最近、JAWS-UGも首都圏ではIoTやHPC、アーキテクチャ、運用、コンテナ、情シスなど、特定のジャンルをテーマとした専門支部ができてきました。 地方(という言い方はあまり好きではないのだけれど)においても休眠していた支部のリブートが盛んです。 それだけユーザー層や利用対象システムの幅が拡がってきて、また、それだけJAWS-UGというユーザーの集まる場が成熟してきたからこそなのだろうなと思うと感慨深いものです。
ただ、そうなってくると色々なご意見を頂くようになります。 それは、それだけ人が多く集まるようになったからなのだろうなと思います。
私も支部の運営や登壇をしたりしていますが、参加者の方達からの感想を見て心を傷めるのが「内輪ノリ」に対するご意見を頂いた時。 特に初心者支部についてはAWSの初心者や、AWSはそこそこ使っていてもJAWSは初心者という方も多く参加されるので、そこで「内輪ノリについていけなかった」「初めてだったけど入りにくかった」というようなご意見をいただくと、せっかく自分の時間を割いて参加していただいたのに楽しんでもらえなかった事についてや、「輪を拡げる」可能性を潰しちゃったかもしれないと思うと、あー、やっちゃったなぁ…と反省することもあります。
でも、登壇者の方達にはこちらからお願いをして話していただいているので、あまり話す内容についてアレコレ言いたくないのも事実です。 また、内輪ノリといってもどこからが内輪ノリでどこまでが内輪ノリでないのか、その線引きも難しいです。
そして運営メンバーに対してもアレしちゃダメ、これしちゃダメと言うのも気がひけるのは事実です。 禁止、というのは簡単だけどそれによって窮屈な思いや自由にやりたい事をできなくなってしまうような空気を登壇者や運営メンバーに感じさせてしまうのは避けたい、とも思うのでそれはそれで悩んでしまったりもします。
例えばAWSは触っているけどJAWSは初めてという人にはAWSそのものに関するあるあるネタなら内輪ノリとは感じないだろうし、かといってAWS自体も初めてな人にとっては全てが内輪ノリに映ってしまう可能性もあります。 人の主観によるってところが余計にそうなのかも。 難しいですね。
ここで改めて、内輪ノリとは…辞書をひくと大筋は「仲間同士だけが知っている事で盛り上がること」ということのようです。
ここで少し内輪ノリに対して真面目に考えてみたいと思います。
◼︎内輪ノリの良いところ ・参加者同士の結束力がでてきた ・コミュニティにコミットする人が増えてきた証拠 ・固定客、フォロワーがでてきた ・もしかしたらワナビーも出てくるかも ・やっていることに対する認知度向上の表れ
◼︎内輪ノリの良くないところ ・新しい人が入りづらい ・排他的になる ・初参加者に対して疎外感を与える ・参加者の流動性がなくなる、固定化してしまう ・新しい人が入って来ないので常連も退屈になる ・いつしか人が来なくなる→消滅
ここで弁解をさせてほしいのですが、決して内輪ノリが生まれることを批判しているわけではありません。 良いところももちろんあるし、内輪ノリが生まれるということは「良いところ」でも書いたようにコミュニティ運営が軌道に乗ってきたことを表してもいると思います。
ただ、そこで開き直って「内輪ノリと批判されても気にしない、別にいいじゃん」とも思いません。 なぜなら、そうしてしまうと会の運営に対して思考停止をしてしまう状態に陥りかねない、コミュニティの活性化に関してジャンプアップする機会を自ら阻害してしまうことにつながるからだと「私は」思います。
コミュニティとそれに関わる人々というものは私が思うものとしては、「川」と川を流れる「水」のようなものです。 常に流れていて上流から新しい「水」が常に入ってきている、そういう川は綺麗な「水」を保ち、健全な「川」となります。 反対に、流れが止まってしまった「川」の「水」はカビやヘドロが発生して、「水」が汚くなってしまいます。 そして、いつしかその「水」も干上がってしまい「川」がなくなってしまうのでしょう。
自然を流れる川でもそのような理由で流れが止まって干上がってしまった川は、ただ自分が知らないだけで本当はいくつもあるのではないでしょうか。
また、私も仕事やプライベートの関係で、いつかは運営から退く日もくるのだろうと思っています。 でも、仲間達と一緒に立ち上げた会であり、やはり愛着や思い入れもあるので、もしも自分がそこから居なくなっても続いていってほしいなと勝手な思いではありますが、そう思います。 そのためには新しい水、新しい人が入ってくることが重要なポイントだと思います。
