様々な意見が流れる中で、「巨乳差別だ」とか「巨乳は社会的に正しくないのか?」といった主張を目にした。
どうも、あのポスターに描かれている女の子が豊かな胸元を露わにしており、そのイラストを非難することは巨乳は公の場に出るなという主張や、露出度の高い服装をする自由の否定に繋がると言いたいようだ、と理解した。
それらの発言をする人々が巨乳差別を真実懸念しているのであれば参考になるかもしれないので、書いてみる。
巨乳当事者の一人としての経験や見聞から、服装や振る舞いの自由に強く抑圧的に働くのは、性的なからかいや侮蔑、相手の人間性に遠慮のない言動だと思う。
普通に立ってるだけで「そんなにおっぱい突き出して…」とニヤニヤしながら言うとか、体育の授業中に胸を眺めてひそひそカップ当て競争するとか、制服着てたら「ブラウスがはち切れそうで可哀想」とか。名前ではなく「あの巨乳ちゃん」と呼んだりとか、胸元しか写ってない写真を隠し撮りして回覧するとか、スピーチ後の匿名感想アンケートに「いいチチしてますね」と書いて来るとか。「おっぱい大きい人って脳みそが胸に取られたんでしょ?」と都市伝説を得々と披露するとか、いきなり触ってきて笑いながら逃げるとか。
そういう言動が辛いから、胸が目立つおそれのあることを避ける。猫背になる、だぼだぼの服やミニマイザー(乳房を小さく見せるブラ)しか着られなくなる、体育着や水着になるのが嫌で登校拒否する、人前に立つことを頑なに避ける、など。
そこにもし巨乳の女に対する無遠慮な視線の行動化をたしなめる人がいてくれたら、安心や感謝に尽きる。「巨乳が否定された」とは全く思わない。
生まれもった体型のせいで作業服の前ボタンが閉まらない女の子が恥ずかしそうな表情で困っている場面を嬉々として捉え、集客に使うような行為、
巨乳の女を感情や人格のある人間ではなく【巨乳キャラ】という物体として扱う態度が、巨乳を自由な服装や振る舞いから遠ざける。
この増田は萌え絵や二次元一般の規制に賛同する趣旨のものではない。
胸の大きな女の子が、谷間の見える格好で恥ずかしそうな表情をして(させられて)いる、
そういった場面を観光客誘致のためのポスターにすることへの批判が巨乳差別になるという主張について、
どういったことが巨乳の当事者に対しての抑圧になるかを書いた。
私も頭の中はいやらしいことでいっぱいだし、エロマンガも何冊も持ってる。