歴史秘話ヒストリア▽転職忍者ハットリ君の冒険〜家康の“頼れる家臣”服部半蔵〜 2015.12.09


20キロ以上あるケースも軽々と。
音もなく敵陣に潜入し人知れず情報をつかむ。
それが忍び忍者です。
うわあっ!捕らえよ!いざ戦いとなれば…何だかかっこいい!「忍者」と聞いて真っ先に思い浮かべるのはこの名前ではないでしょうか。
半蔵は戦国時代を生きた実在の人物です。
でも…実は忍者ではありませんでした。
えっ!?じゃあ何者?今年が没後四百年となる天下人…その家康に仕え絶大な信頼を得ていたのが服部半蔵です。
戦では大きな槍で敵を次々となぎ倒す怪力の持ち主。
そこで付いたあだ名は…しかしそんな勇猛果敢な半蔵を打ちのめす事件が起こります。
親しいそなたに介錯を頼めるのがせめてもの慰めじゃ。
鬼半蔵の目にも涙。
悔やんでも悔やみきれなかった悲しい出来事とは…。
そして日本中を揺るがした…織田信長と同盟を結んでいた家康に人生最大の危機が迫ります。
そこで決行されたのが敵の目をかいくぐる…心の声何としても家康様を守らねば!
(のろしの音)この時半蔵が放ったのはある奇策でした!主君のため尽くす武将服部半蔵に忍者のイメージがついたのはなぜか。
家康を支えた戦国ヒーローその知られざる物語です。
今からおよそ450年前。
あまたの戦国大名が争い…残った!三河国現在の愛知県岡崎市で服部半蔵正成は生まれました。
6人兄弟の5番目でしたが幼い頃からとても力が強く兄たちにも負けないわんぱく者だったと言われます。
半蔵の父・保長は三河の大名松平家に仕える足軽でした。
実はこの保長の出身が…。
伊賀には「忍び」。
つまり…ふだんは田畑を耕したり商売をしたりしてどうにか生計を立てていました。
戦国大名の家を企業に例えれば殿様は社長で家臣たちは正社員。
戦で手柄を立てれば昇進し給料も上がります。
しかし忍者は必要な時だけ雇われるいわば契約社員です。
安定した収入や出世など夢のまた夢でした。
そして松平家の一番下の社員足軽となったのです。
心の声忍びはわしの代までじゃ。
息子たちよおのおの槍や刀の腕を磨き立派な武士として服部の家をもり立ててくれ。
そういう立場で伊賀者たちを雇用するわけですね。
結局そういう働き口しかないんですよ将来にわたっても。
そうなりますと…えい!えい!えい!心の声戦で大手柄を立てて誰よりも強い武士になってみせる!日々槍の稽古に励んだ半蔵は屈強な若者に成長。
父と同じく松平家の足軽になりました。
その時の主は松平元康後の徳川家康です。
そして半蔵が二十歳を迎えた頃。
鍛えた槍の腕前を発揮する機会がやって来ます。
当時今川家では家康の嫡男が人質となっていました。
我が子を救い出そうと家康は戦いを挑んだのです。
かかれ〜!この大事な戦で手柄を立てれば出世する事間違いなし!半蔵は得意の槍を振るい敵を次々と倒します。
大物の武将も見事にしとめる目覚ましい活躍をしました。
戦は圧倒的な勝利。
半蔵たちは家康の嫡男・信康を無事取り戻す事に成功します。
勇ましく戦った半蔵はそのうわさを聞いた家康に呼び出されます。
一介の足軽が大名に目通りを許されるのは極めて異例の事でした。
そなたが半蔵か。
(半蔵)はっ。
我が子信康が助かったのもひとえにそなたの槍働きあっての事よ。
それにしてもその面構え眼光の鋭き事…そなたただ者ではないな。
いえそれがしなど…。
心の声殿が直々にお褒めの言葉を下さった!よ〜し!家康に言葉をかけられ半蔵は奮い立ちます。
次の戦では真っ先に敵陣に飛び込み奮戦。
戦いの度に武功をあげ半蔵は出世街道を駆け上っていきました。
服部家ゆかりの寺西念寺。
武士が持つ槍は3メートルほどだと言いますから1.5倍の特大サイズです。
力持ちの半蔵に合わせて家康はわざわざ特注でこの槍を作らせたと考えられます。
それほど半蔵の働きを喜び期待をかけていたのです。
(家康)半蔵この後も頼みにしておるぞ。
ははっ。
もったいなきお言葉。
よいか半蔵。
参るぞ!信康様手加減はいたしませんぞ。
だあっ!半蔵は家康に取り立てられ嫡男・信康のそば近くに仕えるようになりました。
(半蔵)いずれ徳川の主になろうというお方がそんなザマとは情けない!
