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野坂昭如さん死去 追悼の声相次ぐ12月10日 16時05分
「火垂るの墓」で知られた作家の野坂昭如さんが9日夜、85歳で亡くなりました。高畑勲監督や野末陳平さんなど野坂さんとゆかりのあった人たちから追悼の声が相次いでいます。
高畑勲監督「戦争による弱者の悲劇描ききった」
野坂昭如さんの直木賞受賞作で戦災孤児の悲劇を描いた「火垂るの墓」をアニメ映画化した高畑勲監督は次のようなコメントを発表しました。
「野坂昭如さんはきっといま、久々に肉体から解き放たれて楽天的になり、日本国中を、沖縄を、自由に羽ばたきながら飛び回り、日本を戦争の道へ引きずり込ませまいと頑張っている人々を、大声で歌って踊って、力強く励ましてくれているにちがいない、と私は思います。野坂昭如さんの『火垂るの墓』と『戦争童話集』は、戦争に巻き込まれた弱者の悲劇を描ききった不朽の名作です。私たちは『火垂るの墓』をアニメ映画化できてほんとうによかったと、野坂昭如さんに心から感謝しています。」
「野坂昭如さんはきっといま、久々に肉体から解き放たれて楽天的になり、日本国中を、沖縄を、自由に羽ばたきながら飛び回り、日本を戦争の道へ引きずり込ませまいと頑張っている人々を、大声で歌って踊って、力強く励ましてくれているにちがいない、と私は思います。野坂昭如さんの『火垂るの墓』と『戦争童話集』は、戦争に巻き込まれた弱者の悲劇を描ききった不朽の名作です。私たちは『火垂るの墓』をアニメ映画化できてほんとうによかったと、野坂昭如さんに心から感謝しています。」
野末陳平さん「素顔は優しい紳士」
野坂さんと親交のあった元参議院議員で放送作家としても知られる野末陳平さんは「若い頃はよく一緒に仕事をし、彼の家に居候していたこともありました。互いに年をとって昔話をしたいと思っていたので残念でなりません。野坂さんは酒を飲むと大胆になりますが、酒を飲んでいない時は優しく、周囲にとても気を遣う紳士で、それが彼の本当の姿だったと思います」と話していました。
また、作家としての野坂さんについて野末さんは、「彼には時代を鋭く分析する独特の力があり、特に戦後を見る目がシャープでそれが作品に表れ、多くのファンを獲得していると思う。彼は亡くなっても今後も作品を通じて社会に影響を与えていくと思います」と話していました。
また、作家としての野坂さんについて野末さんは、「彼には時代を鋭く分析する独特の力があり、特に戦後を見る目がシャープでそれが作品に表れ、多くのファンを獲得していると思う。彼は亡くなっても今後も作品を通じて社会に影響を与えていくと思います」と話していました。
田原総一朗さん「秩序に縛られない生き方」
自身が司会を務めるテレビの討論番組に野坂さんをたびたび招いてきたジャーナリストの田原総一朗さんは「野坂さんは相手が政治家でも何でも言える自由さを持っていました。何かと空気を読まないと生きにくい日本にいながら、あえてみずから落ちこぼれて『おれは空気が読めないんだ』と言うことで、どんなことにもノーと言える秩序に縛られない生き方をした人でした。一つの時代が終わったと思います」と話していました。
矢崎泰久さん「平和への情念強く」
昭和40年の創刊直後からおよそ15年にわたり、野坂さんが連載記事を執筆した雑誌「話の特集」の元編集長で、50年来の親交があった作家の矢崎泰久さんは「最近も私が週刊誌に連載しているコーナーに、野坂さんの記事を定期的に載せているためおとといも原稿をファックスで受け取っていた。ことし肺炎で入院した時は心配したが、退院したあとは原稿を入れてくれていたため、大丈夫だと思っていたので、亡くなったと聞いてびっくりした」と話していました。
最近の様子については「安保法制には鋭い意見を持っていた。永六輔さんのラジオ番組で、六輔さんに宛てた手紙を書いてアナウンサーに代読してもらっていた。今の世の戦争に対する不安をしきりに訴えていた。力強いメッセージが伝わっていたと思う」と話していました。そのうえで「私と同世代だったが、飢えた子どもの顔を二度と見たくない気持ちや戦争体験を伝える最後の世代だと考えていたので、この国の平和をいちばん大事にしていたと思う。国会議員になったり、いろいろなことをやったが、基本的には子どもへの愛情や、平和に対する情念みたいなものが強かった。非常に惜しい人が逝ってしまった」と話し惜しんでいました。
最近の様子については「安保法制には鋭い意見を持っていた。永六輔さんのラジオ番組で、六輔さんに宛てた手紙を書いてアナウンサーに代読してもらっていた。今の世の戦争に対する不安をしきりに訴えていた。力強いメッセージが伝わっていたと思う」と話していました。そのうえで「私と同世代だったが、飢えた子どもの顔を二度と見たくない気持ちや戦争体験を伝える最後の世代だと考えていたので、この国の平和をいちばん大事にしていたと思う。国会議員になったり、いろいろなことをやったが、基本的には子どもへの愛情や、平和に対する情念みたいなものが強かった。非常に惜しい人が逝ってしまった」と話し惜しんでいました。
元編集者「脳梗塞で倒れこれまでよく戦った」
講談社の元編集者で、野坂さんとは50年近くのつきあいだという宮田昭宏さんは、10日午前中に野坂さんの自宅を訪れ、遺体と対面したということです。そのときの様子について宮田さんは「少し笑っているような、すごく楽なお顔をしていました。長年おつきあいをしてきましたが、初めて見るくらい安らかな感じでした。脳梗塞で倒れて以来、大変な思いをしながらこれまでよく戦ったなと思います。思い残すことはないのではと思うほどの生き方でしたが、奥様は『こんなに早く亡くなるとは』と残念がっていました。独特のことばの使い方で読者のイメージをかき立てる力が非常に高く、作家として、今の日本が抱えているいろいろな問題をいち早く感じ取っていた人だったと思います」と話していました。
吉永小百合さん「非戦への思い受け止めたい」
野坂さんの沖縄戦をテーマにした戦争童話を朗読会で披露するなど、交流のあった俳優の吉永小百合さんは「ご快復を待っていましたのに叶わず、残念です。野坂さんの飛び抜けた行動力と非戦への思いを、今しっかりと受け止めたいです」とコメントしています。