ハートネットTV「ハンディを武器に」 2015.12.09


子どもに「負けて悔しい」と思わせる事でやる気を引き出す。
皆さんのヒントになりましたか?今日は皆さんご存じこの方のお話。
ものまねタレントのコロッケさん55歳です。
来たわよ。
今年でデビュー35周年を迎えたコロッケさん。
タレントの特徴をデフォルメした独創的な芸でお客さんを楽しませてきました。
・「つかみかけた熱い腕を」実はコロッケさん14歳の頃から右耳がほとんど聞こえていません。
家庭が貧しく病院に行くのをためらったため中耳炎を悪化させてしまったのです。
ふさぎ込んでいたコロッケさんが前を向くきっかけとなったのがものまねとの出会いでした。
聞こえにくいハンディを補うため徹底的に見た目を観察。
独自の芸を作り上げます。
僕やっぱり右耳が聞こえないという事である意味すごくものまねにとってはプラスになったところがありまして。
難聴にならなければ今のコロッケさんの芸はない?ないですね。
ここまでの想像ってないと思います。
難聴と向き合いながらものまね界で第一線を走ってきたコロッケさん。
デビューから35周年を迎えた今これまでの人生と芸について思いを聞きました。
玉屋〜!とっくに始まってますよ。
この日デビュー35周年を記念する公演の稽古が行われていました。
今回の舞台はコメディーの時代劇。
1人で芸をするイメージの強いコロッケさんですが最近では芝居にも挑戦。
年々芸の幅を広げています。
今回は稽古の合間に話を伺いました。
では今日は武田鉄矢さんよろしくお願い致します。
(武田鉄矢のものまねで)あ〜私が武田でございますね。
皆さんもよろしくお願いします。
はい。
今日は難聴だという事をお聞きしましてその難聴とどう向き合って芸を磨いてきたかという事についてお話を伺っていきます。
はい何でも聞いて下さい。
今コロッケさん耳の状態はどういう?耳ですか。
こちら左の耳が正常な状態で右の耳が詳しく言うと真珠腫というちょっと中耳炎のひどいやつで。
一番こう何ですかね手術を要する。
真珠のちっちゃい粒みたいなのがいっぱい出来てそれが骨を溶かしていくのでほったらかしておくとそれが脳まで到達してしまう。
一番分かりやすく言えば何ですかね…。
ちょうど水の中に入って上からしゃべられてる感じですかね。
こっちだけで言うと。
水の中に入って…。
水の中に入って上からしゃべられると何を言ってるか分からない。
でも何かしゃべってる。
ですからこっちを塞いだ状態でやると自分の声は響きますけど相手の声はこちらからは入ってこない状態ですよね。
何かしゃべってるっていうのは分かるんですけど。
ふだんの行動でもちょっと体の向きっていうのも…。
体の向きを変えない努力はしました。
要は左側にいて頂いてしゃべられるのは大丈夫。
こちら聞こえるので。
こちらからしゃべられると何を言ってるか分からない。
特に音が大きい場所とか。
こういう場所だったら響くんで聞こえますけどもやっぱり音がガンガン鳴ってるとことかそういうとこだと全く聞こえないしレストランとか居酒屋でもやっぱり騒がしいとこだと真横でしゃべられても分からないのでこっちを壁にするんですよ。
必ずここを壁にする。
そうすると皆さんのが聞こえるので。
ですからこちらにも人がいてしゃべってる場合は聞こえないからっていうふうにいちいち言わないじゃないですか。
自分はこっち聞こえないんでこっち来てっていうのも相手が急に「えっ?」とかってビクッとしたりするしその空気を壊したくないし。
ですのでなるべく皆さんに気を遣わせないようにするには自分のここをまず壁にするっていう事ですよね。
6年前座長公演の記者会見。
ここで右耳の難聴について初めて語ります。
思いがけない事実を知らされ世間は驚きました。
その難聴という状態を発表したのが6年前2009年。
これなぜそのタイミングで発表されたんですか?発表したつもりなかったんですよ。
こうやって取材受けてる最中に何気なく言ってしまったら「えっ?」ってその取材の内容より耳の話になっちゃって。
だってそれまで知らないですしものまねっていったらやっぱり耳で聞いて声で表現する訳ですからね。
聞こえないのにってそりゃ驚くと思います。
隠してた訳ではない訳ですよね?隠してたつもりもなかったんで普通に会話したら「あれ?」って思って。
こんな大ごとになっちゃってどうしようみたいな。
逆にそっちの方が戸惑いましたね。
1960年熊本で生まれたコロッケさん。
両親が離婚したため母親の博子さんのもとで育てられました。
長屋での家族3人暮らし。
生活は苦しく食べるものにも事欠く日々でした。
