日本ではなぜ風力発電や太陽光発電などの再生可能エネルギー(以下、再エネ)がなかなか入らないのでしょうか(注1)。
(注1)本稿は、「環境ビジネスオンライン」2015年11月16日号に掲載されたコラム『再エネに関する情報ギャップ(その1:便益ってご存知ですか?)』を加筆修正したものです。原稿転載をご快諾頂いた環境ビジネスオンライン編集部に篤くお礼申し上げます。
2014年の1年間に風力と太陽光が発電した電力量は、日本の総発電電力量のわずか2.9%です(注2)。また、今年7月に政府から公表された2030年のエネルギーミックス(電源構成)案(注3)でも、あと15年後にわずか9.6%と、諸外国に比べ著しく低い水準に留まっています。
(注2)IEA: “Electricity Information 2015” (web version) より筆者調べ。
(注3)経済産業省:「長期エネルギー需給見通し」, 平成27年7月 (20015)
日本でこれほどまでに再エネの地位が低いのは、再エネの便益がほとんどまったく語られず、コストや課題ばかりが強調されているからかもしれません。いや、「便益」という用語自体が日本ではほとんど語られず、概念自体が日本全体で希薄なような気がします。
「便益」が語られない日本
そもそも「便益 benefit」とは何でしょうか?おそらくある特定の分野の専門家(例えば経済学や土木工学関係の方)であれば「ああ、アレね。当然知っているよ」となるでしょうし、一般の方や専門家でも別の分野(たとえば電力工学)の人だと「え? 何それ? 聞いたことがない」となるかもしれません。知ってる人には当然のことかもしれませんが、この言葉は意外に知られていません(そして意外に知られていないという事実を、専門家は知らなかったりします)。
ちなみに「便益」とは何かということを調べようとすると、実は結構厄介です。便益は経済学ではあまりにも当たり前すぎて、ほとんどの経済学の教科書や辞典でも無定義でいつのまにか登場することが多いのです(ということを発見した、と筆者が経済学の先生にお伝えしたところ、「我々にとっては当たり前すぎる単語なので、それはまったく気づきませんでした……」とお答え頂いたことがあります)。
「便益」という単語を普通辞書で引くと、大抵の辞書では以下のような答えが返ってきます。
べんえき【便益】 便宜と利益。都合がよく利益のあること。(大辞林)
……これではなんとことかさっぱりわかりません。どの辞書も、経済学用語で言うところの「便益」については何も語ってくれないようです。ちなみに筆者が調べた中では、「コトバンク」というインターネット辞書が比較的わかりやすくかつ的確に解説しています。
べんえき【便益】 便益とはベネフィットのことをいう。
ベネフィット benefit ベネフィットとは製品やサービスを利用することで消費者が得られる有形、無形の価値のことをいう。(コトバンク)
また、より専門家向けには、以下のような説明があります。学術的には厳密ですが、決して親切ではない少々難解な表現です……。
べんえき【便益】 一般に財に対して人が払ってもよいと思う最大金額を「支払意思 (WTP: willingness to pay)」という。厚生経済学では、この支払意思 (WTP) を、財が人に与える経済福祉の貨幣表現と考え、これを「便益」と呼ぶ。(植田和弘他編著: 環境政策の経済学, 日本評論社, 1997, p.16)
実は、この最後の「貨幣表現」というところが重要です。「便益」は状況により「メリット」や「効果」と言い換えられることも多いですが、便益は貨幣表現でなければなりません。ここに理解の難しさがあります。
なにごともお金に換算するのは世知辛い……と思われる方も多いかもしれませんが、今のところ貨幣以上にユニバーサルな経済評価指標を人類は見いだしていません。便益は貨幣表現にしない限り、客観評価ができないのです。この便益をメリットや効果などなんとなく抽象的な言葉に置き換えてしまうと、定量的・客観的評価をするという発想がなかなか出なくなってしまいます。
一方、貨幣表現にしたとたんに、便益は利益(profit)と混同されたり誤解される可能性が高くなります。便益と利益は違います。利益は特定の組織やセクターが得られるお金でしかありません。それに対して、便益はコミュニティ全体、国民全体、地球全体に再配分されるべきものなのです。ここにも若干の理解の難しさがあります。
「費用便益分析」はある分野では常識
もう少しわかりやすい例を出しましょう。「費用便益分析(CBA: Cost-Benefit Analysis)」という用語があります。「便益」単体よりも、むしろこちらの方が聞き覚えがあるという方も多いかもしれません。例えば、国土交通省から道路整備の費用便益分析について非常にわかりやすい文書が公開されています。(注4)
(注4)国土交通省 道路局 都市・地域整備局:「費用便益分析マニュアル」(2008)
これによると道路整備の便益は、「走行時間短縮」であったり「走行経費減少」であったり「交通事故減少」であったりします。そしてそれらの貨幣価値に社会的割引率をかけて、現在価値に換算します。それが総便益となります。さらに、想定される費用と比較して、費用便益比 (CBR: Cost-Benefit Ratio)」が1より大きくなれば、その道路整備プロジェクトは正当性を持つことになります。
上記の費用便益分析を再エネの分野に当てはめるとすると、例えば「CO2排出量削減」や「化石燃料消費削減」などがまっ先に挙げられることになるでしょう。実際に海外文献ではこのような効果を貨幣換算して、便益を定量化するものが多く見られます(雇用増加を便益に加えているものもあります)。しかし、日本では、再エネの便益の定量化は、国の審議会レベルでも産業界レベルでも、ほとんど議論されていないように見受けられます(注5)。
(注5)もちろん、まったく議論されていないわけではありません。例えば環境省の「低炭素社会づくりのためのエネルギーの低炭素化検討会」が2010年に公表した報告書「低炭素社会づくりのためのエネルギーの低炭素化にむけた提言」では、再生可能エネルギーの便益について、CO2排出量削減、エネルギー自給率の向上効果、経済波及効果および雇用創出効果について定量分析を行っています。FIT導入前に既にこのような分析が行われていることは慧眼に値しますが、その後このような議論が国全体であまり活発になっていないのは残念です。
このように費用便益分析は、日本ではある分野(特に公共政策や土木工学など)では当たり前のように行われているものの、それ以外の分野(例えば電力工学)では実はほとんどあまり議論されていない、という点を押さえておくことは重要です。
さらに、新聞やテレビなどメディアでもこの「便益」もしくは「費用便益分析」という専門用語がほとんど紹介されず、一般市民にとっては縁遠い言葉であるという点も留意すべきです。あまり耳にしない、縁遠いということは、無関心や無理解を生みやすい土壌が形成されてしまっている、ということになります。【次ページにつづく】