特定秘密保護法が施行されてから1年が経った。菅官房長官は「1年経って市民の皆さん、懸念されたことは全くなかったと理解されているだろう」と語ったが、同意できない。

 政府に都合の悪い情報が隠されていないか、恣意(しい)的な運用がなされていないか、外部からほとんど検証しようがないのが、秘密法の本質だからだ。

 「私自身がもっともっと丁寧に時間をとって説明すべきだったと反省している。今後とも国民の懸念を払拭(ふっしょく)すべく丁寧に説明していく」。安倍首相は2年前、秘密法の成立に際しての記者会見でこう述べていた。

 果たして、丁寧な説明はなされてきたか。国民の懸念は払拭されただろうか。

 秘密法案の閣議決定を前にした2013年、会計検査院が内閣官房に対し、省庁から特定秘密を含む文書が提出されない恐れがあり、「憲法の規定上問題」と指摘していたことが、このほど明らかになった。

 指摘に対し内閣官房は、従来通り検査に応じるよう省庁に通達を出すとしたが、いまも果たされていない。検査院は、現時点では秘密法を盾に文書提供を拒まれたことはないとしたうえで、今後支障が出る可能性は否定できないため、「通達を出してもらう必要がある」と話す。

 憲法90条は「国の収入支出の決算は、すべて毎年会計検査院がこれを検査」すると定める。

 背景には、戦前の大日本帝国憲法の下では国の機密費や軍事関係費が検査の対象外とされ、膨張する軍関係費を検査できなかったという反省がある。

 内閣官房は、このような歴史的経緯と憲法の重みをあまりに軽く考えてはいないか。早急に通達を出すべきである。

 秘密法をめぐっては、今月はじめに予定されていた「表現の自由」に関する国連特別報告者の来日調査が政府の直前の要請で延期されたうえ、事実上、来年秋以降への先送りを政府が提示していたことも判明した。

 報告者は、秘密法などに関する情報収集を予定していた。

 外務省は担当者のスケジュールが合わないことが延期の理由だとし、「調査の中身で不都合なことがあるからではない」と説明する。だが、「隠したいものは隠せる」という秘密法の本質が変わらない限り、行政への疑念は消えないだろう。

 首相はいまこそ「国民の懸念を払拭すべく丁寧に説明」しなければならない。それが、根強い批判と懸念を振り切って秘密法を成立させた責任者の、最低限の務めである。