なんだか国会の人が「ちよだ文学賞」を獲ったようである、とオタどんにおしへられた(^-^;) しかしオタどんは図書館ネタに強いのー( ・ o ・ ;) まぁ聞いた話では今の千代田区長石川雅己氏が唱道して作った賞だそうで、一部議員からは批判もあるとか(。・_・。)ノ けどわちきにいわせれば年数百万で、あれだけのPRになるなんてお得だと思うけどね(σ^〜^)
国会と作家といえば、わちきも図書館史の一環として、ヰキペディアの記述のヘンテコさに言及したことがあったが。
国会図書館員で文筆家だった人というのは何人かいるけれど、文学実作者だったのは、渋川ぎょう、阿刀田高あたりかしら。
倉田卓次はほんとに1年もいなかったし、加藤典洋は文芸評論で実作者じゃない。原武史は歴史家だし、これもほんの一瞬で辞めたらしい。あとは司書の図書館学系と調査マンの政治経済系で著作がある者はいるが、作家とはいいがたい。成田憲彦氏の小説『官邸』は文学的価値はないと、たしか当時の日経の書評にあった。
あ、そうそう。調べたらモリミーも在籍していたみたい。
845 :吾輩は名無しである :2007/01/21(日) 14:27:34
並大抵のことではない。
たいへんだねぇ。わちきにはとてもできないよ。
でも、最近やめちゃったのかな。
恥ずかしながら こういう図書館があるのを知ったのが
2011.08.13ss
http://saikausaikau.blog40.fc2.com/?mode=m&no=260&photo=true
わちき的には、作風をかえて御当地作家を脱せられるか否かがカギと思っていたが(ってかこれは友人の意見)、どうなったかすら。最近モリミーの本は読んでおらん。
一説に当時の人事課長がイヂワルして図書館なのに図書に触れん部署に飛ばしたちゅー噂を聞いたが、ほんとーかすら……。でも、もしホントーだとしたら、管理者として超センスないね。辞めちゃえばいいのに……、って願ったりかなったりってか(゚∀゚ )アヒャ
このまえてっちゃんに聞いたのだけれど、朝倉治彦さんが大学に転職する際に「〔事務屋が〕書庫の中にまで尾行してくる」と怒っていたそうな。
阿刀田氏も1990年代に日経だかで、自分は勤務中はそれなりにまじめにやっていたのに*1、著作をしていると同僚によく言われなかった、ぐらいのことを書いていた記憶がある。
これら事例に徴するに、芸のない庶務系の人が文芸がらみで著作した人に嫉妬する伝統があるといえようか。まぁこれは日本の組織一般にあることで、とりたてて国会や図書館に限ったことではないだろーけれど。クルマやオンナ、トバクにいれあげて破たんしても悪く言われないのに、フシギといへばフシギ。
ほんとうなら文筆できるぐらい構成力があれば、お仕事にも役立つはずなんだけどね。たとえば歴史小説家になった武田八洲満はJLA事務局員だったけど、図書館の中立性論争をしくんだそうぢゃないの。けっきょくJLAを辞めさせられちゃったみたいだが。
*1:というか、JLAの分類委員もやっていたから、十分まじめだったと思う。国会から各種委員を出すんは、名誉でもあり義務でもあると思うんだが、最近は○○がないのか○○てんだか○○ってんだか、○○○○人がいるとか。
とうとう気づいたようですの読売さん。地方版(大阪版)らしいが。
国会図書館の分館・関西館が「寂しき知の殿堂」であるとの記事。
一見、廃止になった坂本タンの「私のしごと館」のように、来館者がいないから廃止せよ、と書いているようにみえるが…(゜〜゜ )
まあ、中をよく読むと、郵送コピー機能とかサーバ置き場の機能はきちんと評価されていて、本文レベルではそれなりにバランスの取れた記事になっている。こりゃーデスクが扇情的なヘッドラインをくっつけたね(σ・∀・)σ 執筆記者はどう思っとるかしら(*´д`)ノ
http://b.hatena.ne.jp/entry/osaka.yomiuri.co.jp/news/20091122-OYO1T00208.htm
