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「宿命」・高沢皓司に対する私の見解
田中 義三
聞くところによると、「宿命」がベストセラーとなっているようです。
私の裁判闘争等の支援者には、すでに全く相手にするつもりがないという気持ち
を、はっきりと告げていました。
しかし、その後、私達の無念な気持ちを察してのことだと思いますが、多くの人
から是非とも立場・見解だけでも明らかにすべきだという有難い勧告が寄せられて
います。
やむを得ずひと言、ふれるしかないと決心しました。
「宿命」に目を通し、何よりも胸を痛めたことは、何ということをしてしまった
のだ、本当に、日本の皆様にどのようにお詫びしたらよいのかという、情け無い、
申し訳ない気持ちであります。異国で生活し活動する私達に、子供達にまで未来へ
の夢を信念を与えて下さり、励まし鼓舞し続けて下さり、困難な状況の下でも日本
社会の変革と改造のため粘り強く闘い続けている多くの闘争団体、民主的、進歩的
人士や人々に、誠に謝罪の言葉も思い出せません。大きな誤りを犯してしまった自
責の念が、今の今も頭から離れることがないのです。
もちろん謝罪すべき大きな誤りとは、本来闘わねばならない的である相手を味方
のように思い信用してしまったことであります。
千人、万人の見える敵より、味方内部に深くもぐり込んだ、たったひとりの敵の
人間がなしうる犯罪的行為がいか程のものであるかを「宿命」が、そのまま、如実
に物語ったことだけは否定のしようもありません。
五十歳という大台を迎え、星雲の志を抱き歩んで来た道のりの長さにおいては、
充分すぎるように見えても、私達の活動は、未だに、余りにも未熟であり、甘さが
ありすぎました。敵と味方を確固と見分ける視点すらも持ちえていないという、こ
の、明白な現実を直視し、ただ、深く反省し、必ず克服していくことを誓い、不断
に努力を傾けていくしかありません。
私が「宿命」の出版を知り得た経緯からして、この本の書かれた立場なるものを
、そのまま明らかにしてくれたように思えます。
二ヶ月に一度位の割で、「死んだか、まだ生きているのか」を確認するかのよう
な日本大使館員との面会があります。九月の初めのことですが、警視庁公安筋から
派遣されたと思われるいつもの領事が、ひときわ喜びを隠しきれない様子を必死に
おさえながら言って来ました。「高沢皓司という人をごぞんじですね。彼が今回、
非常に面白い本を出しました。『宿命』というのですが差し入れましょうか?」と
、今迄、本の差入れなどにむしろ、非協力的だった者がです。顔にあらわれる私の
反応を注意深く、さぐろうとする眼差しでした。もちろん、その場で、私は、「高
沢という人がどんな人間か、何を書こうとするのかもほぼ推測がつきます。その必
要はありません。」と断りました。
後日、支援者が、しかしその内容だけでも知っておくのが必要ではないかという
ことで差し入れて下さり、目を通すことになりました。やはり、あらかじめ予想さ
れたことと大差はありませんでした。
高沢皓司なる人物は、ただ者ではなく、突出した能力を持っていることは、疑う
よちもありません。今の異様な時代の「寵児」として称賛を浴びはじめるだけのこ
とはあると言えます。
ハイジャック前後の、すでに断片的に知れ渡っている内容は、それとして、まと
めて書き触れ「私は、事実のみを書く」という印象を強く打ち出しています。また
、「よど号」関連者のインタビューなるものは、ほぼそのまま、時には、異常なほ
ど詳しく触れながら、あたかも「よど号」関係者の主張にも深く耳を傾ける「客観
的立場」なるものにも考慮した面も伝えています。そうした前提を踏まえた上で、
私達が語った言葉、言葉の中から高沢が、自分の立場から都合のよい解釈が出来る
部分を巧みに引用し、「よど号」の人々が自身で述べているという実証方法も用い
