(英エコノミスト誌 2015年12月5日号)

企業の近視眼的ビジネスを巡る懸念は的外れだ。米国でさえ、ビジネスは十分に活発とは言えない。

ハイパーアクティブな資本主義の本家である米国株式会社でさえ、「短期主義」というレッテルは実はふさわしくない(写真はニューヨーク (c) Can Stock Photo

 現代のビジネスがあまりにもせわしないという主張の根拠を並べるのは簡単だ。この1週間で、米国の上位500社の上場企業の株式100億株が、熱狂的な取引を通じて別の所有者に受け渡される。これらの企業の経営者たちは、75万通もの受信メールと顧客に関する速報データの奔流に飲みこまれる。

 5日もすれば、企業は110億ドル分の自社株を購入しているだろう。この金額は、そうした企業が事業に投じた資金とそれほど変わらない。

 片方の目をスマートフォンに、もう片方を自社の株価に向けている企業経営者たちは、まるで目を剥き出して活動過多な資本主義を操る船長のようだ。

 加速の一途をたどるビジネスライフのペースを嘆く人は多い。資本主義を批判するこれらの人々は、長期的に考えることが贅沢な行為になっていると主張する。投資家の企業に対する忠誠心は週単位で測られるが、企業経営者は、そうした投資家を満足させるのに熱を上げていない場合には、自分の報酬を最大限に高めるために株価を押し上げようとする。

 経営幹部は焦りも感じている。競争はこれまで以上に激化している。グーグルやアップルがライバルの転落を企んでいないとしても、新興企業は間違いなく企んでいるだろう。だが、このような見方は綿密な検証に耐えない。短期主義は、思われているほどの脅威ではない。競争に関する問題は、むしろ激しさが足りないことにある。

近視眼と長期的見地

 まず、短期主義について見ていこう。資本主義が近視眼的になりすぎているという懸念には、長い歴史がある。経済学者ジョン・メイナード・ケインズは、ほとんどの投資家が「フライング」をしたがっていると指摘した。ウォーレン・バフェット氏は50年以上にわたり、ほかの投資家が愚かな臆病者のように振る舞うという前提をもとにカネを稼いでいる。だが、そうした懸念が今日ほど声高に叫ばれたことはほとんどない。

 ヒラリー・クリントン氏は、大統領の座を勝ち取ったら短期主義の「横暴」を終わらせたいと考えている。イングランド銀行と、企業経営者の信頼が厚いコンサルティング会社マッキンゼー・アンド・カンパニーは、投資家が目先のことしか見ていないのではないかと懸念している。

 フランスは、長期保有の株主により多くの議決権を与える法律を制定した。経済学者たちは、企業が利益を投資に回すことを渋っているせいで経済成長が妨げられていると、苛立っている。