http://b.hatena.ne.jp/entry/osaka.yomiuri.co.jp/news/20091122-OYO1T00208.htm?from=top
http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/pomz/archives/51649702.html
わちきの分析では、ネット住民は、(1)国会しかフォローできないサブカル資料に親和的だったり、(2)リテラシーが高めである→貸出統計だけで図書館を見ない、(3)ネット利用=遠隔利用を当然・良い事とみる、といった例外的好環境にあるからだと思う。でも、一般国民や国民の代表がそうだということにはならない点に注意すべき。
オモシロなのは、なんと糸賀まさる先生が「インターネットの普及で来館者が減ることは予想できたことで、これほど広大な施設が必要だったのか疑問が残る」とコメント。これはコトバ足らずで、「これほど広大な〔直接閲覧〕施設が必要だったのか」という意味らしいが、ヘッドラインを含め、マスコミさんは、とにかく扇情的に読んでもらえるようにせねばならんからの(  ̄▽ ̄) イトガッチにコメントの責任を問うのはちとかわいそう(。・_・。)ノ 取材が来たときには追っ払うのではなく、リスクをとってお答えするのが正しい道であることは、このまへ論じた。(「公衆関係がワカラン公衆図書館は公衆便所並みに外注化されるであらう」http://d.hatena.ne.jp/shomotsubugyo/20091121/p4)
ニッコクぢゃないよ、ニコク。
国立中央図書館になにがしかの存在意義があるとしても、では遠隔サービスのサーバ置き場に洋書やらなにやらを買い込んで「これほど広大な〔直接閲覧〕施設」を用意すべきかどうか、これには疑義が生じて当然だったわけで*1。
東京とまったく同じ蔵書内容のドッペルゲンガーを作るという「第二国立国会図書館(二国)」構想が、大蔵省のダメ出しでぽしゃった瞬間に、「二国(ニコク)」は迷走を始めざるを得なかった。関西館なるものが、関西にある館、以上のコンセプトを打ち出せなかったのは迷走の帰結。まだしも帝国図書館のほうのリニューアル新名称に「こども」という具体的なタームがあるのに、こっちのほうは、場所の名前でしかない。今回みたいなつっこみが出るのは時間の問題だった。
館長二階級降格事件(2005)に象徴されるように、国会図書館は長期的な政治環境の変化に見舞われとる。
これは、数十年スパンの長期的な構造変化だから、政権交代ごときは潮目ではない。え(  ̄▽ ̄) まさか政権交代ですっかり油断していたってか(゚∀゚ ) それはあまりにも太平楽な… 国権に直隷する図書館員とも思えませんゾ(σ・∀・)
このままほっぽっといたら、長期的には「これほど広大な〔直接閲覧〕施設」は縮小・廃止に追い込まれていくことだろう。で、もちろん、それもアリなわけだが…
んでも、もし、必要にしたいのであれば、来館者をひっぱってくるしかないわけで、それにはそれだけのコンテンツを用意せねばならん。
わりーけど、マンガ以外に、このネット社会にもかかわらず、数百キロの場所を越えてまで数万の人々を惹きつけるコンテンツをわちきは知らんなぁ。
そこで数年前、ちかくを通りかかったときに、がらがらな来館者をみて、こんなことを提唱してみた。
あーあ(・∀・`;) 一年に2度、コミケの隣接日にイベントなどをやれば何万人もの来館者があったものを(*゜-゜) 文化庁が国立マンガ喫茶を提唱したり、明大が米沢記念図書館を作ったり、もう、インパクトないなぁ(´・ω・`)
でも、もう一度、言ってみるか。。。
まずは関西館などという、意味不明の名前を改称し、「国立国会図書館支部関西国際マンガ図書館」としませう。
バカみたいに、こどもマンガ(上野)と大人マンガ(永田町)に分散配置なんかしとらんで(こんなの半世紀前の価値観だよ)、「広大な施設」に一括して置く。一括して見せる。ゆえに「広大」であるべき。
マンガ雑誌はかさばってかさばって、もう、どーしよーもない。誰もが持ちきれなくなってしまふ。それを一括していくらでも保管する。どんどん寄贈も受け入れる。『まんがぶりっこ』だって蒐めちゃうゾ! ゆえに「広大な施設」でなければならない。
