そうですね随分印象が変わりました。
今年もいよいよ残りあと僅か。
今宵は年末の定番あの名上司の登場です。
(三平)いや〜この季節は熱燗が一番ですね先生。
(話し声)あれ先生…。
何かにぎやかですね。
人の声が聞こえる!珍しい事があるもんですね。
何なんですかね。
行ってみますか。
お客いるのかなぁ。
うわ〜お客さんがいる!あっ!
(一同)こんばんは。
先生知り合いですか?ゼミの学生なんですけどね。
ここで歴史の話ができるというのですいてるみたいだし。
(三平)そうですね。
いやいや本当ありがたい。
来て下さって。
少しは儲けになりました?なりました。
ありがとうございました。
(三平)いつでも来て。
お先に失礼します。
また来てね!忘年会新年会いつでも待ってるからね。
ごちそうさまです。
ありがとねほんとね!ありがとう!ありがとうございました。
こんなにぎわったの初めてじゃないですか。
客が入ったの見たの初めてですよ。
ほんとそうですよ。
会話が聞こえたのも初めて。
ほんとそうですよ。
いや〜うれしいもんだな。
うれしいしほんといい学生さんたちですよね。
いろいろとねお話相談に乗ってくれたんですよ。
この店もっとはやらせるためには何かいいアイデアないかなと思ったら旬なものをもっと出した方がいいんじゃないか。
考えました私。
今12月じゃないですか。
日本の12月といえば!そりゃ「忠臣蔵」でしょう。
そうです!今から300年以上前の…播州赤穂城下に総登城を告げる太鼓が鳴り響きます。
急ぎ駆けつけた藩士およそ300人に告げられたのは主君浅野内匠頭が江戸城松の廊下で吉良上野介に斬りかかった事。
主君は即日切腹。
御家は取り潰しになったというものでした。
突然起こったトップの不祥事。
この非常事態のかじ取りを担う事になったのが筆頭家老の大石内蔵助でした。
内蔵助といえば専ら吉良邸討ち入りのリーダーとしての活躍が有名。
しかし実は人々が最初に内蔵助に脱帽したのは…藩の取り潰しが決まると領内では藩札の取り付け騒ぎが発生し金融パニックに。
更に藩士たちの間にも幕府と一戦交えようという過激派が台頭し収拾のつかない事態に陥りました。
2週にわたりお送りする大石内蔵助のリーダー術。
今回は主君の刃傷事件で突然降りかかってきた巨大組織の解体。
この難事業に大石内蔵助がどう立ち向かったのか。
その極意に迫ります。
さあという事で今日のテーマはこちらです。
「組織が危機に立たされた時」。
主君の刃傷事件によって急遽御家取り潰しの危機に立たされたわけですね。
現代でいえば急にこう会社倒産の危機に立たされた。
これ山本先生やっぱり予想もしなかった事だったんですか?そりゃもう青天の霹靂ですよね。
突然御家断絶という事になるわけですからね。
大変な事ですよね。
三平さんもやはり危機に立たされたリーダーとしての経験というのはおありですか?ちょっと待って。
私リーダーになった事ないんですよ。
そうですか?当たり前じゃないですか。
兄貴もいるしさお父さんもいるし。
そっちの方がリーダーですからね。
でもねこういう時にかぎってリーダーらしい方がパッと現れるのがこの番組の掟でしょ?そうですかね?来ると思いますよそろそろ。
来ますかねほんとに。
その方に聞きたいなあ!呼んでみますか?呼んでみましょう。
入ってきて下さい!来ないですよ〜。
あれ?こんばんは。
ほら!川淵三郎さんじゃないですか。
これは!光栄です。
リーダー中のリーダー。
今回大石内蔵助の知恵を読み解くのはJリーグの初代チェアマン川淵三郎さん。
川淵さんが創設に関わったJリーグは今やプロ野球に並び人気を確立していますがその道のりは平坦ではありませんでした。
