「僑務工作」(=華僑の力を結集する工作)に関する現状や戦略、展望を記した長文で、「市の指導と海外200社の大華僑、大物取引先の連絡制度を創立することで、さらに密接に連携し、理解を深め交流を促進していく」「老齢の華人(華僑)が元気なうちに、パイプ役となってもらい新世代と仕事をしていく」などの記述がある。
習氏は85年から2002年まで、福建省を舞台にキャリアを積んでいく。華人社会は「血縁」「地縁」「業縁」を、三縁と呼んで重視している。つまり、習氏の出世の背景には、アジア各国に散らばる主に福建省出身華僑と、その資本が大きかったと考えられる。
そんな習氏の海外ネットワークの起点となっている福建省と密接な地域が日本にもある。沖縄県那覇市だ。
那覇市と、習氏が党委員会書記を務めた福州市は81年から姉妹都市関係にある。明朝初期に沖縄へ渡来した末裔(まつえい)は「久米三十六姓」と総称される。「ルーツを訪ねる(福建省への)旅」も一時、流行した。那覇市長時代の翁長雄志知事も何度か福州市を訪問しており、名誉市民の称号を受けている。
つまり、習政権は沖縄県を知り尽くしており、「中国の一部」とすら位置付けている。沖縄が危ない。 =おわり
■河添恵子(かわそえ・けいこ) ノンフィクション作家。1963年、千葉県生まれ。名古屋市立女子短期大学卒業後、86年より北京外国語学院、遼寧師範大学へ留学。著書に『豹変した中国人がアメリカをボロボロにした』(産経新聞出版)、『世界はこれほど日本が好き』(祥伝社)、共著に『国防女子が行く』(ビジネス社)など。