ています。加えて、日本の普通の人々が絶対に知り得ないと思われる様々な状況描
写に至っては、さも真実らしく生き生きと「再現」させたりもしています。そして
決定的な問題に限っては、権力側と共に推測、憶測を重ねながら、時には、こんな
筋書きになってもらいたいという願望をまじえ「事実」として断言していきます。
「宿命」は、それに賭ける高沢の思想的立場、決意、迫力も普通ではなく、合わ
せて、その執筆に傾けた並々ならぬ労苦すらも感じとれる「力作」となっています
。
話は変わりますが、この刑務所において、私は当初、怒りの無期限ハンガースト
ライキを試みようと考えたことがあります。また、昨年の秋頃から、私を殺害しよ
うとする具体的な動きがあったことも知られていることです。もし、そうした事態
が引き起こされていたなら、私は、間違いなく、背くことの出来ない指令により「
餓死」したとか、私の仲間や上部なるものに殺されたという、まことしやかな噂に
よって闇に葬られたことは間違いないという気がします。
前方に立ちふさがる敵どもだけでも身に余るのに、後方からも、横からも刺し殺
し、撃ち殺して来る変節者、脱落者がいることに、正直言って背筋の寒くなる思い
がします。
高沢皓司の何よりも優秀な能力として真っ先にあげねばならないことは、計画的
、意識的に接触をはかり、田宮をはじめ「よど号」の人々の信任を得ようとした活
動にあらわれています。
私達が喜びそうな記事を書いては、雑誌に載せるため、あるいは単行本として出
版するための積極的な「努力」を基本手段に、強く深い信頼関係を築こうとしまし
た。特に、高沢は、将来の「重要な仕事」で、決定的な環となることを読んだ上で
、田宮との接触、何とか二人だけで話す機会を多く持つことに異常なまでの神経を
使っていたというのが、今となってよくうなずけます。
貴重な同志であった吉田金太郎、そして、不幸な結末に至った岡本武君といった
今は亡き人々をも「死人に口なし」の条件を最大限に利用しています。
高沢皓司は、その目標、標的をただ一点、今存在している残りの「よど号」関係
者の人格、名誉をズタズタに傷つけ、日本人として日本社会で活動しようとする権
利を完全に剥奪、抹殺することに合わせたようです。同時に、今、吹き荒れる「反
共和国キャンペーン」の最先端で、更に嵐を大きくすることに貢献し、時代の潮流
に乗った異才、奇才のジャーナリストとしての認定を受けようとしたと断言しうる
と思います。
彼、高沢は、自分のそうした醜悪な意図がこの「宿命」によって十二分に果たし
えたかのように考えたし、自己陶酔しきったようです。ちなみに「噂の真相」(九
十八年十一月号)には、「よど号」問題では「全知全能」の主であるという彼の驕
り高ぶる気持ちがよく表れています。
図に乗るうちに、馬脚まで顕わしてしまうという失敗があるように、全面的で、
最高で、完璧のように思えた彼の「著書」が、実はそのまま、彼個人としての執筆
能力と範囲を著しく逸脱してしまっていることまでは、関心を払わなかったようで
す。
人間としての姿をとどめ続けようとするならば、やはり高沢にも、「潔さ」とい
うのが是非、必要とされるのではないのでしょうか。
「宿命」なるフィクション劇の総プロデューサーが誰であり、脚本家は、舞台装
置、照明は誰が担当したのか。そのために惜しみない支援、協力をしてくれた人々
が、一体、どういう輩達なのかを含め、この際、「潔く」明らかにすることが必要
ではないでしょうか。
檜舞台に立ち、栄華を極めたかのような高沢という千両役者には、巧みな演技者
としてだけではなく、脚本を執筆、修正する権限もあり、その能力もあるのを認め
た上でであります。私には、ひょっとしたら、その総プロデューサーが日本人でな
いこともありうる気持すらするのです。いかに、英語、仏語、独語、スペイン語、