競技人口の少ないサッカーのプロ化は時期尚早と言われ地域密着のホームタウン制がなかなか理解されずその船出は難航します。
更に発足後バブルの崩壊によりチーム経営から手を引く企業が現れチームの解散合併問題が噴出。
サポーターから激しい批判を受ける事もありました。
そうした数々の危機を乗り越え日本のサッカーを国際的なレベルにまで押し上げた川淵さん。
今年日本バスケットボール協会改革のリーダーに就任。
国際試合の出場停止処分を受けて混乱していた国内リーグを統合しオリンピック予選の参加へと導きました。
強力なリーダーシップで日本のスポーツ界を支えてきた川淵さん。
御家取り潰しの危機に対処した大石内蔵助の知恵をどう読み解くのでしょうか。
川淵さんといえばJリーグですよ。
やっぱり創設当時ってリーダーとしていろいろな苦労はあったんでしょうか?当時ね日本のサッカーって全く人気がなかったですからね。
お客さんも試合によっては何百人というそういう観客しかいなかったし。
そんな日本のサッカーをプロ化してお前何をしようと思ってんだと。
時期尚早絶対成功するわけがない。
Jリーグは何を考えてるんだと。
事あるごとに僕に対していろんな難題を吹っかけるというかその事に対していろんなマスコミに僕は呼ばれてその度ごとにJリーグの考え方はこうだJリーグの理念はこうだこういうやり方をしようとしている。
プロ野球と違って地域社会に根ざして地域の人にみんながサポートしてもらったプロリーグというのをつくるのでだから皆さん行政のトップの方も市長さんも知事さんも市民のためになるんだから支援して下さいよという事を事あるごとに語りかけたんですね。
大石内蔵助にはどういうイメージをお持ちですか?やっぱり遠慮深謀の人というかねやはりそういう奥深い謀をちゃんと計画的にやっていくとそういう人だと思いますね。
やっぱりね思いつきでやってたんじゃああいう大ごとは成し遂げられないから。
さあその分析がどうかという部分も気になりますけれどもねまず御家取り潰しの危機の前に内蔵助というのはどんな人物だったのか。
改めてまずは味わって頂こうと思います。
大石内蔵助は赤穂藩三の丸にある大石家の屋敷で生まれました。
大石家は代々浅野家の家老を務めてきた名門で赤穂城の築城や主力産業である塩田の開発などに尽力してきました。
父の死により19歳で家老となった内蔵助。
その仕事ぶりはというと実務は専ら次席家老に任せきり。
一日中ボーッとしてやる事といえば花の手入れぐらい。
付いたあだ名は…昼間につけるあんどんのように役に立たないという意味です。
そんな内蔵助が何より大切にしていたのが家族との生活。
内蔵助が実家で三男を産んだ妻理玖に宛てた手紙が残っています。
「産後の肥立ちが良いとのこと何よりも嬉しく思っています。
大三郎と名付けたそうですね。
可愛らしい子だと聞きました。
会ってみたいものです」。
何とも子煩悩なパパそのもの。
しかし一方で意外な側面もありました。
元禄7年近隣の備中松山藩でひと騒動が起こります。
藩主水谷勝美が急死し後継者がいなかった事から御家断絶が決まります。
しかし家臣たちは処分に反発し幕府と戦する覚悟を固めていました。
このトラブルの鎮圧を任されたのが大石内蔵助でした。
臨戦状態の中に乗り込んでいった内蔵助。
その姿はなんと武器を一切持たない丸腰。
しかも一人の供も連れていません。
水谷家の家老はその豪胆さにのまれ城に通します。
内蔵助は家老に対し「抵抗し藩士たちを死なせる事は無意味である」と一喝。
たちまち開城を了承させました。
突然見せたこの鮮やかな手腕により「赤穂藩に大石あり」とその名が高まります。
昼あんどんの家庭人かと思えば時に命知らずの豪胆さを見せる大石内蔵助。
果たして彼の本当の姿とは一体どんなものなのでしょうか。
