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もういいかげんにしませんか?
>胸が打たれるって、一体、どういう意味でしょう。感動したみたいな言い方です。
つい「胸を打つ」で辞書ひいたりしてしまいました。
そんなにおかしい表現でしょうか?言葉ってそんなに厳密なものですかね?
……最近の新潟の弁護士vs某新聞社社員とか、同性愛の表現ツイート削除トラブルなんかをみると、言葉尻だけとらえて「この表現はいかん!」てのもなぁと思います(そりゃ「表現の自由」もありますが、釈迦に説法でしょうがこれは別に「どんな表現でも使っていい」ことではないですからね)。あ、僕は今回は「○○」という表現を使っていい/悪いではなくて、言葉尻だけとらえての議論になって(ついでにこの表現を使ったからつるしあげだー)いるんじゃないですか、とりあえず普通の話に戻しませんかってことを言いたいだけです。
何、普通の話が「KAMIKAZE」ですって?いや普通にもう少し弁護士らしい…そうですねぇ戦争法案違憲訴訟についてとか。
やっぱり弁護士の場合は、相手を侮辱したりする表現てなるべく避ける的な決まりがありますよね(えっありませんでしたか)。法廷でだけですよブログではどんな過激な表現でもOKなんです-なんてことはないと思います。
つい「胸を打つ」で辞書ひいたりしてしまいました。
そんなにおかしい表現でしょうか?言葉ってそんなに厳密なものですかね?
……最近の新潟の弁護士vs某新聞社社員とか、同性愛の表現ツイート削除トラブルなんかをみると、言葉尻だけとらえて「この表現はいかん!」てのもなぁと思います(そりゃ「表現の自由」もありますが、釈迦に説法でしょうがこれは別に「どんな表現でも使っていい」ことではないですからね)。あ、僕は今回は「○○」という表現を使っていい/悪いではなくて、言葉尻だけとらえての議論になって(ついでにこの表現を使ったからつるしあげだー)いるんじゃないですか、とりあえず普通の話に戻しませんかってことを言いたいだけです。
何、普通の話が「KAMIKAZE」ですって?いや普通にもう少し弁護士らしい…そうですねぇ戦争法案違憲訴訟についてとか。
やっぱり弁護士の場合は、相手を侮辱したりする表現てなるべく避ける的な決まりがありますよね(えっありませんでしたか)。法廷でだけですよブログではどんな過激な表現でもOKなんです-なんてことはないと思います。
特攻に綺麗事は一切ダメですよ
>私は、このような形で殺された若者がいたことを思うと、胸が押し潰されます。
おっしゃる通りです!
合わせて、軍指導者の身勝手に怒りを覚えますね。
特攻、となると、どうしても綺麗事なストーリーにしたり、死者を楯にして、犬死とは非礼だの、冒涜だの、人権侵害だのと、トンチンカンな「特攻擁護」をする人達が現れます。
彼等は「犬死に」という表現を否定したいのではなく、その本音は、
「特攻を否定すること自体が許せない」、ということが言いたいのです。
とても戦闘には使えない練習機を特攻に使った例は酷い。
もっと酷いのは、離陸すると自動的に車輪が離れ落ちるように作った特攻機も試作したそうです。つまり、そこまでしない限り、操縦者が体当たりをしないと考えた軍指導者の狂気。
「冒涜」というなら、これこそ、特攻を「志願?」した若者に対するこれ以上には無い「冒涜」です。
>戦争指導者たちが自らの戦争責任を問われることも恐れていたでしょう。
おっしゃる通りです。
負けと分かっていながら彼等が無益な戦争を続け、純真な若者の心を利用し、むざむざ犬死にさせたのは、
負ければ自分たちは処刑されると分かっていた。
負けを認めれば、若手将校から裏切り者として暗殺されるのが怖い。
その証拠に、多くの政治・軍指導者は敗戦後もぬくぬくと生き長らえた。
また、東條英機のように軍人でありながら、自決に失敗?するという醜態を見せた指導者もいた。
つまりは、自分たちの身が可愛いから若者・兵士を「生贄」にしたのです。
おっしゃる通りです!
合わせて、軍指導者の身勝手に怒りを覚えますね。
特攻、となると、どうしても綺麗事なストーリーにしたり、死者を楯にして、犬死とは非礼だの、冒涜だの、人権侵害だのと、トンチンカンな「特攻擁護」をする人達が現れます。
彼等は「犬死に」という表現を否定したいのではなく、その本音は、
「特攻を否定すること自体が許せない」、ということが言いたいのです。
とても戦闘には使えない練習機を特攻に使った例は酷い。
もっと酷いのは、離陸すると自動的に車輪が離れ落ちるように作った特攻機も試作したそうです。つまり、そこまでしない限り、操縦者が体当たりをしないと考えた軍指導者の狂気。
「冒涜」というなら、これこそ、特攻を「志願?」した若者に対するこれ以上には無い「冒涜」です。
>戦争指導者たちが自らの戦争責任を問われることも恐れていたでしょう。
おっしゃる通りです。
負けと分かっていながら彼等が無益な戦争を続け、純真な若者の心を利用し、むざむざ犬死にさせたのは、
負ければ自分たちは処刑されると分かっていた。
負けを認めれば、若手将校から裏切り者として暗殺されるのが怖い。
その証拠に、多くの政治・軍指導者は敗戦後もぬくぬくと生き長らえた。
また、東條英機のように軍人でありながら、自決に失敗?するという醜態を見せた指導者もいた。
つまりは、自分たちの身が可愛いから若者・兵士を「生贄」にしたのです。
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水木しげるさんが・・・
『総員玉砕せよ!』 の「あとがき」より
「将校、下士官、馬、兵隊といわれる順位の軍隊で兵隊というのは〝人間〟ではなく馬以下の生物と思われていたから、ぼくは、玉砕で生き残るというのは卑怯ではなく〝人間〟としての最後の抵抗ではなかったかと思う」
「死人(戦死者)に口はない。ぼくは戦記物をかくとわけのわからない怒りがこみ上げてきて仕方がない。多分戦死者の霊がそうさせているのではないかと思う」
実際に経験されたエピソードの数々、読み継いでいかなければなりませんね。水木さんの漫画は色々と読んだし、テレビでも観てきたのですが(テレビでは鬼太郎ですが)、すぐに忘れてしまって、いけません。
「将校、下士官、馬、兵隊といわれる順位の軍隊で兵隊というのは〝人間〟ではなく馬以下の生物と思われていたから、ぼくは、玉砕で生き残るというのは卑怯ではなく〝人間〟としての最後の抵抗ではなかったかと思う」
「死人(戦死者)に口はない。ぼくは戦記物をかくとわけのわからない怒りがこみ上げてきて仕方がない。多分戦死者の霊がそうさせているのではないかと思う」
実際に経験されたエピソードの数々、読み継いでいかなければなりませんね。水木さんの漫画は色々と読んだし、テレビでも観てきたのですが(テレビでは鬼太郎ですが)、すぐに忘れてしまって、いけません。
No title
特攻を称賛したがる右翼は自爆テロを称賛する連中と精神レベルは同じだよ。
特攻は無駄であり、無意味であり、犬死以外の何物でもない。
特攻は無駄であり、無意味であり、犬死以外の何物でもない。
No title
結局、特攻は犬死、無駄死と思いたいのでしょう。反論を述べたところで、「ウヨクの妄言」との結論で終わってしまう。思想的な相違故にそれはそれで仕方がない。しかし、特攻隊や戦争で亡くなった方々を犬死したというような人間が私の身近に一人もいなかったことは非常に幸運と感じる。
No title
>特攻は犬死、無駄死と思いたいのでしょう。
サディストじゃあるまいし、誰が好んでそんなことを思いたいのか。
思いたいのではなく、厳粛な事実として受け止めているだけですけどもね。
餓死した兵士など、犬死に、無駄死に、野垂れ死に、以外の何があるのか。
個々の特攻隊員の「心の内」を忖度することよりも、
二度とあのような狂気を再現させてはならない「負の遺産」として
私は受け止めています。
「犬死に」に拒絶反応を示す人達に多いのは、
彼等は「犬死に」表現を問題にするが、
「犬死にさせた側、死を強要した側」の問題(こちらの方が遥かに大きく深刻な問題です)をスルーしていることです。
スルーする理由はほぼ想像が出来ますが、ここでは触れません。
それと、忘れられがちなことですが、
「朝鮮人特攻兵」について言えば、問題はさらに複雑で深刻です。
いずれにせよ、日本の兵士や(日本人にさせられた)朝鮮人兵士の多くは、
アメリカ軍を中心とした連合国側によって殺されたのではなく、
実質は、日本の政治・軍指導者によって、無益に殺されたのです。
サディストじゃあるまいし、誰が好んでそんなことを思いたいのか。
思いたいのではなく、厳粛な事実として受け止めているだけですけどもね。
餓死した兵士など、犬死に、無駄死に、野垂れ死に、以外の何があるのか。
個々の特攻隊員の「心の内」を忖度することよりも、
二度とあのような狂気を再現させてはならない「負の遺産」として
私は受け止めています。
「犬死に」に拒絶反応を示す人達に多いのは、
彼等は「犬死に」表現を問題にするが、
「犬死にさせた側、死を強要した側」の問題(こちらの方が遥かに大きく深刻な問題です)をスルーしていることです。
スルーする理由はほぼ想像が出来ますが、ここでは触れません。
それと、忘れられがちなことですが、
「朝鮮人特攻兵」について言えば、問題はさらに複雑で深刻です。
いずれにせよ、日本の兵士や(日本人にさせられた)朝鮮人兵士の多くは、
アメリカ軍を中心とした連合国側によって殺されたのではなく、
実質は、日本の政治・軍指導者によって、無益に殺されたのです。
No title
戦局打開のためだと特攻させられて
結果戦局打開できていないのだから100%無駄死にでしょう。
言い方は悪いかもしれないが
この点ではまだISの自爆テロは無駄死になっていない。
今後、西欧諸国がISに勝てるとは到底思えない、
というより国家の線引きができない相手に勝つことはできない。
これまで中東諸国は、
宗派関係なく植民地支配をしていた西欧諸国のご都合で直線的国境線が引かれ、
イギリスのご都合でイスラエルを勝手に建国され、
ロシアのご都合でアフガニスタン侵攻、
このロシアの侵攻に対してアメリカのご都合でタリバン支援、
イランイラク戦争に対してアメリカのご都合でイラクのフセイン支援、
そのタリバンにアメリカは9.11テロを受け、
報復としてフセインに難癖をつけてフセイン打倒、
結果イラクに統治能力の統治能力が失われ宗派分裂、
現在もアメリカ、ロシアのご都合で、
アメリカはアサド政権打倒、ロシアは反政府軍打倒と、
過去100年に渡って中東は西欧諸国のご都合に振り回されてきた。
中東に対し西欧諸国はろくなことをしていない。
自爆無差別テロが非道な行為なのは明らかだが、
彼らに自爆させるほどの怨念を育て、
その非道な行為を正義だと思わせるようにしむけたのは、
これまでの西欧諸国のご都合主義によるものに他ならない。
彼らだって空爆に対して空爆で仕返しをできるなら空爆をするだろう。
しかし彼らにその能力は無く一番効果的な手段が無差別テロなのだから、
いくら西洋の物差しで批判してもテロで反撃されるのは防ぎようがない。
この点で言えば日本の特攻も
通常兵力では効果的に反撃できなくなったから取った苦肉の策と言える。
しかしながら日本の場合はそもそもが日本から宣戦布告した戦争であり、
ここに同情の余地はない。
サイパン陥落時にすでに雌雄は決しており、
負けを認められずに特攻という手段によって負けを先延ばししたに過ぎず、
その後の大空襲や原爆等により犠牲が増えただけだった。
中東の自爆テロが下の下なら特攻は下の下の下と言える。
結果戦局打開できていないのだから100%無駄死にでしょう。
言い方は悪いかもしれないが
この点ではまだISの自爆テロは無駄死になっていない。
今後、西欧諸国がISに勝てるとは到底思えない、
というより国家の線引きができない相手に勝つことはできない。
これまで中東諸国は、
宗派関係なく植民地支配をしていた西欧諸国のご都合で直線的国境線が引かれ、
イギリスのご都合でイスラエルを勝手に建国され、
ロシアのご都合でアフガニスタン侵攻、
このロシアの侵攻に対してアメリカのご都合でタリバン支援、
イランイラク戦争に対してアメリカのご都合でイラクのフセイン支援、
そのタリバンにアメリカは9.11テロを受け、
報復としてフセインに難癖をつけてフセイン打倒、
結果イラクに統治能力の統治能力が失われ宗派分裂、
現在もアメリカ、ロシアのご都合で、
アメリカはアサド政権打倒、ロシアは反政府軍打倒と、
過去100年に渡って中東は西欧諸国のご都合に振り回されてきた。
中東に対し西欧諸国はろくなことをしていない。
自爆無差別テロが非道な行為なのは明らかだが、
彼らに自爆させるほどの怨念を育て、
その非道な行為を正義だと思わせるようにしむけたのは、
これまでの西欧諸国のご都合主義によるものに他ならない。
彼らだって空爆に対して空爆で仕返しをできるなら空爆をするだろう。
しかし彼らにその能力は無く一番効果的な手段が無差別テロなのだから、
いくら西洋の物差しで批判してもテロで反撃されるのは防ぎようがない。
この点で言えば日本の特攻も
通常兵力では効果的に反撃できなくなったから取った苦肉の策と言える。
しかしながら日本の場合はそもそもが日本から宣戦布告した戦争であり、
ここに同情の余地はない。
サイパン陥落時にすでに雌雄は決しており、
負けを認められずに特攻という手段によって負けを先延ばししたに過ぎず、
その後の大空襲や原爆等により犠牲が増えただけだった。
中東の自爆テロが下の下なら特攻は下の下の下と言える。
No title
>戦局打開のためだと特攻させられて結果戦局打開できていないのだから100%無駄死にでしょう。
>中東の自爆テロが下の下なら特攻は下の下の下と言える。
↑あくまで作戦上の話ですよね。
作戦上、無駄死にさせた犬死させたということでしょう。
特攻隊というテーマを語るとき軍や国家の批判で終始終わるのではなく
特攻隊員の想いを考えてみることも後世の我々には必要でしょう。
その最悪な作戦を遂行しなければならない隊員達がどのように死の恐怖を乗り越え、またどのように人生の終焉を迎えようとしたのかを考えてみても宜しいのでは?
