何しても許される、訳ではない。むしろ、人を遠さげる。 知人の中には障害があるから失敗しても許されるということを語ってた人もいるけど、それはその人を『障害者』扱いしてその人本人を見つめてもらえなくなってる状態だと思ってる。人は先になにかイメージがあるとそれに頼ってしまうもの。
私は母親に『人の何倍も努力しなさい、人に勝手に付けられたレッテルを剥がすために』と繰り返し言われて育ったけれどこれ、ほんとうにレッテルを剥がすのが難しい。一度失敗するとわたしをよく知らない人は『あーこれだから聞こえない人は』とすぐに言う。失敗の原因は聞こえないこととは無関係でも。
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そもそも、人を完全に理解できてる!と思う方がおこがましい。その人の歩んだ人生の軌跡や思ったことを逐一知っているわけでもない。できることは寄り添うこと、または共にいること、受け止めること。人を見つめること、だと思う。
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わたしは聞こえないから大変だねえ、と開口一番に言う人に何度も出会ってきたから、余計そう思う。そのひとの歩く影に完全に重ねることはできないけれど、すこしだけでも重ねていければと思う。
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私は聞こえないから、というワードにはマイナスなイメージを受け取らないようにしているからいいけど、聞こえないということを受容できない、強烈なコンプレックスになっている人には明らかに地雷。後天性で成人したあとに急に聞こえなくなった人等にある。急に聞こえなくなるはノンフィクション。
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その人を完全に理解することはできない、でも知ろうとする努力はやめてはいけない、と思う。 考え方や行動で相容れない人もいて、合わないんだなあ、離れよう、と再確認するのもひとつの理解の仕方だと思う。
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