昼あんどんであり家庭人でありいざという時には堂々としているという。
これ仕事は回ったんですかね内蔵助は。
内蔵助というのは赤穂藩でもトップなんですね。
永代家老の家なのでもういればいいというそういう存在なんですね。
ふだんはもう次席家老の大野九郎兵衛というのがいてこれに任せておけば安心という事であまり仕事してないですね。
川淵さんは昼あんどんではなさそうですよね。
僕はねすぐカッとするしね。
(笑い)だから案外割合どちらかというと瞬間湯沸かし器とは言われた時もあるぐらいで。
でも僕のいろんなエネルギ−の全ては怒りから来てますね。
だから僕に怒りが無くなったら平々凡々たるつまらない人間で終わったんじゃないかって。
今度のバスケットボールの時もやっぱりいろんな話が事前にあって協会の関係者が本当に選手の事を真剣に考えてるとは思えない。
何でプレーヤーズファーストという立場に立ってものを考えないんだという事で怒り心頭に発したわけですよ。
…でやってやろうじゃないかって。
これ怒ってなかったらやってませんね。
その怒りという意味では川渕さんはサラリーマンとしての時代もありましたよね。
そうですね。
上司との関係もうまくいってたんですね?いや必ずしもねまあね例えば入って2年目ぐらいの時にその総務部長が「君たち何か言いたい事を言いたまえ」とかって言われてね「じゃあ…」って。
あんまりみんな何も言わないですから僕手を挙げて「工場で事故が起こったらそっからいろんな対策を講じるけど事故が起こる前にもっとしっかり対策を講じるのが会社としての務めじゃないか」って言ったらその総務部長が「君!そんな話は公文書で出したまえ!」とか言われてね。
「何でもいいから言えって言ったじゃないですか!」ってね。
だからあんまり怖いものなかったね。
その新人であっても。
ちなみに内蔵助家庭人という一面がありましたけれども川淵さん遠征先からお手紙を書いて送っていたってちょっと聞きかじったんですけれども。
すごい筆まめで女房のところにはものすごく手紙をしょっちゅう書いてたから何かこの前どっか押し入れ何か片づけてたらねこんな玉手箱じゃないけどこんな箱が出てきて見たらね全部僕の手紙だった。
ヨーロッパとか何かから出した手紙ですけどね。
大切に取っているんですね。
そうなんですね。
今考えるとよくやってたなという。
それは怒りではありませんよ。
怒りじゃない。
怒りではなくて愛情ですよね。
愛情です。
さあ怒りと愛情がたっぷりと伝わってきたところでですね本題に話を戻しますと御家取り潰しの危機。
内蔵助はどういう知恵で乗り切っていったのか。
1つ目の知恵をですね味わって頂きましょう。
ついに運命の時がやってきます。
江戸城で主君浅野内匠頭の刃傷事件が発生。
即日切腹となって赤穂の領地は没収。
御家の取り潰しが伝えられました。
知らせが伝わると城下は大混乱。
藩札の交換を求めた取り付け騒ぎが起こりました。
藩札というのは藩が独自に発行する領内だけで通用するだ換紙幣の事。
そのため藩が潰れると紙くずとなってしまうためでした。
この時赤穂藩が藩札の換金用にプールしていたお金は銀700貫目。
しかし藩札の発行額はそれを上回り1,200貫目近くに上ると推測されました。
当然等価交換はできません。
当時取り潰された藩の中には換金を行わない所もありました。
「非常事態につき我が藩も換金を見送るべきでは」。
しかし内蔵助は猛反発。
「換金用のお金はあくまで換金用」として最大限支払える6割での交換を決めます。
これはすごい事だと思いますよ。
他の藩でしたらほとんどそういったのはただの紙切れになって反故にして紙切れになってますんでね。
それを6分替えという事は領民にとってはもう非常にありがたい事じゃなかったかなと思います。