7歳の時コロッケさんは耳に痛みを感じます。
しかしお金がない事を知っていたため母親には言えませんでした。
症状は次第に悪化。
14歳の時に我慢できない痛みに襲われます。
病院に駆け込んだところ重い中耳炎と診断されました。
完治するには既に手遅れでした。
僕が小さい頃小学校の時に家がすごい貧乏だったので病院に行ってお金を払わなきゃいけない。
もし手術をするとかってなったらえらい事になるっていうんで我慢してずっとお母さんにも言わなかったんですね。
やっぱり何ですかね…家の中で食べるものさえごはんがなくて崩れたあられとかお母さんがもらってきたりして食べてる時もあったので。
病院代でも確かに保険がね健康保険あるんですよ国保が。
でもそれでもやっぱり何百円かかかる。
その何百円がなかったんですよね。
ですからすごく大変だったんで言えないでいた事が逆に親を苦しめる結果になってしまったっていうのは。
自分たちが考えてるより親の方がやっぱりつらいですからね。
そんな事を我慢させてしまって病気になってしまったというのは。
やっぱり居たたまれない気持ちになって逆に何か母の方が僕よりも落ち込んでましたよね。
だんだんだんだん聞こえなくなってきてて手術をしてもう元に戻らないという言い方をお医者さんにされた時に何かこう不安もあるんですがその前に自分の中で「俺何やってるんだろう。
なんて事をしたんだろう自分に」っていうふうな責め方を自分にするんですよね。
これは誰かのせいでもないし。
だから正直学校に行くのとか人と会ったり人としゃべるとか家族としゃべるのも最初はやっぱり怖かったですね。
相手が気を遣ってるのが分かったりするしその時には入院して退院してきた事も知ってるのでクラスの人たちは。
こっちが普通にしてないと気を遣わせちゃうなっていう。
でも行ってしゃべる事の方が怖かったのでなるべく人と話さないようにしてましたね。
聞こえてない事に答えられないと文句を言われるんですよ。
「聞いてないの?」とか「何やってんだよ」とか「何?」っていう。
「もう一回言って」とか「ちょっと今聞こえなかったんでもう一回」って言うと「もういいよ」とかって言われたりするんで何かだんだんだんだん会話がなくなっていくんですよね。
いいや。
だから自分で諦めちゃうっていうか。
自分で壁を作るというかシャットアウトしちゃう。
シャッター閉めちゃうようなそんな状態ですね。
周りの友達に例えばちょっと右の耳がね聞こえにくいっていう事を言えればよかったかもしれないですよね。
でも思春期なんで耳が聞こえないって言った瞬間の周りの反応の方が怖かったですね。
「えっ?」っていう。
だから別にいっかってどっかで思ってるんですよね。
いやいいやって。
シャッター下ろしている状態なんですけどそれじゃいけないなという事もやっぱり自分でも分かってる訳ですよ。
かといっていちいち説明するのも嫌だし。
聞こえなくなった事を気にするあまり周囲から孤立していったコロッケさん。
そんな生活で唯一の楽しみが姉直子さんの影響で始めたものまね。
テレビをかじりつくように見てはアイドルの歌や振り付けを必死に練習しました。
ものまねとかを中学校の時に始めて。
うちの姉がやってましてすごい人気があったんですね学校で。
姉がいる間はやっても人気が出ない訳ですよ向こうが人気者なんで。
卒業するまで僕も待ってて年子なんで1つ上なんですね。
中学校3年の時に皆さんの前でものまねをやり始めて。
そこからすごく自分の中の…。
それまではやっぱり耳の事もあってちょっと性格的な事もあって内向的というか引っ込み思案だったんですよ。
引っ込み思案だったんですか?もう本当にどっちかっていうと一年中湿気のあるようなじめ〜っとしたタイプで基本女の子に嫌がられるタイプっていうんですか何か。
それでいて笑い声だけうるさいみたいなちょっと変なところあったんで。
だからものまねやって。
ものまねをやり始めたきっかけはモテたくて始めたんですよ。
いい男はかっこいい人って黙っててもモテるじゃないですか。
かっこよくない男は何をすればいいんだって友達同士で話になったんですね武器を持とうと。
スポーツ今からやっても遅いだろうと。
勉強はできないしどうすんだ。
「じゃあ俺ものまねやるわ」って言ってものまねを始めたっていうのが最初のきっかけで。
一番好きな人が郷ひろみさんのファンだったんで郷ひろみさんの「よろしく哀愁」を修学旅行のバスの中で最初にやった。
そのころはふざけてないですよ。
ちゃんとした郷さんで。
バスのマイクあるじゃないですか中でしゃべる。
あれで…。
・「もっと素直に僕の愛を信じて欲しい」ってやったら女の子が騒いだんですよ。
ワ〜ッと。
