ガイアの夜明け【“よそ者”は老舗を救えるか?】 2015.12.08


「GAIA」…それは息づく大きな生命体。
混沌の時代にも希望を見いだし再生を果たして未来へ向かう。
そこにきっと夜明けがやってくる。
とある一家の夕食時です。
毎日どの食器を使うか。
嫁と姑で選ぶのを楽しんでいます。
ぶどう…。
私はこっちが好きなんです。
実は使っている食器のほとんどが同じブランドのものだそうです。
器には「橘吉」と書かれていました。
(スタッフ)橘吉って…。
はい。
たち吉というブランド。
なんか見てても大のたち吉ファン。
しかしいつしか買うのをやめたそうです。
いったいなぜなのか?たち吉は橘屋吉兵衛の名で店を構えました。
昭和30年代には上質な和食器を売る店として人気となり定期的に購入する会員が全国に30万人もいたそうです。
こちら140年続く老舗旅館。
昔のたち吉の器を今も大事に使っています。
(スタッフ)これはどこが気に入った…。
イタリアなど海外にもあわせて16店舗を出店。
ところがバブル崩壊後高級な器が売れなくなりました。
そこに安い中国製品が入ってきたため対抗してすると長年のたち吉ファンが離れしだいに経営が悪化していきました。
ついに債務超過に陥り今年2月東京の投資ファンドが支援に乗り出すことになったのです。
老舗の再生を掲げ乗り込んできた投資ファンド。
この日たち吉の社員たちを集めて今後の方針を伝えます。
投資ファンドを率いる私たちNHCのよそ者による老舗の改革。
うまくいくのか?よそ者がベテラン社員にダメ出し。
試される老舗のプライド。
織田信長に愛された商人。
その歴史を受け継いだ14代目の改革とは。
日本の手ぬぐいをヨーロッパへ。
売り込むための秘策があった。
う〜ん今期も赤字か。
14代目経営はかなり厳しい状況です。
このままでは本当に倒産してしまいます。
キミは祖父の代から働いてくれてるんだったな。
はい。
苦労かけてすまない。
いやぁお父様の代から海外の安物が大量に入ってきました。
それに日本人の生活習慣なんかも変化してますから…。
うん原因はわかってるんだ。
あれこれ手を打ってきたつもりだがどうもうまくいかない。
なんとしてでもこの夜明け堂の看板は守っていかなければなりません。
ああ260年続くこの夜明け堂を私の代で終わらせてしまってはご先祖様に申し訳が立たないからな。
しかしいったいどうすればいいんだ?う〜ん…。
ご苦労さま。
ガイアファンドキャピタルの者だ。
今日からこの夜明け堂の経営を引き継ぐことになった。
よろしく。
は…はい15代目。
いやその呼び方はやめてくれ。
社長でいい。
あはい。
しゃ…社長。
この会社にはブランド力がある。
必ず再生できる。
まあこれまでとやり方は変えるので戸惑うかもしれないがついてきてほしい。
あ…はい。
まあ心配しなくていい。
すべては老舗の看板を守るためだ。
創業100年以上の老舗企業がたくさんある日本。
しかしなかには時代の変化に対応しきれず苦戦する企業もあります。
「ガイアの夜明け」今回は数百年の伝統を持つ企業にやってきたよそ者。
果たして苦しむ老舗を再建させることはできるのでしょうか?いちばんの繁華街である四条通りに263年続くかつて本店を構えていた1階は外国のアパレルメーカーに貸し出していました。
それでもおよそ300人の従業員はほとんどがそのまま残りました。
この日たち吉にある人たちがやってきました。
投資ファンドの幹部たち。
完成したばかりの新商品をチェックです。
商品開発の責任者はたち吉ひと筋29年のベテラン社員です。
これはレンコンに見立てた小皿。
レンコンの輪切りにしたところの…。
しかし商品を案内するパンフレットにはレンコンが縁起物という説明がありません。
続いてはカタログギフト用の商品。
20代から30代の新婚夫婦に向けた引き出物用のセットです。
白武さんにも言い分があります。
生え抜きの社員とよそからやってきた再生のプロ真っ向からぶつかり合っていました。
たち吉を立て直したい。
思いは一緒なのですが…。
投資ファンドは創業家に代わる新たな社長を送り込んでいました。
それがこの人。
渡邊さんが掲げたのはかつてのブランドイメージの復活です。