減額されたとはいえ誠実に対応した藩の姿勢に領民たちは落ち着きを取り戻します。
取り付け騒ぎは終息していきました。
しかしそれもつかの間次の問題が発生します。
それは「割賦金」。
つまり今でいう退職金の分配をどうするかという事でした。
上級藩士は「役職の高い者が退職金を多くもらうのは当然」と主張します。
ところが内蔵助は別の考えを持っていました。
「資産を持つ身分の高い者よりも資産を持たない下級藩士に割賦金を手厚く分配すべきです」。
この意見に激しく抵抗する上級藩士たち。
すると内蔵助は「それならば私を…」。
なんと最も高い退職金を受け取る筆頭家老の内蔵助が自らその権利を放棄するというのです。
これには上級藩士も返す言葉がなく低い身分の者に高い割合で支給する事が決定します。
どうせ藩は取り潰し。
ならば自分たちが得しようと考える者もいる中なぜ内蔵助は最後まで善政を貫こうとしたのでしょうか。
主家の浅野家の名前を汚さないようにという事が一つあったと思いますね。
もう元禄時代になりますとすぐによその藩に就職ができるような時代ではありませんので。
それからあと町人にならざるをえないとかそういう事もありますし何の手に職もない侍たちが盗賊になったりそういう悪い事をしたりする事がないように当座の費用を手厚くしていると思いますね。
誠実な引き際にこだわった内蔵助。
そこには御家の再興を見据えた思いもありました。
藩主の不祥事で取り潰された藩の中には丹後の宮津藩のように後に幕府から再興を許された例もあったのです。
再生の可能性をつなぐためには信用だけは失ってはならない。
それこそリーダー内蔵助が最も大切にした極意だったのです。
ちょっと聞きたいのが明日どうなるか分からないという時にそれだけ名を汚さないという事はそんなに大事なんですかね。
武士としては大事なんですね。
自分たちで財産を分け合って人に迷惑をかけたというのは大石としては耐えられなかったんでしょうね。
だからギリギリの線で6割は払いますと。
これで勘弁して下さいという事で赤穂藩をきちんと閉じたというか閉店したという事ですね。
だから閉店セールをきちっとやったという事ですよね。
借金もきちんと払ったと。
普通だったら踏み倒しの藩も…。
あります。
そうなるとそこの藩の名誉とか知名度とかもう最悪になりますよね。
評判悪くなりますよね。
あんまり評判が悪いとね幕府の心証も悪いからきちんとやろうというのもあったでしょうけどね。
川淵さんはピンチの時こそ信用を大事にしろという内蔵助の知恵でしたけれどもそういうご経験っていうのは?ピンチの時例えば会社で仮に納入してる製品が事故を起こしたとしますよね。
これはちょっと相手に言うには信用されなくなる。
これほんとの事を言うと。
しかし多少ごまかしながらこういう事の理由で事故が起きたんですよって1回ウソをつくとね次出た時にまたそれにウソつかないかんわけですよ。
ウソにウソを重ねる。
だからその時「お前何だ!そんな本当の事を言ったんだ!」って怒られたとしても絶対最後は本当の事を言った事が正義が勝ちますね。
だから少なくとも僕はよく部下に言ってたんだけど何か自分で判断ができない時はとにかく本当の事を言えと。
その事で怒られる事は絶対ないはずだと。
やはり一番の大本は信用っていうのはやっぱりウソをつかない事。
そして一旦言った事をしっかり守る事。
やっぱりどういう事を基本的な考え方として日頃行動してるかという事の本筋が変わらない事だよね。
どんなに信用のある会社だったり組織だったりしてもちょっとした事でその信用がガターッと失われたりする事あるじゃないですか。
今度のビルのくいの問題にしてみてもねこういうのはもうどういうふうにしてその信頼を取り戻すかっちゃあそれは簡単には取り戻せませんね。