彼らには死が目の前に迫りその恐怖を受け入れなければならない現実があった。
そのような過去を私たちの記憶に留めておくことは美化ではありません。
そしてもし自分がそのような状況に置かれたらと考えるとただただ頭が下がる、これだけしかないのです。作戦上無駄であったとしても犬死にという言葉は私には使えません。
まだあどけなさが残る少年たちです。
きっと純粋な気持ちで自分の運命を受け止めたことでしょう。
また恨みつらみで死んだ子もいたでしょう。
なんで俺が選ばれたんだと思う子もいたでしょう。
でもその子たちは最後まで逃げ出さなかったのです。
そしてその子たちは最後まで逃げ出せなかったのです。
そのような究極の状況の中でどのように自分の存在意義を見出したのか、そして何を見い出そうとしたのか。
死んでしまったらタダの肉体、と考える人たちからすればそのような発想はきっとできないのかもしれません。
特攻隊というテーマを作戦の批判や軍の批判で終始終わって満足なのでしょう。
>中東の自爆テロが下の下なら特攻は下の下の下と言える。
↑あくまで作戦上の話ですよね。
作戦上、無駄死にさせた犬死させたということでしょう。
特攻隊というテーマを語るとき軍や国家の批判で終始終わるのではなく
特攻隊員の想いを考えてみることも後世の我々には必要でしょう。
その最悪な作戦を遂行しなければならない隊員達がどのように死の恐怖を乗り越え、またどのように人生の終焉を迎えようとしたのかを考えてみても宜しいのでは?
彼らには死が目の前に迫りその恐怖を受け入れなければならない現実があった。
そのような過去を私たちの記憶に留めておくことは美化ではありません。
そしてもし自分がそのような状況に置かれたらと考えるとただただ頭が下がる、これだけしかないのです。作戦上無駄であったとしても犬死にという言葉は私には使えません。
まだあどけなさが残る少年たちです。
きっと純粋な気持ちで自分の運命を受け止めたことでしょう。
また恨みつらみで死んだ子もいたでしょう。
なんで俺が選ばれたんだと思う子もいたでしょう。
でもその子たちは最後まで逃げ出さなかったのです。
そしてその子たちは最後まで逃げ出せなかったのです。
そのような究極の状況の中でどのように自分の存在意義を見出したのか、そして何を見い出そうとしたのか。
死んでしまったらタダの肉体、と考える人たちからすればそのような発想はきっとできないのかもしれません。
特攻隊というテーマを作戦の批判や軍の批判で終始終わって満足なのでしょう。
No title
猪野先生が「特攻」について何度も何度もブログで主張されていることには、道理があります。
ぜひこれからも続けていってください
ぜひこれからも続けていってください
しろー様
応援したい気持ちはわかります。
でも何故道理があるのかをコメントしなければ応援にならないですよ。
私は一貫して犬死にという言葉に意見を申し上げてきています。特攻隊の作戦や軍部の是非について私はコメントらしいコメントはしていません。論点をずらしたくないからです。
しいて言えば平和の大切さを感じられるのは特攻隊を含め戦争被害者の方々から戦争の悲惨さを教わったからであり決して被害者の死は無意味ではなかったということぐらいです。
もし先生や「犬死に派」が軍の否定、作戦の否定をするためだけに「犬死に」という言葉を限定的に使っていたなら、少し控えたらいかがでしょうかといった程度で抑えていたでしょう。
しかし今や特攻隊だけでは収まらずその対象を広げ始めています。
>特攻は犬死にです。同じようにガダルカナルやインパール、沖縄で死んでいった人たち、東京大空襲で死んでいった人たち、原爆で命を落とした人たち、中国で戦死した人たち、みんな犬死にです。
もう止まらないですね。どんどんヒートアップしてきます。これに何の道理があるというのでしょう。戦争の悲惨さを強調するため?あるいはわざわざ汚い言葉で先人の死を形容しないとその悲惨さが現代人には理解できないとでも?それとも最近やたら特攻隊の賛美の声が聞こえるから?
不思議なことに「犬死に派」の人たちは普段から国家のために何かをする、ということに拒否反応を示す傾向があります。
つまり特攻隊うんぬんの問題ではないんですよ。
例えば自衛隊は国家のために働いているから先生たちにとっては生理的に受け付けられない存在であるだろうし、警察官だって同じことでしょう。また国家のために働いている政治家には拒否反応起こしますが国家をそっちのけで日本国以外の国のために働いている政治家、または国家ではなく地球市民のために働いている政治家には肯定的です。
つまり国家観が無いのですよ。いや、無いというレベルではない。日本は好きだけど、どうやら国家という概念がお嫌いなようですね。
だから作戦が悪いとか軍が悪いとかは言えるけど「国家のために」といってお亡くなりになられた方たちはどうでもいいんです。
つまり特攻隊も。
もし「犬死に」以上に貶める言葉があったらもっとひどい言葉で特攻隊の死を表現したかったのでは?「国家のために」なんて言葉を聞けばら反吐が出てしまうのでしょうから。
今後も「犬死に」に同調するような同胞を集めてくださいな。
理想の地球市民の建設のために国家を否定することはその人の自由です。
国家を守る人を現在過去問わず貶めることも自由です。
しかしその自由は国家が保証していることを忘れないで欲しい。
国家がなくなれば誰がその自由を保障してくれるのでしょう。
国連ですか、アメリカですか。それとも中国に頼って朝貢しますか。
右・保守と左の唯一の共通点は平和です。
左からすればチャンチャラおかしいと思うでしょうが右・保守も左翼の平和主義はチャンチャラおかしいと思っています。
そして絶対に交わらない点が国家観です。
大雑把に言えば国家の否定が左側の思想の根幹であり国家の肯定が右・保守の思想の根底だからです。
以上が何故私が犬死にという言葉に違和感を感じるのかという理由であり道理があると思っているつもりです。
そしてしろー様のいう道理を私なりに解釈すれば国家の否定に行き着くのではと思うのです。もしそうであれば私は応援できません。
自己犠牲思想を批判する
自爆テロは「自己犠牲を以て相手を攻撃する」というイデオロギーが主要な要素。(イスラームの教えに反することは言うまでも無い)このイデオロギーを旧日本軍部が持っていたが、特攻作戦における問題は将来のある若者に押しつけた点である。さらに問題なのは現在でもこのイデオロギーを「特攻隊員らは自らの命をなげうち、敵の本土上陸から日本を救ったのだ。」などと讃えている人がいる点である。つまり自己犠牲のイデオロギーを自爆テロを行うテロリストと現代社会の一部の人が共有していることだ。
一般に自己犠牲を美談とする傾向はどこの国でもあるだろう。しかし、自己犠牲によって目的を達するようなことは絶対してはならない。例えば人命救助においても隊員は、無謀と言えるような危険を冒して死んではならないと思う。不幸にも殉職となったとき、なぜ事故は発生したのか、計画に問題は無かったのか、検証すべき点は多々ある。追悼することはあっても、美談にしてはならない。
特攻作戦と自爆テロはこの思想を共有している。また、現代でも特攻を美談にするなど、容易に人々の心に入り込むのである。次の産経WEBの11/16の記事も参考になる。
「自爆テロ犯は「カミカズ」仏報道で「神風特攻隊」を誤解?」で松浦記者は、フランスを「国家から個人まで生存本能の塊であり、任務を帯びたとしても、自殺行為はフランス文化と対立する概念なのだ。」と書いているが、「死の危険がある任務を拒否することは生存本能の塊」と批判しているように見て取れる。松浦記者は自殺行為を日本の文化(つまり「武士道」?)とでも言いたいのだろうか?
特攻隊の犠牲者を「英霊」などと語ることは、死を強制された特攻隊員の恐怖、怒り、無念さを想像できない人ではないか。命の重みをどう感じているのだろう。
一般に自己犠牲を美談とする傾向はどこの国でもあるだろう。しかし、自己犠牲によって目的を達するようなことは絶対してはならない。例えば人命救助においても隊員は、無謀と言えるような危険を冒して死んではならないと思う。不幸にも殉職となったとき、なぜ事故は発生したのか、計画に問題は無かったのか、検証すべき点は多々ある。追悼することはあっても、美談にしてはならない。
特攻作戦と自爆テロはこの思想を共有している。また、現代でも特攻を美談にするなど、容易に人々の心に入り込むのである。次の産経WEBの11/16の記事も参考になる。
「自爆テロ犯は「カミカズ」仏報道で「神風特攻隊」を誤解?」で松浦記者は、フランスを「国家から個人まで生存本能の塊であり、任務を帯びたとしても、自殺行為はフランス文化と対立する概念なのだ。」と書いているが、「死の危険がある任務を拒否することは生存本能の塊」と批判しているように見て取れる。松浦記者は自殺行為を日本の文化(つまり「武士道」?)とでも言いたいのだろうか?
