こんにちは。なんだかんだでそろそろ21歳を迎えるかずひろです
未だに信じられない。夢だったのかもしれないけど、それは確かに実現した。毎週火曜日午後6時から放映されているウルトラマンシリーズ『ウルトラマンX(エックス)』で奇跡が起きた。これは奇跡としか言いようがない。その奇跡というのは、あるウルトラマンのゲスト出演だ。そのウルトラマンとは今でも特撮ファンの間で名作中の名作として名高くシリーズ中で最も異彩を放つあまりにも"早すぎた"銀色の巨人、ウルトラマンネクサスである。

ウルトラマンネクサスとは2004年から3クールに渡って放送されていたウルトラマンで、その斬新な設定と世界観や歴代ウルトラマンのセオリーを尽く打破していく作品作りに、当時の視聴者は毎回毎回驚かされていた。ネクサスの世界では怪獣とウルトラマンの存在を一般人は誰も知らない。怪獣が現れても防衛チームが秘密裏に出動し、出来る限り被害を最小限に食い止め怪獣を殲滅する。もしも一般人が防衛チームの存在を認知したり怪獣に襲われてしまった場合は、MP(メモリーポリス)という組織がその一般人から怪獣と防衛チームにまつわる記憶だけを消去するという徹底ぶり。映画『メン・イン・ブラック』をイメージしていただけると分かりやすいかな。この防衛チーム、ナイトレイダーの隊員が搭乗する戦闘機クロムチェスターα・β・γ、そしてスターウォーズのXウイングに似た主人公専用機となるδ、どれもカッコ良くて玩具が凄くほしかったんですよ…。親に頼めるわけもなく泣く泣く我慢したのは良い思い出だ。

ネクサスはどのようにして戦うのか。ネクサスは異空間(メタフィールド)を作りだし、別次元の異空間へと怪獣を転送しそこで戦う。さらに、ネクサスへと変身するのは主人公ではない。普通なら、防衛チームに所属している主人公が自身の正体を隠しながらウルトラマンとして戦うのが今までの方式だが、ネクサスへと変身する適能者(デュナミスト)と本作の主人公は全くの別人だ。さらにネクサスは適能者が移り変わっていくので、特定の変身者を持たない。ネクサスの光は適能者から適能者へと受け継がれる光の絆であり、その光の絆を巡る人間ドラマこそがネクサス最大の魅力だ。
斬新なアイデアや設定を盛り込み、新たなウルトラマン像を築き上げることが出来たはずのネクサスだが商業的には全く振るわなかった。
・ドラマパートが重視され過ぎたため一話完結ではなくなり、子供たちが飽きてしまう
・怪獣=スペースビーストのデザインがグロテスク
・人間の心の闇を描き過ぎて、朝日新聞に批判記事が載る
大まかに列挙するとこんな感じだ。全体的にダークでシリアスな展開で話が進むので小さな子供たちはついていけなくなったし、PTAからも苦情が出たのだと思う。私もリアルタイムで毎週欠かさず見てはいたが、おそらく幼稚園の時の自分が見ていたら退屈で見るのを辞めていたと思うし、当時小学4年の私であっても「ここまでやるのか…」と思わざるを得ないホラー描写も多く、軽くトラウマだった。それにネクサスがなかなか怪獣を倒さない展開に多少イラついたりもしていて、せめて二話完結にしておけばなあと放送当時からよく思ったりしていた。特に一番つらかったのは、たびたびネクサスを苦しめていた闇の巨人ダークファウストの正体が主人公孤門一輝(川久保拓司)の彼女、斎田リコだと判明した時だ。「こんなのあんまりだ…どこまで孤門を苦しめれば気が済むのだ…」ここが辛さのピークだった。

それでも名作と言われ続けている所以は、歴代のどのウルトラマンよりもウルトラマンらしいからであると個人的には思っている。戦い続けていくうちに体はボロボロになり、命の危険も迫っている。でもそこまでしてなぜ人間を守るのか、なぜ戦うのか。ウルトラマンの根本的なものを深く深く追求したという意味で、仮面ライダークウガと似通っている部分もあるのではないだろうか。そんなウルトラマンと共に未熟だった主人公、孤門一輝(川久保拓司)も成長していく。彼女が悪の手先となり命を落としても、闇の力に追い詰められ絶望の淵へと追いやられても、孤門は何度も何度も這い上がり諦めずに戦う。孤門が逆にウルトラマンの危機を救ったりするという少年漫画のようなアツく燃える展開が用意されている。そして最大の敵、全ての元凶であるダークザギを前に、今まで適能者に受け継がれてきた光の絆が巡り巡ってついに孤門の下へと受け継がれていく最終回はもう涙なしには見られない。ネクサスの最終回は伝説だ。