「品がある気が利く」。
渡邊さんは元三越の営業マン。
営業戦略の責任者などを担ったやり手です。
その新社長早速改革に動き出していました。
この日訪れたのはかつての客を取り戻すためまずは売り場から立て直すことにしたのです。
きれいに商品が並んでるように見えます。
しかし渡邊さん商品開発担当の白武さんを呼び出しました。
すみません。
問題があったようです。
ふたをしても中の柄が出てしまいます。
かつてのたち吉ではありえない失態。
すぐさま商品開発の担当役員に連絡を取ります。
うちとしたらさ…。
渡邊さんは社員たちにかつてのたち吉が持っていたブランドの誇りを取り戻してほしいと考えていました。
長年たち吉の商品を開発してきた白武さん。
近年安物に走りたち吉らしさを見失っていたことを彼自身痛感していたのです。
白武さん巻き返しを図ります。
古くから美濃焼の産地として知られています。
そこに白武さんがやってきました。
たち吉は自社工場を持っていません。
食器などのデザインを考え全国各地の窯元の職人たちに商品を作ってもらっています。
そのひとつこことは30年前につきあいを始めました。
ところがたち吉が安物に走ったためこの10年取り引きがありませんでした。
白武さんかつての高級路線に戻そうと今回久しぶりに作ってもらうことにしました。
年末商戦用の大皿です。
溝を掘ったところに違う色の土を埋めていく高度な技法が用いられています。
この日ひと月前から作り始めたものがちょうど焼き上がっていました。
このピンク色が特徴です。
溝がきれいな模様になって浮き出ていました。
しかも一皿一皿表情が違います。
(スタッフ)この火色っていうのは裏もあるんですか?まあこういったところですね。
この色むら火色と呼ばれる手作りならではの味わいです。
最近あれですよね。
なかなかこれを…。
しかし大きな問題が。
やはりちょうどこの…。
ちょうどここ削いでるところ…。
焼き上げるときに亀裂が入ってしまい売り物になりません。
こんなわずかな傷でも出荷しないといいます。
たち吉の刻印は職人としての誇り。
譲れないのです。
この日多くの大皿が職人自らの手で砕かれました。
たち吉のブランドを守る。
白武さんその思いを新たにします。
もともとたち吉とのつきあいを始めた先代の久しぶりの注文が嬉しかったといいます。
売っていただければ。
全国にいる職人たちも老舗たち吉の再生を願っていました。
東京池袋にあるたち吉の売り場では年末商戦の準備が整っていました。
そこに並んでいたのは全国の窯元に作ってもらった新作商品の数々。
商品開発担当の白武さんもやってきました。
あの美濃焼の大皿も間に合ったようです。
白武さん店員に商品の特徴を伝えます。
早速興味を持った客が。
窯元や作り方など器の魅力を伝えます。
ピンク色の大皿は食卓を華やかにすると評判も上々。
白武さん手応えを感じたようです。
ホントに心から思ってます。
生え抜き社員とよそ者社長。
老舗の再生へ思いはひとつです。
一方こちらは今年6月ある老舗企業が新作発表会を開いていました。
実はこれ手ぬぐい。
全長12メートルを超える生地にそれぞれ表情の違う108つのだるまが描かれています。
創業400年の手ぬぐい屋。
日常生活で使われなくなった手ぬぐいの新たな可能性をみせます。
手ぬぐいを使って掛け軸から着物や扇子まで作ったのです。
細辻さん老舗だからこそより大胆な挑戦が必要だといいます。
実はこの人400年続く老舗にやってきたよそ者だったのです。
こちらにあるのは創業400年という京都の老舗永楽屋の手ぬぐいです。
こちらは舞妓さんの四季が描かれているということです。
美しいですね。
信長から以来当主は代々細辻伊兵衛の名を継ぐのがならわしとなっています。
こちらに並んでいるのは歴代の細辻伊兵衛の肖像画です。
初代が家督を受け継いだのは江戸時代前期1701年のことでした。
当初永楽屋は着物などに使う木綿の布地を扱っていました。
その後江戸時代から明治時代にかけて木綿の需要が拡大。
永楽屋は京都の大富豪になったそうです。
その永楽屋が手ぬぐいを作るようになったのが10代目のときです。
こちらにあるのが当時の貴重な手ぬぐいです。
