「あの人…可哀想…」
今までずっと引っかかってた。他者を哀れんでいるテメエは一体何様で偉いなのかていうかその上から目線の口ぶりがむかつくしその言葉を贈られたら本人が喜ぶとでも思っているのか思っていると思っているならば余程お花畑で残念な脳みそなんだろうなおいというな勢いで引っかかってた。
あの人可哀想―――なんて言われて本人がどういう気持ちを抱くか本気で分からないのだとしたらもう最悪だ。サナトリウムでもぶちこんでその腐った心身を静養するしかあるまい。相手の感情を蔑ろにしてまでその言葉は投げかけるべきなのか、周囲に漏らす必要があるのか、それとも自分の感情が絶対だと思っているのだろうか? だとしたら決断基準が狂っているとしか思えない。憐憫と同情とないまぜにした弩級のクソを相手に投げつけていることを分かっていないのだろう。
例え言及相手がいない飲みの席だろうが休憩談話だろうが何だろうが「あいつは可哀想」なんて言葉を発している人間は卑しい奴に過ぎない。私は私自身に言われているわけではないのにその言葉がとてもむかつく。言われた相手がそれを聞いたらどう思うのかもこいつらは分からないその事実に腹が立つ。
そういった輩を反面教師にして私は決してそのような発言をしないと誓うものの、しかし「そういった感情」までを否定できないとも思っていた。私にだって"そう思って"しまうことはある。発言しないまでも、何かを見、何かを聞き、何かを想って、そう感じてしまうことはある。
――あいつは可哀想だ、と。
さてこれらにどう折り合いをつければいいのか悩んでいたのだが、三日月夜空(僕は友達が少ない)の言葉を見てああなるほどそういうことかと腑に落ちる。
夜空「簡単に他人を可哀想とか言うな」
光太「なんで? お母さんが死んでまってお父さんは外国行っとって、兄ちゃんと二人ぼっちなんやで? そんなん可哀想やげ」
シャクゼンとしんくてオレがゆうと、夜空ねーちんはすげえ冷たい様子の目でオレを見た。ゾクッてした
夜空「自分を哀れんでいいのは、自分だけだ」
光太「え……」
夜空「自分以外の誰かから、勝手に自分を可哀想だと決めつけられるほどの侮辱はない」
――僕は友達が少ないconnect p126-127
夜空の言うとおり「自分を哀れんでいいのは自分だけ」だ。これを拡大してくならが例え自虐するのだって本人が自分の了解のもと自分を貶すからこそ「自虐」として成立するのであって、もし他者がそこを突っつくのであれば「嫌がらせ」に成り代わってしまう。
そういうものなのだろう。
つまり、誰かを可哀想だと「おもう」ことと「発言」することはおそらく別々のものだ。心が発露してしまうのは仕方ないが、それを口に出すかどうか全然違う領域なのだと一人でに納得した。