ここまで系統が違うネクサスを他作品のウルトラマンと絡めるのは至難の業。しかし当時ネクサスの最終回を担当された阿部監督が作り上げたウルトラマンX第20話「絆-unite-」は、もう何の心配もいらなかった。ネクサスがネクサスらしくあるために、監督のこだわりと熱意が溢れんばかりに込められていた。
誰が適能者なのか、ファンにとって一番気になっていた事だろう。私は別世界から孤門が現れエックスに変身する大地(高橋大介)のピンチに颯爽と駆けつけ「諦めるな!」と鼓舞する、そんな妄想を頭に浮かべながら見ていた。何としてでも孤門にネクサスへと変身してほしいと思っていた。しかしネクサスへと変身したのは、まさかのエックスの世界で活躍する防衛チームの副隊長である橘さゆり(月船さらら)だった。登場時にはネクサス第一話のように左拳でビーストを粉砕した。副隊長が変身するというのは、紛れもなくネクサス最終回で変身を果たした西条凪副隊長へのオマージュだ。これには脳天にオーバーアローレイ・シュトロームをぶち抜かれた気分だった。アローレイではない、オーバーアローレイだ。そう、これこそがネクサスなのだ。ここで孤門が登場し変身するのは逆にあり得ない、むしろ変身したらダメなのだ。光は受け継がれていくものであり、その光を受け継ぎ、新しい適能者が変身しネクサスとして戦う。これほどまでにネクサスらしさに満ちた登場はありえない。

しかし孤門一輝は思わぬ形で登場した。副隊長の夫を演じていたのがなんと孤門一輝を演じていた川久保拓司さんだった。役名はもちろん孤門ではないし、別世界なので形は違うけど、『副隊長』の女性と幸せな家庭を築きあげていたのかと思うと、なんか涙が出てきそうだ。レスキュー隊員だったのかなと思わせる手際の良さで気絶していた娘を見事に助ける演出にもニヤニヤしてしまう。目の前に現れたウルトラマンを見上げ視線を交わすシーンは、ネクサスの第一話を思い出した。しかし一つ違ったのはネクサスを見つめる川久保さんが優しく微笑んでいた事。銀色の巨人の中にどこか妻を感じていたのか、もしかしたらネクサスを知っていたのか、どうともとれる表情が絶妙なバランスで素晴らしかった。川久保さんの優しい目を見たとき、心から「ネクサスが好きで良かった」と、そう実感した。

なぜネクサスとベムラーが戦ったのかというと、ネクサスの前日譚である映画『ULTRAMAN』に登場したスペースビーストの元凶「ザ・ワン」のモチーフがベムラーなのだ。更にそのベムラーとネクサスが湖のほとりで戦うのはウルトラマンの第一話のオマージュに私は思えた。ネクサス・ULTRAMAN・初代マン、この三作品のオマージュを一気に畳みかけるって尋常じゃない凄さだ。
そして最終決戦、スペースビーストが現れたのは新宿副都心。ネクサスの最終回の舞台となった場所だ。ピンチに陥るエックスの前にネクサスが駆けつけ、おなじみのネクサスのメインテーマが流れ出す。うおおおおおおおおお!!!!!そして副隊長の「犠牲者を出さない」という信念とリンクしたかのように、メタフィールドが展開される。メタフィールドが展開され徐々に消えていくのを空中から撮ったカットが、現実の世界から離れて亜空間に消えていく様子が伝わってすごく良かった。ネクサスは適能者によって戦闘のスタイルも異なっていく。泥臭い戦い方をしたり、命を投げ捨てるような無茶な戦いをしたり、それがまたネクサスの魅力でもあった。今回のネクサスは副隊長の性格を実に体現していて、冷静に相手の様子を伺いながら、エックスと息を合わせ立ち向かっていく。確実性を重視する副隊長だからこそ至近距離で光弾を発射したのかなとも思えた。とどめのオーバーレイ・シュトロームも健在でね、あああ…カッコいい。拝んで信仰する勢いのカッコよさだった。

本当に夢のような、あっという間の30分だった。ここまでしてくれた監督並びに製作スタッフには敬意を表したい。私がネクサスを通じて教えられたこと、それはやっぱり『諦めない』事だった。どんな逆境に立たされても、どんな災厄に襲われても、自分を信じ光を信じて立ち上がり続ける。生きていくうえで色々な辛いことにぶちあたるときがある、挫けそうになるときもある。しかしそれでも、立ち上がり続け前に進んでいけばきっと光が見えてくる。これをきっかけにネクサスを知った子供たちにも、同じことが伝わればいいなと願ってやまない。