実は昭和に入ると手ぬぐいを収集するブームが起こりました。
そのため永楽屋もさまざまなデザインの手ぬぐいを作ったそうです。
しかし戦後になると日本人のライフスタイルが変化。
12代目は主力商品を手ぬぐいからタオルに切り替える決断をします。
贈答用として人気となりしばらくは業績を伸ばしたものの海外ブランドの参入によって競争が激化。
経営が悪化します。
どん底の状態にあった永楽屋の家督を継いだのがこちら。
14代目の細辻伊兵衛さんです。
細辻さんは12代目の娘と結婚して養子に入ったいわばよそ者。
老舗を復活させようと大胆な改革を始めていました。
この町には100年以上続く老舗企業がおよそ1,100軒も残っています。
そのひとつが今年でちょうど400年目を迎えました。
午前9時。
老舗の朝は決まったしきたりから始まります。
先祖代々伝わる家訓。
商いの心得が込められています。
毎月の給料袋にまで…。
永楽屋14代目の社長がこの人。
12代目の娘久美子さんと結婚。
養子縁組で婿入りし細辻家を継いだのです。
よそ者の伊兵衛さん。
タオル事業で失敗し破たん寸前にまで追い込まれた永楽屋の再建を担うことになりました。
そこで目をつけたのが倉庫に眠っていた手ぬぐい。
明治から昭和初期に作られたものです。
皆さんに見ていただいてたということです。
当時大流行したさまざまなデザイン。
その復刻版を作ろうと考えたのです。
蔵の壁に落書きしたようなユニークなデザイン。
チャップリンの横にはへのへのもへじやあいあい傘も。
それは完全にコラボになると思うし…。
これまで卸問屋だった永楽屋。
伊兵衛さんは初めて小売り事業に乗り出しました。
今や10店舗を構えるまでに。
その目玉商品が復刻版です。
一般的な手ぬぐいは安いものなら200円。
高くても1,000円ほどです。
一方永楽屋のものは1枚2,000円近くします。
永楽屋の手ぬぐいを染めているのが京都市内にあるこちらの工場。
型友禅と呼ばれる主に着物を染める技法を用いています。
デザインに合わせて型を作り色ごとに染めていきます。
むらなく均一に染めるには熟練の技が必要だといいます。
実は永楽屋の手ぬぐいは一般的なものより生地が細かく織られています。
生地から染め方までこだわった手ぬぐいです。
この染物工場も100年以上続く老舗。
京都の老舗同士支えあって歴史をつないでいるのです。
京都随一の花街園。
伊兵衛さんまた新しいことを始めようと動き出していました。
すみませんどうもすみません…。
園にある一軒家。
そこに職人の仕事場がありました。
着物に直接絵を描く友禅絵師です。
この道55年。
その稲田さんに手描きの手ぬぐいを依頼していたのです。
大量に作れる型友禅とは違い一品もの。
新たにね…。
稲田さん手ぬぐいに描くのは初めてのこと。
絹の生地に描くのとは違い木綿の生地は染み込んでいくため難しいといいます。
1枚描くのに2日かかります。
特殊な染料のため洗っても色落ちしません。
これがどうなるかはまだわかりませんけど。
伊兵衛さんのもとに今年海外から注文が入りました。
差出人はロンドンにある国立博物館。
そのショップで永楽屋の手ぬぐいを売りたいというのです。
伊兵衛さんこの注文をきっかけに手ぬぐいをヨーロッパに売り込もうと考えていました。
(お鈴の音)ぐるりと取り囲むのは歴代の細辻伊兵衛。
400年の歴史のなかで初めてとなる海外への進出です。
よそ者の決断。
それにしても日本の手ぬぐいはヨーロッパで通用するのか!?〜手ぬぐいを詰めた大きな風呂敷を肩に永楽屋の伊兵衛さんがのり込んできました。
向かった先はメールをくれたそのミュージアムショップの一角に…。
あれですね。
すでに送ってあった永楽屋の手ぬぐいがありました。
日本円で…。
壁掛けとして売られていました。
実用品ではなくインテリアとしての扱いです。
たぶんされてるんではないかなと思います。
この博物館で日本の工芸品を担当する京都を訪れたときに永楽屋の手ぬぐいを気に入り取り扱うことにしたそうです。
その夜。
インテリアとしてならヨーロッパでも手ぬぐいが売れる可能性があることはわかりました。
しかし市場を広げるためには実用品としての手ぬぐいの魅力を伝えたい。
