、イランの神秘神ミスラ、公正の太陽の誕生日と見なされていた。ローマ暦の新年(1月1日)には、緑樹や照明で家を飾り、子供や貧しい人々に贈物を与える。テウトニ族がガリア、英国、中央ヨーロッパを侵攻した時、これらの儀式に、http://www.britannica.com/bcom/eb/article/idxref/0/0,5716,266282,00.htmlドイツとケルト Celticの クリスマスの儀式が加えられた。食べ物と親交、クリスマス前夜に炉にたく大薪、クリスマスケーキ、モミの木、贈物、挨拶はすべて、この祭りの時期のいろいろな面を祝っている。炎と光、温かさと長寿のシンボルは、異教徒とキリスト教徒のいずれも、冬の祭りと結び付けられてきた。ヨーロッパの中世では、生存のシンボルとして常緑樹がクリスマスに備えられた。... (引用終り) 理性的な人ならば理解できるように、クリスマスには確固たる根拠はない。イエス(彼に平安あれ)や真の信者がクリスマスを祝ったり、誰かにそれを祝うように頼んだわけではない。イエスの死後数百年経つまで、クリスマスを祝うものを自らキリスト教徒と呼んだ記録はない。クリスマスを祝わないように正しく導かれたのは、イエスの教友また現代人のいずれであろうか。 ムスリムと同じように、イエス(彼に平安あれ)を尊敬したいのであれば、異教徒の祭りに合わせて異教徒の慣習を真似たでっち上げの儀式を祝ってはならない。神、ましてイエス自身がこのような祭りを認めるか、それとも非難すると率直に考えられるであろうか。認めると思うならば、あなた自身が真実を望んでいるとは思われない。 唯一の神アッラー、配偶者も息子も持たず、あらゆる創造物と人類の神に、誠実と正しい教えに導かれんことを願う。
イスラーム Q&A