話を戻しますが、内輪ノリがでてくるのはいいところもある反面、良くない部分もあります。 主に批判の対象となる理由として、初参加の方が阻害されたと感じた、輪に入れず楽しくなかった、一部だけで盛り上がっているのを見てドン引きした… その結果として「この勉強会は面白くなかった、もう行きたくない」となってしまう。 そんなところなのかなと思います。
また、事後アンケートの感想欄にこの事を書いてくれる人はごく少数であることが大きなポイント。 苦情をしっかりと伝える人ってそんなにはいないのではないでしょうか。 自分自身もそうですが、もういいや、、となれば何も伝えずに次からは行かない、それだけです。 そのような人が大半ではないかと思います。 なので、アンケートでは見えてこないけれどひとつでもそのような意見を頂くという事はその陰にさらに同じように感じた人がまだまだいるだろう、ということです。
そして思うのが、内輪ノリに対して批判が生まれるパターン、批判とならないパターンがあるのではと思います。
大体、以下のような感じかなと。
◼︎みんなが内輪ノリで楽しそうにしているのを見て
・楽しそうだな、輪に入りたいなと感じた
ここで自分から入ってこれる人にとっては特に問題なし。 「常連さん」と一緒に盛り上がることができれば双方にとって、ものすごくプラスになると思います。
・自分から入れない人・入り辛いと感じた
そういう人にとっては結果、楽しそうな輪に入れなかった→楽しくなかった→入りたい自分に対して気遣いをしてくれなかった→運営や登壇者への批判、となるのではないかと思います。 もしくは仲間内だけで盛り上がっていやがって、と冷めた目で見ることもあるでしょうね。
個々人の性格や考え方、捉え方にもよるけれど、批判が生まれる原因としては、やはり阻害されている=楽しくない=せっかく来たのに時間を無駄にした、もしくはやっかみのような感情からくるのではないかと思います。
ではどうすれば良いのか…私が思うこと、なので他の解もあると思います。
◼︎まずは巻き込む 自分自身が初見の勉強会に行くときにはなるべく懇親会まで出るようにしています。 そしてその時に思うのですが、懇親会で仲良くなれた人がいたらまた行こうと思います。 その人が運営や登壇者などの勉強会の中心に近いポジションにいるような人の場合、余計にそう思います。 ある意味、義理人情のようなものなのかもしれません。 ただし、あまり他の人と話せなかった時は楽しくなかった、次も行こうとはあまりなりません。
勉強会という場ではあるけれど、結局は人付き合いの場であるからこそ、なのだと思います。 でも割り切りも必要で、悪意や嫌がらせとしか思えない人に対しては毅然とした対応も必要かなと。 これは内輪ノリ問題とは別になるかもですが。。。
ここで、ふと思い出したのが、よく行くバーの事です。 バーという、お店をあけてお酒や食べ物を売るという営利的な場ではあるけれど、ある種のコミュニティなのではと思います。 そのお店はこぢんまりとしたバーで、グランドピアノが置いてあってたまにミュージシャンが来て生演奏をしています。 このため、プロアマ問わずミュージシャンが集まり、常連さんもいれば一見さんもいます。 ジャンルも様々でジャズな人が多めだけれど、ロックな人もいればオーケストラな人もいます。 かといって、ミュージシャンばかりではなく、普通の会社員や学生もたくさんきます。
でも、めちゃくちゃアットホームで初めて同士でも仲良くなれるのです。
それはなぜなのかというと、、、私が観察した限りですが…
・マスターが色々な人を同じ話題に巻き込む ・その場に集まった人達の輪を拡げようとする営利目的のお店と無報酬の勉強会という違いはあるけれど、「いろいろな人に来てもらいたい」という根本的な部分は同じだと思います。 ただし「いて欲しくない、雰囲気を壊しそうな客」に対しては柔らかくも毅然とした態度をとります。 ※バーなので、酔っ払いすぎた人や他の客に迷惑をかける人、反社会的な感じの人もたまにくることもあるのでそういうこともあります
ただし、そういう人が来た場合には、あとで周りへのフォローもしっかりとされます。 そういうのって来た人に対する気遣いからなのだろうと思います。
