駆け出し記者だった34年前、いつも命令口調だったひげ面のデスクからめずらしく懇願された。
「おれの高校の同級生が映画を撮ったんだよ。取材してもらえないだろうか」
小栗康平監督(69)のことだった。群馬県の名門・前橋高校で机を並べた2人は、空っ風の風土に影響されたわけではないだろうが、30代にして老成した雰囲気、頑固さなど、共通点が少なくない、気がした。そのデスクからは「取材は深く、書くときは肩の力を抜け」と教わった。今でも肝に銘じている。
小栗監督が10年ぶりの新作「FOUJITA」(11月公開)を完成させ、久々にインタビューする機会があったので、初めて取材した頃のことを思い出した。
デビュー作は宮本輝氏原作の「泥の河」。戦後間もない大阪を舞台に、市井の人々の暮らしを少年の視点で描いた作品だった。
モノクロ映像から、てらてらと輝く川面が浮き上がる。友人の母を演じた加賀まりこは当時30代で、川面の照り返しを受けた顔は息をのむ美しさだった。新人監督というより、ベテランの技量。女優さんの使い方もうまかった。
映画を知り尽くしていたはずの岡田茂東映社長(当時)が、試写後には涙ぐんでいた。「いい映画だ。だが、商売にはならんな」。この岡田氏の言葉はその後の小栗作品の方向を言い当てていたように思う。
90年の「死の棘」がカンヌ映画祭で審査員賞となった他、作品はことごとく内外の映画賞で称賛されながら、興行的にヒットということにはならなかった。
だが、「商売にならん」と言った岡田氏が結局は自社で配給、公開を決めたように小栗作品には映画人を取り込む魅力がある。
オダギリジョー(39)が主演した新作「FOUJITA」は、20年代の仏パリで、ピカソやモディリアニと肩を並べた天才画家・藤田嗣治の物語。繊細な手の動き、時に鋭くなる目、仏語のジョーク…オダギリの「らしさ」には研さんの跡がうかがえる、気がした。
が、小栗監督のオダギリ評は「学習して理解するタイプじゃない。現場でも分かっているのかな、と思うんですけど、いざカメラを回すとしっかりそういう風に見えるんだよね。不思議です」。突き放した言い方に、こちらの表情が「ン?」となると「いや、これ褒め言葉ですから」と真顔で続けた。
オダギリが持ち前の感覚で演じきったのか、人知れず努力を重ねたのかは本人に聞かなければ分からないが、この微妙な俳優との「距離感」に小栗演出の極意があるのかもしれない。
当時の夜の光量は現代とはケタが違う。監督はそこにもこだわった。薄暗がりの細密な描写が見事だ。
「実はデジタル技術が進歩して、前より格段に暗部の幅が出るんですよね」
古典的とも言える手法にこだわりながら、技術の進歩もしたたかに作品に取り込んでいるのだ。
34年で6本の寡作。新しい素材や俳優の新たな一面を追求する「狩猟型」の監督が多い中では珍しく、じっと土壌の改善を待つ「農耕型」なのかもしれない。
次回作をたずねると「次があるかどうか、わからないけれど、撮りたいものはいつもいくつかあるんですよ」と笑う。
考えてみれば、次回作が日の目を見る頃には、こちらは引退しているのかもしれない。【相原斎】