もう基本中の基本だもん。
だからもう時間かけてそれを回復するよりしょうがないですね。
10年か20年か30年かかかると思いますけどそのぐらいの覚悟でやるという事じゃないですか。
それもやっぱり誠心誠意。
そういって非常に誠意を見せた内蔵助。
まずは御家の取り潰しに金銭面から手をつけたわけなんですけれども実は更なる大混乱が待ち受けていたんですね。
そこをどういう知恵で乗り切っていったのか。
更に味わって頂きましょう。
主君浅野内匠頭の起こした刃傷事件に対し幕府が下した「浅野家取り潰し」の裁定。
赤穂藩の藩士たちも当初は不祥事の大きさから城明け渡しもやむをえないと考えていました。
ところが3月下旬。
藩士たちを激怒させる知らせが届きます。
それは死んだと思われていた吉良上野介が今も生きている事。
更に幕府から何のとがめも受けていないという事でした。
当時…にもかかわらず内匠頭だけが処罰されたという事は武家としては最大の恥辱。
藩士の中に「開城を取りやめ籠城抗戦し武士のメンツを立てるべし」と主張する強硬派が急速に台頭します。
けんか両成敗のそれにちゃんとのっとってないという事でね。
やっぱり吉良も処分をしてほしいと。
そうでないと浅野家再興されても浅野が上を向いて前を向いて歩けないと。
自分の殿様が切腹させられたのに吉良上野介はのうのうと生きていると。
生活しているんでは再興をたとえして頂いても表をまっすぐ歩けないと。
そういう事があるんで武士の一分を立ててほしい。
面目を立ててほしいという気はあったんだと思いますけど。
藩内の意見は大きく分裂。
籠城抗戦を主張する一派。
主君のあだ討ちを主張する一派。
あくまで幕府に従い開城すべきという一派が激しく対立します。
幕府が命じた1か月という期限が迫る中勃発した非常事態。
再興の望みをつなげたい内蔵助としては最悪ともいえる状況でした。
それでも内蔵助は粘り強く皆の意見に耳を傾けます。
そして示したのが次の方針でした。
まずは開城し幕府の心証をよくしたうえで再興を目指す。
それが果たされた後吉良上野介の処分を幕府に求める。
この手順で進めれば浅野家の再興も果たされ同時に籠城派が求めている名誉の回復も実現できると伝えたのです。
このプランにより徹底抗戦を主張していた一派が賛同します。
しかしそれでもなお納得しない強硬派がいました。
それがあだ討ち派。
「自分たちはあくまで内匠頭の家臣であり再興よりも主君の無念を晴らすべく一刻も早く吉良を討ちたい」と主張していたのです。
内蔵助はあくまで異なる道を進もうとするあだ討ち派の人々も切り捨てませんでした。
彼らを呼び寄せるとひそかに次のような方針を伝えます。
此度は儂の言う通りにしてくれ。
これが最後というわけではない。
他にも考えていることがある。
内蔵助は全体に示したロードマップの先にもし幕府が御家再興や吉良上野介の処分を認めなかった時には主君の遺恨を晴らすためのあだ討ちも視野にある事を伝えたのです。
内蔵助の言葉にあだ討ち派も納得。
討ち入りの日を江戸で待つため赤穂を後にします。
城明け渡しを巡る混乱はようやく収束。
その後藩士たち一同が内蔵助に差し出したものがあります。
それが「神文」という誓約書。
そこに書かれているのは「今後いかなる事があろうと大石内蔵助と行動を共にする」という文言でした。
バラバラに崩壊しかけていたチームを再び結束させた内蔵助。
刃傷事件からおよそ1か月後の4月19日。
城の明け渡しが実行に移されます。
その整然とした引き際の見事さは幕府から称賛され御家再興の望みをつなぐ事になったのです。
幕府が称賛するほどの引き際の見事さどうですか?やっぱり1か月以内で開城しなければならない。
