あいさつ

理事長 富樫泰良

 

  はじめまして、クラブワールドピースジャパン理事長の富樫泰良と申します。

2009年7月1日にCWPJをはじめてから、はやいものでもう既に5年が経ちました。当時中学生だった私ももう既に高校3年生になり、時の流れの速さを身をもって感じています。この5年間でメンバーも入れ替わりましたが、地道に活動を続け、国境を越え広がり、私たちの団体名”Club World Peace Japan"の通り「日本から世界にPeaceを広めていきたい」という目的に追いついてきました。やっとCWPJの本当のスタート地点に立ったなと思っています。5年前を思えば、当時の私は今以上に言葉づかいも酷く、右も左もわからないどころか「想い」以外はなにもない"ただの中学生"でした。今改めて、当時支えてくださった方々のありがたみが身に染みます。

 

 僕の見た戦争というイラク戦争についての本を読み、戦争が過去のものではなく今も世界で起きていて、罪のない人たち、同い年のこども達も辛い思いをしていることを知ってから、なにかできないかと地域団体を立ち上げ、いまCWPJとなって活動をしています。地域団体としてはじめた時から多くの大人に「こどもには無理」そう言われ続けてきました。なんども辛いこともありましたが、「こどもには無理」といわれたことが逆に原動力となり、こどもにだって、私たちにだって少しずつでも世界を変えていくことができる、絶対に見返してやろうと活動を続けてきました。色々な苦労もありましたが、活動を続けてきて良かったと思っています。どんなことがあろうと、活動を続けて良かったなという想いは、今もこれからも変わりません。当時から一寸たりとも支援者の皆さま、関係各位の皆さまに感謝の気持ちを忘れたことはありません。改めてご支援、ご協力をいただいた皆様には深くお礼を申し上げます。
 

 いまの日本では、中学生・高校生のおよそ7割が将来に不安を抱いているといわれています。こういう時代に生まれた私たちだからこそ、次の世代に、これからに、さらに多くの笑顔をつくっていけることを願い、挑戦を続けて参ります。

 

共同代表 澤邉啓太朗

はじめまして、クラブワールドピースジャパン共同代表の澤邉啓太朗と申します。

 

僕がボランティアを始めたきっかけは理事長と同じく『僕の見た戦争』という本を読み.....というワケではありません。どちらかといえばそんな人たちばっかりだったら疲れちゃうよ!って側。

 

留学経験のある母親や、洋楽の好きな父親の影響で英語が好きだったのでこの団体・活動を通じて海外の方達と交流が出来たらいいな〜と。(美人目当てとかそういうのではないです。本当に。)

まぁ、言ってしまえばキッカケはその程度のものなんです。ポジティブな内容であればそんなの関係ないんです。それよりも「何をしたか」や「そこにたどり着くまでのプロセス」のほうが大事。

 

ボランティアや団体についてのお話をするとよく意識高いね!とかすごいね!とか言われますが全くそんなことはないです。言われてうれしい反面ちょっと悲しくもある。

社会を、環境を、自分の生活をより良くしようとするのは普通じゃないのかなって。

まち掃除だって、募金活動だって、選挙への参加を呼びかける動画に参加することだって、始めようと思えば誰にだってできる。

どうせ俺がやったって...どうせ私一人じゃ...目標や理想を諦めるにはまだ早い。

 

だってまだ10代なんだから。

ていうか一人じゃないから。

 

一人が嫌だったら仲間を作ればいい。ここ、クラブワールドピースジャパンはそういうところでもあるんです。900人もメンバーがいれば気が合う人の一人くらいいるって。環境が変われば意外と簡単に雨は止むし夜も明ける。無理して、我慢してまで学校や家で窮屈な思いをしなくてもいいんです。無論、英語が話せなきゃいけないわけじゃないし全ての活動に参加しなきゃいけないわけでもない。もちろん性別も国籍も年齢も関係ありません。(メンバー同士の会話は基本的にタメ口)


理事長の挨拶にもあるように、中高生の7割が将来に不安を抱く時代。

1日に約2人の10代が自ら命を絶っている。こんなのおかしいでしょ、絶対。

これを『普通』にしないために、このような結果を招いてしまった『普通』を変えるために、共にアクションを起こしていきましょう。

わたしたちの力で世界は変わる。

世界中に明るい笑顔が広がることを願って。

以上、挨拶とさせていただきます。


東日本大震災 3年を迎え

仙台・名取支部長

【東日本大震災から3年を迎えて】

■仙台・名取支部長 寄稿
仙台・名取支部長 武藤大将

   東日本大震災から3年が経ち、少しだけですが街も復興してきてきました。被災した方でも、もう3年たったから、といってあの日のことを忘れてきている人が多くなってきています。これから被災地で被災者として、支援者としてこの立場だから出来る事、またこの立場でなければ出来ない事を被災者とともに寄り添いあいながらして行きたいと思っています。
ボランティア活動はあくまでいっときのブームではなく、心が伴った活動で無ければいけないと思っています。

   明るい未来がくると信じて、復興活動の手助けが微力だとしても続けて行きたいと思います。これから様々な困難が待っていると思いますがみんなの力を合わせて頑張っていきましょう!

                           2014年3月11日 仙台・名取支部長 武藤大将

■Club World Peace Japan結成のいきさつ 

 

平成19年より地元住民がボランティアの「防犯団体」として

 

 現在も代表である、富樫泰良(当時12歳)が立ち上げ

 

初めは、国際的な支援活動を行おうと考えましたが資金という壁から、いまできることから始めようと

地域安全活動に取り組んできました。

 

 その後、地元のイベントへの参加や地域交流会の実施など地域復興活動を始めたことから、

 高輪地区の名前を入れた「takanawaヘルファイター」となりました。

 

 「地域」への関心が「環境」へ、

「海外支援」へと、私どもの活動の場が広がる中で                             

名称を平成22年4月にClub World Peace Japanと改めました。

 

尚、地域安全活動は地域安全支援センターとして 、現在も活動をしています。