(信康)半蔵もう一度じゃ!ヤーッ!
(信康)まだまだ!家康そして信康からの厚い信頼を肌で感じる毎日。
やがて半蔵は出世のためだけではない戦う事の新たな目的を見いだします。
心の声
(半蔵)わしを信じて下さるお気持ちにしっかりお応えせねば。
殿と信康様をお守りするため懸命に働こう。
徳川三河守が家臣服部半蔵正成いざ尋常に勝負!主君への忠誠を新たにした半蔵の勢いはすさまじいものでした。
あまりに激しい戦いぶりから「鬼半蔵」と呼ばれるようになりました。
そしてついに…。
(家康)半蔵よそなたにこの者たちを預ける。
半蔵は150人の部下を与えられます。
しかもそれは伊賀の忍びたちでした。
家康は服部家が伊賀ゆかりである事を見込んで半蔵に忍びをまとめ敵を探る役目を与えたと考えられます。
もともと忍びの仕事は半蔵の父が望んでいなかった事。
初めは戸惑いますが…。
心の声殿と信康様のお役に立てるのならばやってみよう。
忍びの働きで徳川のお家を守るのだ。
ようこそ「歴史秘話ヒストリア」へ。
今宵の主役は忍者として有名な服部半蔵正成です。
半蔵が生きた戦国時代は忍者が最も活躍した時代だと言われています。
こちらは伊賀に伝わる秘伝書…忍びたちは情報を集めるために屋敷や城へ巧みに侵入しました。
その際に用いたさまざまな道具や方法が書かれています。
さすがあゆみ殿!あら?どなたかしら?拙者半蔵様配下の忍者レキゾーにござる。
あゆみ殿我らの技拙者が特別に教えてしんぜよう!ほんとですか?よろしくお願いいたします。
(レキゾー)これは「鉤縄」でござる。
縄に鉄の鉤爪を付けたもので木などに引っ掛けそれをよじ登って塀を乗り越え申す。
(レキゾー)敵国に潜入した時は何より変装が大切。
怪しまれないよう商人やら旅芸人やらいろいろ化ける術を身につけており申した。
へ〜。
でももし正体がばれたらどうなさるんです?心配ご無用!そんな事もあろうかと持ち物にはちょっとした細工をしてござる。
例えばこの編み笠じゃ。
裏返しますとこのようになっています。
弓矢が何本かありますがこれは自分の身が危ない時に弓矢を投げたりまた刺したりできます。
危険がいっぱいの敵地に乗り込むくらいですから忍者にはさぞかしクールで無口な人が多かったのでしょうね。
クール?とんでもない!我ら忍びは人から情報を聞き出したり逆にうその情報を流して敵を混乱させたりする任務が多い。
無口ではそれこそ話にならんのでござる。
そうですな?研究家の川上先生。
これが一番の大切なところですね。
意外です。
忍者にはコミュニケーション能力が必要という事なんですね。
さよう!よ〜く分かって頂けたようじゃな。
ではこれにてごめん!さあそうした特殊な技を身につけた忍びたちを指揮して服部半蔵は徳川家のために情報を集める事になるのです。
半蔵様一大事にございます!信康様に謀反の疑いがかけられております。
何!?徳川家を揺るがす大事件。
家康の嫡男・信康が敵に通じているというのです。
その敵とは…信康も母親に協力して徳川家の機密情報を流しているというのです。
徳川家と共に武田家と戦っていた信長はこれを知って大激怒。
敵に内通するなど許せん!裏切り者は斬れ!心の声まさかあの信康様が…。
謀反を企てるなどありえぬ!信康は徳川家の大切な跡継ぎ。
半蔵参るぞ!信康様手加減はしませんぞ。
だあっ!半蔵にとっては長年そばで仕え成長を見守ってきた掛けがえのない存在です。
信康は嫡男にふさわしい聡明な青年に成長していました。
戦場では誰よりも勇敢に戦う信康。
半蔵はその身の潔白を信じます。
心の声信康様はお世継ぎとして立派に務めを果たされている。
なにゆえこのような疑いが…。
武田か!当時武田家は戦国最強とも言われる忍び集団を抱えていました。
その名は「すっぱ」。
秘密を暴く事を意味する言葉「すっぱ抜く」の語源ともなった忍びたちです。
すっぱは敵の大名家の奥深くに入り込み家臣の寝返りを誘うなど家中を混乱させる事が得意でした。
これまでにも半蔵は徳川の領内で武田の手の者を捕らえていました。
このうわさも武田の忍びが信康を陥れようとするものではないか。
心の声「信康様御謀反」と何者かがひそかに流しているに違いない。
そやつを捕らえ信康様の疑いを晴らす。
怪しい者はいなかったか。
不審な動きはないか。
半蔵は配下の伊賀者に情報を集めさせます。
しばらくして…。
申し上げます。
伊賀者が情報を持ち帰ってきました。
しかし報告の中に信康への疑いを晴らせるようなものはありません。
むしろ信康に一層不利な事を示す情報ばかりでした。
心の声このままでは信康様が…。
焦る中時間だけが過ぎてゆきます。
そして…。
(雷鳴)8月下旬。
信長の要求を拒みきれなくなった家康はついに決断しました。
まず武田家に通じた張本人とされる妻を…。
そして半月後信康にも非情の命が下されました。
切腹です。
とどめをさす介錯の役目を命じられたのは皮肉にも半蔵でした。
信康様…。