デンマーク語、ユーゴ語に堪能だったとしてでも、高沢がひとりで、あれだけのこ
とを調べ、捏造することは、誰にも信じられないことです。
その手の機関の「水先案内人」の後から、懸命に「証拠固め」をしている高沢の
姿は、ありえなかったのでしょうか。ある人からは「高沢は、そんなに長くヨーロ
ッパに行ってもいないはずだが」という声も私は、耳にしています。
高沢皓司が、是非とも説明しなければならないと思うことがもうひとつ、ありま
す。
ある日、突然、それまでと根本的に異なる著述をしましたが、そうしなければな
らなかった根拠をです。誰の目にも明確なことですが、高沢の立場は、田宮の死を
機とし、境として、全く正反対のものとなりました。一般的には、豹変といわれま
すが、私には豹変ではなく、本質は何も変わったのでなく、手段と方法がかわった
のだ、と考えてこそ、彼の今の立場を最も自然に理解し、納得することが出来ます
。即ち、最初の段階は、田宮をはじめ「よど号」の人々の信用を得るために、自分
の本来の立場、気持ちをおし殺して書かざるをえなかった時期です。そして、田宮
が死亡したという事実を知るや否や、時機到来とばかりに、手の裏を返すが如く、
彼本来の立場からの「仕事」に着手しはじめた、第二段階ということです。まさに
、今の時期だということです。
吉田同志に加え、責任者であった田宮同志を失い、私達が身も心も、心臓まで、
えぐり取られたかのような痛みと苦しみ、辛い悲しい思いの絶頂でうちひしがれて
いた時に、敢えて追い打ちをかけるような人を、そもそも血が通い、感情を持った
人間といえるのでしょうか。私には、高沢のこうした方法論からして世の人々の常
識を超越する、普通の人には到底理解しえない人物として捉える必要があるように
思うのです。
そうした人物による「宿命」とは、二十一世紀を目前とした現代版「魔女狩り」
とは言えないでしょうか。
「宿命」の著述内容のすべてがすべて嘘だとは言いません。同じ仲間、同志とは
言え、私自身の立場から具体的に詳しく知り得ていないこともあります。私達がヨ
ーロッパを舞台にして活動していたのも今では、明白な事実です。強調したいのは
、重要な決定的な事が捏造されているということです。むしろ、その手の専門機関
の見解なり、願望と表現したほうが、より正確かもしれません。
事もあろうにあの田宮が、ほかの「よど号」関係者とさえも何か違和感があった
かのように、私達にも話さない内容を高沢にだけは、唯一、腹を割って話をしてい
たかのように書いてあることだけをとってみても、白を黒と言い含めるものでしか
ありません。そのことは、私達だけではなく、田宮高麿という人間の人格を知る人
、以前、一度でも彼と接したり共に活動したことのある人なら疑いもなく否定して
しまうでしょう。二面性、二重人格なるものを最も忌み嫌っていたのが、まさに彼
だったと、私は確固と断言しえるからです。
八十年代を送り、九十年代を迎えながら、いわゆる東西冷戦構造に終止符がうた
れ、日本に於いても五十五年体制が激変していく政治情況が生まれていったのはご
承知のことです。新しい情況を前にし、それに適応した活動構想が練られていまし
た。重要な結論のひとつが、日本での様々な執筆、出版活動を積極的に推し進めて
いこうということです。当然それは、出版関係に実績があり、能力もある人の協力
者が切実な問題となっていったし、そのひとりとして高沢に大きな期待がかけられ
たのも偽りのないところです。その頃、田宮が「好感」を示し、近づいて来る高沢
という人間をどう評価すべきか深刻に考えていました。高沢本人とは一度も会った
ことのない私としては、判断のしようがなかったのですが、当時の田宮の話の幾つ
かは、今も耳に強く残っています。彼が特に悩んでいたのは、
第一に、「高沢は、何であれ程、色々な情報を手に入れることができるのか」と
いうこと。
