会話がなんで成り立つかというと、共通の言語があるからなんですよね。日本語と日本語、英語と英語、フランス語とフランス語、とか。逆にたとえば日本語と英語でいくら言葉をぶつけあったってすぐに理解はできないでしょう。
そもそも、共通の言語ができるまえにまず「言語」がないとダメなんですけど、それを作り上げるってものすごく大変なことなんじゃないかと思うんです。
ある2人(AとBにしときます)の前にリンゴがあるとします。でも2人に言語はありません。「りんご」という言葉すらありません。でも最初はそんな状況だったと思うんですよね。
たとえばAがBにリンゴを指差して「りんご」と発音します。BはAの行動を見て「ああ、それをリンゴというんだな」と思います。そしてBもAに「りんご」と発音します。そしてこれが「AとBの共通語としてのりんご」の出来上がりです。でもこれはあくまでもAとBの場合であり、CとDは「アップル」、EとFは「ポム」と呼びます。
目に見えるものなら「りんご」「ぱいなっぷる」「川」「太陽」と単語は共通のものとして出来ると思うんですが、感情とか表情とか抽象的なものってどうやって単語になったんだろう、そしてその単語を結びつけてどうやって言語になったんだろうってすごく不思議。
今のようなテレビとかラジオとかインターネットのような広報手段もないんです。「明日からこれをネズミと呼ぶことにしましょう」なんて拡散することもできない。最初にだれかが「ネズミ」と決めた言葉がすこしづつ周りに「ねずみ」「ねずみ」「ねずみ」「ねずみ」「ねずみ」と伝言ゲームのように広がっていくわけでしょ。北海道のサキっちょから九州のサキっちょまで「ネズミ」を指差すとネズミだと分かるのって媒体がない時代にはすごいことだなーと思うわけで。
「初めて言葉を交わした日の その瞳を忘れないで」
松任谷由実/まもってあげたい
言語の起源 - Wikipedia言語が自然の音、他の動物の鳴き声、ヒト自身の本能的な叫び声を記号やジェスチャーの助けを借りつつ模倣・改良したものに起源を負っていることは疑いえない。— Charles Darwin, 1871. The Descent of Man, and Selection in Relation to Sex.