橋下府政のもとで、継子あつかいを受けとる「国際児童文学館」をまるごと引き取る。ゆえにさらにさらに「広大な施設」となる。文学館の研究員をマンガ研究官に任ずる。フランス政府もびっくりの文化政策ぢゃ。
8月と12月を、マンガ月間とし、イベントや研究会などを打つ。来館者がワンサを押し寄せる。ゆえに「広大な施設」なおさら結構。京都奈良のタクシー業界、旅館業界など、満員御礼で涙ちょちょきれる。地元にカネ落ちまくり!京都奈良の議員センセも喜びまくり。
首都圏におけるマンガ研究は米沢記念図書館(神保町)と現代マンガ図書館(早稲田)、川崎市民ミュージアムの任せてしまうことになるが、関西圏でも、あたかもよし、京都府のマンガミュージアムや、京都精華大学マンガ学部もある。国際レベルでのマンガ研究は、首都圏と関西圏の両輪でする、というのも、オモシロいのではあるまいか。
ある人物が、「トショカンショー」なんてコトバを発するから、
ん?(・ω・。)
そりは、3年前なくなった図書館省のことかすら…(・o・;)
有川浩の図書館戦争もはだしで逃げ出す日本に本当にあった図書館省の思想的意義と歴史的ダメダメさについて論じやうといふのか!(≧0 ≦;)ノ
と思ったらぜんぜん違かった(^-^;)
参考)
http://d.hatena.ne.jp/shomotsubugyo/20060205/p1
http://d.hatena.ne.jp/shomotsubugyo/20060311/p2
いま・ここにある図書館戦争(『図書館戦争』の感想 2)のつづきね
【論文】職階法のもとで司書は…(まぼろしの図書館省1)のつづきでもある。
左の画像は直筆(と思しきもの)
いま,まともな人には冗談にしか聞こえない第四権としての国会図書舘。
と並べたら,常識人ならゲラゲラ笑うか,夜郎自大とあざ笑うこと必定。
でも,これ,じつは初代館長・金森徳次郎(「憲法大臣」)にまでさかのぼれることが判明したのだ(ってこのまえ)。
昭和の末,昭和63年5月30日,国会の職員研修会で,岡田温(ならう)さんがこんな証言をしている…
いつの頃か私〔岡田さん〕は館長に,〔国会〕図書館法の前文に「真理がわれらを自由にする」とありますが,あれは聖書から出た言葉と聞いていますが,日本の法律で論語や法華経の文句を借用したというなら納得ですが,聖書からというのはどういうわけでしょうとお尋ねしたことがありました。心はアメリカ出来の法律ではありませんか,というつもりでした。
前文がある法律ってのは,憲法と教育基本法と,あと,この法律ぐらいしかない,ってことはあまり知られていない事実。
岡田さんは,生粋の日本図書館官僚だったから(彼は「国立+国会」反対派の領袖),へんなのと思っていたんだね。
それに金森さんはこう答えたという。
君はクリスチャンだからそんなことを気にするかもしれないが,そんなことどうだっていいじゃないか。この図書館は制度上立法府に所属しているが,私はこの図書館は第四権的機関と思っている。(強調,引用者)
どひー(×o×)
開館当時の整理局長が,金森さんが「第四権」と言うのを直接聞いたというのだ。
立法府がなんと言おうが,司法,行政府がどんな難題を持って来ようが,それが理にかなっていなければ断固として拒否する。わが館を動かすものは唯「真理」のみ,と考えれば,この言葉は名言ではないか。
出典:岡田 温 「斯くして国立国会図書舘は生まれ出た」『国立国会図書舘月報』(通号 329) [1988.08] p2〜7
時は敗戦からまだ数年後。
近代唯一の非白人帝国だった「大日本帝國」が,その政治的暴走,軍事的失敗から,何千万もの命を巻きぞえに滅び,三等国家「日本国」になり下がってからまだ日は浅い。
「真理」というと,いまではちょっと違う気がするけど,これを「事実」とか「データ」とか言い換えれば今でもそのままフィットする。
「データ」にもとづいた国家運営。
金森さんが昭和20年代に「第四権」と言ったなら,そうは笑われなかったと思う。