それを見事に守るわけですよね。
うまくやったなって思いますよね。
中は大変なんですね。
幕府からその城を引き渡せってきてもそんな理不尽な事には応じられないというのがまずあるわけですよね。
中には浅野家の再興を願うためにとにかく今回は城を明け渡してそのあとの事を考えようというのが大石の方針なんですね。
だからといって単に幕府に屈服するわけではないというのを計算してやってるわけなんですよね。
こういう時は割合短期決戦でものの順序を解決していかないかんわけですよね。
だからその辺のやり方がここで初めに切腹するというところから始まってトントントンと1か月でやったんでね。
自分の事を言って何ですけど今度のバスケットボールだって3か月4か月である程度解決したわけですけども。
時間が十分あったらもっといい解決ができたかと言ったらそんな事はなくて短いからこそトントントンといけたんですよ。
だからみんなの意見を聞きながらどうするどうするなんて言ってたらそんなの絶対解決はつかないんですよ。
だからある程度もう独断専行でガガガッといかないと。
だからそういう意味ではやっぱり内蔵助さんってねやっぱりすごいんでしょうね。
自分に確固たる方針がないと確かにまとまらないんですね。
ほんとに人の言う事を聞いて何かまとめようと思うと無理ですよね。
絶対駄目ですね。
短期間勝負今回で言うと国内の男子リーグ分裂していたのを一つに統一させて制裁を解除してリオへの道が開けた。
この短期間のいわゆる内蔵助のようなロードマップというのを立てたんですか?もうそれは方向づけをはっきりしてこれにもっていくためにどういうふうな期限設定をして新しいリーグをこの日までつくってここまでこの日までにみんな参加しないかぎりは入れないよとかいうね。
こういう設定が非常にうまくいったという事ですよね。
でもいわゆるバスケ界にサッカーの人が来るわけじゃないですか。
当然反発はなかったんですか?初めはやっぱ反発ありましたよ。
だってルールも知らないって。
だからそうじゃないだろうって。
バスケットボールのガバナンスというのは別にルールなんか知らなくていいわけだから。
僕は要は経営でしょうと。
経営としては俺はもう20年間もサッカー協会Jリーグの経営やってきて全部分かってるんだと。
だから経営について誰にも負けない。
ルールの事については専門家に任せりゃいいんでね。
この短い期間の中でバスケットボールの事を俺ほど真剣に考えてるやつがいたら言ってみなさいというぐらいね。
僕は大体夜あんまり寝つけないなんて事はないんだけど大体そのバスケットボールの責任者になった時にそっから全然寝れないんですよね。
そっからず〜っとバスケットボールの事ばっかり考えてたもん。
そんだけ真剣に考えてる人間がいるかって自分自信持って言えたもんね。
だから負ける気はしなかったねそれは。
その川淵さんのように強い大きなビジョンを持つ。
その時に気を付けてる事留意してる事って?一番ねとにかく理念理念。
何のためにプロのバスケットボールをやってるのってそこからもういっぺん考え直せっていう事ですよね。
そもそものところから。
原点から立ち返る。
ただ単に何かバスケットボールをやっていてお客さんが入ってそこそこちょっとでも儲かってりゃいいやなんていうような事でそんなプロのチームつくってほしくない。
しかも日本代表チームを育てていこうなんていう考え方がまるでなくて何でプロと言うんだという事ですよね。
だから僕は相当罵倒しましたよ本当に。
だから怒ってるわけですよ。
怒ったわけですよ。
それだけ強い思いとあとすごいなと思ったのはその事を誰よりも考えるというのは確固たる信念に変わるんだなと。
赤穂藩というのは浅野家が去ったあと別の家が入るんですけれども。