伊兵衛さんはそう考えていたのです。
その足でパリに飛びました。
実は伊兵衛さんこの街である人と会う約束をしていました。
こんにちは。
こんにちは。
こんにちは。
あっごめんなさいね。
地下室に通されます。
ポールさんはアジアの工芸品を輸入するバイヤー。
ヨーロッパ各国の百貨店などに卸しています。
英語と…申し訳ない。
日本語ジャパニーズ。
すみません。
伊兵衛です。
そうです。
自慢の手ぬぐいを見せます。
煩悩ダルマ。
全部柄が違う。
全部違うんですよ。
伊兵衛さんヨーロッパで売り込む秘策がありました。
伊兵衛さんが手ぬぐいを売り込みにやってきました。
訪ねたのはポールさん。
アジアの工芸品を百貨店などに卸しています。
実はポールさん近くラッピング用品の見本市を開こうとしていました。
伊兵衛さんそれを聞きつけて訪ねたのです。
おもむろに手ぬぐいで酒のボトルを包み始めました。
これできるかな…。
グルグルっとしてこっちもグルグルっとして…。
クルっと。
こういうふうに注ぐと。
入ってませんよね?入ってたらびっくりするけど。
アハハハ!続いてはティッシュボックスをラッピングしてみせます。
ポールさんもう夢中。
伊兵衛さん手ぬぐいはさまざまなものを包めるとアピール。
ポールさん売る気満々です。
永楽屋の手ぬぐいをどうやって売り出すか考えてくれることになりました。
バイバイまたどうぞ。
あの手描きの手ぬぐいが完成していました。
こう置こうか。
2枚と同じものはない一品ものです。
日本の四季を感じてもらおうと12か月のシリーズ。
全部そろうと見ごたえのあるものになりました。
反物のように巻いて高級感を演出します。
売り方をこれにしよう…。
京都の百貨店で売り出したところ1週間で7枚も売れました。
よそから来た14代目。
新たな老舗の歴史をつくっていきます。
創業400年の老舗といっても最初はベンチャー企業だった。
永楽屋の14代目細辻伊兵衛さんの言葉です。
そもそも老舗企業が数百年にわたって生き残ってこれたのは時代の変化に対応してきたからなのでしょう。
なかの人材でうまくいかなければよそ者の視点を取り入れる。
そして伝統を守るだけでなく常に新しいことに挑戦する。
そうした改革が必要なのかもしれません。
2015/12/08(火) 22:00〜22:54
テレビ大阪1
ガイアの夜明け【“よそ者”は老舗を救えるか?】[字]

創業400年の“手ぬぐい屋”を再生!ムコ殿社長の次なる挑戦はイギリス▽投資ファンドが老舗企業を再生!よそ者の新社長による改革を取材。

詳細情報
番組内容
創業100年以上の“老舗企業”が世界一多いとされる日本。しかし、中には時代の変化に対応できず、廃業に追い込まれるケースもある。老舗企業の多くは同族経営のため、先祖代々続く“伝統”を守ろうとするあまり、思い切った改革に取り組めない傾向があるようだ。そんな中、しがらみのない外部の新鮮な視点を持ち込み、再生を図ろうとする老舗企業がある。“よそ者”は老舗を生まれ変わらせることができるのか?
出演者
【案内人】江口洋介
【ナレーター】杉本哲太
音楽
【音楽】
新井誠志
【テーマ曲】
◆オープニング曲
 「鼓動〜ガイアの夜明け」(作曲/岸利至)
◆エンディング曲
 「夜空の花」(作曲/新井誠志)
「ガイア」とは
ギリシャ神話に登場する「大地の女神」を意味し、後にノーベル賞作家のウイリアム・ゴールディングが「地球」を指して“ガイア”と呼んだことから「ガイア=地球」という解釈が定着している。「ガイアの夜明け」という番組タイトルには、地球規模で経済事象を捉えることで21世紀の新たな日本像を模索すること、そして低迷する経済状況からの再生=「夜明け」を目指す現在の日本を描くという意味合いが込められている。
関連情報
◆ホームページ
http://www.tv-tokyo.co.jp/gaia/
◆公式Twitter
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ジャンル :
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