「自由」を求めることというのは、なんだかんだで生きようという気持ちになる。
貧困からの自由だったり、国家権力からの自由を昔の人は求めてきた。
不細工からの自由だったり、病気からの自由もなんだかんだ求めてきた。
しかし、最近は「自由」というものを求めようとすることに対して批判が集まることがある。
現状を受け入れてないとか、迷惑だとか。
最低な輩は自由には責任が伴うとか、義務が生じるとか嘘をついたりする。
最初から自由になれていたり、少し求めればなれるものには優しいくせにだ。きっとそのような人間はありとあらゆるものにとって都合がいいのだろう。
「自由」を手に入れようとするのはとてもつらいことなのかもしれないし、最後まで手にはいらないものなのかもしれない。
普段、おとなしく本を読んでいる同じ学部の知り合いと話した。
彼も自分と同じく、違う学部に転籍を望んでいるらしい。理由は自分と大抵同じで、カメラいじりなんかやりたくないのと、学部の人間のアホさに呆れたからだそうだ。
今、自分がほんの少し前向きに生きてられるのは転籍という希望があるからである。学部の不満や、苦しさから少しでも開放される気がするのだ。
万が一英会話の単位を落としてアウトになったりしたら自分がどうなってしまうのかというのと、面接で落とされる可能性が悩みだ。
既に英会話を2回も休んでいる。2回程度の欠席なら大丈夫だろうと皆はいうが、不安なのだ。そして、残り4回をしっかりと朝起きて来ることが出来るのかも怪しい。