特攻隊の犠牲者を「英霊」などと語ることは、死を強制された特攻隊員の恐怖、怒り、無念さを想像できない人ではないか。命の重みをどう感じているのだろう。
No title
特攻隊犠牲者や戦没者を犬死にした可哀想な方々と追悼式典で言った瞬間、大バッシングが世界を駆け巡るぜ。犬死にとは意味のない死、無駄死にをしたという意味と、そうした死に方をした者への侮蔑の意味があるのだから、犬死にを推奨するサヨクは本当に呆れるわ
No title
自爆テロは自爆テロなんだから、わざわざカミカゼを使う意味がよく分からないが、結局は、敗戦国の失敗した攻撃法に擬えることで、失敗することを願っているのだろう。
当時、日本は一億総玉砕を唱えていて、その先駆けというべきのが特攻なのだから、テロリスト総玉砕を本音では願っているのかもしれない。
当時、日本は一億総玉砕を唱えていて、その先駆けというべきのが特攻なのだから、テロリスト総玉砕を本音では願っているのかもしれない。
No title
産経新聞の記事で
「中東のテロと特攻を同一で語るのは失礼」
といった趣旨の記事を前に見たが
これなど記者の程度の低さがにじみ出ているとしか言いようがない。
あえて中東のテロと特攻に甲乙を付けるなら
大義も自主性も中東テロの方に分がある。
その理由は前にコメントした通り。
中東テロが下の下なら特攻は下の下の下だ。
特攻は軍事目標でテロは無差別だからなどといった戯言も聞こえてくる。
これなども単なる言い訳に過ぎず結果的にそうなっただけ。
たまたま特攻可能範囲内で効果が見込める攻撃対象が敵軍艦だっただけであり、
仮にエンパイアステートビルに突っ込むだけの能力を持ち合わせていたら、
躊躇なく特攻させていたでしょう。
日本が開戦から終戦まで敵軍だけを攻撃していたのであれば武士道だと認めてあげるが、
実際には民間相手に散々空爆を行ってる。
たまたま特攻という一作戦においては敵軍相手だったにすぎないのに、
何をもって武士道などという戯言が言えるのか不思議でならない。
武士道と表現できる戦争はナポレオンや武士の時代で終わっている。
第一次世界大戦以降は無差別大量破壊の戦いと言える。
武士道などといっている時点でお花畑なのだ。
「中東のテロと特攻を同一で語るのは失礼」
といった趣旨の記事を前に見たが
これなど記者の程度の低さがにじみ出ているとしか言いようがない。
あえて中東のテロと特攻に甲乙を付けるなら
大義も自主性も中東テロの方に分がある。
その理由は前にコメントした通り。
中東テロが下の下なら特攻は下の下の下だ。
特攻は軍事目標でテロは無差別だからなどといった戯言も聞こえてくる。
これなども単なる言い訳に過ぎず結果的にそうなっただけ。
たまたま特攻可能範囲内で効果が見込める攻撃対象が敵軍艦だっただけであり、
仮にエンパイアステートビルに突っ込むだけの能力を持ち合わせていたら、
躊躇なく特攻させていたでしょう。
日本が開戦から終戦まで敵軍だけを攻撃していたのであれば武士道だと認めてあげるが、
実際には民間相手に散々空爆を行ってる。
たまたま特攻という一作戦においては敵軍相手だったにすぎないのに、
何をもって武士道などという戯言が言えるのか不思議でならない。
武士道と表現できる戦争はナポレオンや武士の時代で終わっている。
第一次世界大戦以降は無差別大量破壊の戦いと言える。
武士道などといっている時点でお花畑なのだ。
秋風亭遊穂 様
>自己犠牲によって目的を達するようなことは絶対してはならない。
>例えば人命救助においても隊員は、無謀と言えるような危険を冒して
>死んではならないと思う。
>不幸にも殉職となったとき、なぜ事故は発生したのか、計画に問題は
>無かったのか、検証すべき点は多々ある。
>追悼することはあっても、美談にしてはならない。
事故の原因追求や防止は当然大切です。でも事故は絶対なくなりません。
しかも悲しいことに事故がある限り自己犠牲もまた無くならないでしょう。
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*2012年12月14日コネチカット州ニュータウンにあるサンディフック小学校に
銃をもった狂った男アダム・ランザが侵入し子供たちに銃を発砲しはじめた。教師のソトーさんは生徒たちの前に立ち、銃に撃たれてお亡くなりになりました。
教師のローレン・ローソーさんもトイレに隠れている生徒を守ろうとして撃たれて息を引き取っています。また校長と校内の精神科医も現場に突入したが、ランザに撃たれ死亡してしまいます。
この区の警察の責任者であるジャネット・ロビンソン氏は追悼の際、これらの教師たちの行為を
「自らを犠牲にし、たくさんの尊い命を救った英雄の名にふさわしい行為である」と語っています。
(ロビンソン氏のこの言葉は美談になっていると批判すべきなのでしょうか)
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*1986年におきたチェルノブイリの悲劇
地下にプールがあった原子炉の燃料の塊が地下に落ちてしまうと水蒸気爆発を起こしてしまう。それをおそれたアンドレイ・アナネンコ、ヴァレリィ・ベスパロフ、ボリス・バラノフの三人はスキューバダイビングの道具を身に着け、汚染水の中を泳いだ。彼らは悲劇をさらにひどいものにしないために自らの命を犠牲にしています。
(街の人たちが彼らを英雄と呼んだら美化にあたるので批判すべきでしょうか)
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*イギリスのロバート・スコット率いる南極探検隊の一員だったオーツは、
1910年、テラ・ノヴァ号に乗り込み南極点を目指していた。
オーツはひどい凍傷を負っており思うように歩けなくなった。このままでは進行に支障をきたしてしまうと思い、自分を置いていくよう頼んだ。だが聞き入れてもらえなかった。
「ちょっと外にでてくるよ、しばらくの間ね。」彼はブーツ履かず、テント抜け出し氷点下40度の世界へ消えていった。二度と戻ってくることはなかった。
残念なことに、目標まであと数マイルというところで仲間たちも寒さに倒れ、オーツの犠牲は報われることはなかった。
(この場合オーツの死は犬死と呼ぶのがふさわしいのでしょうか)
------------------------------------
*13秒後の「ベイル。アウト」
1999年11月22日 自衛隊の練習機T-33Aが上空でエンジントラブルを起こしました。みるみる高度が落ちていく計器を見て入間基地の着陸は不可能と判断し残るは脱出しか方法はないと二人のパイロットは準備しました。
「ベイル。アウト!!」と脱出の合図をしたものの手を止めてしまいました。
目の前に住宅地が広がっていたからです。いま脱出すれば自分たちは助かる。でも機体は住宅地に墜落し大勢の人が死ぬだろう。そう思った二人は住宅地の墜落だけは避けようと脱出を中断し空き地を懸命に探します。
高度は脱出できる限界の600mになっていましたが空き地は見つからない。
このまま機体を残して脱出してしまえば機体は住宅地に墜落する。彼らは死を覚悟し空き地を探しつづけます。せめて住宅街だけは避けなければと懸命に当たりを見廻しました。ついに河川敷を見つけ機体をその方向へ傾け「ベイル。アウト!!」と2度目の合図を叫びました。
しかしその時の高度は80m。バラシュートが半開きのまま2人は帰らぬ人となってしまった。機体は電線を切断しながら低飛行で河川敷へ墜落した。停電は起きたが住宅地に被害はなく住民の命は守られました。
脱出しても助からない高さにもかかわらず脱出をあえて試みたのは「脱出しないまま墜落すれば脱出装置の故障と誰しも思ってしまう。脱出の形跡を残しておけば後日整備担当が責められることはないと彼らは思ったのだろう。」
と記者会見の時、関係者が答えています。
パイロット:中山尋史二等空佐(47) 門屋義廣三党空佐(48)
(2度目の「ベイル。アウト」を叫んだとき二人の脳裏をよぎったのは何だったのでしょうか?愛する家族の顔、住宅地の民家の人々、担当整備士、そして自衛隊員として住宅地の住人を守る責務・・・・。)
------------------------------------
>自己犠牲によって目的を達するようなことは絶対してはならない。
↑いくつか例をあげましたが果してそう言い切れるだろうか。
上の例は自分の家族や親族以外の人を自己犠牲で救った例です。
他人のために自己犠牲なんて私はならないと思っている人もいつ何時愛する子供のために身を犠牲にしなければならない時がくるかもしれない。命懸けで子供を守った例はいくらでもあります。私には関係ないなんて誰でも言い切れないはずです。
>追悼することはあっても、美談にしてはならない
↑そもそもあなたの言う美談は戦意向上のために使われる美談ですよね。
自己犠牲の方たちへの追悼は敬意無くしてありえません。敬意と美談を同じに考えているのでしょうか。それとも戦意向上の美談と決め付けて右翼保守の批判をしているだけなのでしょうか。敬意も英霊という表現も美談のうちだ、戦意を高めるからダメだ、とはあまりにも単純すぎます。。
>自己犠牲思想を批判する
↑これは特攻隊の敬意に対する批判、英霊批判のための口実のつもりで主張しているようですが、だがそもそも自己犠牲の良し悪しはそう簡単には決められないはずです。特別な状況下で自分が犠牲になることで多くの命が助かるのだからと第三者が簡単に肯定するべきことではない。だからと言ってその行為を否定することも難しい。またその場を逃げてしまっても誰が責めることができようか。
特攻隊に敬意を払うことが嫌だからと言って自己犠牲は悪だと決めつけ、自分の都合のいい解釈で批判したかと思えば、その一方で特攻隊員を犬死に呼ばりするなどしています。一体、隊員たちをどこまで貶めれば気が済むのでしょう。
>例えば人命救助においても隊員は、無謀と言えるような危険を冒して
>死んではならないと思う。
>不幸にも殉職となったとき、なぜ事故は発生したのか、計画に問題は
>無かったのか、検証すべき点は多々ある。
>追悼することはあっても、美談にしてはならない。
事故の原因追求や防止は当然大切です。でも事故は絶対なくなりません。
しかも悲しいことに事故がある限り自己犠牲もまた無くならないでしょう。
------------------------------------
*2012年12月14日コネチカット州ニュータウンにあるサンディフック小学校に
銃をもった狂った男アダム・ランザが侵入し子供たちに銃を発砲しはじめた。教師のソトーさんは生徒たちの前に立ち、銃に撃たれてお亡くなりになりました。
教師のローレン・ローソーさんもトイレに隠れている生徒を守ろうとして撃たれて息を引き取っています。また校長と校内の精神科医も現場に突入したが、ランザに撃たれ死亡してしまいます。
この区の警察の責任者であるジャネット・ロビンソン氏は追悼の際、これらの教師たちの行為を
「自らを犠牲にし、たくさんの尊い命を救った英雄の名にふさわしい行為である」と語っています。
(ロビンソン氏のこの言葉は美談になっていると批判すべきなのでしょうか)
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*1986年におきたチェルノブイリの悲劇
地下にプールがあった原子炉の燃料の塊が地下に落ちてしまうと水蒸気爆発を起こしてしまう。それをおそれたアンドレイ・アナネンコ、ヴァレリィ・ベスパロフ、ボリス・バラノフの三人はスキューバダイビングの道具を身に着け、汚染水の中を泳いだ。彼らは悲劇をさらにひどいものにしないために自らの命を犠牲にしています。
(街の人たちが彼らを英雄と呼んだら美化にあたるので批判すべきでしょうか)
------------------------------------
*イギリスのロバート・スコット率いる南極探検隊の一員だったオーツは、
1910年、テラ・ノヴァ号に乗り込み南極点を目指していた。
オーツはひどい凍傷を負っており思うように歩けなくなった。このままでは進行に支障をきたしてしまうと思い、自分を置いていくよう頼んだ。だが聞き入れてもらえなかった。
「ちょっと外にでてくるよ、しばらくの間ね。」彼はブーツ履かず、テント抜け出し氷点下40度の世界へ消えていった。二度と戻ってくることはなかった。
残念なことに、目標まであと数マイルというところで仲間たちも寒さに倒れ、オーツの犠牲は報われることはなかった。
(この場合オーツの死は犬死と呼ぶのがふさわしいのでしょうか)
------------------------------------
*13秒後の「ベイル。アウト」
1999年11月22日 自衛隊の練習機T-33Aが上空でエンジントラブルを起こしました。みるみる高度が落ちていく計器を見て入間基地の着陸は不可能と判断し残るは脱出しか方法はないと二人のパイロットは準備しました。
「ベイル。アウト!!」と脱出の合図をしたものの手を止めてしまいました。
目の前に住宅地が広がっていたからです。いま脱出すれば自分たちは助かる。でも機体は住宅地に墜落し大勢の人が死ぬだろう。そう思った二人は住宅地の墜落だけは避けようと脱出を中断し空き地を懸命に探します。
高度は脱出できる限界の600mになっていましたが空き地は見つからない。
このまま機体を残して脱出してしまえば機体は住宅地に墜落する。彼らは死を覚悟し空き地を探しつづけます。せめて住宅街だけは避けなければと懸命に当たりを見廻しました。ついに河川敷を見つけ機体をその方向へ傾け「ベイル。アウト!!」と2度目の合図を叫びました。
しかしその時の高度は80m。バラシュートが半開きのまま2人は帰らぬ人となってしまった。機体は電線を切断しながら低飛行で河川敷へ墜落した。停電は起きたが住宅地に被害はなく住民の命は守られました。
脱出しても助からない高さにもかかわらず脱出をあえて試みたのは「脱出しないまま墜落すれば脱出装置の故障と誰しも思ってしまう。脱出の形跡を残しておけば後日整備担当が責められることはないと彼らは思ったのだろう。」
と記者会見の時、関係者が答えています。
パイロット:中山尋史二等空佐(47) 門屋義廣三党空佐(48)
(2度目の「ベイル。アウト」を叫んだとき二人の脳裏をよぎったのは何だったのでしょうか?愛する家族の顔、住宅地の民家の人々、担当整備士、そして自衛隊員として住宅地の住人を守る責務・・・・。)
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>自己犠牲によって目的を達するようなことは絶対してはならない。
↑いくつか例をあげましたが果してそう言い切れるだろうか。
上の例は自分の家族や親族以外の人を自己犠牲で救った例です。
他人のために自己犠牲なんて私はならないと思っている人もいつ何時愛する子供のために身を犠牲にしなければならない時がくるかもしれない。命懸けで子供を守った例はいくらでもあります。私には関係ないなんて誰でも言い切れないはずです。
>追悼することはあっても、美談にしてはならない
↑そもそもあなたの言う美談は戦意向上のために使われる美談ですよね。
自己犠牲の方たちへの追悼は敬意無くしてありえません。敬意と美談を同じに考えているのでしょうか。それとも戦意向上の美談と決め付けて右翼保守の批判をしているだけなのでしょうか。敬意も英霊という表現も美談のうちだ、戦意を高めるからダメだ、とはあまりにも単純すぎます。。
>自己犠牲思想を批判する
↑これは特攻隊の敬意に対する批判、英霊批判のための口実のつもりで主張しているようですが、だがそもそも自己犠牲の良し悪しはそう簡単には決められないはずです。特別な状況下で自分が犠牲になることで多くの命が助かるのだからと第三者が簡単に肯定するべきことではない。だからと言ってその行為を否定することも難しい。またその場を逃げてしまっても誰が責めることができようか。
特攻隊に敬意を払うことが嫌だからと言って自己犠牲は悪だと決めつけ、自分の都合のいい解釈で批判したかと思えば、その一方で特攻隊員を犬死に呼ばりするなどしています。一体、隊員たちをどこまで貶めれば気が済むのでしょう。
No title
そもそも英霊などと奉っている時点で
変な右翼思想を刷り込まれていると気付いた方がいい。
・自爆テロをすれば天国に行ける
・お国のために死んだら靖国で英霊になれる
この2つどうみても同じロジック。
時の指導者が考え出したインチキ・いかさま・でまかせ。
靖国など明治にできた政府に都合のいい新興宗教と言っていい。
「戦争でお国のために死んだらワンステージ上がって英霊になれるよ」
って何死後の世界を勝手に決めているんだって話。
英霊などそもそもいないのだ。
変な右翼思想を刷り込まれていると気付いた方がいい。
・自爆テロをすれば天国に行ける
・お国のために死んだら靖国で英霊になれる
この2つどうみても同じロジック。
時の指導者が考え出したインチキ・いかさま・でまかせ。
靖国など明治にできた政府に都合のいい新興宗教と言っていい。
「戦争でお国のために死んだらワンステージ上がって英霊になれるよ」
って何死後の世界を勝手に決めているんだって話。
英霊などそもそもいないのだ。
神道的な価値観って日本人ならみんな持ってるか、弁えてると思ったけど、そうでもないのかね。
ガチガチ共産教徒なら宗教を否定するから無理もないけれど。
というか、まだコレやるのですか?
