「文学フリマ」を中心とする文章系同人誌イベントで入手した、主に純文系・エンタメ系小説について、感想のようなものを、たぶん書きます。(2014年11月25日以降本格運用開始)

2015年12月05日

骨のある喫水線

「第二十一回文学フリマ東京」で入手した【ヨモツヘグイニナ】さんの『喫水線』を読んだ。

【ヨモツヘグイニナ】
https://c.bunfree.net/c/tokyo21/1F/D/17

きっ-すい-せん【喫水線・吃水線】船体が水中に入る分界線。
(広辞苑第四版)







【ヨモツヘグイニナ】さんの作品は初めて読む。
ほかにも2つあって、うちひとつはBL色があるとのことで、思案した末、ぼくには一番手を出しやすかったこの『喫水線』を選んだ。

サイズは文庫でタテ1段。
表紙を含めて50ページ弱。お値段は300円。
セロファンに包まれた状態でいただいた。
これはどうやらクラゲのよう。
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このテープの柄は夫婦岩?
それと、カエルかな?
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包みを外して。
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表紙をめくると遊び紙があって、さらにめくるとトビラが。

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裏には目次。
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2つのお話が入ってる。

奥付。
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ここでは、【ヨモツヘグイニナ】さんの中のひと、弧伏澤つたゐさんの「迎え火」について書いてみる。

バスは日に二本、そのバスで一時間揺られてようやく、一時間に一本だけ運行される電車の始発駅にたどり着ける、世界の始まりみたいな場所で、私とりりはほとんど日を同じくして生まれ、同じばばのところに預けられ、小学生になり、中学生になった。
(P.16)


そんな、「私」のおはなし。
「私」とりりの生まれ育った村の学校には、4つ上の学年に、潮丸と浦島という双子の男の子がいた。
双子の彼らは、骨と皮でできているような子供で、しかしいずれは漁師になるらしかった。
そして、りりは、中学校を出たあと海女となり、「私」は高校へ進学する――。

作品を理解する上での知識は、しばしば先入観になる。
その意味で、ぼくはいくぶんの先入観をもって読み始めた。
というのは、当日、【ヨモツヘグイニナ】さんと話した中で、作品の舞台がどうやら伊勢(三重県)と思われたから。
【ヨモツヘグイニナ】さんご自身が伊勢国のご出身のようで、発音には、近畿圏に特徴的なイントネーションがあった。

伊勢といえば伊勢神宮だが、伊勢神宮は、ただ「神宮」と呼ぶものらしい。
まぁね、「神宮」はひとつだよね。
明治神宮、香取神宮、鹿島神宮……。
いろんな“神宮”があるけど、ただ「神宮」というときは、伊勢の神宮だよね。
と、3級とはいえ神社検定を持っている身としては、すんなり納得するのだった。
(蛇足だが、八百万の神さまたちについては、妙に人間味があってぼくは親しみを感じている。お参りするときも、お願いするというよりは、挨拶するって感じのことが多い)

地方の貧しい海沿いの村で迎えた、お盆でのお祭りの話、といっていいのかな。
一読して、
「ああ、こういうものを書くのか」
と知ることができたのが、収穫のひとつ。
これは後述する。

それと、ともすればドぎつい語を使うことが、ぼくには好ましく思われた。
たとえば「こじき」。
これ、作中では「古事記」を意味してるんだけど、貧しい方の「こじき」と掛けてたのね。

このごろはもう「乞食」って言わない、言いたがらないんだよね。代わりに使われるのが「ホームレス」。
いろいろと“大人の事情”があるんだろうけど、「『ホームレス』なんて、腰の抜けた言い方だな」と、ぼくは密か思っていてね。
言葉が死んでいくというか、殺されていくというか。
言葉は時代と共に変わるものだし、社会が健全なものとして発展すればそれに相応しい言葉遣いが是とされるものから、わからないではないんだが、他方で、書き手が安易にそれにしたがっちゃダメよねっていう気持ちもあって。
(むろん、書き手のセンスや作品世界に相応しい言葉が用いられるものなんだが)

たとえば、ぼくの手元にある中上健次選集1『枯木灘|覇王の七日』(小学館文庫)の巻末には、こうある。

中上健次の作品中には、人種差別及び社会的差別にかかわる用語が使用されている場合があります。
しかし、本文庫では、中上健次文学の本質が差別構造の矛盾をテーマにしたものであり、社会と時代の差別意識を糺す作者の姿勢を了とし、原文のまま収録しました。


こういうのアリだと思うんだ。
たしかに失礼ではあるんだけど、そういう言葉を入れてくるという姿勢は、(著者には意外かもしれないが)ぼくには好ましかったんだな。
「蛆がわくってことは、陸で死んだってことで、幸せなことなのにね」(P.25-26)
こういうことをサラっと書いちゃうとかさ、「骨のあるひとだな」って。

でね。
もう少し触れると、作中には、「海女」や「記紀神話」にまつわるイザナギとイザナミの国生みのこととかが出てくる。
ただ、これらは作品の本質とまではいかない。いわば舞台設定なんだと思う。
根っこの部分を引き出すための。

