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ちょっと自由に生きるコツ

見方を変え気持ちを変えるとちょっと自由になれるかも。 ビジネスマン向けのメソッドから、日々の雑感までを綴っていきます。

『ジャングル大帝』レオのふるさと ケニアに行った時のおはなし その1

TV「クレイジージャーニー」を見て、ケニアに行ったことを思い出したので、そのときのことを記したいと思います。

 

とはいえ丁度20年前のこと、ウソを書くつもりはありませんが、うろ覚えで間違ったことを書いてしまうかもしれません。

また、たいした中身じゃありません。「すべらない話」ならぬ「すべった話」程度かと。ついでに筆がすべって、多少オーバーに書くかもしれません。

その旨ご理解のうえ、お読みいただければ幸いです。

 

イントロ

1 何しにケニアに行ったの?

出張です。

私はメーカーの社員ですが、当時、広報部所属で企業広告を担当しており、その撮影の立会いで行ってきました。

こんなことでもなければ、一生、アフリカには行っていなかったと思います。

 

ちなみに同行者は、広告代理店の制作プロデューサー、アートディレクター、コピーライター、営業担当、そして、フリーのカメラマンに私の6名でした。

後に、世界最強といわれる広告代理店の方々と一緒で、本当によかったと思う出来事が・・・。

 

なぜ、わざわざケニアまで行ったのかというと、広告の主旨と求めるシーンが「アフリカの大地」であったからです。

 

アフリカの中でもケニアとしたのは、比較的治安が良くて、お金を出せば「食べるもの」と「眠るところ」が確保できるから、というのが理由。

地図を見たら周りは、ソマリアウガンダルワンダなど、紛争・内乱で名前を聞く国ばっかりです。

風景は、ぶっちゃけ、どこであっても同じようなものなので、だったら安全なところにしましょう、ということでした。

 

 2 事前準備

事前に黄熱病の予防接種を受けました。たしか1週間あけて2回注射された記憶が・・・。

現地ではマラリアコレラ(だったと思う)の薬は毎日飲むように言われましたが、これが胃に優しくないのですよ。

 

ちなみに、本当かウソか知りませんが、訳がわからずに体調が悪化し、あっと言う間に死んでしまう、そんなことがしょっちゅうあるとのこと。

だから、黄熱病でもコレラでも病名が分かる病気はまだマシなんだ、と聞かされました。

 

また、現地では出来るだけ古びた服を着ることと、カメラや腕時計、それに手提げバックは持たないようにと注意されました。

もちろん、強盗にあわないため、ということなのですが、腕時計にバックは、引ったくりではなく、腕ごともって行かれるからだと・・・。

ということで、この出張、かなりビビリながら行ってきたのです。

 

3 どんなルートで行ったの?

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成田空港からロンドン経由でケニア入りしました。

当時は、パキスタン経由というのもあり、そちらのほうが金額的には安かったのですが、乗り継ぎで1泊しなければならないのと、「機内預け入れ荷物の紛失リスク」(要は空港係員による盗難。これが、実に頻繁におきるとの情報有り)を考えて、ロンドン経由となりました。

 

 成田からロンドンまで12時間半、そこで7時間ほどのトランジットがあり、ロンドンからナイロビまで9時間の飛行で到着。

折りしもクリスマス休暇です。観光やハンティングでケニアを訪れる人たちで、機内はほぼ満席状態でした。

 

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また、ケニアでは、首都ナイロビの空港からベースキャンプとなるモンバサまでも飛行機の移動となり、自宅~モンバサのホテルまで、丁度36時間かかりました。

 

 *地図の中ほど左下の「マラング」という場所が、有名な「キリマンジャロ」です。

レオのふるさとは、このあたり(と言っても、まるっと半径500km以上のエリア内)にある伝説の山「ムーン山」のふもとだそうです。

 

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 本編

1 ナイロビ空港到着

体育館のようなだだっ広い場所で入国審査を受け、現地のコーディネーター兼通訳と合流します。

 

名前はオキディ。人懐っこい笑顔の好青年、だけど、かなりアバウトな奴でしたね。

バブル時代の数年間を日本で過ごしていて、六本木でブイブイ言わしてたと自慢しておりました(詳細は割愛)。

が、バチがあたって日本に居られなくなり、ケニアに逃げ戻ったとのこと(これまた、詳細は割愛。こういう奴だということを覚えておいてください)。

 

ナイロビの気候ですが、赤道直下のアフリカ、きっと暑いだろうと思っていたのですが、全くそんなことはありませんでした。

気温も高くなく、空気はカラッと乾燥していて、夏の北海道を思い出すような感じでした。ただ、陽射しはきつかったです。

標高が1600mと、かなりの高地だからだそうですね。

 

2 モンバサのホテルに到着

空港内で昼食をとって、飛行機でモンバサに移動します。途中、右手には、キリマンジャロがはっきりと見えました。

当時は山に全く興味がなかったので、山頂に雪が残っているのをみて「キリマンジャロの豹」を思い出すくらい・・・。

他の事も含めてですが、もったいないことをしたなぁ、と思っています。

 

モンバサの空港から車で約1時間、ようやっと到着したのは、海岸沿いのリゾートホテルです。

ナイロビとは違って、さすがに暑かったです。

 

モンバサって、大変なリゾート地なのですね。

イギリスを中心にヨーロッパの人たちがバカンスを楽しむ場所だそうで、砂浜沿いに、いくつものリゾートホテルが点在していました。

 

我々が泊まったホテルの名前は・・・、忘れました。

が、たしかハイアット・リージェンシーだったような。とにかく、名前を聞いたことがある高級なホテルでした。

 

部屋に入り、まずはシャワーを浴びようとします。

バスルームの蛇口をひねると、赤茶色の水が出るものの、しばらくしたらちゃんと透明なお湯に切り替わりました。

 

で、シャワーにしようとレバーを引くと、スポっとレバーごと抜けたのです。

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「へ?」となってレバーを見たら、ネジ式であっただろう先のほうが、ツルツルにすり減っていて、ネジの役目を果たしていないのですね・・・。

 

で、フロントに超たどたどしく英語で電話をして、待つこと30分。

「ジャンボ!」と元気良くホテルの営繕係の人が部屋に入ってきました。

ツルツルのレバーを見せたら、「OK、OK、ノープロブレム」とか言って、部屋から出て行きます。

 

「あれ?通じてないのかなぁ?」と疑問に思い廊下に出たら、さきほどの係りの人が、右手でルームキーをぶるんぶるん回しながら、他の部屋をノックして回っています。

鼻歌まじり、ちょっとスキップを踏んでます。ご機嫌の様子です。

 

持っていたのはマスターキーなんでしょうね、(たぶん返事のない)部屋をあけて中に入っていったのです。

で、しばらくして私の部屋に戻ってきたとき、手には使い古した蛇口が・・・。

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ここまで汚くなかったですけど、こんな感じの部材です。

 

で、シャワーの蛇口の先にペンチの取っ手を突っ込むと、鼻歌まじりにぐるぐる回して部材をはずし、持って来たものと付け替えます。

そして、「ジャンボ!」と元気に言って、部屋から出て行きました。

 

そうです。

彼は修理をしたのではなく、他の客室の蛇口と交換したのです。

私の部屋にあった蛇口は、きっと別の部屋に付けられたのでしょう。

 

そして、そこに泊まる客から、同じクレームが入っても、彼は、「OK、OK、ノープロブレム」とか言って、またどこかの部屋のと付け替えることでしょう。

 

「あぁ、これがアフリカなんだ・・・」と思った一発目でした。

 

<つづく>

 

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