ガチガチ共産教徒なら宗教を否定するから無理もないけれど。
というか、まだコレやるのですか?
No title
結局、猪野さんは同じ論理を言葉を並べ替え、引用を変更し繰り返すだけですね。
毎度思いますが、己の主張を相手に理解してもらう(同時に相手を理解する)為に、話し合いで相手を説得する為に努力というものはされないのですね。
「ウヨクの妄動」という理解し難いレッテル貼りで終わりというのは笑うしかありません。
はっきり言わせて頂くと、狭いイデオロギーの殻に閉じこもって、都合の良い悪役を設定してシャドーボクシングをされているようにしか見えません。
人と人が理解しあい、問題を話し合いで解決するという事は難しいですね。
そもそも話し合いという土俵に上がる事が難しいですから。
戦争の無い世界、特攻という高潔な・強い精神を持つ有為の人材から散っていく様な悪夢の起こらない世界。
そういう世界を望む気持ちは万民共通でしょう。
右だ左だ、ウヨクだサヨクだ、ネトウヨだネトサヨなどとレッテルを貼り付け、話し合う事・理解しあう事を拒絶し続けた先に、その世界はあるのでしょうか?
毎度思いますが、己の主張を相手に理解してもらう(同時に相手を理解する)為に、話し合いで相手を説得する為に努力というものはされないのですね。
「ウヨクの妄動」という理解し難いレッテル貼りで終わりというのは笑うしかありません。
はっきり言わせて頂くと、狭いイデオロギーの殻に閉じこもって、都合の良い悪役を設定してシャドーボクシングをされているようにしか見えません。
人と人が理解しあい、問題を話し合いで解決するという事は難しいですね。
そもそも話し合いという土俵に上がる事が難しいですから。
戦争の無い世界、特攻という高潔な・強い精神を持つ有為の人材から散っていく様な悪夢の起こらない世界。
そういう世界を望む気持ちは万民共通でしょう。
右だ左だ、ウヨクだサヨクだ、ネトウヨだネトサヨなどとレッテルを貼り付け、話し合う事・理解しあう事を拒絶し続けた先に、その世界はあるのでしょうか?
No title
ネトウヨウザいさん
そりゃ今の価値観で過去を断罪するだけなら、事はたやすいでしょう。
けれどあなたの回答は、ひまわりさんの問い全く答えず、左翼特有の抽象論で相手をけむに巻くだけですね。
もっと理論的に自己犠牲について反論しなさいよ!
もし、今の日本が戦わずして、植民地された日本になっていたらば、声高に「なぜ戦わない!!」などと過去に戦わない日本国民を責めていることでしょう。
左翼は、国に対する自分の権利を主張するが、国に対しては何もする必要がない!そんなご都合主義の空気がプンプン漂います。
自分が正しいと思うなら、特攻で命を落とした人をイスラム国のテロリストと同じと、日本国民に堂々と主張してみてくださいな。
そりゃ今の価値観で過去を断罪するだけなら、事はたやすいでしょう。
けれどあなたの回答は、ひまわりさんの問い全く答えず、左翼特有の抽象論で相手をけむに巻くだけですね。
もっと理論的に自己犠牲について反論しなさいよ!
もし、今の日本が戦わずして、植民地された日本になっていたらば、声高に「なぜ戦わない!!」などと過去に戦わない日本国民を責めていることでしょう。
左翼は、国に対する自分の権利を主張するが、国に対しては何もする必要がない!そんなご都合主義の空気がプンプン漂います。
自分が正しいと思うなら、特攻で命を落とした人をイスラム国のテロリストと同じと、日本国民に堂々と主張してみてくださいな。
No title
私は最初から特攻は100%無駄死にだ(犬死と置き換えてもいい)と言っている。
それを作戦上はそうだなどと
訳の分からない抽象論で無駄死にを否定しているのはネトウヨの面々でしょう。
負けを先送りすることで犠牲が増えただけの、
無意味で無駄な特攻作戦に、
靖国で英霊になれるなどという都合のいいでまかせで洗脳し、
特攻隊員に無駄死に(犬死)を強要したわけです。
特攻隊員の方々は大変お気の毒としか言いようがないが、
彼らの死そのものは、
本来生きていれば役に立てたであろう人生を、
何の役にも立てないまま死んでいったのだから、
無駄死に(犬死)以外表現のしようがない。
ガダルカナル、インパール、沖縄、東京大空襲、原爆等、
この戦争で死んでいった人たちも全部無駄死に(犬死)。
主張してほしいようなので何度も言う。
特攻隊員とテロリストは自爆攻撃なのは全く同一。
ただし
これまでの歴史から見た大義、
自ら進んで実行したかどうかの自発性、
実行したことによる影響、結果、
このいずれもが中東テロと比べ特攻は劣る。
このように下の下の下の作戦で死んでいった人たちを、
無駄死に(犬死)以外に何と表現できるのか逆に問いたい。
私にはこのような無駄な死を英霊などと賛美することで、
特攻そのものを正当化しているようにしか思えない。
それを作戦上はそうだなどと
訳の分からない抽象論で無駄死にを否定しているのはネトウヨの面々でしょう。
負けを先送りすることで犠牲が増えただけの、
無意味で無駄な特攻作戦に、
靖国で英霊になれるなどという都合のいいでまかせで洗脳し、
特攻隊員に無駄死に(犬死)を強要したわけです。
特攻隊員の方々は大変お気の毒としか言いようがないが、
彼らの死そのものは、
本来生きていれば役に立てたであろう人生を、
何の役にも立てないまま死んでいったのだから、
無駄死に(犬死)以外表現のしようがない。
ガダルカナル、インパール、沖縄、東京大空襲、原爆等、
この戦争で死んでいった人たちも全部無駄死に(犬死)。
主張してほしいようなので何度も言う。
特攻隊員とテロリストは自爆攻撃なのは全く同一。
ただし
これまでの歴史から見た大義、
自ら進んで実行したかどうかの自発性、
実行したことによる影響、結果、
このいずれもが中東テロと比べ特攻は劣る。
このように下の下の下の作戦で死んでいった人たちを、
無駄死に(犬死)以外に何と表現できるのか逆に問いたい。
私にはこのような無駄な死を英霊などと賛美することで、
特攻そのものを正当化しているようにしか思えない。
良くわからんのだが
負けた戦争で死んだ者は犬死に無駄死にって主張だろうか?
上記が真なら、最終的な敗けが見えた瞬間に白旗を上げるべき?
そりゃ、負ける戦争はしないのが前提だろうが、決断は間違っていたとしても、実際もう戦争しちゃってるワケだ。
仮に負けようが、敵に相応の出血を強いる事が出来ないなら、抑止力は抑止力足り得ず、軍は軍足り得ないだろう。
国際関係はアナーキーってのが常識で、そんなポンポン降伏してたら強者のジャイアニズムに容易に呑まれてしまう。
勿論、「相応の出血」の程度に関しては議論があるだろうが。
というか、「さっさと降伏しとけよバカ日本w」みたいな論はしばしば見るが、これは非常に現代的な感覚からくるものだと私は思う。
何だかんだで日本人による日本の独立を許容した融和的な米国その他の政策を知っており、加えて、豊かになった現代で生まれ育ったからこそ言える論だろう。
当時の国際関係は今と比較にならんほど弱肉強食。
剥き出しのパワーポリティクスで、植民地あるいは経済植民地が当たり前の時代だ。
加えて人種差別はハンパ無かった。今でもアジアンなんぞ白人黒人から下に見られる事がママありまくるが、当時はもう土人猿みたいなもん。そりゃ猿も生存圏守るのに必死にもなる。
さらに一次大戦で敗北したドイツが課せられた賠償を鑑みれば、退くも地獄、進むも地獄よ。
降伏がどれだけ怖いか。
勿論、政体としての不備があって、合理的意思決定に問題があったことは弁えているが。
上記が真なら、最終的な敗けが見えた瞬間に白旗を上げるべき?
そりゃ、負ける戦争はしないのが前提だろうが、決断は間違っていたとしても、実際もう戦争しちゃってるワケだ。
仮に負けようが、敵に相応の出血を強いる事が出来ないなら、抑止力は抑止力足り得ず、軍は軍足り得ないだろう。
国際関係はアナーキーってのが常識で、そんなポンポン降伏してたら強者のジャイアニズムに容易に呑まれてしまう。
勿論、「相応の出血」の程度に関しては議論があるだろうが。
というか、「さっさと降伏しとけよバカ日本w」みたいな論はしばしば見るが、これは非常に現代的な感覚からくるものだと私は思う。
何だかんだで日本人による日本の独立を許容した融和的な米国その他の政策を知っており、加えて、豊かになった現代で生まれ育ったからこそ言える論だろう。
当時の国際関係は今と比較にならんほど弱肉強食。
剥き出しのパワーポリティクスで、植民地あるいは経済植民地が当たり前の時代だ。
加えて人種差別はハンパ無かった。今でもアジアンなんぞ白人黒人から下に見られる事がママありまくるが、当時はもう土人猿みたいなもん。そりゃ猿も生存圏守るのに必死にもなる。
さらに一次大戦で敗北したドイツが課せられた賠償を鑑みれば、退くも地獄、進むも地獄よ。
降伏がどれだけ怖いか。
勿論、政体としての不備があって、合理的意思決定に問題があったことは弁えているが。
No title
>負けた戦争で死んだ者は犬死に無駄死にって主張だろうか?
戦争は勝つためにするのだから、負けてしまえば無駄死にだ。
戦争である以上、勝っても誰かは必ず死ぬが、生き残る奴はいる。生き残った奴は勝利の果実を得られる。死ねばいくら勝利国の兵士であっても戦争の果実は得られない。一将功成りて万骨枯るというが、結局、戦死した当人が一番馬鹿をみる。だから、みんな生きて帰ろうとする。
>仮に負けようが、敵に相応の出血を強いる事が出来ないなら、抑止力は抑止力足り得ず、軍は軍足り得ないだろう。
抑止力は戦争を抑止するものだから、戦争が起こった時点で抑止力はそもそもなかったってこと。
>何だかんだで日本人による日本の独立を許容した融和的な米国その他の政策を知っており、加えて、豊かになった現代で生まれ育ったからこそ言える論だろう。
しかし、豊かになった現代で生まれ育っていなかった当時の指導者が降伏したんだが。
>そりゃ猿も生存圏守るのに必死にもなる。
そう守るのが目的であって、死ぬことが目的ではない。死ぬことでどうして生存圏が守れるのか不思議な話だ。いずれにせよ、日本は敗北して生存圏は守れなかった。
>さらに一次大戦で敗北したドイツが課せられた賠償を鑑みれば、退くも地獄、進むも地獄よ。
しかし、そのドイツがその後復活して、第二次世界大戦を引き起こし、勝利国の英仏を脅かすほどになったんだが。日本はドイツにはなれないとでも思ったのかな。
戦争は勝つためにするのだから、負けてしまえば無駄死にだ。
戦争である以上、勝っても誰かは必ず死ぬが、生き残る奴はいる。生き残った奴は勝利の果実を得られる。死ねばいくら勝利国の兵士であっても戦争の果実は得られない。一将功成りて万骨枯るというが、結局、戦死した当人が一番馬鹿をみる。だから、みんな生きて帰ろうとする。
>仮に負けようが、敵に相応の出血を強いる事が出来ないなら、抑止力は抑止力足り得ず、軍は軍足り得ないだろう。
抑止力は戦争を抑止するものだから、戦争が起こった時点で抑止力はそもそもなかったってこと。
>何だかんだで日本人による日本の独立を許容した融和的な米国その他の政策を知っており、加えて、豊かになった現代で生まれ育ったからこそ言える論だろう。
しかし、豊かになった現代で生まれ育っていなかった当時の指導者が降伏したんだが。
>そりゃ猿も生存圏守るのに必死にもなる。
そう守るのが目的であって、死ぬことが目的ではない。死ぬことでどうして生存圏が守れるのか不思議な話だ。いずれにせよ、日本は敗北して生存圏は守れなかった。
>さらに一次大戦で敗北したドイツが課せられた賠償を鑑みれば、退くも地獄、進むも地獄よ。
しかし、そのドイツがその後復活して、第二次世界大戦を引き起こし、勝利国の英仏を脅かすほどになったんだが。日本はドイツにはなれないとでも思ったのかな。
ネトウヨウザい様
>私は最初から特攻は100%無駄死にだ(犬死と置き換えてもいい)と言っている。
↑んなことは私も最初からわかってますよ。
>それを作戦上はそうだなどと訳の分からない抽象論で無駄死にを否定しているのはネトウヨの面々でしょう。
↑あなたが作戦上の話題から抜け出せないんだってば。
まるで論点をずらすかのよに国家や軍の批判にしがみつき、いつまでたっても特攻隊員の立ち位置に目を移さないのはなぜですか。
確実に見下した言い方とわかっているから、つまりはつつかれないためですか?
