野坂昭如さん自分の歌声で天国へ 出棺時に代表曲「黒の舟唄」

2015年12月13日6時0分  スポーツ報知
  • 74年12月、日本武道館で歌う野坂さん
  • 野坂さんの密葬で出棺時に位牌(いはい)を手にする妻の暘子さんと遺影を持つ長女・麻央さん、次女・亜未さん

 9日に心不全のため85歳で死去した作家の野坂昭如さんの密葬が12日、都内の自宅で営まれた。親族や大学時代の友人、出版関係者など約40人が参列した。レザージャケットにサングラス姿と、生前同様のダンディーな姿でひつぎに納められた。出棺時には、歌手として活動していた時の代表曲「黒の舟唄」などのライブ音声が流され、自らの歌声の中で天国へと旅立った。19日に東京・港区の青山葬儀所で本葬が営まれる。

 直木賞作家としてはもちろん、さまざまな才能を見せつけて生き抜いた野坂さんが、最後のお別れでのぞかせたのは、歌手としての顔だった。

 読経が終わった後の出棺。位牌(いはい)を手にした妻の暘子さん(74)を先頭に、ハットをかぶってたばこを吹かしている姿の遺影を抱えた長女・麻央さん(51)、次女・亜未さん(43)は、涙こそ流していなかったものの、悲しみを必死にこらえていた。

 暘子さんは、野坂さんが亡くなった9日の夜は一睡もできなかったという。この日もやつれた顔つきで終始伏し目がちの様子から、心労の大きさがうかがわれたが、参列者の一人は「気丈な様子で『今までで一番いい顔をしているので、見てやってください』と声をかけられました」と話した。

 旅立つ時。かつてライブで歌手として舞台に立った時の歌声が流された。中でも、参列者の心を揺さぶったのは「男と女の間には 深くて暗い川がある~」で始まる代表曲の「黒の舟唄」を歌う、野坂さんの声だった。

 CMソングの大御所で、この日も密葬に参列した桜井順さんが、野坂さんのために作詞作曲(作詞は能吉利人=のー・きりひと=名義)した同曲は、独特な世界観の詞と暗さを帯びながらも強く訴えかけるメロディーで、当時の歌謡界に衝撃を与えた。後に加藤登紀子らがカバーしたことでも知られる。

 歌をこよなく愛した直木賞作家。1967年に歌手デビューし、故・小沢昭一さん、永六輔さんとともに「中年御三家」を結成。74年には、日本武道館のステージにも立った。75年のウイスキーのCMでも「ソ、ソ、ソクラテスかプラトンか。みんな悩んで大きくなった~」と歌声を披露し、歌手としても活動したが、桜井さんによると「歌は作家活動の間のセラピーのようなものだった」という。

 野坂さんと歌にまつわる秘話も桜井さんは明かした。「彼は、原稿を書いている期間には一滴も酒を飲まない。仕事が終わったら僕なんかと飲みに行くんです。酒が入ると、結構歌がうまいんですよ」。お互い言葉を使う職業だが、歌詞について議論を交わすことは一度もなかったという。

 「僕は、野坂さんのボキャブラリーを使って作詞していましたから。だから、彼が歌うのが一番合うし、他の人が歌うと何か違和感があるんですね」。19日に行われる告別式での献花の際にも楽曲が流される予定だが、最後の旅立ちのBGMが自らの歌声となったのは、必然だったのかもしれない。(高柳 哲人)

 ◆野坂さんと歌 「黒の舟唄」と並んで代表曲として挙げられるのは、「マリリン・モンロー・ノー・リターン」。1970年に行われた「ヤマハ合歓(ねむ)の郷 音楽フェスティバル」に野坂さんが出場することになり、桜井さんが作った歌だった。ほかには74年に公開され、女優・秋吉久美子が主演を務めた映画「バージンブルース」(藤田敏八監督)の同タイトルの主題歌なども知られている。

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