2011年3月13日3時0分
12日午後3時30分ごろ、大きな爆発が福島第一原子力発電所で起きた。テレビが伝えた映像では、何かがはじけるように飛び散り、白い煙がもくもくとあがり、海岸線に沿って広がっていった。
「えーー」。福島市大町の東京電力福島事務所では、爆発のニュース映像を見た男性社員が声を上げた。「圧力で爆発したということ? そんなことがあったら大変なことだよ」。別の1人は「でも水位が変わってないから何なのか分からない。水素が漏れたということもありえる」。
「いったい何が起きているのか」。慌ただしい事務所に、緊張と不安が漂った。
原発近くの住民が避難している福島県川俣町の小学校。800人以上が詰めかけ、床に敷いた毛布に寝転ぶなどして過ごす。テレビは無く、新聞も届かない。昼過ぎにおにぎりが配られたが、「2人で一つ」。あっという間になくなった。
午後からは、薬剤師らが0歳から40歳未満の住民全員に、ヨウ化カリウムを精製水に溶かした水溶液をスポイトで飲ませ始めた。放射線を浴びることに伴う甲状腺がんや喉頭(こうとう)がんを予防するため、と説明があった。数十人の住民らが不安げな表情で列を作り、順番を待った。
第一原発がある同県大熊町に住む主婦(39)は、1歳の次男を抱きかかえ、5歳の長男の手を引いて川俣町の避難所にやってきた。自宅は第一原発から約2キロ。地震後は隣接する双葉町の親類宅に身を寄せたが、12日朝、防災無線の避難指示を聞き、さらに遠くへ移動した。夫は第二原発の警備関係の仕事をしており、なかなか連絡が取れない。「子どもの体が心配です」
第一原発から約4キロの地点に住む釣り具販売業男性(61)は、爆発のニュースを聞き、「これで農業や漁業は非常に大きな打撃を受ける。自宅にいつ帰れるのか……」と肩を落とした。
午後6時25分。政府は第一原発で起きた爆発などを受け、第一原発からの避難の範囲を10キロから20キロに広げた。
「避難を受け入れ終わったと思えばまた避難。最悪の状況だ」。福島県川内村の松本茂・農村振興課長はこぼす。
第一原発からは最短で約12キロだ。隣接する富岡町から避難してきた約5千人を、村内20カ所の公共施設に受け入れたばかりだった。人口約3千人の村の施設に入りきらないほどの避難住民を受け入れた。ひと息つく間もなく、今度は村民も合わせた計8千人がさらに遠くへと避難する必要に迫られる可能性がある。
村は同夜、第一原発から20キロ圏内の村民と、富岡町から避難して来ていた町民の計約400人をバスに分乗させ、圏外の小中学校に避難させ始めた。
危険性が広がる事態に、住民は戸惑うばかりだ。
第一原発から北西に約25キロ離れた福島県葛尾村。12日午後6時25分ごろ、村役場の放送で「爆発の影響を防ぐために、外には出ず、窓を閉めて屋内に待機してください」と流れた。
同村の男性(77)は、天井がすっぽり抜け落ちた建物の映像を見て、ぞっとした。防災行政無線に従い、家にとどまっている。「覚悟はしないといけない。放射線は風に乗って広がる恐れもある。対策はきちんと考えられているのか」
大熊町の関根てる子さん(50)は子ども2人を連れて、自家用車で実家のある葛尾村に避難してきた。
「原発から何キロ離れたら本当に安全なのか、誰にも分からない。地震に遭遇したと思ったら、翌日には原発の事故も起きた。住まいに戻れる日がどんどん先になっていく」
第一、第二原発から約30キロ余り離れた南相馬市内の避難施設でも、不安はつきない。一時は約1400人が避難していたが、危険性が広がることを心配し、多くの人がさらに遠くへと移動。避難民は約600人に減った。
同市にとどまった男性(65)は、「爆発したらもっと遠くに逃げても同じ。自宅に近いここに残る」。あきらめ気味に語った。