意図的にそうしてるのかどうかは知りませんが肝心の特攻隊員の存在がいつも思考の外、視野の外です。
きっとあなたは例に出したロバート・スコット率いる南極探検隊のオーツの死も「犬死に」と言い切るのでしょうね。だってその死は報われなかったのですもの。
ロバート・スコット隊長は探検家でもあり軍人でもあったと知っていたら間違いなく「犬死に」というでしょう。スコットは旧大英帝国を背負って是非とも到達せねばならないという使命感がありました。
どうですか。オーツの死も「犬死にだ」といって旧大英帝国軍を批判してくださいな。その時イギリス国民はどう反応するでしょうね。
もしあなたがオーツの死は「犬死に」とは言えない、と言うのであれば同じ報われない死でもオーツの死はダメだが特攻隊員の死はいいということですか。自主性が強かろうが強制性が強かろうが一人の人間の死には変わりはないはずですが。
>このように下の下の下の作戦で死んでいった人たちを、
無駄死に(犬死)以外に何と表現できるのか逆に問いたい。
では「豚に真珠ですね」とお得意さんや上司に言えますか?
高価な価値がわからない、ということを「豚に真珠ですね」と表現する場合は
相手が気の許せる関係かまたは見下す時、そして自分を卑下するときです。
だから我々は上司やお得意さんに言えません。失礼に当たる言葉と認識しているからですよね。
そういう言葉はたくさんあります。つまり犬死にも・・・・もうおわかりですよね。
下の下の下の作戦でお亡くなりになられた方とそうでない人も
同じ罪のない一人の人間なのになぜ差別するのですか?
不愉快にさせる言葉を片方にしか使わないのであれば区別ではありませんよね。差別ですよね。
これが私の答えです。
あなたのコメントに出てくる主人公はいつも批判される日本軍で、「国家ガー、作戦ガー」です。あれれ?犬死にと言い放ったまま特攻隊員達をどこへやった?
この議論は死の表現やその言葉のTPOが問題になっていたはずですよ。
蛇足ですが「ネトウヨウザい」というネーミングは確かあなたと私が議論した時に生まれました。
あなたがネーム無しで何度も反論してきたのでその非常識を説教したことがあり、先生も割って入ってきて注意なされました。
その時生まれたものですよね。ある意味私は生みの親ですよね。(笑)
その時も全く議論が噛み合わなかった記憶があります。
今回も残念ながら噛み合わないようですね。残念です。
自己犠牲という課題で反論を頂いた秋風亭遊穂様は意見の違いはあれど少なくても議論は噛み合っていましたよ。
しかしその一方、あなたの反論は「訳の分からない抽象論だ!」です。反論にもなっていません。自ら視野が狭いと公言してるようなものです。それとも国家批判で逃げているのかしら。
No title
自己犠牲により「誰かを助けた」数々の美談と
成功しても「敵兵の命を奪うだけ」の特攻を
同列で語っている時点でおかしい。
特攻を美談として持ち上げようとする意図しか見えない。
無駄死に(犬死)だったと親族に言うのは失礼と否定しているが、
じゃあ貴殿は親族に対して
「有意義な死だった」
とでも言うのだろうか。
私はこう言われる方が失礼にあたると思うが。
成功しても「敵兵の命を奪うだけ」の特攻を
同列で語っている時点でおかしい。
特攻を美談として持ち上げようとする意図しか見えない。
無駄死に(犬死)だったと親族に言うのは失礼と否定しているが、
じゃあ貴殿は親族に対して
「有意義な死だった」
とでも言うのだろうか。
私はこう言われる方が失礼にあたると思うが。
ネトウヨウザい様
>自己犠牲により「誰かを助けた」数々の美談と ・・・・
↑まず、美談と認めるのですね。
>成功しても「敵兵の命を奪うだけ」の特攻を同列で語っている時点でおかしい。
↑自己犠牲にも様々な形があるという例を示したことぐらいわかりませんか?
つまり同列に語っているその主旨も無視してそのことだけを捉えてお前は美談に仕立て上げたいのだろ、と言いたいのですね。
特攻隊は「敵兵の命を奪うだけ」を強制的にさせられています。命令する方は刺し違えることをだけを目的にしています。誰が好き好んでこんな命令を受けますか。これは美談でもなんでもありません。自己犠牲を強要させられるのですよ。そいう自己犠牲もあったのです。
逃げられない立場であった、死ぬしか選択の余地がなかった、
だからこそ命令された側はその自己犠牲に何かを見出そうと懸命だったのではないですか?
それが最後の生きがいであり死にがいだったのではないですか?
自分の死は少しでもいいから有意義だったと思いたい、そう思って死にたい。
自分に嘘をついてまでもそう思いたい。
そうでなければ自分があまりにも情けなさすぎる。
育ててくれた母にも申し訳ない。
息子は立派だったと母にだけは胸を張って欲しい。
それが母の子として命をかけて得られる唯一の願いだ。
このように究極に追い詰められた隊員たちの心情を察することは美化でもなんでもありません。
人として普通の感情を失っていない人ならばごく自然に湧き出る感情です。
>じゃあ貴殿は親族に対して 「有意義な死だった」 とでも言うのだろうか。
↑何度もコメントしていますが、ただただ頭を下げるだけです。
そして敬意をもって手を合わせるだけです。これのどこが美化でしょう?
特攻隊に敬意を表することと美化することの違いぐらいわかりませんか?
自己犠牲でお亡くなりになられた方たちにそのような気持ちさえ持たないで
追悼するほど失礼なことだとは思いませんか?
それでも特攻隊は別だ、かれらは「敵兵の命を奪うだけ」だ、と言うのですか。
それではあまりにも機械的すぎますよ。
敬意というものはそもそも物理的に存在しているわけではないのです。
そのような人は特攻隊員を無感情で見ている証拠です。
>「じゃあ貴殿は親族に対して 有意義な死だった」とでも言うのだろうか。
私はこう言われる方が失礼にあたると思うが。
↑それがわかっていてなぜ犬死にを使う?
ではあなたは親族に対して犬死にを使うことは失礼ではないのですね。
年配の方にクソババアと言えないことも、
上司に対して豚に真珠とは言えないことも、
親族に対して 「有意義な死だった」と言えないことも
親族に対して 「無駄死にだった」と言えないことも
親族に対して「犬死に」と言えないことも、
それらの言葉は人を不愉快にさせるということが分かっているからでしょ?
失礼であるか否かを都合のいい時に使うのもではありません。
分かっているのに「犬死に」と言える人には敬意がまったく感じられません。
それとも特攻隊員だけは無感情で接しろとでも言いたいのですか?
何のために?
↑まず、美談と認めるのですね。
>成功しても「敵兵の命を奪うだけ」の特攻を同列で語っている時点でおかしい。
↑自己犠牲にも様々な形があるという例を示したことぐらいわかりませんか?
つまり同列に語っているその主旨も無視してそのことだけを捉えてお前は美談に仕立て上げたいのだろ、と言いたいのですね。
特攻隊は「敵兵の命を奪うだけ」を強制的にさせられています。命令する方は刺し違えることをだけを目的にしています。誰が好き好んでこんな命令を受けますか。これは美談でもなんでもありません。自己犠牲を強要させられるのですよ。そいう自己犠牲もあったのです。
逃げられない立場であった、死ぬしか選択の余地がなかった、
だからこそ命令された側はその自己犠牲に何かを見出そうと懸命だったのではないですか?
それが最後の生きがいであり死にがいだったのではないですか?
自分の死は少しでもいいから有意義だったと思いたい、そう思って死にたい。
自分に嘘をついてまでもそう思いたい。
そうでなければ自分があまりにも情けなさすぎる。
育ててくれた母にも申し訳ない。
息子は立派だったと母にだけは胸を張って欲しい。
それが母の子として命をかけて得られる唯一の願いだ。
このように究極に追い詰められた隊員たちの心情を察することは美化でもなんでもありません。
人として普通の感情を失っていない人ならばごく自然に湧き出る感情です。
>じゃあ貴殿は親族に対して 「有意義な死だった」 とでも言うのだろうか。
↑何度もコメントしていますが、ただただ頭を下げるだけです。
そして敬意をもって手を合わせるだけです。これのどこが美化でしょう?
特攻隊に敬意を表することと美化することの違いぐらいわかりませんか?
自己犠牲でお亡くなりになられた方たちにそのような気持ちさえ持たないで
追悼するほど失礼なことだとは思いませんか?
それでも特攻隊は別だ、かれらは「敵兵の命を奪うだけ」だ、と言うのですか。
それではあまりにも機械的すぎますよ。
敬意というものはそもそも物理的に存在しているわけではないのです。
そのような人は特攻隊員を無感情で見ている証拠です。
>「じゃあ貴殿は親族に対して 有意義な死だった」とでも言うのだろうか。
私はこう言われる方が失礼にあたると思うが。
↑それがわかっていてなぜ犬死にを使う?
ではあなたは親族に対して犬死にを使うことは失礼ではないのですね。
年配の方にクソババアと言えないことも、
上司に対して豚に真珠とは言えないことも、
親族に対して 「有意義な死だった」と言えないことも
親族に対して 「無駄死にだった」と言えないことも
親族に対して「犬死に」と言えないことも、
それらの言葉は人を不愉快にさせるということが分かっているからでしょ?
失礼であるか否かを都合のいい時に使うのもではありません。
分かっているのに「犬死に」と言える人には敬意がまったく感じられません。
それとも特攻隊員だけは無感情で接しろとでも言いたいのですか?
何のために?
承認待ちコメント
このコメントは管理者の承認待ちです
自己犠牲にひそむ美徳
ひまわり様の事例においても、私は追悼はするが敬意を表す気持ちはない。行為者について私は賞賛も批判もしない。単に職務を全うしたということである。但し、南極探検の事例は隊の無謀な行動による人災である。戦地に置き換えれば、重傷の負傷兵を抱えながら前線に進んだということ。またオーツの行為は、仲間が捜索に出て、そこで二次災害を引き起こせば被害は拡大する。一見、オーツの自己犠牲は人々を魅了するが、私見では犬死。この事例は美談ではなく教訓である。これを美談としたら、戦地における負傷兵が自殺すれば美談になってしまう。
残念だが、人命より使命を重んじるような捉え方をする人が現代にもいるようである。
冷酷だと言われればそれまでである。特攻隊犠牲者に対しても、敬意ではなく、猪野さんの指摘された、謝罪、そして同じ過ちを繰り返さないという気持ちを捧げるものである。その上で追悼する。
なお、事例と特攻隊との大きな違いは、事例が自発的意思であるのに対し、特攻隊は任務という名の下、「自爆攻撃というデタラメな作戦により死を強制された」ということである。この不条理を認識しながらも、英雄、英霊などと、賞賛することは私には理解できない。また事例においての行為者の行動は共同体の善につながるが、特攻の自爆攻撃は自爆テロと同様、共同体の善にはならない。
自己犠牲の思想の悪用とは何か?
自己犠牲の思想を批判すると以前書いたが、自己犠牲の思想悪用を批判すると訂正してお詫び申し上げる。自己犠牲の思想は宗教や時代、国を超えて美徳となり人々の心に入り込む。そして命を救う無償の善にもなれば、特攻作戦や自爆テロを含めた無謀な戦闘を正当化する装置にもなる。武力でイスラム国を壊滅したとしても、自己犠牲思想を利用した自爆テロは無くすことは極めて困難だろう。
イスラム国にとって困るのは多文化共存のような思想ではないか。戦闘の意義が薄れてしまうからだ。彼らにしてみれば、自分たちを排除する敵としての存在に都合の良さを見るだろう。武力のみでテロと戦うというのは、彼らの術中にはまっている。
敵が強いほど、自己犠牲の手法を用いたとき、それが価値の大きなものとして、美談にされやすいのである。
自己犠牲を美談にすることの意味を考える。
自己犠牲を賞賛する裏には、誰かが自己犠牲になれば自分は助かるという人柱的な欲求があると思う。それは根源的なもので、古今東西存在するし、私の心のどこかにも存在するだろう。
私はあえて、その点を批判する。
美談は人々の感情に訴える。それが時として冷静な判断を失うことにもなる。自爆テロや特攻のような、悪用目的に自己犠牲が美談とされたとき、その無意味さを問うことを許されず、さらに竹槍攻撃で非戦闘員である国民に自己犠牲を強制しようとした。
自己犠牲思想悪用を批判するのは、それが自爆テロに利用されたり、無謀な、無意味な犠牲を引き起こすことにつながりかねない点、また公権力や社会がそのような無謀な行動を要求するような危険があるからだ。
自己犠牲を拒絶したら世間から非難をされる社会にしてはならない。特攻を強いられた若者たちの気持ちを考えてもらいたい。
自己犠牲を広く見れば、「贅沢は敵だ」というのも、お国という他者のために自己犠牲を強制した。戦時中は飼い犬もその理由で殺された事例がある。
他にも弱者を切り捨てることが共同体にとって最善とする考えも自己犠牲の強制である。
そのような不条理の数々が、いつの間にかスケープゴートを作り出し、多数の幸福を優先する「美徳」を生み出してしまう。
私は自己犠牲にひそむ美徳というものに、慎重でありたい。
残念だが、人命より使命を重んじるような捉え方をする人が現代にもいるようである。
冷酷だと言われればそれまでである。特攻隊犠牲者に対しても、敬意ではなく、猪野さんの指摘された、謝罪、そして同じ過ちを繰り返さないという気持ちを捧げるものである。その上で追悼する。
なお、事例と特攻隊との大きな違いは、事例が自発的意思であるのに対し、特攻隊は任務という名の下、「自爆攻撃というデタラメな作戦により死を強制された」ということである。この不条理を認識しながらも、英雄、英霊などと、賞賛することは私には理解できない。また事例においての行為者の行動は共同体の善につながるが、特攻の自爆攻撃は自爆テロと同様、共同体の善にはならない。
自己犠牲の思想の悪用とは何か?