前述した「ああ、こういうものを書くのか」に戻ろう。
作品の表題は「迎え火」。
過疎化して滅びていくだろう海辺の寒村で、お盆のお祭りが行われる。年寄りたちが祖霊を迎える。
土地に根付いたもの、土地の貧しさや、田舎特有のいじましさとか。
こういうものを書くのだな、と。

ラストシーンまで、「私」は、りりとのことや、潮丸や浦島のことやらを述懐するのだけど、お祭りのとき、若い「私」が手にしていたものが、「迎え火」ということなのだろう。
最後の三行は、ドぎついという意味でも、相応しい終わり方だったと思う。
もう少し書きたいけど、あんまり書くとネタバレになるのでやめる。




著者の【ヨモツヘグイニナ】さんは、どうやら、生まれ育った土地に縛られているとぼくは思った。
土地のことを書く。東京ではない、生まれ育った田舎のことを。
【ヨモツヘグイニナ】さんほどではないにしても、それなりに田舎で生まれ育ったぼくは、これは、書き手としては強い武器になると思っていてね。東京など都会で生まれ育ったひとにはできないことだから。

田舎を知らないひとは、得てして田舎に憧憬を抱く。ぼくらがネットやテレビや観光ガイドで知っている田舎とは、そういうものとしてしばしば描かれる。だから、そういうイメージを抱いてしまうのも無理はない。
しかし、この作品は貧しい村、滅びゆく寒村が舞台だ。
著者としては、別段珍しくない田舎を描いたのかもしれないが、このへんも、結果的に、都会に対するカウンターカルチャーって感じだった。

最後に余談。
「文学フリマ」が地方で開催されるようになった。
これね。
地方在住の書き手が持つ視点やセンスには、もっと目を向けられていいと思うんだ。
同人文学の世界でも、東京の一極集中から、ある意味「脱東京」の方向に進み始めてるようで、ぼくはけっこう歓迎している。
あとは、東京に呑まれず、地方であることのアイデンティティをいかに維持するか。
そのへん、地味に気にかけておりますよ。

以下、当日のことやらを。

初めに断っておくと、【ヨモツヘグイニナ】さんには、当日大変お世話になった。
まずはお礼を。
どうお世話になったのか?
少し長くなるが、書いてみよう。

その日ぼくは、『文学フリマガイドブック』の売り子を、朝と夕方とやっていてね。
昼間は買い物の旅に出たんだ。
狙っていたもののいくつかを買って、お昼を食べて、再び買い歩いて。
当初の目的を果たして、さて、どうするか?

14時半とか、それくらいだったかな。
夕方の手伝いまでにはまだ時間があるし、休憩所は混んでて座れないしで、流浪の民になっていたところ、あるひとに声をかけてもらってね。
そのひとのツテで、【ヨモツヘグイニナ】さんにお目にかかることになった。
のみならず、『ガイドブック』の売り子を手伝う16時まで、ずっとブースに居候させてもらって。
おかげで、とても助かった。
この場にて、あらためて御礼申し上げます。

そういうわけで、【ヨモツヘグイニナ】さんとは初対面だった。
コミュニケーション能力に若干の(?)欠陥があるぼくにしては、珍しくいろいろ話すことができた。
【ヨモツヘグイニナ】さんは、三島やシブタツ(澁澤龍彦)が好きみたいで、また、「記紀神話」にも精通されているようで、ぼくはどちらも疎いんだが、それでも丁寧に相手をしてくれてね。
ありがたいことだった。
あと、『ロータス』の話もしたなぁ。
http://ameblo.jp/knightsabers2501/entry-11449702985.html

上で、「【ヨモツヘグイニナ】さんご自身が伊勢国のご出身のようで」と書いた。
ぼくには、西国出身の友人がひとりいる。その彼との発音も少し違っていて、それでなくても普段から近畿圏の発音を耳にすることは少ないから、なかなか新鮮な会話だった。
伊勢といえば、最近では、海女さんの萌えキャラが賛否を呼んだことをご存知の読者もいるだろう。



あるいは、伊勢志摩サミットとか。
これらについては、【ヨモツヘグイニナ】さんなりに、思うところがあるのかもしれない。
ちなみに、伊勢といえば伊勢えびだが、伊勢えびの漁獲高は千葉県が一番だったりする。これ豆ね。
http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000101183
冗談ではなく、伊勢エビの名前を千葉エビにしようという提案が千葉県議会にあったとか。却下されたようだけどw
千葉県は千葉県で、房総半島の方では海女さんもいたりする。
ぼくも、半島の先端で食事をしたとき、お店に海女さんの格好をした若い女性のポスターが貼ってあったのを見たことがある。
(白い着衣〔磯シャツ?〕が透けていてね、あまり品のいいものではなかった)

三重県といえば、他にも、鈴鹿サーキットが有名だ。



かれこれ10年以上前のこと。
伊勢の神宮から熊野三社、そして高野山を、父親と二人で回ったことがある。
今はいろいろと状況が許さないんだが、いずれまた、お伊勢さんにお参りしたいと思ってます。
現地でバイクをレンタルして土地を見て回る、なあんて、そんなこともできたら楽しいだろうな。

おしまい。
posted by ファントム・F・ハイリック at 23:00| Comment(0) | 感想のようなもの | 更新情報をチェックする
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