老いのかたち、福祉のかたち――フィンランドの「自立」した高齢者たち

「孤立」という生き方

 

カントリーサイドの一軒家。隣近所とはかなりの距離がある。

カントリーサイドの一軒家。隣近所とはかなりの距離がある。

 

群島町の人びとは、年を取っていく過程において、どんな価値に重きを置いて生活を続けていこうとしているのだろうか。社会福祉サービスの現場で持ち上がる日々の問題を観察していて、筆者が最も強い印象を受けたのは、人びとが非常に独特な形で「自立」を希求していることだった。

 

ナイトパトロールが独居高齢者を主なサービス対象としていることからも察せられるように、フィンランドでは多くの高齢者が行政の支援を受けながら独居生活を続けている。フィンランドの全人口に対する単身世帯の割合は40.6%で(2008年時点)、日本の25%を大きく上回っている[髙橋 2010:100]。これは、福祉国家のサポートがあることで、離婚や親世代との別居が容易であることが一因ではあるだろう。だが、福祉国家の副作用だと言い切ってしまうことはできない。なぜなら、積極的に孤立した暮らしを維持しようとする人々が存在することも確かだからだ。

 

森と湖の国というキャッチフレーズで知られるフィンランドは、実は多くの島々からなる国でもある。大小合わせて17万9千個の島々が本土を囲んでおり、広大な多島海地域が続いている。これらの島々には「夏小屋」と呼ばれる別荘が多く建てられているが、定住する人も少なくない(故トーベ・ヤンソンもその一人である)。

 

こうした「島独居」が物理的に不便で孤立した暮らしであることは想像に難くない。例えば、筆者の知人でも定住者人口一名という島に暮らすお婆さんがいる。買い物に出かけるためには、300メートルほど離れた大きな島まで手漕ぎのボートで漕いで行き、ボートを浜辺に押し上げてから、4キロほど先のバス停まで歩いていき、さらにバスに乗ってスーパーのある町の中心地まで移動しなくてはならない。

 

孤立した居住状況は、「島独居」だけではない。カントリーサイドの一軒家は、たいていの場合は隣近所の家の様子が見えないほどお互いに離れている。これは19世紀初頭の土地改革制度(囲い込み)によって家々の距離が離され、集落の機能が解体されたことも影響している[Pred 1986]。だがそれだけではなく、自分自身の独立した住処を持つこと(できればサウナ小屋だけでも自分で建てること)を夢見る人は多いのである。

 

もちろん、カントリーサイドでの暮らしが困難になれば、より生活しやすい居住形態に転居するのが常道である。実際、群島町の中心部のアパートやテラスハウスといった集合住宅に暮らす人々の大半が独居高齢者である。だが、どんなに困難でも住み慣れた場所での暮らしを続けようとする人も一定数存在し、行政もそれをサポートせざるを得ない。年をとっても自立した暮らしを続けるためには、逆説的ではあるのだが、多くの支援が必要となるからだ。

 

 

群島町中心部の高層住宅。退職後にカントリーサイドから引っ越してきた人びとが多く暮らしている。

群島町中心部の高層住宅。退職後にカントリーサイドから引っ越してきた人びとが多く暮らしている。

 

 

孤立は自立なのか?

 

群島町では、250人程度の高齢者が安心電話のサービスを利用している。特に人里離れた場所で独居を続ける高齢者にとって、このサービスは命綱となる。

 

例えば、群島町のある訪問介護チームにとって、最も遠方に暮らしている利用者はエルヴィという90代の女性である。彼女の暮らす家に行くためには幾つかの橋を渡り、森の中の舗装されていない小道を車で延々と行かなくてはならない。訪問介護チームは、エルヴィを一日に三回訪問し、着替えから食事にいたるすべての活動をサポートしている。彼女は安心電話を常に身に着けており、転倒などした場合にはいつでも呼ぶことができる。

 

だが、エルヴィが安心電話のボタンを押したのは転倒した時ではなかった。ある雷が鳴りやまない嵐の夜、彼女は何度もナイトパトロールの担当者を呼び出してしまった。深い森の中に暮らしているにも関わらず、エルヴィは雷を強く恐れていたからである。

 

 

雪の道を歩く高齢者たち

雪の道を歩く高齢者たち

 

 

安心電話について、本来の用途からは外れた用い方をするのはエルヴィだけではない。トイレや寝返り介助の呼び出しにも用いられるし、不安に駆られた高齢者も助けを求めてくることも珍しくない。

 