それから内蔵助にその誠意とやっぱり誰よりも藩の事を思ってたんでしょうね。
その後も内蔵助たちというのは愛され続けるんですよ地元の人たちに。
地元にゆかりの場所が本当たくさんあるんですけれどもその中でも結構ユニークなものもありましてそういうユニークなものを集めた旅を特命店員がしてきてくれましたのでちょっと見てもらいましょうか。
主人公ゆかりの地から取って置きのネタをお届けする…
(北郷)
赤穂の…
特命店員の北郷三穂子です。
ここは兵庫県赤穂市にある赤穂大石神社です。
実はここ昔大石内蔵助さんが住んでいた場所なんです。
大正元年こうして地元の人たちによって神社としてつくられ大石内蔵助が神様として祀られています。
ご覧下さいこちら。
大石内蔵助の像です。
この神社は討ち入りを成功させた内蔵助にちなんで大願成就で有名。
受験シーズンには学生が殺到するんだとか
そしてこの内蔵助に続くようにしてあるのが四十七士の像です。
迫力がありますよね。
壮観です。
左右に並んでいますがこれ実は吉良邸討ち入りの際の表門組と裏門組の違いで分けられているんです。
神社の意外な見どころというのがこちらの台座の名前。
なんとこの像の多くはそれぞれの子孫が寄贈しているものなんです。
子孫の代になっても固い絆で結ばれているんですね
市内から5キロほどにある海沿いの坂越地区。
ここは昔赤穂の塩を運ぶ拠点として製塩業や廻船業で栄えた町でした。
今でも昔ながらの町並みが保存され都市景観100選にも選ばれています
その一角に400年前から続く造り酒屋があります。
こちらのお店あの浅野家にもお酒を納めていたんですよ
(北郷)お酒造ってらっしゃるんですよね?こちらがね酒造りの蔵なんです。
いまだに造っております。
ここで造ってるんですか?そうです。
赤穂事件があったというのが1701年ですのでちょうどその100年前からうちは酒を造り始めたと聞いておりますので恐らく浪士も飲んだんじゃないかと。
そうですよね。
大石内蔵助たちも飲んだのではないかというお酒頂いてみました
いい香り!おいしい!
味はきりっとした辛口。
赤穂浪士が愛したこの味を絶やしてはいけないと今でも昔ながらの製法を守り続けています
赤穂城大手門の目の前にあるこちらのお店
こんにちは。
わっすごいこれザ・赤穂義士という感じ。
法被ですね。
何か店内いろいろありますけど。
なんとこのお店に並んでいるのは全て「忠臣蔵」にまつわる商品でTシャツやキーホルダーといったお土産はもちろんの事今やお宝となっている大河ドラマ2作目のレコードまでレアグッズも販売。
こちらはあの有名な人形の忠臣蔵バージョン。
店内には500種類を超える珍品がいっぱいです
あっちょっと見て下さい。
こちらは店オリジナルの内蔵助の討ち入り装束。
店長が細部までこだわって作ったものなんですが買った人はまだ誰もいません。
店長の矢野英樹さん。
小学生の時から忠臣蔵グッズを集め始めついに4年前念願だった店を開きました
何年分でしょう小学校ぐらいから置いてる本とかもありますからそれでいうともう30年以上前からのものもありますしそれをずっと持ってたものなんてそれぐらいたってますよね。
その店長イチオシのグッズが…
これプラモデルの完成品なんですよ。
分かります?この緻密に色塗ってるの。
もともとは部品だったのを全部ひっつけてこうなってると。
(北郷)これ赤穂浪士?
(矢野)そうです。
討ち入りしてるところのプラモデルです。
大石内蔵助?はい。
これ不破数右衛門ですね。
これ片岡源五右衛門です。
この店今や全国に知られ熱心な忠臣蔵マニアが訪れる新たな名所になっているんです。
なんとこの名物店長あの「のど自慢」にも討ち入り!
2番「元禄名槍譜俵星玄蕃」!
