2009年11月18日 岡山シンフォニーホール

第6回

田辺明生


 では人間らしい生き方というのはどういうことなのか。もう一度これも素直に考えてみましょう。人間らしい生き方というのは、自然や社会を自らの欲望を達成するための手段とすることではないと思います。これまで科学というのは自然を自分の欲望を達成する手段としてきました。そのためにこれほどの自然環境の破壊がおきてきたわけです。あるいは、植民地主義は欧米や日本が他の国を自分が富むための手段とすることであったという側面があります。それによってひじょうに不幸な関係というものが生まれてきました。そうではなくて、ほんとうに人間らしい生き方というものは、他者の立場を思いやることをつうじて互いに存在を喜びあえる関係をつくることではないでしょうか。ほんとうに大事なのは、ほかの人より優れようとすることではないと思います。たしかに競争というものはポジティブな面を生むこともあります。ポジティブな競争というのはけっして私は否定しません。しかしただ他の人より優れたいというような、すぐ他人と比較して自分を上に持ち上げて満足するような心だけだと、やはり寂しいと思います。

 もう一つ現代社会でよくいわれることは、自分らしく生きればいいのだということです。でも自分、自分ということにそれほどこだわることがほんとうに必要なのかな、ということもちょっと考えてみたらいいのではないでしょうか。ほんとうに必要なことは、他の人より優れることでも、自分らしく生きるということでもなくて、人間らしく生きるということだと私は思っています。では「人間らしく」というのはどういうことなんですか、これは人類学者である私にとって、「待ってました」という問いです。

 人類の知性の特徴を考えてみましょう。人間の特徴はさまざまにいわれますけれども、二足歩行ということ、木から降りた猿といういいかたをしますけれども、二足歩行することによって人間は頭蓋骨を背骨の上に置くことができるようになる。そうすることによって口が開くようになった。口が開くと、口の中で舌が音を分節できるようになって、うまく発音ができるようになるわけです。こうして人間の言語は発達したといわれています。そしてもう一つは手が自由になる。手が自由になって、道具が使用できるようになる。こうして二足歩行と、道具の使用、そして言語の使用というものは大きく相互的にかかわっているのです。言語というのはなにかといますと、記号でいまここにないものを置き換えて考える能力であるわけです。きょう私が一宮高校時代の山崎先生のことをいったとき、そのときのことを記号に置き換えて皆さんにお話しできたわけです。それは、「いまここ」にとらわれた動物とは大きく違う能力なのです。記号、言語を用いることによって人間は、「いまここ」という自分の体にとらわれるのではなくて、さまざまな時間や場所に自らを置いてものを考える能力があるわけです。そして相手の立場に立てる。鈴木さんの立場に立てる、あるいはこの犬の立場に立てる、あるいはこの木の立場に立てる、こうした人間が思いやる力をもっているということこそが、私が考えるに人間の一番優れた知性であり、人間が人間らしく生きるために自然が与えてくれたすばらしい能力であると思います。

 こうした相手を思いやる力というのは、発達心理学では「心の理論」といわれています。理論というのはべつに難しい理論のことではなくて、他者の心を推測したり想定する、あの人はこう考えているのじゃないかなと思う能力のことなんです。これがあるから、ひじょうに難しい複雑なこと、たとえば田中くんは鈴木さんのことが好きだと吉田さんは思っていると僕は思うよ、なんてことがいえるわけです。ひじょうに複雑な、あの人がこう思っていて、この人がこう考えてということを頭のなかで操作することができる。

 さてここで、皆さんが他人の心を推測する能力をもっているかどうかを、ちょっとテストさせていただきたいと思います。これは心理学で使われる、有名な「サリーとアンの課題」というものです。これをたとえば4歳や5歳の幼児に見せて、どの年齢で心の理論、相手を推測する能力ができるかということを考えるわけなんです。絵はちょっと皆さん見にくいかもしれませんが、白いフロックを着ているのがサリーです。黒いスカートを着ているのがアンです。サリーとアンが最初は部屋でいっしょに遊んでいます。そして白いフロックのサリーは、ビー玉をこの黒いかごのなかに入れて部屋を出て行きました。そしてサリーがいない間に、アンはサリーが黒いかごに入れたビー玉を、白い箱のなかに移しました。そしてそこへサリーが部屋にもどってきました。さてこの時にサリーはビー玉を取り出そうとして、最初にどちらを探すでしょうか。黒いかごを探すか、白い箱を探すか、です。さあいかがですか。思いやりの心をもっている方はすぐ分かりますね。ちょっとこちらからは皆さんのお顔が見えないのですが、では黒いかごだと思われる方、手を挙げていただけますか。はい、ありがとうございます。白い箱だと思われる方。はい。数人白い箱の方がいらっしゃいましたが、ただちょっと言語が分かりにくかっただけだと思います。圧倒的多数の方が、ちゃんとサリーの気持ちを分かった。やはりサリーは最初に黒いかごをさがします。なぜかというと、サリーは、アンが白い箱にビー玉を移したことは知らないわけです。ですから自分がビー玉をしまった黒いかごを、当然先に探すわけです。こうした問題を幼児にききますと、自分がアンが白い箱にビー玉を入れたことを見てますから、白い箱、白い箱とすぐ答えちゃうわけです。だけどサリーの気持ちになってものを考えられるようになってくると、いやサリーはアンがビー玉を移したことを知らないから、まず黒いかごを探します、と答えられるようになるわけです。いまここにいる自分にとらわれないで、他の人の気持ちを考えることができる能力というものが、この人間には備わっている。そしてこの思いやりの心というものが、あるいは相手の立場に立ってものを考えられることのできる能力が、まさに人間が生物学的に与えられた倫理やモラルの基盤となるわけです。      

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