末期がんを抱えるベングトという男性は、在宅で死を迎えることを選択していた。ところが、ある晩に突然それが耐え切れなくなり、パニックに駆られて安心電話のボタンを押した。結局、ベングトは病院へ運ばれ、そのまま入院先で亡くなった。サイラという100歳超の女性も、アパートでの独居生活を続けていたが、一晩に4回も安心電話のボタンを押し、ナイトパトロールの担当者がいくら慰めても落ち着くことができない夜があった。

 

なぜ、ここまで不安だというのに、彼らは家に留まり続けようとするのだろうか。こうしたフィンランドの独居高齢者の生活状況を「自立」と呼んでいいのだろうか。

 

 

老いという生き方

 

誰にもみとられずに死ぬことを、日本では「孤独死」と呼ぶ。

 

フィンランドに孤独の問題が存在しないわけではないことは、安心電話の利用状況からも明らかである。行政の社会福祉担当者も、高齢者の孤独と鬱を問題視し、少しでも社交生活をもたらすサービスを企画しようとしている。だがその一方で、誰にもみとられずに死ぬこと自体が忌避されているわけではない。

 

ナイトパトロールを初めとする行政による手厚いサービスにも関わらず、独居生活中に亡くなる人は多い。特に心臓発作や事故といった突発事態により、独居高齢者が死後に発見されたという話はしばしば耳にする。そうした顧客について、ホームヘルパーを初めとする行政のスタッフは、最後まで一人で暮らすことができて良かったという感想を述べる[髙橋 2013:211]。

 

彼らにとって、みとられずに死ぬことは「孤独死」ではないのかもしれない。少なくとも、社会問題として注目されることはなく、日常会話の中でスキャンダルとして語られない程度には。それこそが、フィンランドで老いて死んでいくことをめぐる価値としての「自立」を形づくっているのではないか。

 

群島町の高齢者たちは、社会福祉サービスの助けなしには生活を維持していくことはできない。訪問介護やナイトパトロールは、彼らの独居生活を維持するために欠かせないものである。その意味で、彼らは身体的には自立していない。だが、家に住み続けるという選択は彼ら自身のものであり、判断能力に欠けるという医師の診断が下されない限りは、行政もその決定を尊重する。

 

社会福祉のかたちは多様であり、それは老いのかたちの多様さに由来している。つまり、独居を前提とした在宅介護システムを成立させているのは、人々の間に共有された価値や意味であると言えよう。そして、フィンランドで老いていくことは、時折不安に駆られ、誰かに頼りながらも、自分の生活形態を自分で選び続けることにある。

 

だとすれば、日本で老いていくことは、何を守り抜き、何を手放しながら生きていくことなのだろうか。そのように自問自答してみることにこそ、社会福祉の偶有的で個別的な在り様を捉える契機が潜んでいるのかもしれない。

 

 

参考文献

 

・Ka, Lin 2005 Cultural Traditions and the Scandinavian Social Policy Model. Social Policy and Administration 39(7): 723-739.

・Pred, Allan 1986 Place, Practice and Structure: Social and spatial transformation in southern Sweden 1750-1850. Policy Press.

・Sipilä, Jorma, Margit Andersson, Sten-Erik Hammarqvist, Lars Norlander, Pirkko-Liisa Rauhala, Kåre Thomsen, and Hanne Warming Nielsen 1997 A Multitude of Universal, Public Services: How and why did four Scandinavian countries get their social care service model? In Social Care Services: The Key to the Scandinavian Welfare Model. Jorma Sipilä (ed.), pp.27-50. Ashgate.

・Sørensen, Øystein and Bo Stråth 1997 Introduction. In The Cultural Construction of Norden. Øystein Sørensen and Bo Stråth (eds.), pp.1-24. Scandinavian University Press.

・髙橋絵里香 2010「ひとりで暮らし、ひとりで老いる―北欧型福祉国家の支える「個人」的生活」『「シングル」で生きる―人類学者のフィールドから』椎野若菜(編)、御茶の水書房、pp. 99-112。

・髙橋絵里香 2013『老いを歩む人びと―高齢者の日常からみた福祉国家フィンランドの民族誌』勁草書房。

・髙橋絵里香 2015「決定/介入の社会形態―フィンランドの認知症高齢者をめぐる地域福祉の配置から考える」『現代思想』43(6):231-245。

 

知のネットワーク – S Y N O D O S -

 

 

老いを歩む人びと: 高齢者の日常からみた福祉国家フィンランドの民族誌

著者/訳者:高橋絵里香

出版社:勁草書房( 2013-03-26 )

定価:¥ 4,320

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単行本 ( 304 ページ )

ISBN-10 : 432660252X

ISBN-13 : 9784326602520


 

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