僕はひとりで校門を出ると、赤信号の横断歩道をゆうゆうと渡ります。たまにクラクションを鳴らすバカもいるけど、ひけるもんならひいてみなって感じです。
川の流れる小道を歩くと、左手に砂の山が見えてきます。セメントを作るために砂を盛ってあるのです。僕はその砂山に登るのが好きでした。一気に頂上まで駆け上がると腰を下ろして靴を脱ぎます。ひっくり返すと靴に入った砂がざぁっと出てきます。
砂山から転がって降りると、靴の中をじゃりじゃり言わせながら小道を右に折れて行きます。しばらく進むと、こんもりした緑のかたまりが見えてきます。僕とおなじ位の背丈の桑の木が、たくさん植えてあります。
その葉っぱの森に分け入ると、外からは僕の姿が見えなくなります。その中で、ぶどうの形をした親指大の桑の実をとって食べてます。幾つも集めて口いっぱいに頬張ると、手と口の周りがむらさき色に染まってしまいます。僕はその汚れを服の袖でぬぐって次へ向かいます。
平坦な未舗装の道路を進むと、少し広い道に出ます。突き当たりの三叉路を左手へ進むと、高校のグラウンドのフェンスが見えてきます。フェンスの継ぎ目のところに、子供がひとり通り抜けられる穴が開いているので、僕は迷わずその穴をくぐってグラウンドに侵入します。
そしてフェンスの隅へ行くと、硬式野球のボールが転がっています。僕はそのひとつを拾いそっと引き返してグラウンドを去ります。硬式ボールは無骨で大きくて小学生の手では持て余してしまいます。そこで僕は、ボールの縫い目をほどき、巻かれた革や糸を丹念に外していきます。
すると、どうでしょう。ピンポン球サイズの黒くて丸いゴムが出てきます。硬式ボールの芯です。それを民家のかべに投げて、跳ね返させながら次へ向かいます。
三叉路まで引き返して、先ほどとは逆の道を行くとアスファルトで舗装された道に出ます。左手には水田が広がり、右手にはため池が見えてきます。ため池は冬になると氷が張って上を歩くことができます。時期によっては氷が薄く、割れて落っこちて、びしょ濡れになって帰ったりします。
ため池に石を投げながら、路地を進むと、片側3車線の大きな国道に出ます。僕はそこにある、長い長い歩道橋を渡ります。歩道橋の中程までくると、下を覗いてみます。乗用車や大きなトラックがびゅんびゅん通り過ぎて行きます。僕は歩道橋の欄干に身を乗り出して、口の中にためてあった唾をパッとたらします。
すると、どうでしょう。楕円に伸びた唾は重力にひかれスローモーションで落ちていきます。そして次の瞬間、トラックのフロントガラスで弾け飛びます。
ひとしきり唾をたらす作業を繰り返すと、僕は歩道橋を後にします。そのとき、誰かがこちらに駆け寄ってきました。おなじクラスの金田君です。手に持った白い紙を振りながら僕の名前を呼んでいます。近づいて紙を受け取ると、金田は渡したからね、と念を押して、足早に去って行きました 。
ああ、これか…。僕は独りごちると通信簿と書かれた厚紙をしげしげと見つめました。その日は1学期の最終日。僕は夏休みの心得のような、教師のくだらない長話を聞きたくなかったので、一足先に家路についていたのです。そして、渡せなかった通信簿を、僕の家と方角がおなじ金田に託したのでしょう。
僕はしばし、その通信簿を眺めてから、それを2つに破りました。そして更に細かく千切って歩道橋の上からまきました。
白い紙片は、空へ軽やかに舞い上がると、つかの間の逡巡のあとにひらひらと揺れ落ち、歩道橋の下を走る大型車の突風に吸い込まれていきました。まるで花咲かじいさんの気分です。
僕は、紙片をすべて手放すと、歩道橋のうえを駆けぬけて、手すりも持たずに階段の螺旋を、全速力で走りました。
長い夏休みがはじまる直前の、よく晴れた7月の日の出来事でした。