未だに信じられない。夢だったのかもしれないけど、それは確かに実現した。毎週火曜日午後6時から放映されているウルトラマンシリーズ『ウルトラマンX(エックス)』で奇跡が起きた。これは奇跡としか言いようがない。その奇跡というのは、あるウルトラマンのゲスト出演だ。そのウルトラマンとは今でも特撮ファンの間で名作中の名作として名高くシリーズ中で最も異彩を放つあまりにも"早すぎた"銀色の巨人、ウルトラマンネクサスである。
ウルトラマンネクサスとは2004年から3クールに渡って放送されていたウルトラマンで、その斬新な設定と世界観や歴代ウルトラマンのセオリーを尽く打破していく作品作りに、当時の視聴者は毎回毎回驚かされていた。ネクサスの世界では怪獣とウルトラマンの存在を一般人は誰も知らない。怪獣が現れても防衛チームが秘密裏に出動し、出来る限り被害を最小限に食い止め怪獣を殲滅する。もしも一般人が防衛チームの存在を認知したり怪獣に襲われてしまった場合は、MP(メモリーポリス)という組織がその一般人から怪獣と防衛チームにまつわる記憶だけを消去するという徹底ぶり。映画『メン・イン・ブラック』をイメージしていただけると分かりやすいかな。この防衛チーム、ナイトレイダーの隊員が搭乗する戦闘機クロムチェスターα・β・γ、そしてスターウォーズのXウイングに似た主人公専用機となるδ、どれもカッコ良くて玩具が凄くほしかったんですよ…。親に頼めるわけもなく泣く泣く我慢したのは良い思い出だ。
ネクサスはどのようにして戦うのか。ネクサスは異空間(メタフィールド)を作りだし、別次元の異空間へと怪獣を転送しそこで戦う。さらに、ネクサスへと変身するのは主人公ではない。普通なら、防衛チームに所属している主人公が自身の正体を隠しながらウルトラマンとして戦うのが今までの方式だが、ネクサスへと変身する適能者(デュナミスト)と本作の主人公は全くの別人だ。さらにネクサスは適能者が移り変わっていくので、特定の変身者を持たない。ネクサスの光は適能者から適能者へと受け継がれる光の絆であり、その光の絆を巡る人間ドラマこそがネクサス最大の魅力だ。
斬新なアイデアや設定を盛り込み、新たなウルトラマン像を築き上げることが出来たはずのネクサスだが商業的には全く振るわなかった。
・ドラマパートが重視され過ぎたため一話完結ではなくなり、子供たちが飽きてしまう
・怪獣=スペースビーストのデザインがグロテスク
・人間の心の闇を描き過ぎて、朝日新聞に批判記事が載る
大まかに列挙するとこんな感じだ。全体的にダークでシリアスな展開で話が進むので小さな子供たちはついていけなくなったし、PTAからも苦情が出たのだと思う。私もリアルタイムで毎週欠かさず見てはいたが、おそらく幼稚園の時の自分が見ていたら退屈で見るのを辞めていたと思うし、当時小学4年の私であっても「ここまでやるのか…」と思わざるを得ないホラー描写も多く、軽くトラウマだった。それにネクサスがなかなか怪獣を倒さない展開に多少イラついたりもしていて、せめて二話完結にしておけばなあと放送当時からよく思ったりしていた。特に一番つらかったのは、たびたびネクサスを苦しめていた闇の巨人ダークファウストの正体が主人公孤門一輝(川久保拓司)の彼女、斎田リコだと判明した時だ。「こんなのあんまりだ…どこまで孤門を苦しめれば気が済むのだ…」ここが辛さのピークだった。
それでも名作と言われ続けている所以は、歴代のどのウルトラマンよりもウルトラマンらしいからであると個人的には思っている。戦い続けていくうちに体はボロボロになり、命の危険も迫っている。でもそこまでしてなぜ人間を守るのか、なぜ戦うのか。ウルトラマンの根本的なものを深く深く追求したという意味で、仮面ライダークウガと似通っている部分もあるのではないだろうか。そんなウルトラマンと共に未熟だった主人公、孤門一輝(川久保拓司)も成長していく。彼女が悪の手先となり命を落としても、闇の力に追い詰められ絶望の淵へと追いやられても、孤門は何度も何度も這い上がり諦めずに戦う。孤門が逆にウルトラマンの危機を救ったりするという少年漫画のようなアツく燃える展開が用意されている。そして最大の敵、全ての元凶であるダークザギを前に、今まで適能者に受け継がれてきた光の絆が巡り巡ってついに孤門の下へと受け継がれていく最終回はもう涙なしには見られない。ネクサスの最終回は伝説だ。