「やった!」と思って。
一躍クラスの人気者になったコロッケさん。
やがてものまねのプロになる夢を抱き始めます。
「大人の前でも演じてみたい」。
コロッケさんは17歳の時売り込みを始めます。
近所のスナックで芸を披露させてもらったのです。
すると大ウケ。
高校卒業後は地元の店をはしごするようになりました。
上京する前に熊本で夜の街で披露してたって事もそれは少し自信にはなってたんじゃないですか?なってましたね。
「タキちゃんタキちゃん」って言われてましたから。
本名滝川っていうんで。
「タキちゃんはすごい」とかっていろいろ言われてたんで。
それで調子に乗って東京に出てって。
(司会)九州男児が半年前にふるさとを捨てスターを目指して上京。
ファイトと貪欲さで生き抜くか?珍しい百面相をひっ提げてコロッケの登場だ!19歳で出演したオーディション番組がデビューのきっかけとなりました。
こんにちはコロッケです。
何か気味悪がってんじゃない?それでは昔百面相というものがありましたけどね。
(笑い)・「いつものように幕が開き恋の歌うたう私に」・「黒いふちどりがありました」当時歌声をまねる芸が主流の中あえて自分の声を出さず表情や振り付けだけで勝負。
するとこれまでになかった新しさが人気を呼びました。
・「シンデレラ・ハネムーン」・「時計に追われるシンデレラ・ハネムーン」実はこの芸耳が聞こえにくいハンディを補うためのコロッケさんなりの戦略だったのです。
もし耳聞こえてたら声帯模写の方に行ってたと思うんですよ。
最初は形だけなんで形態…。
今で言うエアーものまねですよね。
顔とかいろいろちあきなおみさんとかこうやってやったり岩崎宏美さんやったりとかそれをレコード…昔はねCDじゃないですから昔は。
レコードに合わせて吐息までまねするんですよ。
吐息まで。
歌と歌の間にスッて息を吸うブレスっていうんですけどね。
息を吸うのまでまねをするってやつですね。
それも観察をしっかりしないとできない訳ですよね。
そうですね。
徹底的な観察によって自らのハンディを克服したコロッケさん。
やがて見た目をまねるだけでなく独自のアレンジを加えていきます。
まあ簡単に言うとコロッケのものまねは「やりそうでやらないこと」っていうふうに思って頂くといいと思いますね。
その人がやりそうでやらない事。
ものまねっていうとでもいかに近づけるかってところで声もそうですし動きもそうですしそこに努力する訳じゃないですか。
似せる事に近づく事よりも似せれる人はたくさんいるしそっくりだけだったら本物の方がいいんですよねと僕は考えてます。
だったら本物じゃないんだから似せる事も大事なんですけど「その人違うよ」って思ってる訳じゃないですか皆さん見てて。
でもそんな気がするっていうところですよね。
そんな違うよって言ってるのがいやでもそんな気がするなっていうところのやっぱりそこの自分なりのコロッケなりの寄せ方というか。
やっていないがやりそうな事。
コロッケさんは想像を膨らませる事で芸を進化させていきました。
・「ものでした」・「から降りて来る君を探すのが好きでした」・「たとえキミを強く抱きしめたって」・「つかまえていてね君の夢は」・「ポーニョポーニョポニョさかなの子」「ギョッ!」。
・「青い海からやってきた」「ギョッ!」。
・「まんまるおなかの」お〜!・「女の子」ところがデビューして10年がたった頃ものまね人気に陰りが見え始めます。
視聴率が急激に低下。
テレビ出演はほとんどなくなりました。
タレントとして生き残るにはどうすればよいのか。
進むべき道を探る日々が続きました。
ものまねに大体みんなある意味やり尽くして。
すごい視聴率もよかったしただみんな正直悩んでましたね。
でも僕がすごい得したのはある方にこの言葉を教わって自分ですごいかみしめたんですが。
どんな言葉ですか?「目で聞いて耳で見る」。
目で聞いて耳で見る。
芸能界の先輩から言われた「目で聞いて耳で見る」。
コロッケさんは聞こえにくく情報が限られる中観察と想像で乗り越えてきた事が自分の財産だったと気付きます。
「この力を磨く事に集中しよう」。
そう決意します。
道が見えてきました。
以来タレントを観察する時にはあえて目を閉じたり耳を塞いだりして想像を膨らませるようになりました。
目を閉じる時間もあったり耳をこうやって塞いでる時間もあったりそうするとどうなんだろうって想像してるだけでおかしいんですよね。
楽しくなってきちゃうんで。
ですから森進一さんが「おふくろさん」歌われる時に歌と歌の間が僕は鶏に見える訳ですよね。
「おふくろさんよ〜フッ」ってね。
これ鶏に見えるっていう。
