今回は20日ぶり位ですね(笑)
徳川さんこと、徳川哲也です。
今日はちょっとおカタイ記事になるかと思います(_ _)
現在のこのブログのタイトル、
「余命1ヶ月ならどう生きる?生きづらい人のための人生学。」
こんなふうにしている。
だからと言って、超ハイパーストイックに、1分1秒を無駄にせず
生きていけてるかというと、そうではない。
しょーもない事やどうでもいい事に時間を使ってしまったり、
効率が悪いことをしてしまったり、優先順位をちゃんと決められずに、
やることが出来なかったりして、反省をすることも多い。
自分へのいましめのために、
あとは初来訪者さんへの初見のインパクト的なものもちょっと考えて(笑)
こんなタイトルにしています。
「生きる覚悟」まだまだ足りません。
日本で暮らしていると、雨露をしのげる家があり、
食事もちゃんと食べられる。そこまで危険な地域も少ない。
なんでこんなことを考えるかっていうと、
時々、戦争の映画を見たり、難民の様子を描いた本を読んだり、
戦国時代の本を読んだり、
「生きる」という事に必死だった人たちのエピソードに触れるわけですね。
あとはぼく自身も「死」に非常に近かった時期があるため、
「生きる」ということを時々考えたりします。
非常に過酷なエピソードに触れると、
「自分はまだまだ恵まれてるな。」とか、「考えが甘いな」とか、
「本当に真剣に生きてるか?」とか、
反省のしっぱなしです。
「生きる」ってことに対する意識がまだ弱いな…と。
明日が来ることが当たり前だと、まだ思ってるな…と。
危機感がまだまだ足りないな…と。
普通に1日を過ごすことが生きることではなくって、
「命をかけて」
「今日が本当にラストの1日になっても悔いが残らないように」
「今やるべきことに、この瞬間に全力をそそいで」
「やりたいことをやる、だけじゃなくって、やるべきこともやる」
「時間と余命を同義と考えて、タイムリミットを意識して、タスクに取り組む」
などなど。
まぁ実際にこんなにガチガチ、キッチリ生きようとすると、
息がつまってしまう人もいるかと思いますが、
常にそんな危機感を持って生きてる人も
地球上には居たりします。
そういう人と比べるとぼくは全然まだまだです。
「保護され過ぎた人間…国に未来はない…」
というのは、サンクチュアリという漫画の浅見の台詞。
なんだか今回、少々かたっくるしい記事になってしまいましたが、
「生きる」とはどういうことか。
「生き抜く」こととはどういうことか。
そんなことをテーマにしたく、今回は書いてみました。
今日のさいごは、藤堂高虎の名言で締めたいと思います。
「今日は死ぬ日であると心に決めなさい。
その覚悟があればものに動ずることがない」