第二に、「海外で会う日本の人は、誰もが私達との接触に、必要以上に神経を使
うが、何故彼は、いつも平然としていられるのか」ということでした。
度々、ピョンヤンを訪れた高沢に対し、田宮が一度も私に会うことも勧めなかっ
たのも今考えると、単なる偶然とも思えないのです。
「宿命」での高沢の立場が、私達「よど号」関係者とその仲間のすべてを、政治
的に抹殺しようとするものである以上、それが明確にされた下で、それに対し、私
達がとるべき立場も鮮明にしなければなりません。
彼の狙いは、反動的国家権力の意向の代弁者として、様々なことを書き私達を挑
発し、権力の信用を得ては、更に色々な情報を手に入れることです。従って、そう
した輩の話なるものに素直に耳を貸すことはおろか、そうれに真実をもって対応し
、具体的に証明しようとすればする程、高沢の犯罪的行為の及ぶ範囲を広げてしま
うことにしかなりません。
いわば、「宿命」の内容に、具体的に反証していく必要性もなければ、むしろ具
体的に反論してはならないという結論になるということです。
国際指名手配されている不自由な身分で活動してきた日々、日本の人はもちろん
のこと、少なからぬ外国の人々までが、私達の正体を知らないままに、ある人は、
それを知った上で、積極的に援助、協力してくれたし、共に闘ってくれました。そ
のような恩人や仲間に、これ以上の迷惑や負担がかからないようにすることを最大
の義務に据えねばなりません。これは、私自身が実際に、児玉章吾という人の生活
と運命に多大な苦痛と犠牲を強いてしまったその本人として、切実に身につまされ
ることです。児玉章吾氏は、彼本人ばかりか、何等まったく関係のない日本の家族
の人達まで、あらゆるいやがらせを受け、差別を強いられ、脅迫までされたこにつ
いては、私の支援者ばかりでなく、今では多くの日本の人々も知るところとなって
います。児玉氏の夫人は、傷心の余り、真剣に自殺まで考えたほどなのです。私達
の活動のまずさから生じてしまった事情により、今、少なからぬ人々が不安を覚え
、恐怖すら感じながら生活していると考えると深い胸の痛みを覚えるのです。
私達が、早急に着手すべきことは、高沢の「宿命」被害が、これ以上及ばないよ
うな最大限の処置をとることに全力を傾けることだと考えます。
いわゆる「ニセドル事件」なる政治的謀略・陰謀劇の被害者としての私の経験は
、高沢の「宿命」をどのように捉えるべきかについても、実に、多くの教訓を与え
てくれたように思います。
「火のない所に煙は立たず」といわれていますが、今の世界、社会に於いては幾
らでも、「火のない所でも煙は立つ」ということを、体験が教えてくれました。
あるはずもない所に「ニセ札」があったとされ、指紋などは付きようもないのに
、私の指紋なるものが付けられているといった具合にです。そうした策動は何もア
メリカの、その手の機関のプロ達によってなされるばかりではありません。日本電
波ニュース社(NDN)の報道部長とか云う高世仁は、私、児玉氏とその家族に対
する卑劣極まりない取材方法を用い、勝手な憶測と願望、更には、韓国への「亡命
者」なるものの証言を絶対的な根拠としながら誹謗中傷番組を制作し、テレビ朝日
の権威ある番組、司会者の協力を受け、全国に放映しています。余りにひどい内容
に怒った友人達の働きで、今年八月、大口昭彦弁護士を代理人に立てて訴訟を開始
しました。今回の「宿命」なるものも、まさにこうした類に属すると言えるでしょ
う。
現在マスコミ界の取材、報道姿勢なるものが深刻に憂慮されているようです。
「情報化時代」と呼ばれ、情報そのものが、ひとつの絶対的価値観をもってひと
り歩きはじめたような時代では、その情報を得るためには一切の規則や倫理なるも
のは通用しないのでしょう。実情に疎い、異国での経験からでも、背後から人を突
き刺し、平気で人をおとし込めることが報道界の権威ある賞をとったり(驚くこと