半蔵か。
わしのためにいろいろ働いてくれたと聞く。
礼を言う。
されど事ここに至ってはやむをえぬ。
親しいそなたに介錯を頼めるのがせめてもの慰めじゃ。
さらばじゃ!刀を我が身に突き立てる信康。
しかし半蔵は…。
・半蔵!涙があふれ刀を振り下ろす事ができません。
(むせび泣き)ヤァッ!別の家臣が代わって介錯し信康はその生涯を閉じました。
享年21。
守るべき人を守れなかった無念の思い。
半蔵にとって生涯忘れる事のできないつらい出来事でした。
半蔵が家康の子・信康を介錯できなかったと聞いて家康は「鬼半蔵といえども主君の首はとれなかったか」と感じ入ったと伝わります。
半蔵はこの事件をきっかけに家康から一層信頼されるようになりました。
そんなある日日本を揺るがす大事件が起こります。
京都で信長と会見した家康はその後半蔵たちを連れて堺の町を見物していました。
そこへもたらされた情報に耳を疑います。
明智が謀反にございます!信長公京・本能寺にてご最期!心の声何!?信長様が…。
明智光秀が織田信長を討った本能寺の変。
戦国の世を一変させる大事件でした。
半蔵たち徳川家の家臣にとっても大きな問題でした。
光秀が次に狙うのは信長の同盟者家康に違いないからです。
しかしこの緊急事態に家康の手勢は僅か30名ほど。
ましてや戦の準備など全くしていませんでした。
このような状況で明智勢に見つかってはひとたまりもありません。
心の声家康様のお命が…。
さらばじゃ!心の声これ以上大切なお方を失うわけにはいかぬ!明智勢に発見されずしかも最短で三河に帰るルート。
それは伊賀国を通る事でした。
ところがそこには明智勢とは別の危険が待ち受けていました。
伊賀の山々には金品を狙って通る者を襲う山賊たちが潜んでいたのです。
中でも伊賀国の端にある加太峠は山賊が支配する最も危険な場所でした。
しかも光秀からは家康を討てば恩賞を与えるとの触れも出されています。
狙われるのは間違いありません。
絶体絶命のピンチに半蔵は家康の前に進み出ました。
頼むぞ半蔵。
はっ。
伊賀は我が服部のふるさと。
勝手知ったる国にて万事お任せあれ。
心の声信康様。
それがしが必ずやお父上をお守りします。
半蔵がまず最初に考えたのは味方を集める事。
そのためにとった方法が「のろし」。
煙を上げてさまざまな合図を送る忍びの通信手段です。
言い伝えによれば半蔵はのろしを伊賀の里からよく見える御斎峠で上げました。
伊賀越えを長年研究してきた…半蔵がこの時のろしで伝えたのは伊賀のある寺に集まれというものだったといいます。
多分のろし上がったら徳永寺に集まるという形で。
一番の最後の難関かなと。
加太越えと言うんですけども。
とにかく非常に危険な場所であったので。
集合場所の徳永寺は最大の難所加太峠の手前にあります。
半蔵はここで伊賀の忍びたちと合流し万全の態勢でピンチを切り抜けようとしたのです。
しかし本当に集まってくれるのか。
実は半蔵には気になっている事がありました。
それは前の年伊賀の人々と織田信長との間で起こった戦い…信長は自分に反抗的な伊賀の人々を屈服させようと…男のみならず女子供をも切り捨て村を焼き尽くす冷酷な作戦。
この戦いで生き残った人々は信長に強い憎しみを抱いていました。
伊賀の者たちは力を貸してくれるどころか我らに刃を向けるかもしれん。
しかし一方で一縷の望みもありました。
織田勢に追われ…あの折の家康様の行いに恩を感じている者もいよう。
望みはある。
不安と期待を抱えながら半蔵たちは伊賀国に足を踏み入れました。
この時家康を守るためにある奇策を講じたと伝えられています。
滋賀県の寺に並ぶいくつもの石像。
かつては御斎峠のそばにあったもので「十王石仏」と呼ばれています。
数えてみると…。
あれ?「十」なのに9体しかありません。
どうして?地元の伝承なんですけどもこれは代々口伝という形で…半蔵たちの奇策とは10体あった石仏の1体を拝借。
駕籠にのせておとりにする事でした。
石仏の重みであたかも家康が乗っているかのように見せかけ山賊の目を引きつけるおとり作戦です。
一行はおとり部隊と本物の家康がいる本隊の二手に分かれます。
半蔵は本隊側につき北の道を通って進みました。
しかししばらく行くと…。
恩賞目当ての山賊に遭遇。
半蔵は家康をかばい身をていして戦います。
襲撃をなんとか退け山道を更に奥へ。
そしてとうとう加太峠の麓までたどりつきました。
山賊が根城とする脱出ルート最大の難所です。
(半蔵)ここから先は伊賀の者たちの力添えがどうしても要るが果たして…。
のろしで伊賀の忍びたちに集まるよう伝えていた徳永寺。
その境内に半蔵たちは入ってゆきます。
すると…。
・待っておったぞ!半蔵たちの前に現れた者が…。
心の声伊賀の者がおる。
しかし敵か味方か。
この者たちの心はどちらじゃ?緊張が高まります。
その時…。
既に支度は出来ておる。
今こそ家康様のご恩に報いる時よ。
そうであろう!