もっとわかりやすく今風に言い換えると…
の4権をもって,文化国家の「日本国」が運営される可能性が,制度としてあったということなのだ。図書館大臣はその制度的なよすがだったのになぁ。
大日本帝国に「情報府」があれば,昭和20年夏の敗戦は避けられた・・・のかもしれない。
昭和16年、「内閣総力戦研究所」に軍部・官庁・民間から選りすぐった将来の指導者たちが集められた。それぞれの出身母体に応じて「模擬内閣」を組織し、戦局の展開を予想したのだ。単なる精神論ではなく、兵器増産の見通し、食糧や燃料の自給度や運送経路、同盟国との連携などについて科学的に分析、「奇襲作戦が成功し緒戦の勝利は見込まれるが、長期戦になって物資不足は決定的となり、ソ連の参戦もあって敗れる」という結論を導き出した。この報告は昭和16年8月に、当時の近衛内閣にも報告され、後の首相となる東條陸将も真剣に受け止めていたはずだった。(猪瀬直樹『昭和16年夏の敗戦』の紹介文)
対米戦争を回避していたら,もうちょっと違う形の戦後があったんじゃないだろーか。もちろん満洲帝國は傀儡国家だったから存続はむずかしかっただろうし,朝鮮だって,あのままじゃあ北アイルランドみたいになったのかもしれないけど…
いつお迎えが来てもおかしくないおばーちゃんが、以前「おじーちゃんの退職後は大連で暮らそうと思っていた」という話を聞いて、なんか不思議な感じがしてねぇ。
満洲帝国にも、一庶民の暮らしはあったのだなぁ。
もちろん、満洲帝国は「偽満」であったわけだけど、国家にもともといかがわしさはぬぐえんし、今だって、まるきりいかがわしい「イズラエル」という国があったりする。でも、イズラエルの民が殺されればとはいえんでしょ。同様に、満洲国民がソ連兵や中国一部民衆に殺されてよかったね、とは思えんのだわさ。
ところで…
この第四権論に最近言及したのは誰あろう,参議院議員の坂本女史なのだ。
図書館長は「三権の長」を調整する役割が期待された時代もあったが,今は衆参事務局総長の天下りポストだ。『毎日新聞』(2006.3.20)p.3
その坂本先生が,じつはむかしは図書館長が第四権的役割が期待されていたと認めているのだ。
逆に国会の現状護持派からは第四権論なんかぜんぜん出てきてないのー
護持派の職員組合サマは2006年になってから声明とか出してるけどさ,第四権論から言わせれば,独立行政法人になるかならんか,なんてどーでもいいことで,その前の年,2005年の館長の二階級降格のほうが百倍重要だったのだよ。
改革派のほうがよっぽど勉強してるということで,護持派の敗戦は必至だのー。
けどさ,そんな擬似・情報府,図書館省として出発したのになんで,ただの図書館になっちまったのかについては,おそらく実務官僚のせいとわちきはにらんどる。原秀成先生の納本制度研究がその典型例を出してるよね。実務にあわせて理念が寸づまりになっていくとゆー構造。おそらく真面目な実務家が増えれば殖えるほど,そーなる。
あと財政権の独立に関して,降格まえの大臣待遇時代の館長がなぜだか財政法にいう「各省各庁の長」でなかったのはなぜかと長年疑問だったんだけど,
田中久徳「国立国会図書舘法:戦後図書館改革の「出発点」」『図書館を支える法制度』勉誠出版 2002.11の注に,単に国会会期切れのせいだったのでは,というなんともトホホな推測があるのが唯一の答えらしきもの。
2005年の二階級降格が,戦後図書館改革の「終着点」だったわけだよ。
21世紀の日本図書館員は,専門職幻想,貸出幻想,戦後改革幻想が終った時代を生きることになったのー(*゜-゜)遠い目
そーゆー意味では『図書館戦争』は,敗戦ズタボロ文化国家「日本国」へのオマージュとなったと(図書館史的には)言えよう。
さようなら,金森徳次郎の,そして中井正一の国会図書舘よ。
いちど友人の論をそのまま借りて国立まんが図書館の設立提言をしたことがあったけど。
ログをみるかぎりオタクだらけのネットなのに反響はほとんどなし(まーこのブログの読者にオタクがいないのかも)。館員にもオタクってのも意外といないのかもね。