に、高世の報道番組は、九十六年度「ギャラクシー賞」奨励賞が与えられている)
、超弩級の話題作を提供する上での常道であり、常套手段となっていると見るべき
かもしれません。
それまで私にとっては、本や映画の世界に思われた謀略、陰謀が身近にあるばか
りか、まさにその被害者とされるに及んで、かっての「松川事件」そして「狭山裁
判」「ロス疑惑」なるものも、今迄とは違った角度から考え、推測しえるようにな
ったのも、ある意味での貴重な経験ともなりました。
幾多の歴史的事実が示しているように、真理、事実を覆い隠し続けることは出来
ず、必ず闘争により、人々の善意や良心によって曝露されてしまうのは避けられま
せん。
敵とは絶対に妥協することなく、徹頭徹尾闘い抜かねばならない。これは、今回
私が得た深厚な教訓となっています。亡き田宮の遺言とも言える「闘争のみが生き
る道だ!!」という叫びの神髄を渡しも今では、少しは理解しえたように思います。
闘い続ける中で、必ず、正義を愛し、真理を求める人が登場してくるし、そうし
た人々の力強い支援と援助に支えられながら、人間としての真の生きがいや、喜び
を感じることが出来るように思います。
事件なるものが起こされて一年半、全くの四面楚歌とも言える中、私にとっては
、悶々とした、厳しく辛い日々が続きました。そうしたある日、ついに「普通の家
庭主婦」が「草奔(?)のジャーナリスト」達が、異様な時代の「突破者」軍団達
が、身銭をけずり、貴重な時間を費やし、人知れぬ労苦に苦労を重ねながらこの謀
略・陰謀の本質を白日の下にさらけ出してくれました。日を重ね、多くの人々が救
いの手を、限りない励ましの言葉を与え、しっかりと支えてくれています。
今、高沢なり、その手の機関から、私達を支え協力してくれた人、共に歩んで来
た人に種々の圧力が、脅迫が、時には甘すぎる程のアメが与えられていることは想
像に難くありません。そうした人達に、是非とも私が訴えたいことは、敵の圧力や
脅迫には、ひるもことなく毅然と立ち向かい、断固として闘っていくことが最善、
最良の策だということです。そうした途上でのみ、必ず明るい、希望に満ちた未来
をたぐり寄せることが出来るし、正義の偉業に対する信念が生まれてくるようにな
るということです。
高沢皓司は「宿命」において私達に対する評価を明確に下しました。このことは
、きわめて重要なことのように思います。
当時の活動家の心に深い傷跡を残し、多くの人々の怒りと失望をよんだ連合赤軍
事件、その「総括」と「粛清」のプロセスなるものと私達を無理矢理と結び付けて
います。挙げ句の果てには、カンボジアにおける、いわゆる「ポル・ポト大虐殺」
なるものとまで強引に関連付けさせています。「陥穽」、「釈迦の掌の悟空」、「
マインド・コントロール」、「ブレーン・ウォッシング」、「傀儡」、「傭兵(マ
リオネット)」、「外人部隊」、「絶対的帰依」、「カルト集団」、、、考えつく
あらゆる誹謗中傷の言葉が並べ立てられています。
しかし、何故か私には、こうした言葉の裏で、社会変革運動の背信者、敵への投
降者としての後ろめたさ、心の疼きを必死に慰めている彼の哀れな姿が彷彿と眼前
に現れてくるのです。
「虚偽は暴力の伴侶である」という言葉があるようです。日本の報道界にはびこ
る虚偽と捏造こそ、現社会の最大の暴力となっている観がするのは私個人の思い過
ごしなのでしょうか。
高沢皓司に、もし、わずかながらでも人間としての感情が残っているとするなら
、この場をかりて、はっきりと伝えたい。
反動政府や機関が力強く後押しし見守る温かさは、国民に抱かれる温かさとは、
根本的に異なるものであり、たとえ凍てつく厳冬のような環境の下に置かされても
、それは決して、その条件で生き闘う人達の心の冷たさを表現するものではないと
いうことです。
このことを、いつの日か肌身で感じる時が来ることを、私は断固として伝えてお