そして、そこのマスターが「一見さん」にしていることとして、来た人全員に話しかける、名前を聞くところからはじめて、それもただ名前を聞くだけではなく、それに対して例えば「うちの母の旧姓と同じです」みたいな、なんらかのエピソードを話します。 例として挙げただけなので、名前を聞く以外にもありますよー。 そして、お客さん同士で合いそうだと思った人には繋げて、そのうち客同士で盛り上がり出す…そこからは客同士の関係性となるのですが。。
そう、マスターは全員に対してフレンドリーなのです。 マスターが言っていたのですが、初めて来た人でも、常連さんでも、誰に対しても「あなたのことを気にしていますよ」という姿勢を必ずとる。 たまにずっとマスターと話をし続ける人がいて、一人でぽつんとなってしまっているお客さんがいたら、必ずぽつんとなっている人に対する気遣いをする。 それは、話の輪に入れるでも、かけている音楽をその人好みの音にする、でも。
場の雰囲気やお酒を出すなど、やってる内容が違うとはいえ、自分は勉強会に来てくれた参加者の人達全てにそうできているのか?そう自問自答します。
バーには色々な職業、年代の人が来ます。 それこそ大学生からおじいちゃんおばあちゃんまで。 でも、ここのマスターが特別お話し上手だったりコミュ力が高かったり、人の心の機微を読む事に人よりも長けている人だから、というわけではないと思います。
根底にあるのはただ一つ「おもてなしの心」なのではないかと思います。 来た人には楽しんでいってほしい、その場を提供するためのお店である、そんな想いから出てきているのではと思います。
それに比べたら技術系勉強会という、ある程度、参加者のジャンルが特定されるような場ならもっとハードルは低いのではないかと思います。 勉強会とバーは違う!という意見もあるかと思いますが、懇親会なら使えないかな?
私自身、元来は人見知りで初めの一歩を踏み出すのに躊躇する事も多々あります。 初めて勉強会の懇親会にまで参加して、でも誰に話しかけたら、どういう話をしたら、、、と迷っていた時に「女子見つけたー!」と話しかけてきてくれた人がいて、そこからいろいろな人と知り合って…今では初めての人でも「FBでお顔だけはよく拝見していました」なんて言われるぐらいにまでなってしまった自分がここにいます。
せっかく技術を学びたい、JAWS-UGならAWSを学びたい、という共通項があるのだから。 その輪は拡げたいと思っています。 人見知りではあるけれど、色々な人と知り合って話をするのはとても楽しい。
はじめのほうにアレコレ言いたくはないと書きはしましたが、運営や登壇者などの、勉強会に関わる人たちにとっても世界が拡がるきっかけを、自ら潰してしまうような真似をしてしまうのは自分自身に対しても、自分が居るコミュニティに対してももったいない。
ウチのコミュニティはオープンです、誰でもウェルカムですとは言うものの、そこだけに満足して胡座をかいてしまって、輪を拡げる努力や気遣いのない集まりは衰退=消滅の道へ歩んでしまう危険性をはらんでいるのではと思います。
自分が立ち上げた、既に立ち上がってあるところに楽しそうだから入ってみた、呼ばれたので登壇してみた、と、色々な形で勉強会というものに関わる人はいるけれど、想いはみんな一緒なのではないかなと。 そして「楽しい」を共有できる場を自ら潰してしまうようなことをするのは、自分自身に対しても周りの人達に対しても、極論で言うと失礼な事であると思います。
確かに慣れた人たちとお馴染みの事で盛り上がるのは楽しい。 かといって、それ以外の人達を蔑ろにしていい道理もない、というかそれだと何のために勉強会を開くのか、自分は何をしたくて勉強会を開くことをやりだしたのか、そんな当初の自分を否定する事にもつながるのではないかと。
私は自分自身の勉強のためとして勉強会に参加しだすようになり、そのうち楽しくなって自分のような人の助けになればと始めたことなのだから、それを見失わないようにしないと。 と、最近は思います。
思う、思う、ばかりとなってしまいましたが、良いと思ってやりだした事なのでそれに対する責任をとる…すなわち真摯である事、初めの想いを忘れずにいる事、気遣いを忘れない事、そして「内輪」を小さな内輪ではなく「大きな内輪」にすること、そのための努力を惜しまないことが大切なのだなあ、なんてかんじで。
見る人によっては肩肘張ってるように見えるかもしれないけれど、一つ一つのことは少しの労力でできることばかりであると信じています。
自分自身への戒めとして。
意識高い()って? そう思うなら結構。 笑えばいいと思うよ。