それはともかく…
提言では,コミケットの事務局から寄贈をうければいいとか,いま集めないと集まらないとか言っておいた。
きょう噂で聞いた話では,じつは事務局がすでに大量の同人誌を保管しているらしい。事務局がなんのために同人誌を納入させていたかは知らんが,とにかくブツとして残っているというのは,これは吉報ですぞ。
納本機関はさっそくに寄贈をうけ国立マンガ図書館を設置するがよい。
現在ただいま,たまたま国会附属図書館がやっている法定納本だけど,これについての本って実はほとんどない。
国会の連中がホムペやチラシに書くのは実務の,それも断片的な解説にすぎないから全体像や欠点はわからん。
いちど,トンチキFAQの行政学的解釈なんてのもしたけど。
あそこの官僚がもちっと気が利けば,「納本法制研究会」とか隠れ蓑にアルバイトしてコンメンタール本が出版され,それを踏み台にまともな議論ができるはずなんだけども,それもなし。
結局いままでは,山下信庸とか実務出身で構想力がある人々の(おもに歴史的な)記述を材料に考えるしかなかったわけだが…
じつは近年,1冊出てたんだわ,納本制度に関する研究書が。
電子時代の出版物納入制度 : 情報の自由な流れにむけて / 原秀成著. -- 学文社, 2001. -- (官庁資料の公開 : 情報利用の民主化をめざして / 佐藤隆司, 大庭治夫, 後藤嘉宏著 ; 2)
これ,ほかの本と抱き合わせみたいなかたちで出たから書誌記述がごちゃごちゃして参照しづらいんだけれど,かなりしっかり書き込まれた本。原秀成(ひでしげ)氏の単独著作といっていい。
なんで単独で頒布されなかったのか不思議な本。これでは埋もれてしまう。
いま拾い読みしてみると,タイトルに反して,納本制度本体の議論を歴史的経緯をきちんと踏まえながら批判的にしているところがスリリングだのう。
納本拒否した場合の「過料」の話とか,映画やスライドが納本から滑り落ちていった話とかは,歴史的事実としては知っておったが,それが法学的にはどのように解釈されうるのか,という点の指摘がとってもオモシロ。
この本が成功しているのは法系や歴史的経緯(国会所蔵の西沢哲四郎文書までこまめに見ている),立法者意思などもふまえて法学的論理を展開しているから。その点,現行法に学部でかじった教科書概念を単純適用する法匪とちがうね。
最も重要なことは,米国法の原理が変容し,しかもそれが法律外の実務においてなされることが多かったことである。米国法起源の1948年国立国会図書舘法に,〔1949年の改正とか〕つぎ木をするような改正をした。そのために著作権登録と納入とが連動せず,納入制度についても映画や特殊資料などを広く納入させることに失敗していったと考えられる。
(p.158)
実務によって法の本来の目的が曲がっていくという考え方はわちきとまったく同じ。もちろん異なる意見もあるが*1,事実関係をきちんとおさえているところはわちきにとってもとっても便利。意見より事実を(猫猫先生),じゃ。
はっきりいって,戦後日本の納本制度を語る際には必須の文献といえるが…
なんでぜんぜん有名じゃないのかな?
へんなの。
やっぱり抱き合わせだったから,これが納本制度について概観した単独著作だってわからないからじゃないのかなぁ。
タイトルもちょっとソンだと思うし。これだと,いかれた電子図書館派とまちがわれる(って,わちきがそう思ってた(^-^;))。
わちきだったら,こんなタイトルつけて紹介ちゃう。
『日本納本制度の歴史と問題点:米国法継受の失敗』
(あらまし)「公にしたものを預けるしくみ」はいかにしてただの本あつめと成り下がったか。現代日本の納本制度を定める国立国会図書舘法の問題点を,戦前からの立法の歴史,海外の納本法規から分析し,きたるべき電子資料の納入制度への展望を示す。
*1:たとえば帝国図書館における保存区分(甲部,乙部,丙部)などは,事実関係においてまったく異論はないんだけれど,評価については先生はいささか陰謀史観的になっているような気が…。帝国図書館はそんな大それたもんじゃないですよ。