自己犠牲の思想を批判すると以前書いたが、自己犠牲の思想悪用を批判すると訂正してお詫び申し上げる。自己犠牲の思想は宗教や時代、国を超えて美徳となり人々の心に入り込む。そして命を救う無償の善にもなれば、特攻作戦や自爆テロを含めた無謀な戦闘を正当化する装置にもなる。武力でイスラム国を壊滅したとしても、自己犠牲思想を利用した自爆テロは無くすことは極めて困難だろう。
イスラム国にとって困るのは多文化共存のような思想ではないか。戦闘の意義が薄れてしまうからだ。彼らにしてみれば、自分たちを排除する敵としての存在に都合の良さを見るだろう。武力のみでテロと戦うというのは、彼らの術中にはまっている。
敵が強いほど、自己犠牲の手法を用いたとき、それが価値の大きなものとして、美談にされやすいのである。
自己犠牲を美談にすることの意味を考える。
自己犠牲を賞賛する裏には、誰かが自己犠牲になれば自分は助かるという人柱的な欲求があると思う。それは根源的なもので、古今東西存在するし、私の心のどこかにも存在するだろう。
私はあえて、その点を批判する。
美談は人々の感情に訴える。それが時として冷静な判断を失うことにもなる。自爆テロや特攻のような、悪用目的に自己犠牲が美談とされたとき、その無意味さを問うことを許されず、さらに竹槍攻撃で非戦闘員である国民に自己犠牲を強制しようとした。
自己犠牲思想悪用を批判するのは、それが自爆テロに利用されたり、無謀な、無意味な犠牲を引き起こすことにつながりかねない点、また公権力や社会がそのような無謀な行動を要求するような危険があるからだ。
自己犠牲を拒絶したら世間から非難をされる社会にしてはならない。特攻を強いられた若者たちの気持ちを考えてもらいたい。
自己犠牲を広く見れば、「贅沢は敵だ」というのも、お国という他者のために自己犠牲を強制した。戦時中は飼い犬もその理由で殺された事例がある。
他にも弱者を切り捨てることが共同体にとって最善とする考えも自己犠牲の強制である。
そのような不条理の数々が、いつの間にかスケープゴートを作り出し、多数の幸福を優先する「美徳」を生み出してしまう。
私は自己犠牲にひそむ美徳というものに、慎重でありたい。
No title
秋葉亭
そんな極端な例を持ち出して自己犠牲を否定してどうなる。
滅私奉公は日本人の美徳だよ。皆が皆権利を主張する方が余計うっとうしたいね。特攻隊に尊崇の念もたなくていい。サヨクに尊崇の念持たれたら特攻隊がかえって浮かばれないよ。ただ、犬死にとか蔑む言葉は使わないで欲しいだけ。そんなの人間として当たり前なんだけどな。
そんな極端な例を持ち出して自己犠牲を否定してどうなる。
滅私奉公は日本人の美徳だよ。皆が皆権利を主張する方が余計うっとうしたいね。特攻隊に尊崇の念もたなくていい。サヨクに尊崇の念持たれたら特攻隊がかえって浮かばれないよ。ただ、犬死にとか蔑む言葉は使わないで欲しいだけ。そんなの人間として当たり前なんだけどな。
No title
秋風亭の誤り 悪い!
秋風亭遊穂様
*敬意について
>行為者について私は賞賛も批判もしない。単に職務を全うしたということである。
↑随分と頑なですね。難しく考える必要はありませんよ。私は会社のトイレ清掃のおばちゃんにいつもお疲れさんと声をかけます。(おばちゃんと言ってもご老人に近いですが)おばちゃんは単に職務を全うしただけである、賞賛も批判もしない。と私が思っていたらそんな気配りも声かけもしなかったでしょう。
声をかけられると嬉しいようで今も親しくさせていただいています。
>自己犠牲の思想を批判すると以前書いたが、
自己犠牲の思想悪用を批判すると訂正してお詫び申し上げる。
↑ご丁寧にありがとうございます。
自己犠牲の思想悪用を批判、であれば私もさしたる反論はございません。
でもまだ自己犠牲にこだわり過ぎていませんか。
本来、敬意を払うべき人たちにも払えなくなっているようですよ。
執拗に美談を警戒するのも恐らく「自己犠牲の思想悪用の批判」の一貫なのでしょう。
だがその拘りのなかで自己犠牲というものに必要以上に恐怖を抱きはじめてはいませんか。
美しいものは美しいと素直になれず、美談は利用されるから美しいと思いたくない、その美談は利用するために美しいと恣意的に思わせている・・・などといった警戒心が強く芽生えているようですので。
思想悪用を批判するとのことですが過度の批判に陥ると人を尊敬できなくなったり感謝できなくなったりしますよ。
現に今の秋風亭遊穂様はその状態ですよね。決して自然体ではありません。
>特攻隊犠牲者に対しても、敬意ではなく、猪野さんの指摘された、謝罪、
そして同じ過ちを繰り返さないという気持ちを捧げるものである。
↑何もあえて、敬意だけを外さなくてもいいのでは?不自然です。
*自己犠牲について
>自己犠牲を広く見れば、「贅沢は敵だ」というのも、お国という他者のために 自己犠牲を強制した。
↑広義の自己犠牲まで無くしてしまったらそれこそ世の中大混乱です。
誰も仕切らず互いの利害が衝突して、ホッブス社会契約論の前提のような自然 状態、つまり「万人の万人に対する闘争」が果てしなく続くことになります。
>私は自己犠牲にひそむ美徳というものに、慎重でありたい。
↑そもそも美談の是非は戦意向上のために使われることについての議論でした。
それがどんどん飛躍してついには自己犠牲にひそむ美徳にまで及んでいます。
平和な時代でも個と社会 個人と組織という関係は広義の自己犠牲で成り立っている側面もあります。そこはお忘れなきように。
*「自己犠牲にひそむ美徳」について
個と社会という関係は広義の自己犠牲で成り立っている側面があると言いましたがその社会が異常をきたしたとき、個に対する自己犠牲のしわ寄せは当然襲って来ます。
全世界で弱肉強食がむき出しになった時代に特攻隊は産まれています。
第二次大戦という異常な動きが起き始めそれに対応するように国内では自己犠牲の数が増えたのです。
個と社会という関係が自己犠牲で成り立たざるを得ないことからくる結果とはいえこのような当時の異常な状況は平和である現代人ではとても理解しにくく、また特攻隊員達を直視するにはインパクトがあまりにも強すぎます。
一言で言えば辛いです。
秋風亭遊穂様のいう「自己犠牲にひそむ美徳」はここが原点なのでしょう。
*ではそのような運命を背おってしまった特攻隊員をどのように表現すればいいのか。
特攻隊員をストレートに見つめれば「自殺の強要」です。
命令は一つだけ、敵と刺し違えることのみです。
それ以上でもなくそれ以下でもありません。左側の犬死には間違っています。
見下す表現は余分です。余分な表現が必要なのは悪意があるからでしょう。
命令を受ける側はただ敵と刺し違えることだけを考えてればよく、それが特攻隊員の認識です。
無駄か無駄でないかは彼らにとって全く関係なく、選択の余地も無くまた考える必要もありませんでした。
*では彼らをどう理解したらよいのだろう。
>また事例においての行為者の行動は共同体の善につながるが、特攻の自爆攻撃は自爆テロと同様、共同体の善にはならない。
↑これは私が自己犠牲の例をあげたものに対し秋風亭遊穂様が「共同体の善」という観点でお返事を頂いたものです。
特攻は共同体の善にはならないとのことですが、しかし当時の特攻隊員にとっては善であったはず。
テロ集団にとってもテロ行為は当然に善と答えるしょうが敵の善は味方の善ではありません。
テロ集団と特攻隊は立ち位置が違うにもかかわらず特攻隊とテロを並べ現代の価値基準で同列の悪だと秋風亭遊穂様は語ります。
当時の特攻隊員が平成の価値観なんて知る由もないでしょう。
またただひたすらその時の善悪の価値基準で物事を考えていたことは容易に理解できるはず。
まるで両者を高見の上から見物しているような視点を持ち続ける限り、とてもではありませんがこの異常な状況におかれた特攻隊員の実態を理解することはできません。
これでは自虐的と言われても言いい返せないはずです。
*同時代的価値観思考
後世の我々にいくつかの義務があるとしたら彼らの記憶を持ち続けることもその一つでしょう。
しかも現代の価値基準ではなく当時の価値基準を持ってです。
これを怠ると肝心の隊員たちの姿を見失しない、犬死にと呼んで反省の材料にするのが関の山です。
このように現代の価値基準で判断することは左系統の方たちによくある傾向です。
そのほうが左翼には都合が良いのでしょう。
反省というワンイシューで歴史を片付けられます。革命の基本手法かもしれませんね。
でもこれは今生きている我々の基準は常に正しいのだ、という傲慢さの現れです。
当時の日本人は負けた時の悲劇やその不安に恐れていました。
そんなことさえわかろうともせず特攻隊をうんぬんを語っている人を見ていると同時代的価値観思考の大切さを感じます。
*反省という逃げ
特攻隊員の置かれた状況を想像することを拒否しあくまでも現代の色眼鏡で歴史を振り返ることを続けていくと説明できないことにぶつかります。
同時代的価値観思考を心がけている私でも理解ができないことが山積みです。
というかけっこう難しいです。その時ふとここがダメなんだよ、これってモラル的に間違いだ!と反省に逃げて結論を急ぎたくなります。
反省という概念で歴史を見ればことは簡単。
しかし本当の歴史の姿は見えなくなります。
特攻隊を語るときなんでそんな作戦を立てたんだ、で終わってしまえば簡単です。
でもそれ以上の考察はできなくなり本当の意味での反省もできなくなるでしょう。
大切なのは特攻隊員をよく知りそして目をそらさないことです。
そして反省という口実で逃げないことです。
反省有りきではなく、このような姿勢でなければ本当の課題や反省すべきことは得れないのではないでしょうか。
>行為者について私は賞賛も批判もしない。単に職務を全うしたということである。
↑随分と頑なですね。難しく考える必要はありませんよ。私は会社のトイレ清掃のおばちゃんにいつもお疲れさんと声をかけます。(おばちゃんと言ってもご老人に近いですが)おばちゃんは単に職務を全うしただけである、賞賛も批判もしない。と私が思っていたらそんな気配りも声かけもしなかったでしょう。
声をかけられると嬉しいようで今も親しくさせていただいています。
>自己犠牲の思想を批判すると以前書いたが、
自己犠牲の思想悪用を批判すると訂正してお詫び申し上げる。
↑ご丁寧にありがとうございます。
自己犠牲の思想悪用を批判、であれば私もさしたる反論はございません。
でもまだ自己犠牲にこだわり過ぎていませんか。
本来、敬意を払うべき人たちにも払えなくなっているようですよ。
執拗に美談を警戒するのも恐らく「自己犠牲の思想悪用の批判」の一貫なのでしょう。
だがその拘りのなかで自己犠牲というものに必要以上に恐怖を抱きはじめてはいませんか。
美しいものは美しいと素直になれず、美談は利用されるから美しいと思いたくない、その美談は利用するために美しいと恣意的に思わせている・・・などといった警戒心が強く芽生えているようですので。
思想悪用を批判するとのことですが過度の批判に陥ると人を尊敬できなくなったり感謝できなくなったりしますよ。
現に今の秋風亭遊穂様はその状態ですよね。決して自然体ではありません。
>特攻隊犠牲者に対しても、敬意ではなく、猪野さんの指摘された、謝罪、
そして同じ過ちを繰り返さないという気持ちを捧げるものである。
↑何もあえて、敬意だけを外さなくてもいいのでは?不自然です。
*自己犠牲について
>自己犠牲を広く見れば、「贅沢は敵だ」というのも、お国という他者のために 自己犠牲を強制した。
↑広義の自己犠牲まで無くしてしまったらそれこそ世の中大混乱です。
誰も仕切らず互いの利害が衝突して、ホッブス社会契約論の前提のような自然 状態、つまり「万人の万人に対する闘争」が果てしなく続くことになります。
>私は自己犠牲にひそむ美徳というものに、慎重でありたい。
↑そもそも美談の是非は戦意向上のために使われることについての議論でした。
それがどんどん飛躍してついには自己犠牲にひそむ美徳にまで及んでいます。
平和な時代でも個と社会 個人と組織という関係は広義の自己犠牲で成り立っている側面もあります。そこはお忘れなきように。
*「自己犠牲にひそむ美徳」について
個と社会という関係は広義の自己犠牲で成り立っている側面があると言いましたがその社会が異常をきたしたとき、個に対する自己犠牲のしわ寄せは当然襲って来ます。
全世界で弱肉強食がむき出しになった時代に特攻隊は産まれています。
第二次大戦という異常な動きが起き始めそれに対応するように国内では自己犠牲の数が増えたのです。