ここまで系統が違うネクサスを他作品のウルトラマンと絡めるのは至難の業。しかし当時ネクサスの最終回を担当された阿部監督が作り上げたウルトラマンX第20話「絆-unite-」は、もう何の心配もいらなかった。ネクサスがネクサスらしくあるために、監督のこだわりと熱意が溢れんばかりに込められていた。
誰が適能者なのか、ファンにとって一番気になっていた事だろう。私は別世界から孤門が現れエックスに変身する大地(高橋大介)のピンチに颯爽と駆けつけ「諦めるな!」と鼓舞する、そんな妄想を頭に浮かべながら見ていた。何としてでも孤門にネクサスへと変身してほしいと思っていた。しかしネクサスへと変身したのは、まさかのエックスの世界で活躍する防衛チームの副隊長である橘さゆり(月船さらら)だった。登場時にはネクサス第一話のように左拳でビーストを粉砕した。副隊長が変身するというのは、紛れもなくネクサス最終回で変身を果たした西条凪副隊長へのオマージュだ。これには脳天にオーバーアローレイ・シュトロームをぶち抜かれた気分だった。アローレイではない、オーバーアローレイだ。そう、これこそがネクサスなのだ。ここで孤門が登場し変身するのは逆にあり得ない、むしろ変身したらダメなのだ。光は受け継がれていくものであり、その光を受け継ぎ、新しい適能者が変身しネクサスとして戦う。これほどまでにネクサスらしさに満ちた登場はありえない。
しかし孤門一輝は思わぬ形で登場した。副隊長の夫を演じていたのがなんと孤門一輝を演じていた川久保拓司さんだった。役名はもちろん孤門ではないし、別世界なので形は違うけど、『副隊長』の女性と幸せな家庭を築きあげていたのかと思うと、なんか涙が出てきそうだ。レスキュー隊員だったのかなと思わせる手際の良さで気絶していた娘を見事に助ける演出にもニヤニヤしてしまう。目の前に現れたウルトラマンを見上げ視線を交わすシーンは、ネクサスの第一話を思い出した。しかし一つ違ったのはネクサスを見つめる川久保さんが優しく微笑んでいた事。銀色の巨人の中にどこか妻を感じていたのか、もしかしたらネクサスを知っていたのか、どうともとれる表情が絶妙なバランスで素晴らしかった。川久保さんの優しい目を見たとき、心から「ネクサスが好きで良かった」と、そう実感した。
なぜネクサスとベムラーが戦ったのかというと、ネクサスの前日譚である映画『ULTRAMAN』に登場したスペースビーストの元凶「ザ・ワン」のモチーフがベムラーなのだ。更にそのベムラーとネクサスが湖のほとりで戦うのはウルトラマンの第一話のオマージュに私は思えた。ネクサス・ULTRAMAN・初代マン、この三作品のオマージュを一気に畳みかけるって尋常じゃない凄さだ。
そして最終決戦、スペースビーストが現れたのは新宿副都心。ネクサスの最終回の舞台となった場所だ。ピンチに陥るエックスの前にネクサスが駆けつけ、おなじみのネクサスのメインテーマが流れ出す。うおおおおおおおおお!!!!!そして副隊長の「犠牲者を出さない」という信念とリンクしたかのように、メタフィールドが展開される。メタフィールドが展開され徐々に消えていくのを空中から撮ったカットが、現実の世界から離れて亜空間に消えていく様子が伝わってすごく良かった。ネクサスは適能者によって戦闘のスタイルも異なっていく。泥臭い戦い方をしたり、命を投げ捨てるような無茶な戦いをしたり、それがまたネクサスの魅力でもあった。今回のネクサスは副隊長の性格を実に体現していて、冷静に相手の様子を伺いながら、エックスと息を合わせ立ち向かっていく。確実性を重視する副隊長だからこそ至近距離で光弾を発射したのかなとも思えた。とどめのオーバーレイ・シュトロームも健在でね、あああ…カッコいい。拝んで信仰する勢いのカッコよさだった。
本当に夢のような、あっという間の30分だった。ここまでしてくれた監督並びに製作スタッフには敬意を表したい。私がネクサスを通じて教えられたこと、それはやっぱり『諦めない』事だった。どんな逆境に立たされても、どんな災厄に襲われても、自分を信じ光を信じて立ち上がり続ける。生きていくうえで色々な辛いことにぶちあたるときがある、挫けそうになるときもある。しかしそれでも、立ち上がり続け前に進んでいけばきっと光が見えてくる。これをきっかけにネクサスを知った子供たちにも、同じことが伝わればいいなと願ってやまない。