(歌声)
ここは内蔵助が赤穂を去る時立ち寄ったと伝わる場所。
夕日が美しく日本の夕景百選にも選ばれていますが…。
注目はこちらのベンチ。
好きな人と座ると恋が成就すると言われ人気のデートスポットになっているんです
訪れたのは播州赤穂駅に近い赤穂小学校
この歌赤穂浪士全員の名前を生徒が覚えられるように作られた学校独自の歌。
1番から6番まであって6年生になると四十七士全員が言えるようになるそうです
大人になって赤穂を自慢できる人になってほしいという願いが込められています
浪士たちを愛してやまない赤穂の人たち
その思いがピ−クに達するのが毎年12月14日に開催される「赤穂義士祭」。
是非店長も赤穂を訪れて下さい
赤穂浪士の歌があるんですねぇ。
6番までありますからね。
6番まであるんですか!?四十七人覚えなきゃいけないですからね。
大変ですね子供たち。
校歌の…もう一つ覚える歌があるって。
校歌よりこっちの方が大事じゃないか。
さあ今日のテーマです。
「組織が危機に立たされた時」リーダーはどう乗り越えていくか。
改めて川淵さんその極意を。
やはり危機に立たされた時にやっぱり部下その他がですねもうリーダーの顔をいつも見るんですよね。
だからその時にやはりもう泰然自若として何があったのと何も問題ないよと安心しておれよという顔を常に見せていく事がまず第一ですよね。
例えばワールドカップの予選で負けそうになった時にこのワールドカップの予選に出れなかったらこの4年間サッカー協会どういうふうな予算が…その収入が減るだろうか。
それについてどういう事業をもうカットすべきなのか。
それに対してどういうふうな対策を講じるべきなのかとか。
常にやはり最悪の事態さえ考えていけばそれに対処する事さえできればあとはもう楽だという。
そういうやっぱり腹の据え方が大事だと思いますね。
それがあるからこそ部下の前でも堂々としていられるという事になるんですかね。
ここまで来たらやっぱり討ち入り赤穂浪士になってきますよね。
討ち入りは来週なんですけれども。
じゃあ来週も皆さん来て頂けます?もしかして。
待ってよ!赤穂浪士の討ち入りがなかったら…いいですか?林家三平から「どうもすいません」を取り上げたようなもんですよ。
それはやっぱり大事ですよね!大事ですよ。
大事それはもう。
これ来ますよ。
ねっ来ますよね。
来ます!来させて頂きます。
いいですか?ありがとうございます。
これで1個収入はちゃんと確保できたという。
来週もお待ちしております。
よろしくお願いいたします。
来週もツケにしといて下さい。
えっ?2015/12/08(火) 22:00〜22:45
NHKEテレ1大阪
先人たちの底力 知恵泉 組織の危機に対処せよ!「忠臣蔵 大石内蔵助の極意」[解][字]
討ち入りの12月、赤穂藩家老、大石内蔵助を特集。江戸刃(にん)傷事件で藩は取りつぶし。巨大組織解体に挑んだ大石の危機対応の極意とは?サッカー川淵三郎さんが語る。
詳細情報
番組内容
討ち入りの12月、赤穂藩家老、大石内蔵助を特集。江戸城刃(にん)傷事件によって突如取りつぶしになった藩の“しんがり”を勤めることになった筆頭家老、大石。幕府に対抗する籠城派の台頭、城に押し寄せる借金回収の取り付け騒ぎ、退職金問題などトラブルが続発。わずか一か月という幕府の期限がせまる中、なぜ大石はすべての家臣を納得させ無血開城につなげられたのか?大石の危機対応の極意をサッカー川淵三郎さんが語ります
出演者
【ゲスト】日本サッカー協会キャプテン…川淵三郎,林家三平,東京大学史料編纂所教授…山本博文,【司会】近田雄一,【リポーター】北郷三穂子
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
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