「おーい、仕事したいか?」 すべてはこの一言から始まった
元「お妃選び班記者」佐伯晋さんの取材ノートから(2)

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朝5時半には自宅に迎えの車

――どんな「張り込み」をしたのですか。

佐伯 当時の宇佐美毅・宮内庁長官の自宅を朝から車で張り込んで、予定通り皇居へ通うかどうかを追跡して見張れというのだ。どこか別のところへ向かえば怪しいから追いかけろ、というわけだ。夕方は皇居から宇佐美邸へ逆ルートの作業だ。
   長官は朝7時に出るのが普通だから6時から黒塗りの社有車で待ち伏せしろ、という話だった。皇居までは約20分間だ。ぼくの飯田橋の自宅には5時半には車が迎えにきていた。
   こんな生活を日曜以外毎日続けても何も変化はない。他社でこんなことをやってるところもなかった。すぐにバカバカしくなって、ぼくより約1週間後に召集された記者の岡並木くんと一緒に、朝夕の張り込みなんてやめるべきだと談判しようと相談していたら、早くも3月3日、そんなことが言えなくなる事態が発生したんだ。

<編集部注:佐伯さんが当時のことを語る際、「民間」時代の美智子さまのことは「美智子さん」と表現しています。>


<メモ:佐伯さんの取材ノート>A4判の灰色のノート2冊。どちらもかなり茶色みを帯び、表紙は一部破れている。ご婚約発表(報道解禁)前に予定原稿を書く際、当時メモ帳につけていた情報をノートにまとめたものだ。メモ帳の数は、B4判封筒2枚に詰まるほどで、「10~20冊」はあった。

   ノート2冊のうち、1冊は「○(マル)正ノート」、美智子さまの実家、正田家関連の情報を書いている。もう1冊は日報もの。佐伯さんが「お妃割り出し班」入りしたときから、ご婚約発表が近付いた1958年11月上旬ころまでの宮内庁幹部らへの「夜討ち朝駆け」の概要などが日付を追って載っている。

   当時の朝日新聞記者は、ざら紙を数十枚束にして縁をつけたものをメモ帳として使っていた。「ズボンの後ろポケットにちょうど入るくらい」(佐伯さん)の大きさだ。これに鉛筆で書き込んでいた。

   佐伯さんの取材ノートは、1999年に朝日新聞顧問を佐伯さんが退き、しばらくしてから部屋の片付けをしていたところ、本棚の下の方から見つかった。


<佐伯晋さんプロフィール>

1931年、東京生まれ。一橋大学経済学部卒。1953年、朝日新聞入社、社会部員、社会部長などを経て、同社取締役(電波・ニューメディア担当)、専務(編集担当)を歴任した。95年の退任後も同社顧問を務め、99年に顧問を退いた。

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