(伊賀者たち)オー!なんと200人もの伊賀者が集まりました。
あの時の恩返しとばかりに数多くの忍びたちが駆けつけてくれたのです。
心の声方々かたじけのうござる。
半蔵たちは集まった伊賀の忍びと共に加太峠へ向かいました。
この先で山賊どもが待ち伏せております。
さきざきに見張りを立て敵が潜んでいないか情報を収集。
連絡を取り合って山賊の襲撃に備えます。
殿この先をまっすぐに進み右手の道に入り申す。
我らについてきて下され。
おい家康めはおったか?ん?あれではないか?よし。
追え!うわあっ何者じゃ!忍びたちの働きで山賊が横行する加太峠をなんとか通り抜ける事ができました。
やがて一行は無事伊賀を出て伊勢に到着。
そこから船で三河に帰り着きました。
決死の脱出劇は見事成功したのです。
心の声信康様お父上をお守りする事ができましたぞ。
危機一髪のところで家康を救った服部半蔵。
その奮闘があったからこそ家康は後に天下を統一し太平の世を築く事ができたのです。
「伊賀越え」は脱出ルートや家臣たちの行動について諸説あり多くが謎に包まれています。
それほど極秘に進められた脱出劇だったのです。
今宵の「歴史秘話ヒストリア」。
最後は…そんなお話でお別れです。
「半蔵門」の警備に当たったのは伊賀の人々でした。
半蔵の親戚にあたる一族の末裔です。
こちらになりますね。
家に残る文書には伊賀越えの時にのろしを上げた御斎峠の事が記されています。
伊賀の忍びたちは江戸時代徳川将軍家のため隠密となって働きました。
お忍びを使って…平和な世が続くうちいつの間にか忍びの仕事は消え和菓子作りが本業に。
現在の服部さんで14代目となります。
半蔵の思いを今に伝える場所がもう一つ。
服部家の菩提寺…ここにあるものが残っています。
こちらが徳川信康の供養塔でございます。
半蔵が家康の嫡男・信康のために建てた供養塔。
中には切腹の際に形見とした…非業の最期を遂げた信康を見守るようにすぐそばの墓で半蔵は眠っています。
主君のためひたすら尽くし苦しみ闘った55年の生涯でした。
戦で幾度も手柄を立て忍びの頭領として徳川家を守った武将服部半蔵。
その類いまれな武勇からいつしか「服部半蔵」の名は「日本一の忍者」として語り継がれてゆきました。
2015/12/09(水) 22:00〜22:45
NHK総合1・神戸
歴史秘話ヒストリア▽転職忍者ハットリ君の冒険〜家康の“頼れる家臣”服部半蔵〜[解][字]

「忍者」として有名な人物、服部半蔵。しかしその実像は、戦国時代、「鬼半蔵」と敵に恐れられた勇ましい武将だった。徳川家康を支え奮闘した半蔵の、波乱万丈の物語。

詳細情報
番組内容
服部半蔵といえば日本一有名な「忍者」…ではなかった!その実像は、徳川家康に仕え、戦で数々の手柄を立てた勇ましい戦国武将。得意のやりをふるい、怪力で敵をなぎ倒して「鬼半蔵」と恐れられた。しかしそんな半蔵に次々と困難が降りかかる。徳川家の嫡男にかけられた謀反の疑い。そして本能寺の変で家康に人生最大の危機が!これらのピンチを半蔵はどう切り抜けるのか?家康を支えた男・服部半蔵の知られざる奮闘に迫る。
出演者
【出演】山口翔悟,【キャスター】渡邊あゆみ

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
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