個と社会という関係が自己犠牲で成り立たざるを得ないことからくる結果とはいえこのような当時の異常な状況は平和である現代人ではとても理解しにくく、また特攻隊員達を直視するにはインパクトがあまりにも強すぎます。
一言で言えば辛いです。
秋風亭遊穂様のいう「自己犠牲にひそむ美徳」はここが原点なのでしょう。
*ではそのような運命を背おってしまった特攻隊員をどのように表現すればいいのか。
特攻隊員をストレートに見つめれば「自殺の強要」です。
命令は一つだけ、敵と刺し違えることのみです。
それ以上でもなくそれ以下でもありません。左側の犬死には間違っています。
見下す表現は余分です。余分な表現が必要なのは悪意があるからでしょう。
命令を受ける側はただ敵と刺し違えることだけを考えてればよく、それが特攻隊員の認識です。
無駄か無駄でないかは彼らにとって全く関係なく、選択の余地も無くまた考える必要もありませんでした。
*では彼らをどう理解したらよいのだろう。
>また事例においての行為者の行動は共同体の善につながるが、特攻の自爆攻撃は自爆テロと同様、共同体の善にはならない。
↑これは私が自己犠牲の例をあげたものに対し秋風亭遊穂様が「共同体の善」という観点でお返事を頂いたものです。
特攻は共同体の善にはならないとのことですが、しかし当時の特攻隊員にとっては善であったはず。
テロ集団にとってもテロ行為は当然に善と答えるしょうが敵の善は味方の善ではありません。
テロ集団と特攻隊は立ち位置が違うにもかかわらず特攻隊とテロを並べ現代の価値基準で同列の悪だと秋風亭遊穂様は語ります。
当時の特攻隊員が平成の価値観なんて知る由もないでしょう。
またただひたすらその時の善悪の価値基準で物事を考えていたことは容易に理解できるはず。
まるで両者を高見の上から見物しているような視点を持ち続ける限り、とてもではありませんがこの異常な状況におかれた特攻隊員の実態を理解することはできません。
これでは自虐的と言われても言いい返せないはずです。
*同時代的価値観思考
後世の我々にいくつかの義務があるとしたら彼らの記憶を持ち続けることもその一つでしょう。
しかも現代の価値基準ではなく当時の価値基準を持ってです。
これを怠ると肝心の隊員たちの姿を見失しない、犬死にと呼んで反省の材料にするのが関の山です。
このように現代の価値基準で判断することは左系統の方たちによくある傾向です。
そのほうが左翼には都合が良いのでしょう。
反省というワンイシューで歴史を片付けられます。革命の基本手法かもしれませんね。
でもこれは今生きている我々の基準は常に正しいのだ、という傲慢さの現れです。
当時の日本人は負けた時の悲劇やその不安に恐れていました。
そんなことさえわかろうともせず特攻隊をうんぬんを語っている人を見ていると同時代的価値観思考の大切さを感じます。
*反省という逃げ
特攻隊員の置かれた状況を想像することを拒否しあくまでも現代の色眼鏡で歴史を振り返ることを続けていくと説明できないことにぶつかります。
同時代的価値観思考を心がけている私でも理解ができないことが山積みです。
というかけっこう難しいです。その時ふとここがダメなんだよ、これってモラル的に間違いだ!と反省に逃げて結論を急ぎたくなります。
反省という概念で歴史を見ればことは簡単。
しかし本当の歴史の姿は見えなくなります。
特攻隊を語るときなんでそんな作戦を立てたんだ、で終わってしまえば簡単です。
でもそれ以上の考察はできなくなり本当の意味での反省もできなくなるでしょう。
大切なのは特攻隊員をよく知りそして目をそらさないことです。
そして反省という口実で逃げないことです。
反省有りきではなく、このような姿勢でなければ本当の課題や反省すべきことは得れないのではないでしょうか。
No title
特攻とか自爆テロこそが自己犠牲の極端な例
極端な例まで美談だとか美徳などと言っている君たちの方がおかしい
滅私奉公だとか何をたわけた事を言っているのでしょうか
貴殿みたいな考えの人が部下にサービス残業を強要したりするのでしょう
犬死が蔑むと言うが私が遺族なら
「犬死させられさぞ無念だったでしょう」
と
「お国のために立派に死を迎えられました」
では
大嘘の後者の方がムカつきますけどね
ネトウヨたちは大嘘でもいいから慰めて欲しいというのでしょう
極端な例まで美談だとか美徳などと言っている君たちの方がおかしい
滅私奉公だとか何をたわけた事を言っているのでしょうか
貴殿みたいな考えの人が部下にサービス残業を強要したりするのでしょう
犬死が蔑むと言うが私が遺族なら
「犬死させられさぞ無念だったでしょう」
と
「お国のために立派に死を迎えられました」
では
大嘘の後者の方がムカつきますけどね
ネトウヨたちは大嘘でもいいから慰めて欲しいというのでしょう
承認待ちコメント
このコメントは管理者の承認待ちです
ネトウヨウザい様
>犬死が蔑むと言うが私が遺族なら
>「犬死させられさぞ無念だったでしょう」と
>「お国のために立派に死を迎えられました」では
>大嘘の後者の方がムカつきますけどね
↑私はどれも遺族には言えないと言っているんだが。
その私に大嘘の後者の方がムカつといわれてもねえ。
*****動物に例えることわざは、基本的に蔑視です。*****
使うのであれば「犬死に」とか「豚に真珠」という言葉は
親しい人かもしくは自分や親族に使う言葉なのです。!
分かる?
母親が「子供は犬死にさせられた」と言っても失礼でもなんでもありません。
だからと言って我々が言ってもいいとはなりません。
お得意さん「絵画?俺には良さがわからんよ。だからこの絵は豚に真珠だよ。」
営業マン「そうですか。絵画がご趣味ではないのですね」
あなた「はい。○○さんにとってはまさしく豚に真珠と思います。」
これでは常識を問われますよ。
>「犬死させられさぞ無念だったでしょう」と
>「お国のために立派に死を迎えられました」では
>大嘘の後者の方がムカつきますけどね
↑私はどれも遺族には言えないと言っているんだが。
その私に大嘘の後者の方がムカつといわれてもねえ。
*****動物に例えることわざは、基本的に蔑視です。*****
使うのであれば「犬死に」とか「豚に真珠」という言葉は
親しい人かもしくは自分や親族に使う言葉なのです。!
分かる?
母親が「子供は犬死にさせられた」と言っても失礼でもなんでもありません。
だからと言って我々が言ってもいいとはなりません。
お得意さん「絵画?俺には良さがわからんよ。だからこの絵は豚に真珠だよ。」
営業マン「そうですか。絵画がご趣味ではないのですね」
あなた「はい。○○さんにとってはまさしく豚に真珠と思います。」
これでは常識を問われますよ。
No title
犬死にさせられたという表現がウヨク連中にはお気に召さないようですね。
はっきりいってどうでもいいです。
はっきりいってどうでもいいです。
No title
それからついですが、上司に向かって豚に真珠?
これがどのような関連で述べられているのか全くもって意味不明。
こういう言い掛かりはやめてくださいね。
これがどのような関連で述べられているのか全くもって意味不明。
こういう言い掛かりはやめてくださいね。
No title
特攻隊は戦果を挙げるのが目的であって、人を感動させるのが目的ではない。
戦果を挙げなければ犬死に過ぎない。当人の思いも関係がない。いい加減な気持ちであっても戦果を挙げれば犬死ではないし、真摯な気持ちであっても、戦果を挙げられなければ、犬死だ。戦争では生死がかかわる。悲惨なことだ。
戦果を挙げなければ犬死に過ぎない。当人の思いも関係がない。いい加減な気持ちであっても戦果を挙げれば犬死ではないし、真摯な気持ちであっても、戦果を挙げられなければ、犬死だ。戦争では生死がかかわる。悲惨なことだ。
承認待ちコメント
このコメントは管理者の承認待ちです
No title
もはやひまわりさんについては
国語の問題にしかなっていないみたいだが
「無駄死にさせられさぞ無念だったでしょう」
「犬死させられさぞ無念だったでしょう」
ひまわりさんは上は良くて下は駄目って事だね
私に言わせれば同義語にしか見えないが
ついでに言えばひまわりさんが書き込んでいる文言
「自殺の強要をされさぞ無念だったでしょう」
これも良いということか
当問題の本質はこれら3つ全部適切か不適切かだろう
貴殿みたいに犬にへんなこだわりを持つ人はごく一部だと思われる
おそらく岩田温氏みたいな人に聞けば上3つすべて失礼だと言うはずだ
国語の問題にしかなっていないみたいだが
「無駄死にさせられさぞ無念だったでしょう」
「犬死させられさぞ無念だったでしょう」
ひまわりさんは上は良くて下は駄目って事だね
私に言わせれば同義語にしか見えないが
ついでに言えばひまわりさんが書き込んでいる文言
「自殺の強要をされさぞ無念だったでしょう」
これも良いということか
当問題の本質はこれら3つ全部適切か不適切かだろう
貴殿みたいに犬にへんなこだわりを持つ人はごく一部だと思われる
おそらく岩田温氏みたいな人に聞けば上3つすべて失礼だと言うはずだ
No title
>上司に向かって豚に真珠?
>これがどのような関連で述べられているのか全くもって意味不明。
ちゃんと前置きしてるでしょ。
動物に例えることわざは、基本的に蔑視です。と
軽視することわざに入るよって意味なんですが。
まあ例え話はどうでもいいです。
動物に例えることわざは、基本的に蔑視です。
これがわかっていただければ十分です。
>これがどのような関連で述べられているのか全くもって意味不明。
ちゃんと前置きしてるでしょ。
動物に例えることわざは、基本的に蔑視です。と
軽視することわざに入るよって意味なんですが。
まあ例え話はどうでもいいです。
動物に例えることわざは、基本的に蔑視です。
これがわかっていただければ十分です。
なぜ頑ななのか。 なぜ議論はかみ合わないのか。
会社のトイレ清掃のおばちゃんの事例
自分が直接お世話になっている人に対して感謝するのは当然で、これは以前の事例とは前提が違う。
>平和な時代でも個と社会 個人と組織という関係は広義の自己犠牲で成り立っている
例えばバスで高齢者に席を譲るという行為(哲学の論考にある事例)も自己犠牲である。私はここまで批判はしていない。
「自己犠牲にひそむ美徳というものに、慎重でありたい。」と書いたのはすべての自己犠牲を批判するものではなく、自己犠牲の悪用を批判する立場だからである。
>当時の特攻隊員が平成の価値観なんて知る由もないでしょう。
特攻作戦を特攻隊員のみに収斂させてしまうので議論はかみ合わない。
ひまわり様は現在の価値観で当時を見ることを批判されているが、私は歴史学において、当時の価値観も把握の上、当時の人が見えなかったものを探り、そこから学び取り、これからの歴史に生かしていくというのが必要であると思っている。近年、植民地責任という概念が広がりつつあるが、この流れに沿ったものであろう。
もちろん、現在の価値観も後世の人たちから様々な評価をされることになる。
「反省という逃げ」という考えは当時の歴史から学び、今後の歴史を作る意義を一面的に捉えておられるようである。歴史から学ぶことは当時の問題点ばかりでは無く、すばらしい点を掘り起こすことも重要である。現代社会が失った価値観を当時から学ぶのである。一例として、江戸時代に対する評価もずいぶん変化してきている。
では、特攻作戦はどうか?私は共同体の善はないとした。しかし、ひまわり様は「特攻隊員にとっては善であったはず。」とする。ここでも、特攻作戦から特攻隊員に視点を絞り、「特攻隊員を無感情で見ている」と批判する。
「特攻隊員にとっては善」というのは「愛する人を守りたい」という認識が善と仰りたいのだろうか。それとも自爆攻撃で死んだ、或いは出撃したことが、英霊になり周囲から讃えられるので特攻隊員に善となる、そうお考えなのだろうか。どちらも私には受け入れがたい。
私が言いたいのは国家全体の共同体の視点からすれば、無駄に戦闘を長引かせ、犠牲者を増大させ、有望な人材が失われた特攻作戦に善は無いということである。
イスラム国の自爆テロも、国境を越えてイスラーム社会に対する憎悪を助長することになり、彼ら共同体の善は無い。
ひまわり様の強調する「敬意をもって手を合わせる」の「敬意」とは自分の命を省みず、敵に向かったことに対してだろうか。
とすると、脱走して殺されたり、自殺したりした人には敬意を表さないという解釈がある。つまり天皇の命令に逆らった重罪人である。
しかし、戦死した人も、脱走した人も死を強制された点では同じである。さらに脱走に成功した人に対して敬意を表すだろうか?
