2020年の東京オリンピックの決定以来、国はスポーツへの比重を高めている。スポーツを景気浮揚、国家振興の道具にしようとしている。
しかし、それは相も変らぬ「金メダル何個」で語られる類のものだ。国威発揚のため、世界の一流国としてのステイタスを示すために、エリートアスリートを育成することと、箱物施設を充実させることに力がそそがれている。
先ごろの内閣改造で、文部科学大臣に元五輪選手で、プロレスラーでもあった馳浩が任じられたことが、それを端的に物語っている。
谷亮子、橋本聖子など、エリートアスリート出身の政治家は何人もいるが、彼らが内閣や党の方針に異を唱えることはほとんどない。
指導者に盲目的に従っていた現役時代そのままに、上の言うことに唯々諾々と従うのみである。

今のスポーツ振興は2つの点で大きな問題がある。

一つは、ほぼすべての事業が「2020年」を最終到達点としていること。
それに間に合わせることに全力が注がれており、それ以降の展開が真剣に考慮されていない。
長野五輪でもそうだったが、過大な設備投資がその後、社会の大きな負担となることが予想されている。
人口が減少し、社会が縮小しつつある今の時代にあって、国はサステナブルな思想もなく箱物行政を相も変わらず続けようとしている。

もうひとつは、今回のスポーツへの投資が一般国民にはほとんど恩恵をもたらさないこと。
なるほど、日本人選手がメダルを取れば、日本の国は一時的に盛り上がるだろう。ラグビーがそうだったように、そのスポーツが注目される。ワイドショーの視聴率は上がり、スポーツ業界は一時的に活況を呈すだろう。
しかし、それは大部分の国民にとって何の関係もないところで行われる。
同じ日本人ということ以外何の共通項もない少数の人間がセレブにのし上がり、周囲に小金持ちが生まれる以外に何も状況は変わらない。
日本は、そういうことに予算を投じようとしている。

その予算を「市民スポーツ」「生涯スポーツ」に投じれば、どれだけ大きな効果が上がるかと思う。
レベルは低いかもしれないが、市民が何らかのスポーツに日常的に親しみ、それを長く愛好することは、長期的に見れば医療費の削減に確実につながる。
また、少子高齢化が進む中で希薄になっているといわれるコミュニティの結びつきを強める。
そして何より、市民の幸福感を高める。これはまさに近代スポーツの本義そのものだ。
地域でのスポーツ施設を創設し、市民に安価でスポーツを提供することの意義は非常に大きい。

しかしながら安倍政権はこのことには不熱心だ。新自由主義を信奉する安倍晋三は、富の集中による国力増強に熱心であり、そのために格差が広がることもやむなしとしている。
先月、安倍晋三は、法人税を20%台に下げることを強硬に主張した。自民党内からもそれは企業の内部留保を増やすだけで、社員の所得アップや景気の浮揚には効果がないという声が上がったが、安倍は聞き入れなかった。どこに目が向いているかは、これからも明らかだ。トリクルダウン効果は、主張する本人さえも信じていないまやかしなのだ。
現政権は、低所得者層のスポーツの機会を増大するような非効率で、見栄えのしない政策には関心がないのだ。

その結果として、金持ちが通うスポーツクラブはたくさんできているが、市民が気楽にスポーツに親しむことができる公共施設はむしろ減少している。

さらに言えば、その政策を推進したくとも、肝心の指導者やマネジメントをする人材が育っていないのも事実だ。
「富国強兵」の一環として推進された日本のスポーツにおいては、エリートアスリートに「強制的に鍛錬を強いて結果を出させる」ことに長けた指導者はたくさんいるが、一般市民にスポーツの楽しさを説いて、これに段階的に親しませるような指導者は決定的に不足している。

その結果として、特に野球のような金がかかるスポーツの競技人口は、減少している。野球は低所得者層には手が届かないスポーツになりつつある。

裸で子供を走らせる指導者は論外だが、こうした文脈で現在のスポーツ界を見渡せば、大掛かりなパラダイムシフトが必要なことが見えてくるだろう。

たかだか数年先の「世界大運動会」など、国の将来を考えれば、どうでもよい話なのだ。
スポーツを市民一人ひとりの手に取り戻すことが必要なのだ。
プロ野球ファンにとっても、それは決して無縁の話ではないことを認識していただきたいと思っている。

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