きたいのです。
異常なまでの「反共和国キャンペーン」が過ぎ去り、「どの国、どの民族にも自
分の国と民族の運命を決定する不可侵の権利がある」ことを常識的なものとして認
め合うことが出来る状況が到来し、また私達「よど号」への協力者、仲間達への被
害が法的にも及ぶことがなくなり、そうした人々の合意が得られた条件の下で、今
迄、書き綴ることの出来なかった生活や活動を、自らの手で正確に表現し、書き記
すことがあるのは当然のことです。
「宿命」の内容が事実か虚偽か、それは歴史的に実践的に検証し、判断するしか
ありません。
「よど号」ハイジャック闘争、思想的、理論的な多くの未熟さ、不十分さを持っ
ていたことは否定しえません。私達が乗客の皆様をはじめ日本の人々に強い謝罪の
気持ちを表わし、今もその気持ちを抱いています。今後とも、一生のその重荷を背
負い生きていくつもりです。世界党、国際根拠地といった当時の理論的目的もあり
ましたが、その闘争は、本質において、アメリカによるベトナム・インドシナ侵略
戦争とそれに積極的に加担していた日本反動政府の対米従属化と日妥協的に闘い続
ける覚悟を示したものでありました。文字通り九人が生死を賭けた、全てを投げう
っての闘いでした。そしてその後の結果は、私達の当初の予想とは異なり、長期の
政治亡命生活、加えて、国際的指名手配という困難で複雑な状況の下での海外活動
となりました。その中にあっても変わることなく常に完全に生死苦楽を共にしてき
た、いわば私達の生命であり、血であり、肉であり、魂でもあった田宮高麿、吉田
金太郎というかけがえのない同志に対して、又、不幸な死をとげるに至った岡本武
君に対しての「宿命」における高沢皓司のデッチ上げ、誹謗中傷に対してだけは、
絶対に許すことが出来ません。本当に心の底からこみ上げる激しい怒りをおさえる
ことが出来ません。
この問題に関しては、ピョンヤンの仲間、支持者、協力者と共に、私達の生涯、
即ち全生活、全闘争をかけて、その事実を実践で明らかに示すことが、特別に重要
な課題となり、目標ともなったことだけは間違いありません。
私達が、いったいどのような人間か、やむを得ぬ、長期にわたる異国での生活、
活動で何を考え、何をめざし、どのように生活し闘って来たのかは、時として、多
くの言葉を並べたて著述するより、ささやかであれ、無能非才の身であれ、現実の
実際の日々の生活で、必死な生き様の中で、より明確に鮮明に証明していくことも
できるのではないでしょうか。私は深くそのように確信しています。
新しく引き起こされたこうした厳しい状況の中で再び私に余りある力を与えてく
れたのも日本の若者でした。
支援者によって差し入れられた本、「中田語録(公認バイブル」の中で、全日本
代表のサッカー選手、中田英寿選手は「あとがき」に次のように述べています。
嘘が氾濫している
本当に腹立たしい
人の人生や人格を捏造して売り物にするような
腐った人たちがたくさんいる
その現実に悲しくなる
そして、また、黙るしかないと思う
・ ・ ・
彼の素朴な断固とした考え方があらわれたこの言葉は、私に今後どのような姿勢
で、どのように闘っていくべきかについて覚悟と決意を更に一層強く、固めてくれ
たように思います。心から感謝します。
高沢の「宿命」の出版は、私達の活動に対する挑戦である以上、一時的に困難を
醸成もするでしょうが、その試練と難関を克服していく途上で私達と仲間の意志、
信念を更に鋼鉄のごとく鍛えていくであろうと思います。
田宮高麿が高々と宣言したあの日。あの時の姿を胸深く刻み込み、この身が灰と
なるその日まで、私達は「明日のジョー」達として闘い抜き、闘い続けていく覚悟
です。
一九九八年十月十日
タイ・チョンブリ刑務所にて
田中 義三
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