そこに差をつけるということになれば、「敬意」とは誰のためで、どんな結果を期待しているのか。よく考えてみる必要がある。
特攻隊の悲劇を繰り返さないということでは万人の一致する見解だと思う。それこそ、ひまわり様のいう「自然体」で靖国参拝をする方でも、かつての軍国主義の到来を望んではいないはずだ。
しかし、特攻隊に敬意をもって手を合わせるだけでは無意味な戦争は防げないと私は考えている。「自然体」でいては、見落としてしまうものがたくさんある。その中の一つとして、私は自己犠牲の悪用に焦点を当てた。特攻の悲劇を繰り返さない、そして自爆テロの思想的問題を視野に入れながら、なぜ人は戦争へ熱狂するのか?を考えてみた。
「自己犠牲にひそむ美徳」はさらに検証が必要だが、哲学教室みたいになってしまうと私の能力を超えてしまうので、これくらいにしておく。
自分が直接お世話になっている人に対して感謝するのは当然で、これは以前の事例とは前提が違う。
>平和な時代でも個と社会 個人と組織という関係は広義の自己犠牲で成り立っている
例えばバスで高齢者に席を譲るという行為(哲学の論考にある事例)も自己犠牲である。私はここまで批判はしていない。
「自己犠牲にひそむ美徳というものに、慎重でありたい。」と書いたのはすべての自己犠牲を批判するものではなく、自己犠牲の悪用を批判する立場だからである。
>当時の特攻隊員が平成の価値観なんて知る由もないでしょう。
特攻作戦を特攻隊員のみに収斂させてしまうので議論はかみ合わない。
ひまわり様は現在の価値観で当時を見ることを批判されているが、私は歴史学において、当時の価値観も把握の上、当時の人が見えなかったものを探り、そこから学び取り、これからの歴史に生かしていくというのが必要であると思っている。近年、植民地責任という概念が広がりつつあるが、この流れに沿ったものであろう。
もちろん、現在の価値観も後世の人たちから様々な評価をされることになる。
「反省という逃げ」という考えは当時の歴史から学び、今後の歴史を作る意義を一面的に捉えておられるようである。歴史から学ぶことは当時の問題点ばかりでは無く、すばらしい点を掘り起こすことも重要である。現代社会が失った価値観を当時から学ぶのである。一例として、江戸時代に対する評価もずいぶん変化してきている。
では、特攻作戦はどうか?私は共同体の善はないとした。しかし、ひまわり様は「特攻隊員にとっては善であったはず。」とする。ここでも、特攻作戦から特攻隊員に視点を絞り、「特攻隊員を無感情で見ている」と批判する。
「特攻隊員にとっては善」というのは「愛する人を守りたい」という認識が善と仰りたいのだろうか。それとも自爆攻撃で死んだ、或いは出撃したことが、英霊になり周囲から讃えられるので特攻隊員に善となる、そうお考えなのだろうか。どちらも私には受け入れがたい。
私が言いたいのは国家全体の共同体の視点からすれば、無駄に戦闘を長引かせ、犠牲者を増大させ、有望な人材が失われた特攻作戦に善は無いということである。
イスラム国の自爆テロも、国境を越えてイスラーム社会に対する憎悪を助長することになり、彼ら共同体の善は無い。
ひまわり様の強調する「敬意をもって手を合わせる」の「敬意」とは自分の命を省みず、敵に向かったことに対してだろうか。
とすると、脱走して殺されたり、自殺したりした人には敬意を表さないという解釈がある。つまり天皇の命令に逆らった重罪人である。
しかし、戦死した人も、脱走した人も死を強制された点では同じである。さらに脱走に成功した人に対して敬意を表すだろうか?
そこに差をつけるということになれば、「敬意」とは誰のためで、どんな結果を期待しているのか。よく考えてみる必要がある。
特攻隊の悲劇を繰り返さないということでは万人の一致する見解だと思う。それこそ、ひまわり様のいう「自然体」で靖国参拝をする方でも、かつての軍国主義の到来を望んではいないはずだ。
しかし、特攻隊に敬意をもって手を合わせるだけでは無意味な戦争は防げないと私は考えている。「自然体」でいては、見落としてしまうものがたくさんある。その中の一つとして、私は自己犠牲の悪用に焦点を当てた。特攻の悲劇を繰り返さない、そして自爆テロの思想的問題を視野に入れながら、なぜ人は戦争へ熱狂するのか?を考えてみた。
「自己犠牲にひそむ美徳」はさらに検証が必要だが、哲学教室みたいになってしまうと私の能力を超えてしまうので、これくらいにしておく。
No title
>第一次世界大戦初期、
>機関銃の登場によって戦い方は大きく変わった。
>何万という人が機銃掃射の中進軍を命じられ、
>その多くが犬死をしていった。
これは第一次世界大戦時の歴史的事柄だが、
上記文章で犬死だと書いても、
ひまわりさんみたいな国語に文句言う人は例外として、
ほとんど批判は出ないだろう。
しかしこれが日本軍となるとネトウヨの反応は激変する。
>第二次世界大戦時、
>食料、弾薬ともに尽き降伏も許されず、
>全軍最後の総攻撃(突撃)を命じられ、
>その多くが犬死をしていった。
このように書くと特攻同様大バッシングを受ける事になる。
「お国のために死んでいった人に犬死とは失礼だ」
とかそういった類。
まず100年前なら良くて70年前なら駄目という意味が分からない。
普段は中国韓国には第二次大戦はもう昔の話だから忘れろと、
安部さんの70年談話みたいな事を言うくせに、
カミカゼを揶揄されると70年後でも激怒する。
また日本人なら日本の先人の事を失礼に言うなと言うのかもしれないが、
自爆テロの事をKAMIKAZEと言ったのはフランス人。
それに馬鹿みたいに激怒したのはネトウヨたち。
ネトウヨは怒り方一つとっても矛盾し放題なのです。
>機関銃の登場によって戦い方は大きく変わった。
>何万という人が機銃掃射の中進軍を命じられ、
>その多くが犬死をしていった。
これは第一次世界大戦時の歴史的事柄だが、
上記文章で犬死だと書いても、
ひまわりさんみたいな国語に文句言う人は例外として、
ほとんど批判は出ないだろう。
しかしこれが日本軍となるとネトウヨの反応は激変する。
>第二次世界大戦時、
>食料、弾薬ともに尽き降伏も許されず、
>全軍最後の総攻撃(突撃)を命じられ、
>その多くが犬死をしていった。
このように書くと特攻同様大バッシングを受ける事になる。
「お国のために死んでいった人に犬死とは失礼だ」
とかそういった類。
まず100年前なら良くて70年前なら駄目という意味が分からない。
普段は中国韓国には第二次大戦はもう昔の話だから忘れろと、
安部さんの70年談話みたいな事を言うくせに、
カミカゼを揶揄されると70年後でも激怒する。
また日本人なら日本の先人の事を失礼に言うなと言うのかもしれないが、
自爆テロの事をKAMIKAZEと言ったのはフランス人。
それに馬鹿みたいに激怒したのはネトウヨたち。
ネトウヨは怒り方一つとっても矛盾し放題なのです。
ネトウヨウザい様
>「無駄死にさせられさぞ無念だったでしょう」
>「犬死させられさぞ無念だったでしょう」
>ひまわりさんは上は良くて下は駄目って事だね
>私に言わせれば同義語にしか見えないが
↑だ・か・ら、私はどちらもダメだという立場なんですが。
勝手に私の主張を変えないでください!
いいかがりはやめてください。
>ついでに言えばひまわりさんが書き込んでいる文言
>「自殺の強要をされさぞ無念だったでしょう」
>これも良いということか
↑この文言は身に覚えがないのですが。
探しても見つからなかったですよ。
どこに書いてあるか教えてください。
第一これ失礼な文言ですか?
No title
>>犬死にさせられたという表現がウヨク連中にはお気に召さないようですね。
>>はっきりいってどうでもいいです。
とブログ主さんはコメントでおっしゃっていますが、
それって、右も左も関係ありますか?
単純に、戦争で亡くなった人に対して失礼な表現だ、ってだけの話だと思いますが。
>>はっきりいってどうでもいいです。
とブログ主さんはコメントでおっしゃっていますが、
それって、右も左も関係ありますか?
単純に、戦争で亡くなった人に対して失礼な表現だ、ってだけの話だと思いますが。
秋風亭遊穂様
いくつか自己犠牲の事例をあげましたが、
それに対し秋風亭遊穂様の返事は
>私は追悼はするが敬意を表す気持ちはない。
>行為者について私は賞賛も批判もしない。
>単に職務を全うしたということである。
という見解でした。
自衛隊の二人の行動もオーツの死の評価も
「賞賛も批判もしない」とのことですが
これでは上司などが部下のコンプライアンス検査をするような感覚です。
業務検査には感謝や敬意という考え方はありませんので。
オーツの死を教訓とする意見も職務を全うするという視点から言えば
秋風亭遊穂様の言うとおりでしょう。
私は秋風亭遊穂様の
>自己犠牲の思想悪用を批判する.
>すべての自己犠牲を批判するものではない。
>自然体でいては、見落としてしまうものがたくさんある。
>その中の一つとして、私は自己犠牲の悪用に焦点を当てた。
について大筋は異論はありません。
しかしです。
コメント一つ一つに自己犠牲の悪用に対する懸念が
いささか過剰反応している気がします。
例えば自衛隊のお二人や探検家のオーツの受け止め方も、
まるで自爆装置付きのロボットとして両者を検査しているかのように映ります。
ややもすると私には、そのロボットを検査している秋風亭遊穂様の姿が
感情のないサイボーグとして見えてしまいます。
自己犠牲は人間に内在する自然な感情の表れであるならば、
それを美談として受け止めることも自然な感情であるはずです。
その自然に湧き上がる感情を意図的に押さえ込むことに慣れてしまうと
懐疑心や拒否反応を抱いていることすら自覚症状が
なくなってしまうのではないでしょうか。
そうなってしまうと本来の敬意の認識にズレが生じてしまうはずです。
本来、経緯を表するということは感謝したり尊敬することが根幹にあります。
当然そこには打算がありません。
しかるに秋風亭遊穂様から敬意と言う言葉が出るときは、
大抵は敬意の代償を求めてきます。
>「敬意」とは誰のためで、どんな結果を期待しているのか。
>特攻隊に敬意をもって手を合わせるだけでは無意味な戦争は防げないと
>私は考えている。
↑命をかけて行なった人に対して敬意に値する人に手を合わせるときは
打算などありません。
人を尊敬することに打算がないことを考えればお分かりと思います。
>自分が直接お世話になっている人に対して感謝するのは当然で、
>これは以前の事例とは前提が違う。
↑これは会社のトイレ清掃のおばちゃんの事例のお返事です。
その内容は殉職された事例の方たちの職業が
直接お世話になっている人ではないから敬意が払えないというお返事でした。
直接お世話になっていないということから
自衛隊の方たちも一刀両断されています。
秋風亭遊穂様にとっては殉職された自衛隊のお二人は
その責務において自爆装置を正確に作動し、
オーツは探検家として誤作動を起こした、
ということなのでしょう。
>特攻隊犠牲者に対しても、敬意ではなく、猪野さんの指摘された、
>謝罪、そして同じ過ちを繰り返さないという気持ちを捧げるものである。
↑そう思えたのは誰のおかげか考えたことがありますか?
特攻隊員だったのではないですか。
自分が気がつかなかった大切なことを誰かに教わったら
普通は感謝や敬意の気持ちが出てきませんか?
にもかかわらず「敬意ではなく」とわざわざ指定までして
なぜ否定するのでしょう。
秋風亭遊穂様へ・・・
実のある議論ができそうで感謝しています。
他にもコメントしたいことが多々あります。
しかし残念ですがこのところ年末が近づき忙しくなり
帰宅も遅く家ではまともにパソコンに触れられません。
取り急ぎ今書ける範囲でコメントさせていただきました。
再度お返事するつもりです。
No title
>自己犠牲は人間に内在する自然な感情の表れであるならば、
この仮定・前提がそもそも的外れなんですよね。
そもそも、「心から死にたい」と思う人間はいない。
これこそが、「人間に内在する自然な感情の表れ」です。
人は強要された場合、マインドコントロールされた場合、精神に異常をきたした場合等に、自ら死を選ぶことがありますが、どれも不自然です。
軍隊そのものが「異常な人間による異常な組織」ですしね。
「死ね!」と骨の髄まで教育され、強要され、リンチを受け、上官から詐欺まがいの方法で「特攻隊」にさせられて死んだ特攻隊員の「死」のどこが「美談」になどなるものか。
ただ、ひたすら悲惨なだけです。
こうした冷酷な事実から目を背け、綺麗事にしたがる人ほど、
>それを美談として受け止めることも自然な感情であるはずです。
と主張したがるものです。
「美談」どころか、「残酷物語」じゃないですか。
犬死に、無駄死に、以外の表現はありません。
あとは、全て綺麗事の幻想です。
この仮定・前提がそもそも的外れなんですよね。
そもそも、「心から死にたい」と思う人間はいない。
これこそが、「人間に内在する自然な感情の表れ」です。
人は強要された場合、マインドコントロールされた場合、精神に異常をきたした場合等に、自ら死を選ぶことがありますが、どれも不自然です。
軍隊そのものが「異常な人間による異常な組織」ですしね。
「死ね!」と骨の髄まで教育され、強要され、リンチを受け、上官から詐欺まがいの方法で「特攻隊」にさせられて死んだ特攻隊員の「死」のどこが「美談」になどなるものか。
ただ、ひたすら悲惨なだけです。
こうした冷酷な事実から目を背け、綺麗事にしたがる人ほど、
>それを美談として受け止めることも自然な感情であるはずです。
と主張したがるものです。
「美談」どころか、「残酷物語」じゃないですか。
犬死に、無駄死に、以外の表現はありません。
あとは、全て綺麗事の幻想です。
No title
軍隊そのものが「異常な人間による異常な組織」ですしね。
↑
軍隊経験の無い女性がよくも断言できるもんだ。
名言だ。感心します。
ところで旧日本軍を指しているのかな?
限定していないところをみると諸外国の軍隊も?自衛隊も同じ?
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軍隊経験の無い女性がよくも断言できるもんだ。
名言だ。感心します。
ところで旧日本軍を指しているのかな?
限定していないところをみると諸外国の軍隊も?自衛隊も同じ?
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