創価の組織にいた頃は、とにかく金に関して悩まされたな。
1つは財務をはじめとする創価の金集めだ。
財務以外でもいろいろなものを買わされたものだ。
機関紙・誌では聖教新聞と大白蓮華をセットで取らされるのは当たり前だが、その上、聖教新聞を2部取らされたり、他にも創価新報や公明新聞、それにグラフSGIも取らされたりしたものだ。
あと、本では、創価から新刊本が出版されたら別に読みたくもないのに買わされたし、人間革命や新人間革命は単行本を買わされてるのに、文庫本が出たら単行本と同じ内容なのにそれも買わされたものだ。
とにかく金をとられることばかりだったな。
しかもそれだけじゃなく、創価の組織にいると、幹部活動家からも金をせびられることが多かったな。
特に地区幹部には金に困ってるのが多くて、そういう連中が借金を申し込んできたものだ。
何しろ前回の記事にも書いたように、活動家はいろんな名目で創価に金を取られてしまうから、熱心な活動家ほど金がなくて困っていたんだ。
自分も金には困っていたが、それでも頼まれると断れない性格だからついつい貸してしまっていたものだ。
そして貸した金は返してもらってない。全部踏み倒されてしまったんだ。
とにかく、創価学会というところは金を取られるところだった。
そんな創価には大損した思い出しかない。

2015/12/07(月) 08:00 暴露 PERMALINK COM(0)
この時期、創価の組織ではいつもの財務の季節だが、この財務も現役学会員の頃は嫌で仕方なかったな。
何しろ自分は派遣社員で薄給の身だったから生活費を払うので精一杯で、創価に金を出す余裕などなかったからな。
そういう身なのに、幹部からは「もっと福運を積めるように精一杯の額を納付しろ」とか「先生と創価学会に恩返しできる最大のチャンスだから、できる限りの額を納めろ」などと言われるのが辛かったし、
座談会などでも壮年部や婦人部が「家にお金がなくて、もう財務ができないと諦めかけていたら、ふと生命保険に入っていたのを思い出し、急いで保険を解約して財務の納付に間に合わせました。これで福運を積むことができました」などという体験談を語っているのも何だかプレッシャーをかけられているようで嫌だったな。
そして幹部がしつこく財務の振込みを確認しに来るのもウザくて仕方なかった。
今思えば、ただのカネ集めでしかなかったんだが、ほんとに創価にはいい思い出が何もなかったな。

2015/12/06(日) 20:57 活動 PERMALINK COM(0)
自分は折伏戦に次いで選挙戦も嫌だったな。
選挙戦をしていたはじめの頃はバカ正直にエフの数を報告していたから、幹部から「数が少なすぎる」とこれまたガンガン責められ罵られたものだ。
なにしろ自分は友人や知人も少ないのでそんなにエフの数を増やせるわけもない。
それで、近所の商店街に行って品物を買っては公明党への投票を頼んだりしてエフの数を増やしていたものだった。
その時の店の人の態度は「何だこいつは」というような顔で見る人や、いかにも口先だけという感じで「ハイハイ」と笑いながら言う人もいたな。
その時は何か屈辱的な気持ちがしたものだった。
しかしそんな自分もしばらく選挙戦をしていくうちにバカ正直にエフの数を報告するのが馬鹿らしくなり、もうエフを頼むことはやめて適当に「100」とか「200」とかエフの報告をするようになっていったんだ。
近頃ではそういうのを「エア活動」というらしいが、創価学会でまじめに活動していてもバカを見るというのがだんだんわかっていったから、数をごまかしてもわからないようなことは適当に数の報告をするようになったんだ。
実際にエフを頼んでも相手がほんとうに公明党に投票するかどうかもわからないわけだし。
まだ学会活動始めた頃は、ウソの報告をすると幹部にはすぐ見破られてしまうんじゃないかと思っていたものだが、創価の幹部にそんな人間はいないということがわかってきたから、適当に報告できることはウソの報告をするようになったんだ。
今から思えば創価の活動はまじめにやるような価値はないな。
2015/11/21(土) 20:26 活動 PERMALINK COM(0)
学会2世の自分は生まれたときから学会員で、子供の頃からずっと創価的世界観のままに育てられてきたものだ。
うちは狭い家なのに会合の会場にされていて、会合の度に信者たちがやってきて、自分は勉強する部屋もなく、会合が終わるまで部屋の隅に座っていたものだった。
会合のある日は自分の家なのにくつろぐこともできず、好きなテレビ番組も見ることができず、それが嫌で仕方なかったな。
しかも、会合の時間が終わっても、何人かの信者はすぐに帰らず夜遅くまで居残っていて、何かしらないがだらだらと喋り合っていたものだった。
それでも子供の頃はそれが当たり前のように思っていて、親に文句言ったりしたことはなかったな。
今から思えば、子供の頃もいい思い出はなかったな。

2015/11/20(金) 21:30 創価的環境 PERMALINK COM(0)
ずいぶん長い間記事の更新ができませんでしたが、一段落ついたので、これからまた続きを書いていこうと思います。

創価学会での思い出と言えば、前回も書いたように苦痛な思い出しかないが、その中でも折伏戦はかなり苦痛だったな。
とにかく折伏戦ではいつも成果の目標達成を迫られ、成果を上げられないと幹部からガンガン責められ罵倒されたから、とにかく嫌でたまらなかったものだ。
元々自分は他人に強引に何かを押し付けたりするのが苦手な質だったから、友人にしても職場の同僚にしても知人にしても、相手からはじめに断わられたらもうそのあと強く言い負かすということができなかったんだ。
1度、相手が断わってるのにしつこく創価学会への入会を奨めたら、相手は怒りだし、絶交させられたことがあったな。
そういう風に、友人はなくすし、絶交しなかった友人や知人であっても、「あいつは人を変な宗教に入れようとしている危険な奴だ」といった目で見られるようになってしまったんだ。
そして、創価の組織ではまた折伏の成果が上がってないといって幹部からガンガン責められ罵られるし、まったく散々な気分だった。
それでもその頃は創価学会に疑いなど持つこともなく、「正しい宗教なんだから嫌でもがんばって続けるしかない」と思っていたものだ。
今から振り返ると自分のバカさにも呆れてしまうのだが、その頃はそれ以外の発想ができなかったんだな。
子供のころからの刷り込みがいかに人生に影響するかということがよくわかった。
とにかく最悪の思い出でしかないな。
2015/11/17(火) 02:03 活動 PERMALINK COM(0)
創価学会での思い出と言えば、何といっても活動の激しさだったな。
特に男子部はほとんど毎日夜遅くまで活動に引っ張りだされてたな。
まあ、自分は特に創価が好きだということもなく、活動が好きだというわけでもなかったが、何しろ子供の頃に親に入信させられた学会2世だから、学会活動するのが当たり前という雰囲気の中で育ったから、
好きでもないのに断わることもできないまま、活動に引っ張りだされてたというわけだ。
そういう義務感の中での活動だったから、楽しい思い出というものはなく、苦痛な思い出しかなかったのは確かだ。
まあ、自分にとっては「創価=苦痛」という思い出しかないな。


2015/07/07(火) 01:27 活動 PERMALINK COM(0)