僕が勝手に見えてるだけなんですよ。
でもそういう事の想像がやっぱりほかの方よりもはるかに若い時からしてきてるので勝手に妄想が浮かぶんです。
自然にそういう感覚になってる訳ですね。
その想像がコロッケのものまねというところでいけば…。
コロッケのものまねってどちらかというと妄想の世界なんですね。
・「おふくろさんよ」迷いが消えたコロッケさんは想像の世界を更に広げていきました。
歌の合間森進一さんが鳥に変身します。
・「あなたの真実」トトトト…。
トッテトッテトッテトッテトッテトッテ…ウェッ!名曲「コンドルは飛んで行く」のメロディーラインが演歌に似ている事に気付きそこから生まれたのがこの芸。
・「ヘイヘイホーヘイヘイホー」ものまね番組に出なかった期間っていうのは僕の中では自分と向き合うものとあと世の中にあるいろんな情報それ一番僕は映画とかで一番得るんですけど。
何でヒットしてるんだろう。
何でこの動きにみんな興味あるんだろう。
何でこれが人気あるんだろう。
そういう目で見てた訳ですね?はい。
映画を見て想像がつく訳ですよね。
ですから五木さんのロボコップというのは「ロボコップ」見てる時誰かだったらなと思って見た瞬間に五木さんが最初にシャンカシャンってはまっちゃったんですよね。
そうすると五木さんが悪いやつをやっつけていく訳です。
ウィーンガシャウィーンガシャ…ってやってやっつけていく。
それを見てて僕は楽しくてしょうがない。
ついにコロッケさんの想像力の結晶ともいうべき芸が生まれます。
(機械音)その名も五木ロボット。
(笑い)
(拍手と笑い)・「あなたは誰と契りますか」
(機械音)・「永遠の心を結びますか」
(機械音)こういう言い方をするのもなんですけど難聴にならなければ今のコロッケさんの芸はないという事ですか?ないですね。
ここまでの想像ってないと思います。
だから逆にありがとうございますっていうふうには自分の耳には言ってますね。
病気になって大変だったし手術もしたし大変だったけどでもありがとうございますっていうふうに。
とは言ってもねポジティブに考えろと言ってももともと内向的な性格だった訳でそんなの無理だよって最初思いませんでした?無理だよって思った時にもう落ちてるじゃないですか。
無理だよって思う事が確かに人間だから当然だと思うしそっちの方選んじゃうんですよねやっぱり多くの方が。
無理だよと思って落ちている自分ってあと落ちるしかない。
一回落ちたところからはい上がる方が面倒くさいんですよ。
落ちる前にはい上がった方がいいというのが僕の中でそれもポジティブなんですけど。
考え方一つだと思うんですけどね。
何ですかねそれが確かに難しいとは思うんですよ。
そういうふうに考える事もね。
でもそういうふうに考えていかないと一回落ちてこんなぐわ〜っと落ちてからはい上がっていくとこの落ちた分の時間の倍3倍4倍かかるので。
落ちる前に「いや」って思わないとっていうのが僕の中ですごいありますね。
それがありがたい事にうまくいってるからこうやって仕事長くやらして頂けるんだと思います。
・「祭りだ祭りだ」祭りこっち〜!ものまねタレントにとって大きな障害となるはずの難聴。
それを力に変えてきたコロッケさん。
自分にしかできないものまねが必ずある。
そう信じて壁を乗り越えてきました。
目で聞き耳で見て想像する。
芸と向き合う日々が続きます。
(一同)ファイオーファイオーファイオー!イエ〜イ!2015/12/09(水) 20:00〜20:30
NHKEテレ1大阪
ハートネットTV「ハンディを武器に」[字]

芸能生活35周年を迎えたタレントのコロッケさん。実は右耳の難聴を抱えながら、芸を磨いてきた。ハンディを補うために生み出した、独自の工夫があるという。その技とは?

詳細情報
番組内容
芸能生活35周年を迎えたタレントのコロッケさん。実はコロッケさんは右耳の難聴を抱えながら、芸を磨いてきた。コロッケさんの家は貧しかった。中学の時、中耳炎になるが、医者に行きたいと言うことができず。症状を悪化させてしまったのだ。ふさぎ込む中、唯一の楽しみだったのが、テレビのものまね。芸人を目指して上京するが、ライバルの中で埋没しないため、聞こえにくいハンディを補う、さまざまな工夫を編み出していく。
出演者
【出演】ものまねタレント…コロッケ,【司会】山田賢治,【語り】河野多紀

ジャンル :
福祉 – 障害者
福祉 – 高齢者
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

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